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曖昧な僕ら。  作者: 藤丸のりか
26/52

【ただいま】

白地に、角度を変えればそこかしこに見える白のきのこの刺繍が面白い、お気に入りのシャツ。

バイト仲間の知り合いの経営するショップで買った、数量限定生産品だ。

今日、バイト仲間の佐藤君と遊びに行く時に着ようと思って出して、固まった。

左胸の所が、焦げて小さな穴が空いていた。


「悪り。」


勝手に部屋に入られても、あまつ、勝手に添い寝されても、お気に入りの漫画を汚くされても、取っておいたプリンやアイスを食べられたりしても、洗面所を水浸しにされても、泥だらけでソファで寝られても。

不機嫌になるだけで折れてあげて来たけれど、今度という今度は許すものか。


「お気に入りの服だったのに!もう売ってないのに!しかも何でこんな目立つ所に灰なんて落とすんだ!何しても隠れないじゃないか!」


「だーかーらー。謝ってんだろ?悪かったって。」


「だからはこっちの台詞だ!歩き煙草しないでっていつも言ってるだろ!?特に洗濯物畳んでる時は!」


「あー、もー、うっせえな。何度も言われなくても聞こえてる。」


「うるさいだと!?何度言っても聞かないくせに!それが聞こえてる内に入るか!」


僕は何も悪くない。

Aが全面的に悪い。

日頃の怨みも込めて声を大にして糾弾してやる。

でも悲しいかな。

普段あんまり怒ったりしないから、怒り方がわからない。

この怒りをどう表現すれば良いのか悩んでいたら、黙りこくって結構時間が経っていた。


「…チッ。」


え、何、今このおっさん舌打ちしやがった?

口喧嘩の末、手が出る奴の気が知れないとか思ってたけど、今少し気持ちがわかった気がする。

この丈夫なおっさん相手なら許されるだろうと、思わず握り込んでいた拳を何処にぶち込んでやろうか悩んでいたら、Aが立ち上がった。


え、何、やられる前にやっちまえ的な?

