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外出自粛、退屈しのぎの一助となりますよう。
シナリオ・ノートに書かれるキャラクター達は、アコ嬢が思い出した順に並べられている。
キャラクター一人に見開き二ページ、キャラクター名、姿絵、そして思い出せる限り、すべてのキャラの基本設定と各ルートの説明――すなわち、これから起こる予定のイベントが記されている。
最初のページは赤宗が書かれていた。
「下手で恥ずかしいんですけど」
「そんなことないよ。私、書いたのが小学生だって、全然気が付かなかった。設定だと髪の色赤かったんだね」
一番古いページであり、かつ一番つたない筆致であるが、丁寧に、一所懸命な様子が一目でわかる。デフォルメされた赤宗の画は可愛らしく、色鉛筆ではみ出ないよう目と髪が赤く塗られており、十二分にイラストとして通用するほどに上手い。
赤宗のイラストは、髪と眼が赤く塗られている。いつも目にしている生身の眼は、闇夜を見つめたような黒、髪も黒で、ただ日に透けると、毛先が美しい赤に染まるのが、名残と言えばそうだ。
「髪の色、赤なんだ」
「攻略対象はそれぞれ名前にある通りの髪と瞳の色です」
「では青景の髪は青で、紫垣は紫」
「目も覚めるような爽やかな青と、きっぱりした濃い紫です」
ビビット・カラーの世界とか頭痛しそう。幸いなことに、私が目にしている彼らは黒か茶、鮮やかと言えるのもせいぜいが黄葉のヘーゼル色の瞳だ。
やはりというべきか、赤宗のページが一番情報量が多く、イベント発生順まで書かれている。
「…一番ズレが少ないのは赤宗か」
世界屈指の大財閥唯一の御曹司。類を見ない天賦の才。人々を導く重責に相応しい、冷酷な学園の頂点。
「家族構成は父と子、母親は幼い頃病気で死亡。帝王学を施され、若くして企業の経営を任されている…スケジュールのほとんどが、企業と学校の仕事に埋め尽くされているのも一緒。生徒会長ではありませんけど、周防会長が赤宗さまをボスと仰いでいらっしゃるから、実質生徒会トップ。そして胸の奥には、熱い情熱と優しさ、孤高でいなくてはならない寂しさを抱えている。ほら、やっぱり赤宗様は完璧です!」
「まあ、ゲームと設定がほぼ一緒らしいのはわかったよ…」
アコ嬢は鼻息荒く断言してから、私の微妙な表情に気が付いて苦笑した。
「先生、気にしないでいいですよ。家族構成や家の仕事なんて、学園では知ってて当然なんです」
「……うん」
「はい。ましてレインボーズなんて、手の振り方や昼何を食べたか、何を話したか、一瞬で噂になっちゃうんですから」
それが本当なら、レインボーズのプライベートなど、ないも同然ではないか。
両親の職業、出身大学、さらにその両親の実家の仕事、血筋、現在行っているプロジェクト、上司は誰か、趣味は何か、子息令嬢の将来は。見栄と意地と、打算と利欲が入り交じって、学園の「社交」は出来ている。
悪いとは言わない、だがまだ彼らは二十歳にも満たないのに。誰にも侵されない領域があってしかるべきではないか。いや、当の本人からは、安っぽい同情は不要だと言われてしまうだろうか。白井の心に土足で入ろうとした私が言うべきじゃないと。
頭を振る。考えてもしょうもないことだ。私が学園全員の行いに口出しできるわけでもない。
改めてノートをのぞき込んだ。
「……この、姿絵の傍らに書かれたものは?」
「キャラのキャッチコピーで決め台詞です」
書かれているのは『君と俺の世界を、バラ色に染めよう』。
「…イメージ・カラーと決め台詞をかけ合わせてるんだね」
「わかりますか?」
「うん。他にも言いたいことがあるような気がするけど、何も言えないや」
各ルートの大枠は起承転結、おまけ、の五部構成のようである。起、攻略対象との出会い。承、攻略対象との絆を深めると同時にライバル令嬢と対決。転、悪役令嬢の追及。結、令嬢の告発と告白。おまけ、それぞれの今後。
各自シナリオが用意され、組み合わせによって別個の物語を形作る。例えば、青、黄、緑の攻略対象のルートが開いている時は、そのルートが関わり交りあい、独自のシナリオが展開するというような。
