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曖昧な僕ら。  作者: 藤丸のりか
37/52

【濁った牛乳】

疲れて帰宅したBを待っていたものはAと…

今週、Bはとても疲れていた。

渡辺とカラオケでオールしたり、高橋のアルバイトを手伝ったり、鈴木が掛持ちしているサークルの一つに顔を出したり、小林に勉強を教えたり、佐藤のライブを見に行ったり、極めつけに今日は早朝共にバイトを上がった中村の家でゲームをして過ごしていつの間にかもう夕方だ。


「流石に今日ヘルプの電話があっても電波は届かないなあ。ただいまー。」


それでも基本元気なBは今日も溌剌と帰宅し、玄関に脱ぎ散らかされたブーツを見て「今日は二人分ご飯作る気起きないから食べに行こう集ろうよしそうしよう」と決めた。

直ぐ出かけるならそのままで良いやとBも靴を脱ぎ散らかし、リビングに入って固まった。

半裸のAは火の点いてない煙草を咥え、膝に肌色の何かを乗せてソファに踏ん反り返っていた。


「よお。」


「すみません。部屋間違えました。」


「は?」


Bは そっ と扉を閉めて玄関で脱ぎ散らかした靴を一旦揃えて履き、そこに出て号室を確認した。

間違いない、ここだ。

Bは笑顔で目を閉じ、額に手を当て、暫く深く息を吸って吐き、ゆっくり目を開いた。


「うん。僕、疲れてるしね。目も悪いし。…ただいまー。」


Bは始めからやり直し、もう一度リビングに入って固まった。


「何やってんた?おまえ。」


ああ、間違いない。

BはAの膝に収まった肌色の何かを改めて確認し、視界が ぐにゃり と歪んだ。


「わ゛あああああああッ!?」


「馬鹿、デカい声出すな!さっきやっと寝たっつうのにって、おい!?」


Aは奇声を発したまま家を出て行くBを目で見送り、膝の中で大人しく首を傾げる赤ん坊を真似た。


 

―*―*―

 


Bは暫く奇声を発したまま街中を駆け回り、少しだけ落ち着いたが酸欠とまだ止まぬ精神的衝撃に目が回っていた。

ふらふらと見知らぬ道を行き、人気のない所に出た。

商業地区の割に何の会社が入っているのかわからず活気は無いが、今のBには有り難かった。

壁に寄り掛かりぐるぐる回る頭を抱えていたら、人の気配がしてビルの入口横の郵便受けに慌てて隠れた。

人の気配はどんどん近付き、一階にそれ以上隠れる場所が無いとわかったBは、今誰にも顔を見られる訳にもいかず、「お邪魔します」と一段飛ばしで階段を登った。

「closed」の札が下がったお洒落な扉の前にしゃがみ込み、膝を抱えて顔を埋めた。

人の気配は遠ざかり、静かなそこで世界から隠れる様に息を潜めた。

折角一人になれたのに、その時間はあまり長くは無かった。

下から上がって来る足音に驚き顔を上げたBは、逃げ場所を求めて上を見上げたがそれではまた追い詰められるだけだ。

精神的にもう追い詰められたくなくて、無意識に目の前にドアノブに手を掛けた。

予想に反して扉は開き、後ろめたさはありながらも直ぐに中に駆け込んだ。

その中は扉の雰囲気から飲食店だとは思っていたが、打ちっ放しの殺風景な壁に、統一感の無い、強いて言うなら夜の店に置いてありそうな感じで統一された家具が並び、四つ程のブースに区切られていた。

その内の一つ、ベルベットの毛並みが美しいボルドーのソファに寝そべっていた男が跳ね起きた。

銀の長髪は束ねられておらず、ブラインドの隙間から漏れる夕日を通し、その男の美貌も相まって幻想的ですらあった。


「B君?」


「Cさん?」


Cは組んでいた長い足を解いて振り子にし、ソファから飛び降りてBに駆け寄った。


「何、泣いとんのや?何か怖い事でも遭ったん?」


今にも崩れ落ちそうなBに軽く両手を広げれば、Bは迷子が母親を見つけた時の様な必死さでその胸に収まり、泣きじゃくった。


「もう大丈夫やで。俺がおるさかい。な?」


とりあえずCはBに好きなだけ泣かせる事にして、片手は強くBを抱き締め、片手で背を叩いてやった。

その一部始終を、B乱入からカウンターでずっと固まったままの恵麻(エマ)は隠れるのも忘れて見入っていた。


 

―*―*―

 