思わず身構えたら、Aは無言のまま横を通り過ぎて行った。

そして、そのまま出て行ってしまった。

Aが閉めた扉を見つめて数秒。


「はあ!?何あのおっさん!?マジで人間終わってる!」


僕は近所迷惑も省みず、叫んだ。




待ち合わせ場所のお洒落なカフェで、イケメンを前に、僕はストローを咥えたまま溜め息を吐いた。

炭酸ではない飲み物が泡立つ。

イケメンこと、駆け出しミュージシャンの佐藤君は苦笑いだ。


「田中さんがそこまで拗ねるなんて珍しいッスね。」


喉に良いらしいハーブティーがメニューにあるこのお店は、佐藤君のお気に入りだ。

伊達眼鏡をしていても全然萎えない格好良さで、全然お店とは関係無いのに売り上げに貢献している。


「でも良いなあ。俺も田中さんと一緒に暮らしたいッス。そうだ、俺が稼げるようになったら俺んちに引越したら良いんスよ。俺、煙草吸わないですし。」


「何言ってんの。彼女にドン引きされるよ?」


「田中さんと出会ってからはフリーッス。田中さんの為にその席は空けてあるッス。」


「はいはい。冴えない瓶底眼鏡君で良ければ、メジャーデビュー前でそう言う事に関して敏感な時期のメインボーカル君の言い訳に使われてあげますよー。」


「する?しない?するならそれ相応の活動を本格的に始めないとね、の段階ッスけどね。」


それでも嬉しそうな鈴木君に、僕も笑顔になる。


「あー、佐藤君がテレビに出る日が楽しみだなあ。僕達バイト仲間で親衛隊作って、追っかけするよ。テレビ局の前で女の子達を差し置いてさ。」


「はは!追っかけてんのは俺ですけどね。」


「え?」


先にハーブティーを飲み干した佐藤君が、頬杖を付いて僕が飲み終わるのをのんびりと待つ。

Aとはまるで正反対の清潔で爽やかなイケメンに、苛々していた気持ちも落ち着いて来る。


「今日はスポーツランドで遊ぶ予定でしたけど、先にその服の穴をなんとかしましょうか。」


「いい、いい。帰りに手芸屋さん寄ってくから。」


「だから、俺を誰だと思ってるんですか。これでもファッションに関してはちょっとうるさいんですよ?」


「…まさか。」


そう言えば、バイト以外で彼が着ている服はちょっとそこらでは見かけないものだ。


「スターの様に一点ものなんて買えませんし、でもファンの子に値段知られたくないんで、今は量産品にちょいちょい手を加えてるんです。」


「へえ!凄い。佐藤君の服、格好良いしちょっと変わってて良いなって思ってたんだ。」


「田中さんにそんな事言われるなんて、頑張り甲斐があります。」


その後遊びたいし、善は急げ。

口を窄めて残りを一気に飲み干す。

少し咳き込んだのを、佐藤君は超爽やかな微笑みで見ていた。

何だかいつもより大人っぽいなあ とか思っていたら、佐藤君は にぱっ といつもの人懐っこい笑顔を浮かべた。


「じゃあ行きましょーか。」


「おー。」


なんかもうどっちが年上かわからないけど、佐藤君は良い友達だ。



佐藤君がよく行くと言う手芸屋で、大体の案を練って外に出た。

素材は佐藤君ちにあるので何とかなるらしい。

穴も小さいし直ぐに出来る と言うので、先にそっちをして貰う事にした。


「佐藤君ち、この辺なんだ。うちのコンビニ、ちょっと遠くない?」


佐藤君ちは商業地区の外れの方のうらぶれた場所にある。

道も狭いし駅からも遠くて、交通の便も治安も空気も悪い。

佐藤君は伊達眼鏡の下にマスクを付けた。


「そうッスね。でも、よく使うスタジオがコンビニの近くなんスよ。他のバイト先も。この辺じゃ融通効くとこあんま無くて。」


「そっか。大変だね。引っ越さないの?」


「それこそ金が勿体無いんで。」


目元だけでも笑ったのがわかる。

本当に音楽が好きなんだなあって感じて、オニーサンは父性を刺激されてしまった。


「コンビニのバイトなら僕が代わってあげるから何時でも言ってね。他のバイトも、結構暇してるから僕で良ければ代打で入るよ。…あと、」


擦れ違った眠そうなお兄さんが、胡散臭そうな目で僕達二人を下から上まで舐め回す様に見て行った。

これで何度目だ。

僕は握った拳を佐藤君に見せる。


「こういう事で困った時も警察と僕を呼んでね。ちょっとは役に立つと思うよ。」


「…田中さん。」


マスクを下にずらした佐藤君は感極まった顔をしていた。

任せろ、オニーサンは君を心の底から応援するよ。

そう答える予定だった。


「太郎君やん。奇遇やね。」


掃溜めに鶴とはよく言ったものだ。

ちょっと小汚い薄灰色をした街を背景に、絶世の美男は光を纏っている様に見えた。

似た色である筈の銀髪は、決して街に同化しない。

僕はこの似非関西弁を喋る美男を知っている。


「Cさん!?お久し振りです!どうしてこんな所に!?」


「それは俺の台詞やわ。こんなとこ、太郎君みたいな可愛え子が歩いとったら危ないで?」


「それこそCさんの方が心配ですよ!ご自宅がこの辺りなんですか?」


「うんにゃ?俺んちはもっと高級住宅街にあるさかい。また今度遊びにおいで。」


Cさんが浮かべる美しい微笑みに久し振りに中てられて くらくら してたら、佐藤君に袖を引っ張られた。

マスクを下げたままの彼は困った顔をしている。


「あ、ごめん。彼は僕の知り合いなんだ。そうそう。よく深夜にコンビニを利用してるんだよ。Cさん、この子は佐藤君って言って、同じコンビニで働いています。」


「へえ?サトー君か。またえらい格好良い子やん。」


「…どうも。」


「ま、俺程じゃあらへんけどな。」


Cさんが肩に掛かっていた長い銀髪を払う。

爆笑する僕の隣で、佐藤君は呆然としていた。


「大丈夫!佐藤君も格好良いから!」


「…はあ。」


「太郎君も可愛いで。」


そう言ったCさんは優雅な手付きで僕の眼鏡を取り上げておでこにちゅーして来た。

