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曖昧な僕ら。  作者: 藤丸のりか
20/52

【本人の与り知らぬ所で】

帰国したボスにBの事がバレたAに千隼は… ※少し長いです。

珍しく、AとBの出勤時間が被った。

「途中まで乗せてけ。」というAの申し出をBは露骨に嫌がったが、セクハラ親父によって有無を言わさず荷台をジャックされた。


「少し時間あるし、近くなら送って行くよ?」


「コンビニまでで良い。」


その割に背中にべったり貼り付くAを、Bはおっさんのくせに子どもみたいだと苦笑った。

流石にコンビニに着けば解放され、Bは入店前にいつもの様に大事な自転車にしっかりと鍵をかけた。

その様子を、Aは仕事場に向かいもせず煙草を吹かして見守っていた。


「あれ?A、」


「!」


「どうしてまだいるの?」とBは最後まで言えなかった。

Aの背後に、黒い人影が見えたからだ。

髪も全身黒でAに負けず劣らずの無精そうな容貌よりも、あのAが全く気付いていなかった事に驚いた。

Bの視線でやっと気付いたAの手から、煙草が落ちる。

背後の男の目は、微動だにせずBを見ていた。


「面食いっつーか、女のガワにしか興味のねえテメエがどうしたよ。」


「加齢臭がすると思えばテメエか。忍び寄んなって何回言やわかんだよ。殺すぞ。」


「ハッ、あんま平和ボケしてっとクビにすんぞ。」


穏やかではないがAの知り合いと知り、Bは軽く会釈した。

Bの反応に、黒いAが少し歳を取った様な男は少し驚いて、やっとAの肩にのしかかりAの顔を覗き込んだ。


「…おい、どうやってあの可愛子ちゃん落としたんだ?既成事実でも作って脅したのか?ん?」


「可愛子ちゃんってどいつだよ。俺の視界にや瓶底眼鏡と髪型が非常に残念な餓鬼しかいねえけど?」


あーだこーだ、自分について小競り合いの様な言い合いをするおっさん二人を、Bは見比べ、ふと、頭にある可能性が過ぎった。


「(えっと、あれ?似てる気がするけど、違う様な、…いや、うん。ド近視の目は当てにならないしな。)」


話してくれるなら後で聞いてみようと、今は気にしない事にした。

困った様な顔で居心地が悪そうにするBを思いやるまでもなく、AはBに下から上へ数回手を振った。


「行って良ーぞ。」


「えと、お言葉に甘えて。じゃあね。…失礼します。」


Aに短く別れを告げた後、その背後の男に今度は丁寧に頭を下げて従業員通用口から入店した。

勿論、Bはその後の事等知る由も無かった。




立地とあまりの怪しさと明らかにおかしい営業時間。

間違って入って来る一般人はまずいない、廃れた喫茶店。

ずっと後ろを取ったままの男に首根っこを掴まれ引き摺られる様に連行されたAは、最後にカウンター席に放られた。

カウンター内で自分の飲み物を作っていた、ピシッとスーツを身に纏った美女、恵麻(エマ)はAの背後の男に驚いていたが、Aは放られた事にも特に気にせず恵麻に酒を要求した。