Cは大分泣き止んだBを軽々と肩に担いでお気に入りのソファに戻り、窓際の席にBを座らせた。

Bは恥ずかしそうに身を縮め、上目で隣に座るCを見た。


「…力持ちですね。」


「あは!B君が軽いんや。」


Cはブーツを脱ぎ、隣のBを向いてソファに足を乗せた。

Bの足を掴んで真似させ、向かい合った。

Bの眼鏡を外し、いつもきちんと前髪を上げている筈の髪留めを解いた。

指先で涙を拭ってやり、頭を撫でて髪を整えてやった。

Bは目を凝らす事は無く、漠然とCの居る辺りを見た。


「Cさんはここで働いているんですか?」


「いや?ただの常連。ここのマスターとはまあそこそこ知り合いや。気ぃ遣わんでええでな。」


「そう、ですか。」


Bはテーブルに目を凝らすが、裸眼ではメニューがあるのかどうかもわからない。

CはBに自分の表情がわかるようにと、距離を縮めた。


「何か飲む?」


「開店前でしょう?」


「だから気ぃ遣わんでい痛って!?」


「ごめんなさいね。準備しながら勝手に作っちゃったわ。」


BはCの背後に立つ女性に目を凝らすが、眼鏡を掛けたその人が美人なのかどうかすらわからない。

ただ、健全な男なら誰もが目が行ってしまう膨よかな胸をしている事だけはわかった。

スーツの様な気がしたが、まさか飲食店の女性店員がそんな訳が無いだろうと気にしない事にした。

女性はCの頭頂部を肘でド突きながら、もう片方の手に二つ持っていた内の一つのカップをBに差し出した。


「ミルクココアよ。ここじゃあいつ以外に飲む人が居ないから、期限切れになる前に減らしてくれると助かるの。」


「お、ええやん。俺のは?」


「あんたは甘い物飲めないでしょ。」


Bは両手で受け取り、Cは頭の上に乗せられたカップの中身を確認し、Bに微笑みかけた。


「姉さんの淹れるもんはココアでも珈琲でも何でも美味いんやで?」


「あら。いつお世辞なんてものを覚えたのかしら。」


「既にB君の視界でピンボケ通り越してモザイク処理された人間はもう黙っとってくれへん?」


Bの視界の外、Cの背後で恵麻は拳をわきわきとさせたが、鼻息一つで気を鎮めてカウンターに戻って行った。


「飲んでみ?」


「いただきます。」


Bは湯気が立ち上るココアに沢山息を吹きかけ、恐る恐る口を付け、大きな目を丸く開いた。


「美味しい、です。」


思わず出た感想を淹れてくれた人にも伝わる様、最後の敬語はカウンターに向ける。

恵麻は微笑み一つで何も言わず、Bには言葉が届いたのかどうかもわからなかった。


「やろ?少しは落ち着いた?」


「はい。」


「じゃあそろそろB君に何が遭ったのか、今晩お兄さんが悶々とせんでええ様に教えてくれへん?」


「ハッ、誰がお兄さんよ」とは恵麻は口には出さない。

天に唾吐く行為だ。

空気に徹し、自分もカウンターの中の椅子に腰掛け、珈琲を飲みながら事の成り行きを見守った。

Bはもう少しココアを飲んで心を落ち着け、口を開いた。


「今日、帰ったらAが赤ちゃん抱いてて、吃驚したんです。」


「「…。」」


Cと恵麻は表情を凍らせながら口の端から垂れた珈琲を各々拭った。

事情を知るCはまだ冷静だが、関係の無い恵麻は痛む頭を眉間に手をやりやり過ごした。


「前から思ってたんですけど、Aって人間終わってるのに子どもとか動物の扱いが意外と上手ですよね。」


「そうか!?」


「そうですよ。」


Cは割と本気で聞き返したが、Cよりも付き合いの短いBは持論に疑いは無かった。


「迷子の子とか迷子の犬とか、人畜無害そうな僕より上手にあやしてました。」


「マジでか。いや、あいつも変わったなあ。」


「何歳なのか知らないけど良い歳してるのは明らかだし、あの人もそろそろ家庭を持ったりしてもおかしくないんですよね。」


「「!?」」


思ってもみなかったAの未来予想図に、自称皆のブレインCは情報処理能力が追い付かずフリーズし、そういう事に野郎共よりは興味があり想像しやすい恵麻は珈琲を吹き出した。