ゲーム時間最長を記録したのは、この特異なシステムが関係しているらしい。謎解き要素もあって、原案者だったアコ嬢の前世もやりこんだそうだ。ちょっと聞いただけでも面白そうである。
逆ハーレムルートは、最難関ルートでもある赤宗ルートをベースにしている。
「赤宗ルートのテーマはお姫様。他のルートとは一味違った、目くるめくロマンチックなイベントが目白押しです」
出会いは入学式前、桜並木での邂逅。交流は、生徒会への誘い、生徒会室での甘いひと時。ライバル令嬢との対峙と彼女の嫌がらせ。急展開は、赤宗の苦悩、赤宗の仕事場見学、ヒロインのアイデアでプロジェクト大成功。赤宗の仕事について行って夢のようなパリ旅行。赤宗エスコートで、ドレスや宝石を選び購入して、レストランで2人きりのディナー。赤宗を脅迫するためのヒロイン誘拐と救出。そして、悪役令嬢とライバル令嬢の告発、赤宗の告白、赤宗父との対峙、船上パーティでの婚約発表。大体このようなものである。
「「学園青春」どこ行った」
「失礼な、ちゃんと悪役令嬢の証拠集めや学園祭、生徒総会、生徒会、夏の肝試し、イベントいっぱいですよ」
それは前半で、後半学校行ってない気がする。
「赤宗さまの攻略はかなりハードルが高いんです。ステータスに加え、イベント発生や他の攻略対象の好感度もろもろ、幾つもの条件を達成し、かつ赤宗個人の選択肢も一つだってまちがえられません」
ポイントは、「彼自身が負う重責と孤独を理解し、父親との関係を取り持つ」こと。また、「赤宗の将来のため、将来有望株の攻略対象たちとの橋渡しをする」、この二点である。隠しキャラを含む7名の好感度が高くて初めて、赤宗の興味を引くことができる、つまり彼の攻略ルートが開くことになる。
この赤宗ルートで、悪役令嬢「黒瀬百合」は一際重要な役割を担っている。赤宗ルートでのみ判明するのだが、「黒瀬百合」は実は、赤宗の母を心労で死に至らしめ、父子の不和をも招いた張本人だったのだ。赤宗の行き場のない悲痛は、悪役令嬢の断罪に向かい、キャラたちはより一層結束を固める。
「つまり、逆ハーレムルートに黒瀬百合の断罪は必要不可欠なんです。どうですか、黒瀬先生。人生の中でどこかの奥様を助けたふりして目を付けたり、企業を脅したり詐欺したりしてませんよね?」
「出来ませんししませんね!?」
魔王・赤宗財閥軍にケンカどころか、全面戦争ではないか!
「そりゃアコちゃんもビビるよね!? 思ったりヤバい悪役じゃないか、私! なんで知らない間にそんなことに!」
やっぱり私、赤宗シンパに暗殺されるんだろうか。それか社会から追放か。父さん母さん妹よごめん、一族皆夜逃げしなきゃ。
「覚えがないなら平気ですよ」
「本当に?」
「だって、実際黒瀬先生が赤宗一族の不幸に関わっていたら、とっくに破滅してこの場に居ないと思うの」
それもそうだ。しかし逆に言えば、私がなにがしかの不始末の遠因だと判明すれば、すぐにでも破滅するということで。
「…もういいや、私を抹殺するときは宣言してくれって赤宗に言っとこう…」
「それ本当にしてほしいですか?」
では他の攻略対象はどのように好感度を上げていくのか。
「黄、橙の攻略は比較的簡単です。黄葉の場合は彼の方から声をかけてきます、ポイントは「認めること」「愛する本当の喜びを知ること」。才能に恵まれた家族に囲まれ、友人も彼の容姿ばかりみて、容姿以外を褒められた経験がありません」
「橙野は…礼拝堂でフルートしているのに会えばいいんだっけ」
「放課後早い時間に行けば。「音楽」のパラメータを下げ過ぎない、ポイントは「成長を応援すること」「一緒に楽しむこと」。後は、この二人は接触の機会をある程度維持して、あと橙は会話の選択肢を間違えすぎなければ大丈夫」
「間違えると?」
「それでもよほどのことがない限り好感度は下がりません。初心者コースです。次点で青、その次が紫、さらにその次が緑」
「青景の場合は、学習面の、ええとステータス、パラメータ? を上げておくといいのか」