胡散臭げな恵麻は無言で酒を二人分用意し、自分のカップを持って少し離れた席に腰をかけた。

苛立たしげではあるが腕を組んだ事で恵麻の豊満な乳が寄せられ、男共の目が引き寄せられる。

しかし、恵麻は咳払いと眼鏡をかけ直すと言う仕種で簡単に男共を諌める事が出来る。

恵麻が常備している指導鞭の恐ろしさを、男共は既に身を以て知っているからだ。


「おかえりなさい、ボス。ふらっと消えたまま何か月ぶりかしら。」


「せやで、親父。あんまり音沙汰無いもんで、今度会うんは葬式で遺影やと思っとったわ。」


姿は見えないが、恵麻に賛同する千隼(チハヤ)の声に、ボスと呼ばれた男は渋面を作った。


「連絡入れてるだろ。」


「あれしろこれしろ、挨拶も無い仕事の内容だけの簡潔なメールは連絡とは言わないのよ。」


「今時機械の自動送信でもテンプレで挨拶ぐらい入っとんで。」


「…。」


ボスは千隼の位置を突き止め、空の灰皿を投げた。

頭にぶつかれば大惨事確定のガラス製の重厚な灰皿が、回転の勢いと速さを乗せ、正確に標的目がけて店内を縦断。

端のテーブル席のソファに寝そべっていた千隼は、億劫そうにマネキンと見紛う美しい手を上げ、難なく灰皿を掴み取った。


「俺、煙草吸わんで要らん。」


「相変わらず可愛気のねえ。」


「俺らに可愛気とか求めとったん?初耳やわ。別に捻り出したってもええけど特別手当出してな。」


今度は千隼からボスに向かって灰皿が正確に飛ぶ。

無視をしようとするボスにAは煙を吐き出すついでにアドバイス。


「割った奴が自分で掃除だからな。」


Aの煙草を持つ手が恵麻を示した。

ボスは恵麻の黒い笑顔に気付き、慌てて受け取った。


「え、俺ここで一番偉い人だよね?」


「まあそうだけど、幽霊部員ならぬ幽霊管理職って感じかしら。たまに顔出されても上司って実感が湧かないのよね。」


「いや、でも給料くれる奴は偉い奴だろ。」


「俺らの給料は親父に支払われる経費のうちの雑費やで?正確には親父の金やあらへん。」


「じゃあやっぱり敬う価値ねえな。」


部下達の間で勝手に纏まった意見に、ボスの頬が引き攣る。


「おまえらいい加減にしねえとマジでクビにすんぞ。」


「「俺らいなく(おらんく)なって困んのはあんただろ(やろ)。」」


「同感ね。」


「…風雅は?」


「風雅兄さんは今日の仕事に関係あらへんで自宅待機。」


「あっそ。」


「慰めて欲しいんなら呼んだろか?もちメイドのコスプレで。」


「別に良い。」


ボスも煙草に火を点け煙を吸い込む。

既に二本目を吸っていたAに吐きかけた。


「今日はこの阿呆に積もる話があるんでな。」


「ゲホッ、…阿呆はあんただろ。あんたの指示で今から仕事だっつーの。」


「ああ、それはもう良い。お上が不必要と判断した。」


「あらそう。じゃあ帰るわ。見たいドラマがあるのよ。」


「はあ?せっかく準備したん、全部おじゃんかいな。やってられへんわ。コンビニ寄って癒されて帰ろ。ほなさいなら。」


そそくさと退散しようとする恵麻と千隼はボスに ちらり と睨まれ動きを止めた。


「報告が必要だと理解しながらしなかったおまえらも同罪だ。…座れ。」


「「…。」」


恵麻と千隼の浮かしかけた尻が、渋々と席に戻った。

しかし話の中心人物であるAは、煙草を美味そうに味わっていた。


(アキラ)が可愛い嫁さん貰った事は、おまえらも知ってるな。それが何を意味するかもだ。」


「嫁って誰、」


「知っとる。めっちゃ可愛えよな。」「可愛いわよね。」


「…。」


恵麻と千隼の即答に、「嫁って誰の誰の事だよ。しかも可愛いってなんだよ。」と最後まで言えなかったAは、言葉と共に煙を吸い込んだ。


「ほんで礼儀正しいええ子やねん。」


「そうそう、育ちの良さが滲み出ているのよね。俗っぽいコンビニには興味の無かった私も、彼がいる時間帯なら行ってみようって気になったわ。」


「でもやっぱ一番は可愛ええんよ。洗濯物干す時も料理する時もパン並べる時も鼻歌歌ってんのがもう、B君いくつやねん。可愛過ぎるやろ惚れてまうやろ~ッ。」


「千隼あんた、ばっちり盗聴してるのね。」


「夜はしてへんよ。天使かてお年頃や。聞かれたない事もあるやろ。俺も聞きたない。いや、聞いたらあかんのや。天使の聖なる、いや性なる儀式を、ただのちょっと美し過ぎるだけの俺が聞いたらあかんのや。」