Bはココアをテーブルに置いて膝を抱え、また顔を埋めた。


「Aに子どもが居たって事より、僕は、いつか僕の今居る場所が無くなる事に今更気付いて吃驚したんです。」


Cは精神的衝撃から復活したが、Bに掛ける言葉が直ぐには浮かばなかった。


「ここ数年、不覚にもあの人間終わってるけど金だけはあるおっさんに甘えて何も考えないで生きてた。…僕とした事が。」


「それで不安になって、こんな所まで来てしまったん?」


「こんな所で悪かったわね」と恵麻は口には出さない。

Cが使ったその言葉にどんな意味が込められているのか、わからないでもない。

Bは頷いたまま、より深く膝に顔を埋めた。


「あの人は“僕が自立するまでは生きててよこの無責任”に対して、約束は出来ないって前置いて“生きててやってて良い”って言ってくれたのに、…僕、最低だ。AにもAの人生があるのに。」


鼻をすする音にCは優しく微笑み、Bの頭を撫でた。


「B君は優しいなあ。」


Bは頭を振るが、Cはそれを軽く押さえ付けて止めた。


「家出少年最大のピンチに、君は人を思い遣れるんやね。」


「?」


顔を上げて首を傾げたBは、Cの笑みに見惚れて涙が引っ込んだ。

CはBの頬を濡らす涙を指先で拭いながら言葉を選んだ。


「安心しい。あの脳味噌筋肉が誰かと約束なんてもんをする筈があらへんけど、結果はどうあれ君の人生に対して責任は果たすつもりではおる。だから君があいつの意思で今の居場所を失う事は絶対にあらへんよ。何より、例え出来ちゃったとしてもあいつと結婚する様な命知らずの女はこの世に存在せえへんしな。」


Cは無防備なBの頬を指先で突いて遊ぶ。


「それにB君には俺もおる。自分のしたい事を探したいならそうしたら良いし、今の生活が気に入っとんのやったら気が済むまでずっと続けたらええ。な?」


今度は両手でBの顔を包んで縦に振らせるCに、Bは少しだけ抵抗した。


「どうして、AもCさんも僕にそこまでしてくれるんですか?もしかしてお知り合いでしたか?」


「そりゃAは美味い飯作ってくれて身の回りの世話してくれるこんな可愛え子を手離したくあらへんやろし、俺はB君の事が大好きやでな。」


「例えそうだとして、Aとは違ってCさんにはお世話になる事はあっても何もしてあげられていませんが?」


両手の中で首を傾げるBに、Cは困った様に微笑む。


「B君は人を好きになるのに理由が要るん?」


「そりゃ、まあ。顔とか、性格とか。」


「ふうん?じゃあB君、俺に口説かれたいんや。」


「何がどうなってそうなりました?」


「お、ちょっと調子が戻って来たなあ。だって何処が好きかちゃんと聞きたいんやろ?でもまだ内緒や。」


Cは少し逃げ腰のBを追い駆け、窓際に追い詰めた。

両手はBの顔に添えたまま、鼻先が付く程顔を近付けた。

そこまで近付かれれば流石のBも裸眼で相手の顔を良く見る事が出来る。

Cは今までの人懐っこい表情を改め、その美貌に相応しい鋭い色気を纏った。


「俺が君の何処が好きか真面目に伝えるには、君は幼過ぎる。…腰抜かすで?」


最後は人懐っこい笑みで締め括ったが、Bは目の前の男の魔性に当てられ思考力が奪われ、放心している。

「今やったら気付かれへんかな」とCに魔が差した時、後頭部に蹴りが刺さった。


 

―*―*―

 


「おう、B。こんなとこに居やがったのか。」


「A?」


自分が避ければBの顔面にAの蹴りが入ると動かなかったCは、やけくそでBに抱き着く。

今Aに会いたくなかったBはCに隠れる様に大人しく収まった。

そんななよなよしたBにイラッとしたAはテーブルに片足を上げてBの髪を掴んで顔を上げさせようとしたが、それはCに払われてしまった。

Bは物凄く不細工に目を細め、更に苛々しているAに目を凝らし、何処にも肌色の何かが無い事を確認し、首を傾げた。


「あれ?赤ちゃんは?」


「どうせ俺がヘマしたって思って飛び出したんだろうが、ここに居るならCに何も聞いてねえのか?」


「それは今から聞こうとしてたし、まず出来ちゃったのをヘマって言うな。」


「予想外の出来事を仕出かしたならそれはヘマだ。」


Cに横目で睨まれ、恵麻に背中に的を付けられ、Aは失言に気付く。

改めてBを見るが、Bは特に気にした風では無かった。


「あの子はCさんの子だったの?」


「んな訳あるかい!あ、ごめんな。驚かせてもうたな。」


CはBを撫でくり回し、Aはこれで失言の分はチャラだと素直に答えた。


「仕事中に捨てられた赤ん坊を見つけてな。ご丁寧におんぶ紐、ミルク、おむつが入ってやがった。そのままにするのも後味が悪いってんで持って帰って、そこの残念な変態に引き取り手を探させてる間に面倒看てやってたんだ。テメエが帰って来たらテメエにやらせようとしてたのに、今日に限って遅せえし巫山戯んなよ。」


