【恋バナ】
久し振りに家に帰ったら何故か同居人が極端にいじけていて…
時刻は午前二時半。
都会に近いそれなりに交通の便の良いマンションの、エレベーターで暫く上がった階にある見晴らしの良い角部屋。
玄関の扉を開けば右手に風呂とか、左手に八畳洋間その1。
五歩でダイニング、その左手に六畳洋間その2。
築年数も割と新しい好物件に、金髪虹彩異色症の髭を剃って黙っていればかなり見目麗しい男が少々くたびれた様子で帰宅した。
ダイニングに移動させたソファに上着を放り投げ、引き戸で仕切られた、かつてはリビングとして使っていた洋間その2を見て眉を顰める。
寝る以外は開け放たれている事の多い同居人の部屋の扉がびっちりと閉められていた。
そのくせ僅かな隙間から負のオーラが駄々漏れている。
「なー。腹減ったんだけど。」
扉に声をかけるも返事が無い。
仕事を終えたのが同居人のバイトが終わる頃でもあり、早く飯が食いたくて真っ直ぐ帰って来たのだ。
この様子だと希望が絶たれた事は間違いない。
生意気な、ふらりと帰って来るのはいつもの事なのだからいつもの様にさっさと飯の用意をしろと、少々乱暴に引き戸を開ければ部屋の中は真っ暗だった。
その中で同居人は新聞紙 on the 公園ベンチの代わりに買ってやったベッドの更に布団の上で、壁を向いて膝を抱えて座っていた。
外され適当に放られた愛用の眼鏡が何とも言えぬ哀愁を醸し出している。
「…何。数日俺に会えなくて流石に寂しかった?」
「んなわけないだろ。むしろなんで今日帰って来るんだ。Aの馬鹿。」
同居人は確かに若いが、今の涙に濡れた声は若さを通り越して幼い。
Aは拗ねたお子様の隣に胡坐を掻き、鍛えていてもまだ細く頼りない肩に側頭部を乗せた。
「何か遭ったのか?」
「…。」
「…B?」
答えようとしないBに、Aは囁く様で有無を言わさない強さで名を呼ぶ。
暫くしてBは戦慄く唇を開いた。
「…彼女に振られた。」
「んなの居たの。」
「僕だって23だ。居てもおかしくないだろ。」
「いつの間にか歳だけ食っちまいやがって。」
少々感傷に浸るAは煙草に火を付け、深く吸い込む。
煙草を嫌がるBは溜め息がてら、Aの吐き出した煙を遠くへ吹き飛ばした。
「僕の何がいけなかったんだろ。」
「そういう所じゃねえ?」
「?」
顔を上げたBは頬をくすぐる金髪をまじまじと見つめる。
視界の端で、灰が落ちない様上に向けられた煙草が呆れた様に振られる。
「おまえ、その女に本気じゃ無かっただろ。」
「Aと一緒にしないでくれる?」
「付き合って何カ月?」
「…まだ3週間?」
「はっ、惚れた女と付き合い始めて浮かれるおまえに俺が気付かねえとでも思うの?どうせおまえうざいくらいテンション上がるくせに。俺に殴られてやっと自制するくれえによ。」
「ちゃんと好きだったよ。」
「女は敏いし我儘だ。それじゃ足らなかったんだろうよ。」
「Aはどうして僕が悪い様に言うの?告白して来たのは向こうだよ?振ったのも。」
「別に。客観的事実を述べただけだ。責めてる様に聞こえたんならそれは後ろめたいからだ。」