「…千隼は黙ってれば見た目だけは良いんだけどね。」


開き直り、Aの可愛い嫁について盛り上がる二人を、Aは煙草を咥えうんざりと睨む。


「恵麻、良い歳こいて毛も生え揃ってねえ餓鬼に色目使うな。千隼、いい加減にくたばれ。」


「「過保護。」」


「テメエらよっぽど死にて、」


「なんだ。おまえらも俺らみたいな人間があの子に関わったらいけねえってわかってんじゃねえか。」


「「「…。」」」


また言葉を遮られたAは、もう二度と口を開かないと決めた。

恵麻は組んでいた脚を揃え、千隼は再びソファに寝そべった。


「それにあの子、ヘマしたAを助けた高校生だろ。」


「え?」


驚く恵麻の視線の先、Aは煙を輪状に吐き出して退屈そうに遊んでいる。




 

「あの時は日本で平和ボケした部下の不手際とはいえ、一般人を巻き込んでしまい、上司として非常に申し訳なかった。事情も話せず、有りもしない関係性を臭わせる事になり、守ってやるわけにもいかず、素知らぬ顔をする事になったが、あの子がただの何処の誰が見ても“このご時世に希少過ぎる目頭が熱くなる程良い子”で、奴等が見向きもしなくなった事は幸いだった。」


恵麻のAを見る目付きが少し尖る。


「それなのにテメエがまた今度は何に巻き込む気だ?」


「巻き込むも何も、イノチノオンジン様が公園でアバラ浮かせて風呂入ってるの見たら流石に放っとけねえだろ。」


「家を追い出されたのは知ってる。だが、俺がテメエに払ってる給料は安くねえ。手当も厚い。もうちょい頭を使えば間接的に養ってやる事も出来た筈だ。」


「別に養うつもりなんざ俺にもなかった。財布拾って貰った礼に腹いっぱい食わせて熱い湯を浴びさせて立体的な布団で寝かせてやって、…つまり一晩泊めてやって見送っただけだ。」


「それが何で何年も同棲する事になってんだ?」


「あ?“何で”だ?…なんだっけ。」


眉間に皺を寄せ「あー」だの「えー」だの唸ったAは、懸命に幾年か前の出来事を思い出し、ほんの少し眉間の皺を解いた。

 

「洗濯物が干しっぱなしな事にキレて突撃して来て、部屋に入ったら入ったで半日見ない間にごみや服が散乱してるっつって掃除してる間に深夜になっちまって、そのままその日は泊めてやって、次の日また朝飯作ってやがったから部屋も風呂も便所も綺麗になったし礼も兼ねて昼飯奢って、帰りにたまたま映画館の前通りかかったら見たそうにしてやがったから金渡したらたまたま二人でその料金で一緒に見る事になっちまって、その後寄ったファミレスで一服ついでにあいつにおやつ食わせて、出る頃には結構な時間になっちまってて、そしたら外食ばっかじゃ身体に悪いとかであいつが晩飯作る事になって、」


「もう惚気話はいい。」


「…。」


聞かれた事に答えていただけなのにまた言葉を遮られたAは、今度こそもう何も話すものかと、酒の肴に深く煙草の煙を吸い込んだ。


「つまりあの絶滅危惧級の良い子は、バッタリ再会した手負いの野獣が文明社会に順応していなかったのを放っておけなかったわけだ。」


また煙を輪にして遊び始めたAに、ボスは溜め息を吐いた。


「全く。こいつに関わって怖い目に遭っただけじゃなく、立派な家からも追い出されたって言うのに、あの子の良心は表彰もんだよ。あの環境で何食ったらあんな風に育つんだか。」


「B君は刃物持った強盗に素手で立ち向かう子や。Aがあの時の怖いお兄さんやて気付いてへんけど、気付いても「わあ、Aってあの時の人だったんだ?懐かしいなあ。元気そうでっていうか生きてて良かったよ。」ってくらいのもんやで。あれしきの事、いちいち気にしてへんよ。」