Aの口から溜め息交じりの煙が吐き出される。

Cは補足した。


「思い直した親がちゃんと引き取りに来たで安心してな。ちゃんと公の機関におる知り合いにも暫くは目を離さんように頼んどいたで大丈夫や。」


「Cさんって何者なんですか?」


「ただのちょっと頭が良い度を越したイケメンや。」


「そ、そうですか。」


「嫌やなあ、B君。今のは笑うとこやで?」


「…Cさんが言うと洒落にならないです。」


そこで少し安心したBがやっとはにかんだ。

Cも少し安心したが、Aにそんな繊細なものを感じ取る器官は無い。


「おら、これで俺の不名誉は晴れたろ。さっさと帰って飯作れ。」


「う、うん。」


Cは呆れながら、帰ろうと動いたBをキツく抱き締めて制した。


「ほんま、デリカシーの無い男やな。」


「そんなご大層なもんテメエにもねえだろが。」


「おまえよりは随分マシや。あー、もうこの駄目男はB君おらんとまともな生活できへんわ。確信。」


カウンターの中で恵麻が風切り音を立てて首肯した。

Aが睨めば恵麻はしれっと大きくズレた眼鏡を指先で押し上げていた。

Cは名残惜しそうに腕の力を緩め、Bを解放した。

残りのココアを飲み干したBの耳元に囁く。


「さっきのあれは本気だ。」


「え?」


関西弁でない言葉に我が耳を疑い聞き返すBはCを振り向き、周りにお花が浮かんでいそうなCの無邪気な笑みを見た。


「Aに愛想尽かしたら俺んとこおいでな。」


「…ありがとう、ございます。」


靴を履き眼鏡を探すBの頬に口付けたCは、また避ければBに当たるというAの蹴りを今度は避け、ソファの上で身を翻し立ち上がり、予想外の状況に咄嗟に身体を止めたAの肩を足蹴にした。

Aの片手はBの腕を掴んで引き寄せていて、もう片方の手はBを庇う様に宙に浮いていた。

Cは口の端を吊り上げ、Aの肩を蹴り出した。


「やれば出来るやないかい。さっさと連れて帰ったれ、ボケ。」


「覚えてろ。」


「ハッ、この程度覚えとってええなら1テラのSDが三個は要るわ。お互いにな。」


AはBを引き摺る様にアジトを横切った。


「その駄目科の雄を頼んだで~。」


Bに掛ける声とは裏腹にAを睨むCを睨み返し、Aは扉を荒々しく閉めた。


 

―*―*―

 


眼鏡を掛けていないBはただでさえまともに階段を下りられないのに、Aに引き摺られ思いっきり踏み外した。

不機嫌なAの背中に全身でぶつかってしまい一瞬死んだ気がしたが、AはBの胸倉を後ろ手に掴んでBを持ち上げ、背に乗せた。

特に支えるでも無いAにBはしがみ付き、階段を降り切った所で飛び下りた。

外はもう既に暗く、尚一層何処を歩いているかわからないBはAに必死に付いて行くが、足元すらおぼつかない。

小さな段差に引っ掛かりすっ転ぶのを、Aは立ち止って背中で受け止めた。

咄嗟にAのコートを掴んでいたBは、そのまま歩き出すAに付いて行った。


「あの、A。」


「んだよ。」


「眼鏡、忘れて来たんだけど。」


「取りに行きたきゃ行けよ。」


「道、わかんないんだけど。」


「俺は戻らねえぞ。」


「ご飯作るのに要るんだけど。」


「新しいの作れば良いだろ。」


「あのフレーム、お母さんの形見なんだ。」


Aが息を飲むのが、Bには何となくわかった。


「今日じゃなくても良いから、いつかまた取って来てね。」


「ああ。」


「で、今日はご飯作れないからラーメン奢って。」


「チッ、ちゃっかりしてやがんな。」


「あんたと暮らしてたら嫌でもそうなる。そうでないとこの先身が持たないからな。」


「嫌ならCの所へ行っても良いんだぞ」と、Aは冗談でも思い付かなかった。

ただ、Bが語る“この先”が自分と共に在る事を含んでいる事には気が付いた。


「まあ、公園よりゃマシか。」


「マシだね。今何か怖いウィルス持った蚊とかいるしね。」


「おう、あれな。怖えよな。」


「へえ?Aにも怖い物とかあるんだ。」


「当たり前だろうが。」


「今後の参考までに他には何があるの?」


「何の参考だ?あ?」


「さあ、今日は何ラーメンにしようかなー?」


腕を曲げてAの背に引っ付く様に歩くBにAは溜め息を吐き、Bが見えない事を良い事にラーメンに胡椒を振りたくってやろうと決め、今だけは優しくしとこうと少しだけ歩く速度を落としてやった。


