密談するには、昼休みが短すぎます
皆様の無聊を慰める一助となりますよう。
「借り物競争? やるよ、それは」
「なんで? なんでやるの?」
「わかってるだろう、それは」
あまりにしつこく尋ね続けるので、流石にあきれ顔で赤宗は諭してくるが、分かっていても聞きたくなるのが人情というものである。
「先週までそんな気配何もなかっただろ……? なんで…? なんでこうなった…? フラグを立てたから…?フラグを立てられるのはヒロインとヒーローだけでは? 私はモブ、モブ中のモブでは…?」
いや、そういえば悪役令嬢だったんだけれども。
周防がいなければセルフでそうツッコミを入れていた。
本来なら、周防の前でこんな、A子嬢や乙女ゲームに繋がりそうな話題を振るべきではない。気が付いている。だが、昼休みのこの時間しか、今日の私には空き時間はなかった。加えて、運動会プログラムの決定稿は今日明日には生徒会に渡さなくてはならないし、この時間しか赤宗とも話ができないし、そしてここが一番重要なのだが、とてもやりきれない思いでどうしようもないので愚痴りたい。わたしはとても悲しい。
昨年までは、例年のプログラムを踏襲して行っていたのが、今年になって2種目無くなり、運動会委員・生徒会協賛枠でプログラムが2つ追加されることになった。その結果が先日出たのである。
「生徒がせっかく挙げた種目を自分の気持ち一つで潰そうとは、教員失格ではないか」
「他のものならやめてほしいとも思わなかったさ…」
周防の蔑む視線に、己の弁当を抱え込み唸る。唐揚げの冷たくなった油が胃にもたれそう。
「何で…? 何でよりにもよって借り物…?」
「君が促したんだろう」
「私!? 濡れ衣にも程が!!」
「ゴールデンウイーク前の運動会委員会で調査書が配られた時、委員たちにどんな種目を上げればいいのか聞かれて、応えたのでは?」
いやいやそんなこと。記憶をさかのぼって。
「言ったわ。言ってた」
いやしかし、本当に書くとは思わなかったのだ。「例えばどんな種目を上げたらいいのか」「どんな規模でもいいのか」と聞かれたので、気軽に書けばいい、という気持ちで「今ならパン食い競争でもいいんだぞ、マンガでしかしか見たことのない、あの伝説のパン食い競争でも。あの伝説の。あとは借り物競争もそうかな」と言ったのだ。パン食い競争なんて本気で書くとは思わないではないか。
素直にそういうと、赤宗は首をかしげて傍らの周防に問う。
「言う程、世の中にパン食い競争をするところは少ないのか。俺はこの学校しか知らないが」
「人気の割に行われるところは少ないようですが、行われています。借り物競争もそうですね」
「嘘だあ!…本当だ」
周防に示されたスマホの画面では、両者ともにネットでも運動会の人気種目として上位に食い込んでいる。
私自身小中高、友人の運動会含め一度も見たことがなく、パン食い競争は都市伝説だと思っていた。
いやしかし普通運動会の種目が、乙女ゲーム云々に関係あると思うか。そもそもパン食い競争なんて誰もやりたがらないだろうと言ったのが、完全に裏目に出てしまった。がっくりとうなだれた。
借り物競争は、身体能力が結果に大きく反映されにくいし、クラス、親兄弟、身近な友人関係を越え交流を持つ機会になる。「同じ行事を共同して行うことで協調性を養うと同時に、個々人の自信へとつなげる」という運動会の目的に、きちんと適っている。
「むしろこの種目は、用具もそんなにいらない。実現性の高い良いものを選んだと、喜んでやればいい」
「そちらが教師として正しい反応だな」
赤宗が穏やかに諭し、周防がしたり顔で言う。確かにそうなので私もぐうの音も出ない。確かに、自分のことばっかりだった。でもな、借り物競争が無くなれば、A子嬢も逆ハーレムルートをあきらめてくれるかと思ったんだ。
周防はプリントを受け取ると
「では企画書を持って行って、借り物競争のお題は私が指示を出しておきましょう」
「ん? なんで生徒会が用意するんだ?」
「運動会委員会は人数が多いだろう」
「その分お題をたくさん考えられるじゃないか?」
「公平に作れるか?」
できないな。