突然割って入り、「なんたって俺の天使やでな。」と続ける千隼に、うんざりしたボスの目が向けられる。


「おまえも頭沸いてんのか?あの一般人には強烈な出逢い方をした強烈な強面の男を、あの名門校に通ってた子が気付かねえわけねえだろ。」


「今日日、強面の金髪なんぞその辺にゴロゴロおるわ。それに加えあの出来事を気にしてへんのやで疑いもせんねん。」


「…。」


ついに絶句したボスは一気に酒を煽り、改めてAに向き直った。


「あの子の為だ。別れろ。」


「ゲホッ、妙な言い方すんじゃねえよ。」


Aは咳き込みつつ、流石にツッコミを入れる。

しかしボスは呆けてなどおらず、大真面目だ。


「なんだかんだ傍にいる理由を付けちゃいるが、俺の部下を長年務められるテメエが、一般人のあの子如きに熱烈に追いかけて来られようが離れられねえわけがねえんだよ。」


いやいやBを嘗めると怖いぞおっさんと、Aと千隼は異口同音に心の声を揃えた。


「中途半端な正義感なら掃溜め育ちのテメエは嫌悪しただろうが、あの子は千隼の言葉を借りるなら天使だ。モノホンとご対面して漸く改心して救いを求める様になったのかも知らねえが、“あの子が”じゃねえ。テメエはテメエの意思であの子から離れられねえだけだ。」


「確かに、」


ボスとAの目が緩慢に発言者に向けられる。

しかしソファに阻まれ、姿を見る事は無い。


「確かにそこの自分の事もよう言葉に出来へんド阿呆は自分の意思でB君を手離せやん。それはそこのド阿呆が掃溜めで育って今ここにおるからこそや。」


Aは何も言わない。


「家庭に恵まれんかったあの子が、それでも捻くれずに健気に育ったあの子が、あの家から追い出されて、それでも逞しく生きて来たあの子が、やっと落ち着いて暮らせる家を見つけたのに、親父はそれを奪うんか?」


「あの子の為だ。それにそれは玲でなくても良い。あの子ならもっと上等な人間と関われる。」


「わからず屋。」


「んだとコラ。」


「ま、ええけどな。」


漸くボスとAの視界に千隼の一部が見える。

虚空に真っ直ぐ伸ばされた千隼の手は、何かを優しく掴み取った。


「Aが捨てるんやったら俺がまんまと拾うだけや。」


「…おまえも、自分が何言ってんのかわかってんのか。」


「俺はAと違ごてあの子の事が心の底から大っ好きや!って言ってるつもりやけど?」


千隼の手が引っ込んだ直後、寸分違わずその部分の空気が裂かれた。

打ちっぱなしのコンクリートの壁に弾かれたナイフが床を姦しく転がり回った。


「おまえらのエゴは人を殺す。それがわかってんのかって言ってんだよ。」


「んなもん俺もそこのド阿呆も百も承知じゃボケ。」


「じゃあ、」


「俺等もええ歳やしこの世界に足突っ込んで大分経つ。個人を特定して構うリスクなんて痛い目見んでも他人のそれ見とりゃ嫌でも学ぶわ。」


ボスの言葉を遮った千隼の手が再び伸びる。

その手には“B”と書かれたスマホが握られていた。


「その為にこちとら四六時中B君監視しとんねん。」


「そもそもおまえらが関わらなきゃ、」


「何が悲しゅうて好きでもない男を監視とらなあかんねん。愛故に出来る事や。」


「…。」


ボスが口を開きかける。

しかし千隼の手が振られ、遮られる。


「親父。あの時出来へんかった事を、漸くさせて貰えるチャンスやで。」


「おまえの物言いはあの子が家から追い出され路頭に迷うのを虎視眈々と狙っていた様に聞こえる。」


「は?嫌やわあ。なんで俺が天使の不幸を願っとったみたいに言われなあかんの?俺はあの子の幸せを願うのみやで。せやで、あの子がAに拾われたって聞いた時は諸手を上げて喜んだわ。」


またも千隼は手を振ってボスの言葉を遮る。


「俺はそこのド阿呆よりB君の事知ってんねん。どんだけ良い子かも、どんだけ不憫やったかも、よう知っとる。ってかあの事件の後、調べて監視しろ言うたん親父やん。あ、B君笑っとる。なんぞええ事あったんやな、良かったなー。」