む、とBがAの頭頂部を睨む。
Aは察して鼻で笑う。
「おまえは本気で惚れた女に振られたならそんな事考えられねえよ。俺と話してる余裕もねえくらい泣いてる。」
「初めての彼女に振られた時は泣いたよ。」
「コンビニバイトのあの子だろ?初めてだから浮かれてんだなとは思ってた。」
「次からの子も、告白して来たのはそっちなのに振るのもそっちだった。もう慣れただけだ。」
「俺の知ってるBはそんな賢い奴じゃねえ筈だが。」
「何、Aは傷心の僕に止め刺しに帰って来たの?」
「飯が食いたくて真っ直ぐ帰って来たんだ。」
「そんなに腹減ってるなら外で食べてくれば良かっただろ。」
「そうしたいならそうした。」
落ちそうな灰に気付き、Bは慌ててティッシュを数枚とって下に添える。
Aの長い指の先が優雅に振られ、灰が落とされる。
「Bだってそうだろ?」
「家でご飯を食べたい時もある?だから真っ直ぐ帰って来る?」
「俺もおまえも、本当に欲しいなら受け身じゃいられねえくらいには我が強いって事だ。」
「…我儘なAと一緒にしないでくれる?」
「坊ちゃん育ちの家出少年がよく言うぜ。」
「…。」
Aが煙を吸い、煙草が赤く光る。
その温かい色の光をぼんやり見ていたBの目が理解を示す。
「そっか。僕はあの子の恋人になれる程、あの子の事を好きじゃなかったのか。」
「女は怖えぞ。おまえみたいな良い子ちゃんだと漫画みたいな展開を期待する。確かにおまえは相手に尽くすタイプの男だが、付き合い始めて直ぐにおまえが“ただ付き合ってくれてるんだ”と気付いて女は一気に興醒める。勝手に理想を押し付けて浮かれてたのはそっちだってのにだ。」
Bは珍しくまともな言葉を並べるAの声に耳を傾ける。
いつもは聞くに堪えない傍若無人な罵詈雑言か何かを放つのにしか使われないから忘れ勝ちだが、Aの、低く酒と煙草で少し嗄れた声はBの耳に心地良い。
「まあ、そこで気付いて上手く繕う事ができねえのが良い子ちゃんのおまえだ。おまえは本気の女以外を満足させる様に付き合える程器用じゃねえし、女と遊ぶにゃまだ早えし、多分色恋沙汰の才能が絶望的にねえ。」
「Aでも本気で恋愛した事あるの?」
「ねえに決まってんだろ。恋だの愛だの、んな面倒くせえ事やってられっか。俺が女に近付く時は最初から最後まで身体と顔が目的だ。簡単でわかりやすいだろ。」
「…せめて顔を前に持って来い。」
「後腐れなく楽しむ。アウトローな大人の男の嗜みだ。」
「そう言って本気で恋して傷付くのが怖いんじゃないですよね、はい、煙草を下げてください。」
Bの眼前に迫った煙草の火が下ろされる。
「でも、Aがそんなんだから、いつまでも僕をこの家に置いてくれるんだよね。感謝しなくちゃ。」
「おうおう。感謝しまくれ。この俺に恩を売られたからにはいくら感謝したってし切れねえぞ。」
「全く以て残念である。Aの様な奴に世話になってる事は僕の人生の最大の失敗である。」
「ま、逆だと思うけどな。」
「?」
家に置いてくれる理由が?
感謝するのが?
世話になってるのが?
失敗したのが?