例えば、「黄葉くんのサングラス」とか。「赤宗くんのハチマキ」とか。今まで遠すぎて言葉を交わしたことのない人物たちが、これを機会に近づこうとするかもしれない。
「生徒はお前の考えている以上に必死になってくるぞ。未来の就職や親の差し金で、どうしても赤宗様に近づきたい輩は山といる。人脈作りは戦争だ」
「そんなに…ええ、もしかしてレインボーズ全員そういう感じの人たちなの? 殺到する感じ?」
「今更だぞ」
「生徒会はそこまで必死ではないから。吟味を頼む、周防」
「おまかせを!」
名を呼ばれたことを誇らしそうに、自慢げに私に対して鼻を鳴らし国語科準備室を出て行こうとして、扉で立ち止まる。
「黒瀬…」
「先生つけろよ…」
「先日の発言…悔しいが、訂正しよう」
「先日? なんだっけか」
周防は悔しそうに視線を落として
「「巨匠が認めた香ばしにんにくチャーハン」…なかなか、侮れなかった」
今度こそ準備室を出て行った。
「…食べたの…」
先日周防と口げんかしたアレ。すっかり忘れていた冷凍食品企業努力戦争。「巨匠が認めた」シリーズは厳選食材を使用したニツヌイ食品の高級志向冷凍食品である。私は高すぎて食べたことはない。
「可愛い人だろう」
周防の去って行った扉に向ける赤宗の微笑みは、一つ上の青年に向けるには、あまりに慈愛が強かった。お前は慈母か。見つめる私の視線に、赤宗はまた笑う。
「そんなに、俺が先輩を褒めるのが不思議かい」
「いや、まあ…私にはあたりが強いから…でもちょっと私偏った見方をしているかも…」
「君にはかなり偏った考え方で接していてアタリが強いし、実際決して公平ではないし、相手する人の能力によって態度があからさまに変わる、少し子どもっぽい人だね」
なかなか容赦ない評価だった。
「だが努力を怠らない。相手の能力を正しく評価し、賞賛を自身の糧にして精進を重ねる…そういう所が、気に入っている」
こんな風に優しく言われると、そんな気がしてくる。確かに私も、ケンカ腰の彼を公平に見られていなかったかもしれない。いや客観的に見て私、かなり大人げないな。反省、反省。
それで? 赤宗は私に促した。
「運動会の借り物競争が、乙女ゲームの進度を確認できるんだったね」
「ああ、それね…直接、アコちゃんに確認すればいいのに、今日は残れないのか?」
今は昼休み、国語科準備室でひっそりと弁当を食べている途中で、赤宗と周防はすでに昼食を終え、運動家委員会の決定を取りにこちらにやってきたものだ。このまま放課後まで待てば、私は無理だが赤宗はアコ嬢に会いに行けるし、アコ嬢はそちらの方が喜ぶ。
「俺が小1に会いに行くのか? 目立つだろう」
「ああ、A子嬢に知られるか…だから却下ね…」
アコ嬢の存在が知られたら、またややこしい。
「残念だが五限が終わったら会社に行かなくてはならなくてね…そんな顔をするな、インターンだ」
「そう言いながら実は部下たちに次々と指示を出していらっしゃるんでしょう?」
「たかが研修員が滅相もない、きちんと菊池が経営を行っているさ」
「おそらく社長であろう人物を呼び捨てにする研修員とは?」
アコ嬢が言っていた赤宗真輝予定表がほとんど合っていて、正直引く。
「そういえば、この前赤宗理事長が来てたなあ。三者面談、だったっけ。進路の話どうなったんだ?」
赤宗は一つ、ゆっくり瞬きした。長い睫毛の下に影が差したのが、変に彼を彫像めいて見せた。
「大したことは。事前から話していたことばかりだった」
「やっぱり大学に行くの? それともそのまま社長になるのか。一刻も早く、職場の人は君に社会に出てきてほしいんだろうなあ」
「大学に行かないということはないさ。…もう昼休みも残り少ない。イベントというのは、どういうものなんだ」
「うーん…難しくてさ。私にもよくわかっていないんだ」
思い返せば、アコ嬢も少々テンションがあがって、まとまっていなかったような気がする。
借り物競争イベントの概要は、大体こうだ。
人気種目「借り物競争」に出場が決まったヒロイン。借り物のお題が書かれた紙を手に取ると、そこにあったのは「好きな人」の文字だった。
「………」