僕が真っ赤になって固まってたら、近距離故に裸眼でもわかる、流し目と言うやつで佐藤君を見た。


「邪魔したな。太郎君は用が済んだらこんな“危ない所”から早よ帰るんやで。ほな、さいなら。」


僕に眼鏡を返したCさんは街に消えて行った。

そう言えばCさんは僕らの前から来たけど、あんなに目立つ人に声を掛けられるまで全然気付かなかった。

住んでもないのにこんな所で何をしていたんだろうと、もう一度Cさんの方を見ようとしたら、佐藤君に肩を掴まれた。

ちょっと吃驚した。


「田中さん。あの人とはどんな関係なんですか?」


「へ?関係って?」


「おでこにキスされてたじゃないですか。ただの知り合いってだけじゃそんな事しないですよ。」


「ええ!?」


佐藤君が何を言いたいかわかって、吃驚した。


「いやいや!彼、多分日本人じゃないから!僕、彼よりかなり年下だし、そう言う文化圏のただの挨拶だと思うけど?」


「じゃあなんで田中さんは顔を赤くしてるんですか。」


「うわ、赤い?うーん。あれだけ格好良い人だと同性でも流石に照れちゃうよ。あ、僕も多分彼もホモじゃないからね。」


「ふーん。そう言えば、俺も小さい頃は外国に住んでたんですよね。」


「そうだったね。じゃあ僕よりよくわかるんじゃない?」


「…はい。そうですね。」


なんでか、佐藤君も僕の眼鏡を取り上げる。

取り返そうとして伸ばした手を掴まれた。

裸眼じゃ何も見えないけど、たぶん佐藤君の顔を見上げてたら、眼鏡を返された。

矯正視力を取り戻した僕が見たのは、佐藤君の非常に落ち込んだ顔だった。


「な、何。どした。」


「…俺、もっと頑張ります。強くなります。」


「そ、そう。それは良い事だと思うよ。」


何だろう。

まさか、佐藤君が僕の顔に負けたとでも思ってるのかな。

そうだとしたら至急、眼科に行った方が良い。

でも、落ち込んでる彼に何を言っても可哀想な気がしたから、黙っておく事にした。




左胸にポケットを作って貰っただけでなく、襟も同じ生地で縁取って貰い、すっかり元気を取り戻した僕と佐藤君は、当初の目的通りスポーツランドで楽しく身体を動かした。


「今日はありがとー。また今度、ご飯おごるよ。」


「はい。楽しみにしてるッス。」


少し遅くなったからバイクで送って貰った僕は、上機嫌で家に帰り、Aのブーツがある事に気付いて、思い出した。


「(うわやば。喧嘩してたんだっけ。)」


もう少し心の準備をしてから入れば良かった。

しかし、入ってしまったからにはもう遅い。

何食わぬ顔でリビングを横切ろうとしたら、ソファに踏ん反り返ってたAに何かを顔に投げ付けられた。


「…。」


さあ、このおっさん。

何処をどう痛めつけて殺してやろうか。

まずは視界を取り戻してからだ。

顔に張り付くそれを鷲掴んで、気付いた。


「あ、れ?これって。」


鞄に入ってる、今日佐藤君にリメイクして貰った物と見比べる。

やっぱり元は同じ物だ。


「これ、何処で?」


「Cに探させた。そんなん喜んで着るのおまえくらいで、在庫が残ってて手に入れんの意外と簡単だった。」


「…そう。」


リメイクされた方はされた方で味があるし、元のシャツはシャツでお気に入りだから、なんだか得した気分だ。

で、それ以降Aは何も喋らないけれど、“これ”は一体どういう事で、僕はどうすべきなんだ。

もしかして、コミュニケーション能力が小学校低学年の悪餓鬼レベルで、日本語能力が極端にスラングに偏ったこのおっさんの為に、僕が歩み寄らなければならないのか。

別にもう怒ってないけど、ここで折れるのは何か違う気がする。

僕はこの一件で本当に怒っていたし、この先、二度と同じ事が起こらない様にAを反省させてやりたい。

どう突き離してやろうかな、なんて思ってたらAが立ち上がった。


「ごめんなさい!」


やましい事を考えていたから思わず謝る。

そしたら目の前まで来たAが首を傾げた。


「それって俺の台詞じゃねえの?」


「…え?」


改めてAを見上げたら、なんかどっかで見た事がある顔をしていた。

それがわからなくて暫く見上げていたら、溜め息を吐かれた。


え、何、今このおっさん溜め息吐きやがったの?

また怒りが込み上げて来た。

もうごめんなさいで許すかこの野郎!

そう思ってたら、またあの顔をされた。

そうだ。

これはあれだ。

悪さをして怒られた犬の顔だ。

言葉を、償い方を知らない彼等の反省を、人間が唯一知る事の出来るものだ。

それは飼い主なら決して見逃してはいけない、って僕はAの何なんだ。


「もう良いよ。」


あ、言っちゃった。

でも、言って良かった。

Aが、微笑った。


「反省したら、次はしたら駄目だからね。」


「おまえが家出しなけりゃ何でも良い。」


「…え。」


ほっ と息を吐いたAが僕の頭を撫でる。

そんなつもり全然無かったけど、そうか。

そんな手もあったのか。

一瞬、次の家出先に佐藤君の顔が浮かんだけど、何か違う。


「(あー。Aにとっても僕にとっても、“それ”はもう家出になるのか。)」


まだ頭を撫で続けるAを見上げて、柏手を打った。


「そうだ。ただいま、A。」


「おう。」


「今度、Cさんにお礼を言っておいて。」


「やだ。」


「お世話になったんだろ?」


「情報料は払った。」


「…そう。」


この人、本当にどんな育ち方したんだろう。

でも根は悪い人じゃない、多分。

なんだか凄くそうしたくなったので、絶対日本人じゃない同居人の文化に倣って抱き着いておいた。



あの人から微かに香る煙草が、僕の決心を鈍らせる by Satoh

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