何が?と不思議に思うBのティッシュに短くなった煙草が落とされる。
厚めに重ねはしたがティッシュはティッシュだ。
火が貫通する前に握り潰した。
「そろそろ飯作る気になったか?」
「良いけど、何が食べたいの?それによっては食材を調達して来ないと。」
「ハンバーグカレー。」
「えー?」
聞いた手前また面倒くさい物を、とは心の内に留めておく。
Aに合わせて甘めにしてるけど本当は汗をかくくらい辛いのが好きなんだ、というのも随分と長く心の内に留めている。
「Aってホント、そういうの好きだよね。」
「悪いか。」
「別に。作ってあげても良いけど、カレーは一日くらい置かないといつもの味は出ないよ?」
「チッ、作っとけよ。」
「一人暮らし用の冷蔵庫の冷凍庫がもっと懐の広い奴だったら冷凍しとけるんだけどね。」
「じゃあ、新しい冷蔵庫買うか。」
「…、え!?」
Bが驚いて身体ごとAを振り返ったせいで、自分で身体を支える事になったAはBを恨みがましく見上げた。
そんなAの毒気が一瞬で抜かれる程、Bは大きな目をキラキラさせている。
「良いの!?」
「ああ。俺も酒以外のもんが幅利かせやがってちっとも入らねえから地味にイラッとしてた所だ。」
「唐突にあれ食べたいこれ作れって言う奴の台詞じゃないだろ。」
Bの目のキラキラが減る。
「いい加減、煙草かお酒のどっちか止めるかどっちも減らせば?早死にするよ?」
「元より長生きする気なんざさらさらねえよ。」
「…。」
Bの目のキラキラが無くなる。
Aのオッドアイが意地悪く歪む。
「なんだ?死んで欲しくねえの?」
「今、“僕が自立するまでは生きててよこの無責任”って言おうとしたんだけど、…なんか。」
「まあ、それくらいなら生きててやって良いけど。」
「僕が、自立するとか、あんまり、想像できない、かも。」
Bの若干不安そうな目が俯く。
Aは目を丸くしたが、直ぐにいつものやる気無さそうな目に戻った。
「約束はできねえが、“それ”も含めて生きててやって良いぞ。」
「何それ。僕が自立するまで時間がかかりそうだから煙草とお酒を控えるって事?」
「俺を殺す気か。Bがうるせえからこれでも大分減った方だぞ。」
「健康についてA基準で評価するのは定規で体重を測る様なものなので一般的な基準の採用を推薦する。」
「生意気な事言ってっと尻撫でまわ、」
「僕がそうしたいからそうしてるんだ。」
Aの言葉を遮り、顔を上げたBはAに舌を出す。
とっくにその顔に失恋の痕は無い。
「…あっそ。」
「あーあ、僕もお腹空いた。買い物行って来ようっと。」
眼鏡をかけ元気良くベッドから飛び降りたBは煙草を包んだティッシュをゴミ箱に捨て、放りっぱなしだった上着と財布を掴む。
鍵はAの言いつけ通り首からぶら下げたままだった。
「直ぐ出来そうな物で今度こそ何が食べたい?」
「鍋。」
「じゃあ寄せ鍋うどんにする。」
「ん。」
上着を羽織り靴を履くBの後ろ、欠伸をしながらAも上着に袖を通す。
それを見上げるBは眼鏡をかけ直し軽く手を振る。
「ついて来なくて良ーよ。仕事で疲れてるんでしょ?」
「こんな時間に遠くまで一人で子どもを出歩かせるわけにはいかねーだろ。」
「…。」
子ども扱いするなと怒りたい所だが、一人で行くより二人の方が道中寂しく無いし今喧嘩すると道中面倒くさいので黙っておく事にする。
なんだかんだ言って被保護者の面倒を看ようとする不器用な年上の男に自然と笑みが零れた。
「卵も入れよう。」
「肉多めな。」
「了解。」
AとBの恋バナ
「A、電話鳴ってる。出なよ。」
「…チッ、んだよ。仕事は終わっただろ。」
Aは、話の邪魔にならない様に離れようとするBのフードを腕を伸ばして掴んでそれ以上行かせない様に留める。
Bはその距離で前を向いて歩き続けた。
『あそこは俺にしとけって言うとこちゃうん?これやから天パの無精髭は素直や無くてあかんわ。俺やったら押し倒して、』
「おまえ、本当いつかマジで殺すから。」
「…?」
物騒な話にBが振り返る。
その視線の先でAは耳元から携帯を離す事なく握り潰さん勢いで通話を切った。
Bの見間違いで無ければディスプレイにはCと表記されていた。
いつも誰と話してるんだろう? by B