うふふあははと、スマホに笑いかけ話しかける残念な危険人物の姿は、ソファに隠れ誰の目にも見えない。


「アプリと店内カメラ改良して声も拾える様にしよかな。」


「この暴力しか能のねえ玲の愚行を盛大に助長してんのはやっぱりおまえか、千隼。」


「止めとき、親父。俺はそこの暴力しか能の無いド阿呆と違ごて替えが利かんよ。」


音も無く近寄ったボスに胸倉を掴まれ立たされた千隼は、口の端を歪に歪めて笑っていた。




 

「俺を怒らさん方がええんとちゃうの?」


「生憎、俺も怒らせない方が良い類の人間でな。」


B監視用のスマホにキスをしソファに放り投げ、ボスの胸倉を掴み返す。


「インテリに転向したとはいえ、まだ萎えてへんぞ。」


「はいはい。血の気の多い馬鹿共、そろそろその辺にしておきなさい。」


「「「…。」」」


鶴の一声で二人の胸倉を掴み合う手の力と、Aが懐に忍ばせていた手の力が抜ける。

いつの間にか恵麻の手には指導鞭が握られていた。


「ボス、かつては玲と拳で張り合っていた千隼と喧嘩したら無事に済むわけ無いってわかっているでしょう。それに千隼を怒らせて、拙い情報とか関係組織にばら撒かれたらどうするの。誰よりも良い歳こいてるんですから少しは大人の落ち着きを身に付けたらいかが?」


「…はい。」


「千隼、また玲とキャラが被ってるわよ。インテリなら頭を使いなさい。使われても困るけど。」


「…そら勘弁やで。」


「最後に玲、あなた“それ”で“何”を止めようとしたのよ。」


「え?」


三人の目がAに向けられる。

Aは懐から細身のナイフを二本取り出して事も無げに言う。


「問題解決はまず根本から。喧嘩を止める最善策は喧嘩をする奴等が“いなくなる”事だろ?」


「この問題を解決する最善策はあなたの息の音を止める事よ。」


「…冗談だよ。」


「あら、私は本気よ。」


Aの顔から血の気が引く。

今の恵麻の目は笑えない。


「でも駄目ね。それじゃあB君が可哀想だわ。こんな小汚い髭面でもB君は気に入ってくれているんですもの。きっとたくさん泣いてしまうわ。」


どうしましょうと、わざとらしく嘆く恵麻は、千隼の視線に気付いて口を閉ざした。


「あの子が手の届く所に来てくれて浮かれたのは間違いない。遠ざけようと思えば出来たし、玲から無理矢理引き剥がす事も出来た。だが、そうしなかったのはあの子を不幸にしたいと思ったからじゃない。俺等は育ちが悪いから不器用過ぎるが、いつも誰かを不幸にしたいと思っているわけじゃない。」


千隼はボスの胸倉から手を離し、自分は胸倉を掴まれたまま相手の乱れた衣服を整えてやる。


「少なくとも俺は本気であの子が大事だ。あの子は何が遭っても笑顔を絶やさない強い子だが、まだ若い。俺はあの子がすれる所を見たくない。逆境に健気に耐え続けるのを見たいわけでもない。俺はあの子が今度こそ子どもらしくいられる様に、安心させてやりたいんだよ。」


「…はあ。」


漸く千隼の胸倉からもボスの手が離れた。

それを見送った千隼は何処か寂しさを感じたが、ボスが微笑んでいて安堵した。


「千隼。おまえの気持ちはよくわかった。無頼振ってるが玲も似たり寄ったりだろ。」


「…親父。」


「B君の件は一時保留だ。おまえらを上手い事説得出来そうにねえからな。」


無精に伸ばした黒髪を掻き回し、ボスは出口へ足を向ける。


「ちょっくら頭ぁ、冷やして来る。直ぐ戻って次の任務の説明すっから大人しくしとけ。」


そう言い残し、出て行った。




珈琲を二つ淹れた恵麻は、一つを千隼の元へ運び、もう一つに口を付けた。

俺の分は?と自分を指さすAには睨みを利かせて黙らせた。


「B君ってあの時の子だったのね。そう言えば私は顔も知らなかったわ。」


「あの時は恵麻姉さんには関係あらへんかったでな。俺はほら、最後までこいつのヘマの尻拭いに走っとったでな。あの時に実物はチラッと見てたんよ。警察呼んだんも俺やし。」