「おしいですが、一部逆です。「数学」のパラメータを他の教科より少し下げておくんです」
青景は赤宗と交流があり、天才を前にただの凡人にすぎない自分に限界を感じながら、ストイックに自分を磨こうとして周囲にもつらく当たりがちである。「今の自分を受け入れること」「周囲と協力する喜びを知ること」、これが攻略のポイントである。
面倒なのは、他の教科を上げておかないと青景の注意を引けないが、上げ過ぎると好敵手関係止まりになることだ。青景の得意科目である数学を下げておいて、「教えて欲しい」と素直に言うことが、攻略のとっかかりになる。下げ過ぎたままだと師弟関係になってしまうので、ここから成績を上げなければならない。
「ほんっとうに、本当に難しいんですよ数学の問題…!」
「あ本当に解くの!? リアル数学!?」
「もちろん、全年齢向けにはなっていますよ」
別にアコ嬢はそこまででもなかったそうだが、開発だかどこかの部署が変にこだわったらしい。
紫、紫垣の場合は「体力」「美容」のパラメータを一定程度上げておかないといけない。この紫垣は何回もサボる上に、サボる場所はランダムで変わるので、とにかく追いかけ回さなければならない。加えて、ライバル令嬢で紫垣の幼馴染、常夏撫子はゲーム内登場女性の中で随一の美人で、あまりに「美容」が低すぎると、このライバルに対象を奪われてしまう。
「「常夏撫子」って実在するの?」
「知らないんですか? 津名琴先輩ですよ、高1の。レインボーズの幼馴染で、「プリンセス」って呼ばれてる」
「…ああ! あの! とんでもない美人って聞いたことはあるけど、まだ間近で拝見したことないんだ。そんなに美人なんだ」
「すごいですよ、顔光ってますから」
「顔光ってますから」
それは「人」か?
「小緑は家庭科部と園芸部に在籍し、植物とお菓子を融合させたお店を開きたいと考えている。母は料理評論家、父も老舗料亭の旦那のサラブレッド。菓子作りが趣味のヒロインとは話が合い、シナリオの起の部分では、会うだけで好感度が上がるんですけど、そこから上げるのが難しいんです。皆に優しいけれど平等で一歩引いたところのある小緑と「心の垣根を取り払うこと」、彼に「厳しくなれること」がポイント」
「それね、小緑だよ小緑…」
毛先が波打つ髪と垂れ気味の目は、深みのある緑で、姿絵は私が目にしている現物よりはるかに優しげな表情。
しかもこの絵の小緑。
「微笑んでいる」
「癒やし担当ですから、ほんわり笑顔がデフォルトです」
「マジかよ・・・」
ある意味学年一の問題児、無表情が標準装備、無駄が嫌いなワガママ現代っ子、せめてこの百万分の一でも愛想を出してくれたなら。
ちなみに決め台詞は、『君はまるで緑の指だね、ぼくの心をこんなに豊かにしてくれる』。
「『ぼくの目が嫉妬で緑になってしまうよ』案もあったんですけど」
「多分、元々目の配色、緑の予定だからね」
嫉妬で緑になる前から緑なので、セリフが成立しないのだろう。
「ああそうだ、これ、デザイン初期案なんですよ」
「初期案?」
アコ嬢は、姿絵の肩口まである髪を指さす。
「このまま深緑一色の髪色だと、少し雰囲気重たいですよね」
なるほど、言われると確かに。癒しキャラというには、軽やかさや和やかさよりも、やや色気が先に立つ。
「大人の色気担当の藍原とキャラがかぶっちゃうのね」
「見た目「こんぶ」っぽいって言われてから皆昆布にしか見えなくなったからです」
かろうじて下唇を噛んで耐えた。
「スタッフ皆「昆布」って呼んじゃって、まともにキャラ名で呼ばれなくなっちゃったし、まあ書き直したんです 」
アコ嬢がノートの隅にさらさらと書き直す。
今度は髪全体を緩やかに波打つような巻髪風にして、初期案より頬にかかる髪を短く、襟足を長くしてくくっている。
「髪はライトグリーン、目はエメラルドグリーンにして、この第二案で通ったんですけど、なぜか初期案がネット上に漏れて」
「どうなったの?」
「あだ名が「めかぶ」に」
めかぶは卑怯。
笑いの発作でしばらく使い物にならなくなった私に、アコ嬢は根気よく続ける。
「藍原先生は、やっぱり教員なので難易度は高めです」