「ここで選択肢が現れますが、すぐさま動いてはいけません。戸惑い恥ずかしがっているうちに、周りの選手はどんどん先に行ってしまう。実況するアナウンサーの生徒にもお題がばれてしまい、はやし立てられます。ますます動けなくなるヒロイン、そこを助けに来る攻略対象、勢い余ってお姫様だっこです」
「………」
「運動場の混乱を余所に攻略対象とヒロインは見事ゴール! その後の反応は攻略対象によって違いますが、そのスチルは回収必須、会話も胸キュン揃いです!」
画面いっぱいの攻略対象イケメンのドアップはお約束。アコ嬢曰く「数多くの乙女の悲鳴がネットを揺るがした」。美麗スチルは絵師たちの渾身の作品であり、ネット上では狂喜の叫びでむしろ地獄絵図だったそうである。
「さあ先生、ご感想は!?」
「ベッタベタやんけ」
本当にこれが一世を風靡したのか。時代がちょっと違うというか、少なくとも心の琴線が私とはちょっと違う所にある。
「学園ものはこれぐらいくどいほど王道でないと!」
「王道とは…」
「黒瀬先生は憧れなかったんですか、お姫様だっこ」
「………」
「ほおら!」
アコ嬢の勝利のポーズ。これには無言で返すしかない。かつて私にもなけなしの乙女心というものがあったのだ。
「でも今はお姫様だっこは怖い…人間一人を未成年がお姫様だっこするという不安定さが怖い…担架持ってきてほしい、それかパイプ椅子…台車…」
「頑なに安全を確保しないでください、恋愛に必要なのはファンタジー!」
「学校に一番必要なのは安全じゃない…?」
このポイントは、攻略対象「赤」の好感度を上げておかないことである。シナリオの初めの頃に、無理にあげようとすると逆にマイナスになったり、一定以上上がらなくなったり、そして確実に他の攻略対象を攻略できなくなってしまう。
「ここでお姫様だっこをするのは、好感度が2番目に高い対象です。その後続く運動会2つ目のイベントで、好感度が3番目に高い対象が登場します。」
運動会のお姫様だっこは、他の女生徒の嫉妬心を煽った。競技中ヒロインは、一目のつかない場所に呼び出され、「レインボーズに近づくな」と取り囲まれ詰め寄られる羽目になる。そこで、好感度3番目の攻略対象が止めに入る。
そしてこの一連の騒動に好感度1位の攻略対象も焦燥をかきたてられ、運動会の帰りに接触を図るのであった。
「だからA子嬢は、無理に赤宗に接触しようとしないんだ」
私は少々納得した。初めて会った時の勢いで接触されたら、私がA子嬢をレインボーズたちから引き離す前に、彼女の社会的生活は、終わりを迎えていた。いや、シナリオの強制力でそうはならないのか?
「なので、ここで好感度1位から3位の確認ができる訳だ」
「一生徒の動向を四六時中監視するより、運動会一点を監視していた方が効率がいい」
赤宗も鷹揚に頷く。三人三様に事情があって身が空かない、この機会を逃すことはない。
「アコ嬢はよいことを思い出したな。良くも悪くも目立つから、すぐに状況が把握できるだろう。発生時期が明確だから、対策もしやすい」
「そうだそうだ、借り物競争私は運動会委員で教員巡回もあるから、碌なことはできないと思うけど。情報だけはすぐ手に入るだろう立場だからね」
そして心中でアコ嬢に「おめでとう」と言っておいた。よかったねアコ嬢、陛下が褒めてくださったよ。
だが心の中のアコ嬢と喜びを分かち合う暇もなく、ちょうど予鈴が鳴り始め、それどころではなくなってしまった。
「まだ半分も食べていないのに! あー、今後もA子嬢の動向に気を付けながら、運動会のイベントの対策でいい?!」
「まあそうだな、情報交換は引き続きしていこう。…あわただしいな」
「ごめんね、次入試広報部の会議なんだ」
「借り物競争で愚痴っているからだろう」
呆れて笑う赤宗に、返す言葉もない。
残してしまった唐揚げを惜しみつつ、赤宗を部屋から追い出し国語科準備室に鍵をかけた。挨拶もそこそこに分かれてしまったので、話していた最中、影が落ちた瞬間の一瞬表情が抜け落ちてしまったような、その時の空虚な違和感を確かめずに、私はそのまま、会議室へと向かった。
完全に余談ですが、黒瀬は実は、パン食い競争には憧れがあります。
「企画として」やりたいだけで、本人が出場したいわけではないのですが。