「ふーん?黙って見てたの?」


「人聞き悪い事言わんでえな!B君が割って入らなんだら、仕事やし、玲連れてかれたら俺等もヤバいし、あんな奴等俺がコテンパンに伸したったわ。」


鼻息で珈琲の湯気を飛ばした千隼に、美人形無しの言葉がぴったりだと、恵麻は頷いた。


「それだけ血の気が多いのに、玲とキャラが被るのが嫌ってだけでよくインテリに転向したわね。」


「天才やったってのも足しといて。」


「そういう性格だからエリート集団から追い出されたんじゃないの?」


「それについては上官の奥さんが虜になる程イケメンってのも足しといて。まあ俺はババアはお呼びやあらへんけどな。」


千隼は苦そうに珈琲を飲む。


「にしてもあの時はまっさかこの俺様が任務失敗の最大の原因として降格どころか軍籍まで剥奪されるとは思わんかったわ。指揮権くれたんもうどうしようもない最後だけやっつの。」


「大尉だっけ?」


「元、少佐な。あー、今思い出しても腹立つわー。嫌な事思い出させやんとってえな、恵麻姉さん。」


「はいはい、ごめんなさい。」


「頼むわ。ただでさえB君の件でガラスのハートにヒビ入っとんねん。」


「あらそう。じゃあB君で癒されたらどう?」


「せやな!」


珈琲を置き、いそいそとソファに投げっぱなしになっていたスマホを拾いに行く千隼を、Aはうんざりと見ていた。


「なあ、マジでおまえ、」


「あ――――――ッ!?!?」


「「…。」」


急に叫び、立ち上がった千隼は一目散に出口へと向かう。

呆然と見送るAを振り返り、睨んだ。


「何呆っとしてやがる!」


「いや何焦ってんの。ラリってんの?」


「あんのクソ親父、巳鶴君の所に行きやがった!!」


「!」


二人が携帯に手をかける。

千隼はボスに、AはBにかける。

千隼の携帯はかかったが、バイト中のBがAのコールに応える事は無い。


「「Shit!」」


「仲良いわね。」


慌ただしく出て行った二人を見送る恵麻の手にも、携帯が握られていた。




バイト終了時間間際でもないのに、Bはゴミ箱のゴミを纏めていた。

それというのも、Bと入れ替わりに帰って行ったアルバイトがサボったせいで溢れ返っていたからだ。


「全くもう!これだから今時の若者はけしからん!」


年寄りめいた発言に反し、ぷりぷりと可愛らしく怒っている背を見守りつつ、黒い男は携帯に出た。


「何か用か?」


『何か用やないわ!B君監視用スマホに小汚いおっさんの影がバッチリ映ってんねん!今直ぐ出てけ!!』


「おう。用済ませたら直ぐ出てくわ。」


『用ってなんや!?』


「おまえ等が悪いんだぞ?」


『ああ゛!?』


「おまえ等が俺の言う事聞いて手を引きゃ良かったんだ。ま、ケツの青い餓鬼の純情を打ち砕いてやるのも大人の仕事だ。」


『B君に何かしてみろぶっ殺すぞ!』


「まあ怖い。安心しろ。ちょっと怖い目見させてやるだけだって。賢い坊ちゃんなら今度こそ玲といると自分の身が危険だって気付くだろ。」


電話口でぎゃあぎゃあ騒ぐ千隼を適当に流しつつ、ゴミを纏め終え店の裏のゴミ置き場に運ぶBの後ろを憑いて行く。


「心苦しいがこの子の為だ。俺は心を鬼にして楽し、げふげふ、思い知らせてやらなきゃな。」


『今本音が駄々漏れたぞ変態親父!』


「サドっつってくれ。もう切るぞ。少しでも助けたかったら早く来てやれ。」


つってももう遅いけど、とボスは通話を切った。

携帯をポケットにしまい、Bに手を伸ばした。


「あ、そだ!鍵忘れた。」


「!」


ボスが伸ばした手の先、Bは急に180度方向を転換した。

Bの肩を掴もうとして予想外にも肩すかしを喰らったボスの手は、Bのある筈も無い胸を鷲掴んでしまった。

ボスの目の前で、天使が一瞬で悪魔へと豹変する。




Bは自分の胸を鷲掴んだ男を即座に変質者と判断。