 

―*―*―

 


荒々しく閉まる扉に中指を立てていたCはソファに寝そべり、Bの眼鏡を覗いて目を細めた。


「うわ、きっつー。」


Aの強引な帰宅も、誰も忘れ物を教えてやらないのも、アジトの場所を知られたくないが為ではあるが、眼鏡無しで帰り道は大丈夫だろうかと心配になる。


(アキラ)の阿呆がちゃんとリードしてやれるとは思えんし、大怪我せんとええけど。」


「それは大丈夫だ。」


暫くぶりの声に、誰も驚かない。

Cはカウンター席の一番端で誰よりも空気に徹していた英国紳士風の男の声に耳を傾ける。


「確かに、玲は変わった。いや、まだまだ変わりつつある。」


風雅(フウガ)もそう思う?」


「ああ。脳味噌筋肉が取り柄の玲に首輪を付けるのは社会的に見れば安全で褒められた事かもしれないが、俺達としてはあの野生動物が絆されては困る。」


「私はそんなつもりで言った訳じゃないんだけれどね。」


恵麻は空になった風雅のカップに紅茶を注いでやる。

風雅は恵麻の紅茶を、まずは香りを楽しんでから砂糖とミルクを足し、口に含んだ。


「負傷のリスクが高い仕事は俺達だって出来ない事は無いが、忍耐を伴う。それを親父は良くは思っていない。それなりに利口でありながら、自身の怪我やその恐怖を何とも思わない玲は貴重な人材だ。失う訳にはいかない。」


「俺も別に何ともあらへんけどな。」


「そうね。元は玲と似たり寄ったりの危険物だったものね。」


「でもまあ今は俺の替えが利かんで、土壇場で自分の身が可愛くなるかもしれへんな。」


「その躊躇はいざという時に俺達の決心をも鈍らせる。」


恵麻もCも表情を引き締める。


「あの玲が土壇場でそんな情けない様を晒すとは思えないが、残してしまうB君の事を思わずにはいられない。俺達はそれを目で見る事は出来なくても、察してしまうくらいには玲のB君への思い入れは顕著だ。面白おかしく見守るのは良いが、その分覚悟をしておけよ。」


風雅はそれからは無言で、恵麻の淹れた紅茶と古臭い英字の文庫を楽しんだ。

恵麻はタブレットを操作して事務仕事を始め、CはBの眼鏡越しにずっと歪んだ天井を見ていた。


「(あの阿呆は土壇場で絶対にB君の事を考えたりしない。俺が生きている限り、B君の安全は今まで通りだ。信じるなんてもんは言葉すら知らねえだろうが、俺の能力は文字通り買っている。)」


常日頃この眼鏡越しにBにはどの様にAが見えているのか、目を凝らす。


「(あの阿呆はいつも一方通行で、詰まる所自分が与える事しか考えてない。だから子どもや動物には好かれても対等な人間とは付き合えない。だからきっと“今の”B君とは上手くやってられる。でも今日、B君は自分の立場に気付いてしまった。あの、幼い頃からただ存在するだけを許されず家庭環境に自立を強要された子が、それを黙って享受できる筈が無い。そこにあの子の世界の全てがある訳でも無し、誰かあの優しい子の目を多少強引にでも他に向けてやってくれねえかな。)」


特に目ぼしい人物に心当たりのないCは溜め息を吐いてBの眼鏡をテーブルに戻し、目の前で両手を交差させた。


「あーあ。さっきの“俺にしとき”って言っとけば格好良かったかなあ。」


「あら、さっきの千隼は割と格好良かったわよ?」


「はあ?」


億劫そうに起き上がったCは風雅に頷かれ驚いた。


「どの辺が?」


「やだ。あんたまだまだ脳味噌筋肉を返上してなかったのね。」


「流石、かつては荒事専門の双璧の一角だ。」


「自分らさっき俺の事褒めとったんとちゃうん?一瞬か。」


今度はうつ伏せになり不貞寝するCを尻目に、恵麻と風雅は目だけで意思を疎通し、それからは各々そこに他に誰も居ないかの様に干渉し合う事は無かった。




ねえ、巳鶴は恋人とお母さんが溺れてたらどっちを助ける?

うーん、一人じゃ泳げない方かな by B

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