#23
悪夢の日々からようやく抜け出し、平凡を取り戻してから、12年の歳月が流れた。
俺はいっちょ前に平凡な会社に就職を果たし、平凡なサラリーマンになっていた。
相田とはあの一件以来、仲が気まずくなり、高校を卒業してからは疎遠になってしまった。
風の噂では、何故かは知らないけど、亡くなってしまったとも聞く。
交通事故にでも遭ったんだろうか。
折角あの悪夢を乗り切ったのに、それらの噂が本当なら、不運なヤツだ。
噂好きだったヤツ自身が、噂になってしまうなんて、皮肉なもんだな。
仕事は平凡……と言いたいところだが、実は最近悩みのタネがある。
先輩風を吹かせまくる先輩が一人いるお陰で、仲間内の和は乱れ、仕事も失敗続きだ。
しかもその失敗の責任を、執拗なまでに俺の責任にしようとしてくる。
仲間内では、俺に対する理解があるからいいものの、言われる側としてはたまったものではない。
連帯責任で叱責を受けている最中には、俺の監督不足です、だとか言って点数稼ぎに走るから厄介だ。
どう見てもお前の責任だろう、と誰もが心の中でツッコミを入れている事だろう。
要するに、陰湿なイジメを受けているのだ。
あんな先輩、いなくなっちまえばいいのに。
そんな事を思った時、ふとあの禁句について思い出した。
そうだ、俺が先輩に例の話を質問して、迷いなく白い街へ送ってしまえば、ほんとにいなくなる可能性が高いんじゃないか?
俺がそう仕向けただなんて、証拠も何も残らない。
厄介払いするには、丁度いいルールじゃないか。
頭の中で悪魔がそう囁く。
「先輩、赤い部屋の夢の噂って、知ってます?」
「ん、いや? 突然何の話?」
間の抜けた返事をする先輩。
「ああいや、知らないならいいんです、失礼します。」
あっけにとられる先輩。
ああ、これでようやく、仕事にも平凡が訪れる。
そこでハっと思い出す。
訳も分からず怯えた、あの赤い部屋を。
何度も訪れた、最悪な気分の朝を。
必死に逃げようとした、あの街の恐怖を。
体を動かすことが出来ない、絶望感を。
親友を巻き込んでしまった、最大の後悔を。
大切な人を失う、喪失感を。
今まで忘れかけていたあの恐怖が、つい先日の事のように、一瞬で脳裏に叩きつけられる。
冷や汗が、全身から一気に噴き出す。
ちょっと待て、俺は、なんて事をしようとしてるんだ。
自分を苦しめ続けた悪夢を、今度は利用しようだなんて。
いや、落ち着け俺。
今回は、俺自身には被害は及ばないはずだ。
でも……クソッ、どうかしてた。
いくら苛ついていたからといって、こんな手段を使うなんて。
俺は後悔しながらも、家路へとついた。
「……そろそろか。」
一人暮らしを始めて数年が経つ。
あの頃とは違う部屋で、違うベッドに横になる。
これで赤い部屋の夢を見れば、俺の計画は発動してしまう。
……出来れば、発動しないで欲しい。
一瞬の気の迷いであったと、弁解出来るのならそうしたい。
数年ぶりの、真っ赤な部屋。
反対側に、座り込んでいる人影。
禁句は、成立してしまった。
あとは怯える先輩の顔を、見る事になるだろう。
そう思った矢先、目の前を何かが横切った。
赤い人影。
そうだ、宗介……、まだこの部屋に?
俺は忘れないようにしようと誓っていた宗介を、日々の喧騒の中、忘れてしまっていた事を思い出す。
……悪い、最悪なきっかけで、またここに来ちまったよ。
と、もう一つ、赤い人影。
また、もう一つ。
ハっと気がつく。
部屋には赤い人影が、あちこちにうろついていた。
何人……いや、何十人?
一体なんでこんなことに?
そのうち2体がこちらに寄ってくると、そのまま後ろへ押し倒された。
足だけが、間抜けに歩行の動作を繰り返し始める。
だが赤い人影は、どこかに引きずっていくような動作もしない。
俺の顔を覗き込むと、肩が小刻みに揺れている。
……笑っている?
そこまできて、ようやく気付いた。
この中に、宗介がいる確証がない。
あの時、黒い空間から見えた、無数の赤い部屋。
禁句である質問をした時、そのいずれかに割り振られるとしたら、宗介のいるあの部屋に当たる確率は?
一体、何百分の一だ?
宗介は、俺を救いたい一心で赤くなった。
だが、死を実感していくであろう恐怖は相当なものだったはずだ。
その過程で、あるいは赤い部屋の住人となった孤独さから、発狂してしまった人がいたとしたら?
仲間を増やそうと、行動を起こしたとしたら?
その仮説を裏付ける光景が今、目の前にある。
バカだ俺は!
あんな経験しておきながら、宗介に救って貰っておきながら!
その事を、美談風に考えて、続きを考えるのをやめていた!
あれだけの数の部屋があれば、それだけ同じ目に遭ってる人がいてもおかしくないのに!
俺と相田が宗介のいる部屋に来たのは、本当に偶然だったかもしれないのに!
まさか、相田も俺と同じ事をやろうとして、死んだのか?
俺も、死ぬのか?
視界が、ぼやけてくる。
恐らく、赤くなり始めたのだろう。
懐かしい恐怖感が襲ってくる。
怖い。
怖くて仕方がない。
俺を押さえ込み続ける、赤い人影。
その様子を覗き込む、無数の赤い人影。
全員、小刻みに肩を揺らしている。
こんな状況を想定するヒントは、いくらでもあったはずだ。
だが、それを想像する事を、俺は怠っていた。
宗介が救ってくれて、それで終わったんだと。
勝手にそう決めつけていた。
歩く動作を繰り返していた足の動きが、徐々に鈍くなっていく。
嫌だ、死にたくない。
よりによって、こんな部屋で。
宗介の部屋じゃなく、他人を巻き込んで笑っている、こんな連中の中で。
俺は、こいつらの仲間入りをするのか。
結局正体不明のままの、こんな悪夢のせいで。
赤になれ
あの日見た画面が、フラッシュバックする。
そして俺は。
いつも通りの朝を迎える事は。
二度と、なかった。