「先生のくせに難易度低かったらしばき倒すわ…」
「白井は隠れキャラなので、条件がそろわないと難しいんですが…学園の七不思議の一つで、「図書室の幽霊」というのが出てくるんです」
ゲーム内の白井の姿は、白いふわふわした髪と、銀の色鉛筆で光を入れ込んだ、真珠のような目。苦悩に満ちているように見える。
先天的な虚弱体質と難病で、成人も危ぶまれているために、どうせ何をやっても死んでしまうのだからと何事にも消極的で、そのためクラスにも顔を出さず、図書室にこもりがちだ。儚く希薄な存在感から、学園の七不思議「図書室の幽霊」として噂になってしまう。
「噂がヒロインの耳に入って、実際いるのか確認しに行こう、という流れになったらイベント発生です。ゲーム上ではクラスに滅多に来ないので、白井はそれほど悪役令嬢と接触しません」
「…まあ、白井のイベント発生はなさそうだなあ」
白井は毒舌健康優良児で、学園七不思議に「図書室の幽霊」はないから、イベントも発生しない。
「…私が分かるレベルで言うと、要するに、目的のゴールに行くためには、いくつかの条件があって、その条件をクリアするためには、ヒロインの能力パラメータを調整して、コミュニケーションをして好感度を上げなきゃいけない、てこと?」
「そんな感じで大丈夫です。ゲームではステータス確認画面があるので、常に能力値は確認できるようになっています」
「好感度は?」
「サポートキャラが各対象の好感度を数値化してくれます。基本的には「噂話」「ヒロインの話」「攻略対象との話」を元にして好感度を数値化するので、例えば赤宗の場合は、その辺の一般生徒とはお話しできない人ですから、ほとんど最後まで好感度が明確に示されなかったりするんです。ここが赤宗ルートが難しいと言われる一因でもあります」
「はー、「好感度」を数値化…感情や態度が数値化できるっていいよなあ」
各教科の評価観点「関心・意欲・態度」も、そんな風に数値化出来たらどれほど楽だろう。やはり現実はゲームほど甘くはない。
「能力値は、成績とかテストとか? でも黒瀬先生、ヒロインの成績、教えるつもりは…?」
片眉を大袈裟に上げて、黙って肩を竦めて見せた。
やっぱりねと、アコ嬢は両手足をだらんとたらした。
「ですよねえ。ねえホントに黒瀬先生は「黒瀬百合」なんですか? 「黒瀬百合」成分ほんの数パーセントでも出してみません?」
「いつでも純度百パーセントの「黒瀬百合」でお送りしてますよ?」
とはいえ、私達人間は好感度を目に見える形で確認できはしない。イベントもいくつか、残念ながらアコ嬢の記憶から落ちてしまっている部分もある。A子嬢のゲームの進み具合を確認できる方法はないものか。
と聞いたら、都合のいい返事が返ってきた。
「運動会です」
「運動会…え、なに? 保護者席が崩落したり放送機材に発火されたりするの…? 安全対策の見直し…? 今から業者に連絡して間に合う?」
「ありませんよ! このゲームは学園青春だって言ったでしょ!」
「学園青春ものに誘拐はないよ」
運動会には2つのイベントがあるのだが、そのイベントに登場するキャラクターは好感度によって違うらしい。
そのイベントのうちの一つは、借り物競争だという。
それを聞いて私は気持ちよくため息をつくことができた。
「借り物競争? なら平気だな。うちの運動会、借り物競争はないもの」
リレーや綱引き、応援団、柔道の形演舞、障害物競走…華やかだが安全で当たり障りのないものが並び、午後3時ごろに終了できるようにしているのだ。
「一生懸命運動会委員の仕事やっておくものだなあ。これだったらイベント一つに集中できるし。意外に、杞憂に終わるんじゃないか」
「そうですか? フラグになりそうな気がする」
「大丈夫大丈夫、ああ安心した」
久しぶりに学校でゆっくり笑顔になった気がした。
「という訳で、今回の運動会は「借り物競争」と「パン喰い競争」をやることになりました!」
「は?」
素の声が出た。追わず出た声は、運動会員たちの拍手でかき消された。
2020.3.31 ひっそりと。志村けん氏のご冥福をお祈り申し上げます。ショックだった…