思いっきり飛び蹴り倒してしまったが、Aの知り合いだった事に気付いた。

気を失い倒れたその人を呼ぶ適当な言葉を探す内、Aに話す気があれば聞きたかった事を思い出した。

そしていきなりのセクハラに確信し、そう呼び続ける事にした。

しかし生憎場所はコンビニの裏で、人通りは全く無い。

Bがどれ程騒いでも人が来る気配は無い。

自分ではどうする事も出来ないし、かといって放っておくわけにもいかない。

そろそろ長い不在を誰か不審に思ってくれないかと思うが、気の利く仲間は一人もいない事を思い出した。

いよいよもって頭がパニックになり始めた。


「お父さん!お父さん!」


「B!!」


「えっ、A!?」


Aの声にBは涙を引っ込め振り返った。

そこには声の主と、もう一人。

イケメンが自分に向かって駆け付けていた。


「うわあーん!」


「「!」」


そしてBはイケメンの方に抱き着いた。


「え!?何で俺!?」


「どうしよう!僕、この人のお父さん思いっきり蹴っちゃった!殺される!」


「…はい?誰が、誰のお父さんて?」


医者である実の父を呼んでいるものと、Bは完全に自分に来るものと思っていたAは、広げかけた腕をそのままに色々と呆然としている。

千隼は役得とばかりにBをあやす様に抱き締めながら、笑いを必死に堪える。


「ぷくく…ッ!確かに似てるかもな。」


「何処がだよ!微塵も似てねえよ!」


千隼の発言にAの時間が再び動き出す。


「B!テメエふざけんじゃねえぞ!こんな汚ねえ親父を勝手に俺の親族にすんじゃねえよ!こいつは顔を名前を知ってるだけのただの赤の他人だ馬鹿!!」


「ひえッ!?殺されるーッ!」


より必死にBに抱き着かれ、千隼はご満悦だ。


「君は俺が守ったるさかい、安心しい。」


千隼がBが落ち着くまで根気よく宥める間、Aは日頃の怨みを込めてボスを蹴り付けていた。


「ぐすっ。A、その人大丈夫?」


「あ?殺しても死にゃしねえよ。」


「はー、良かった。」


「馬鹿。むしろとどめ刺しとけ。」


けっ、と吐き捨てるAはもうBには怒っていない。

それなりに長い付き合いで感じ取ったBは安心し、漸く状況を思い出し、赤面して千隼から離れた。


「…ごめんなさい。」


「ええて、ええて。なんならもう少し延長してもいたッ!?」


「カマ男が、調子に乗んな。」


「あの、」


睨み合う二人が険を解いてBを見下ろす。

一瞬、気圧されたBはおずおずと問う。


「二人は知り合いなの?」


「「…。」」


頬に冷や汗を一滴かいた千隼は上手い事赤の他人で通せそうな言葉を探し脳内検索をかけるが、その前にAが千隼の首根っこを掴んでBの前に押し出した。


「不本意だがな。一応俺の知り合いだ。挨拶しろ。」


「!」


良いのか、そんな目を向ける千隼にAは顎でBを示す。

千隼がそちらを見れば、Bは微笑んでいた。


「改めまして。僕はBです。いつもお店に来てくれて、いや、最近はご無沙汰ですね。お久しぶりです。また会えて嬉しいです。よろしくお願いします。」


「―――ッ!」


礼儀正しく頭を下げるBに感極まった千隼は、しかしなけなしの理性を動員して男前さを取り戻した。


「じゃあ、俺はCって事にしとこかな。Aの古い馴染みや。改めてよろしゅう、B君。」


千隼は母国の作法に則り、親愛の証に抱き締めてからBの頬にキスをし、心の底から笑みを浮かべた。

Bは慣れない挨拶に戸惑っているが、悪い気はしていない。

Aはそんな二人を見て、少しだけイラッとした。


「俺の目の前で男同士でイチャつくのやめろ。不快だ。」


「うっわ、ヤキモチ?ええ歳こいたおっさんがやっても可愛ないで。」


「テメエも俺と変わらねえだろうが。…それより、B。何ぼさっとしてんだ、さっさと仕事戻れ。」


「はッ!?」


慌てふためくBを離してやり、千隼改めCは笑顔で見送る。

しかし、その前にBはまた方向転換をした。

AとCが疑問に思う間もなく、BはCの頬にキスをした。


「挨拶はちゃんと返さないと。上手く出来て良かった。また来て下さいね。」


そして今度こそ鍵を取りに店内に消えて行った。


「…玲、いや、A。」


「んだよ。つかテメエにそう呼ばれたくねーんだけど。」


「俺、今、めっちゃ幸せや。」


「安上がりで良いな。」


「あー、金銭以外で報われる日が来るとは思わなんだ。」


「…。」


両手で顔を覆い、膝を付いたCは歓喜に小さく震えている。


「ありがとう。」


「…ちっ、気色悪りいんだよ。」


Aは煙草に火を点け、自分の顔を隠した。




Cはあれから直ぐに目を覚ましたボスを一蹴りし、上機嫌で帰路に着いた。


『あの子ならどんな事件に巻き込まれても大丈夫な気がするわ。いや、巻き込まないに越した事はねえんだけど。』


つまりはボスからお許しが出たわけだ。

両親にペットを飼う事を許された子どもと似た様な気分だ。

スキップをしないだけ、少し大人だった。


「この間、B君が玲の所為で襲われた事もボスに報告していない様だな。呆れた奴だ。」


「!」


馴染みのある声に振り返れば、やはりそこにはスーツを完璧に着こなす英国紳士風の男が立っていた。


「驚かすなや、風雅兄さん。なんや、恵麻姉さんに呼び出されたん?」


「玲と千隼だけでは拗れそうだから、それとなく様子を見て来いと。」


「それはそれはご苦労さん。」


「おまえ達があの子を可愛がろうとするのは構わん。だが、報告は一つも漏らす事無く正しくしろ。喧嘩はしても隠し事はするな。仲間を信じられなくなったら終わりだぞ。」


「ふっふっ!」


楽しそうに笑う千隼に、風雅は眉を潜めた。


「安心しいや。仕事に関して俺は一つも隠し事する気はあらへんよ。せやけどB君の事は俺等のプライベートな話や。親父かていちいち報告されて惚気られたないやろ。」


「それは仕事に巻き込まなければの話だ。」


「だからしてどうすんの?して、どうにかしてくれるんやったら即行で俺もするわ。全く、ええ歳こいてまで親父に


「あの子はおまえとは釣り合わん。やめとけ。」なんて口出されんのは勘忍やで。」


「…。」


「風雅兄さんもあの子を守りたいんやったら、玲に協力したって。それが一番やて、親父にも言ったって。」


ひらひら手を振り去る弟分に、風雅は重い溜め息を吐いた。


「何が「好敵手の嗜好品に興味があるだけでしょうが、」だ。あれは本気だぞ、恵麻。」


まだまだ子どもだと侮っていた相手が一瞬見せた男の顔。

そうさせた青年を思い出し、また溜め息を吐いた。


「ただいまー、俺。おかえりー、俺。」


食事を済まし、上機嫌のままで帰宅した千隼は早速スマホのアプリを開き、A宅の盗聴を開始させる。


『ただーいまー。』


テーブルに置いて直ぐに聞こえた天使の声に「おかえり」と答え、「俺も今帰って来たとこ」なんて寒い一人芝居を上着を脱ぎつつ演じた。


『おう、おかえり。』


『うわ、なんでそんなとこにつっ立ってんの?でっかい図体して邪魔なんだけど。退いてよ。』


『おかえりなさいのちゅーは?』


『うわ寒。死ねば?そういう事は髭剃ってから可愛い女の子に言え。あ、そだ、今日はAの好きなグラタンだよ。』


『え、マジ?』


『早く食べたかったら海老剥くの手伝って。』


『…チッ。』


千隼は素早くスマホを掴み取り、スマホに向かって吠えた。


「やっぱ妬いとんやないかい!これみよがしに見せつけやがってクソ髭が!いつかそこに割り込んだるから覚悟しとけボケ!」


Cは直ぐ様アプリを閉じ、いじける様に布団に包まった。



そういえばあの人、仮称ブラックAさんは僕に何の用だったんだろう? by B

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