関係者でも、入校証をおつけください 2
前話の直後です。
ゲーム原案を手に入れたことで、レインボーズを守る財力と権力と名声と才能と頭脳と――赤宗である――、私という、頼りないストッパーと役に立たない実働戦力――あれ、私要らないな――が揃った。後は解決するだけ、と思いきや、思わぬところで躓いた。
話し合う時間がない。
問題解決には、綿密かつ新鮮な情報が必要である。A子嬢は現状誰を狙っているのか、どのイベントが発生したか、攻略対象の様子はどうか、シナリオではどうなっているか、それとの差異は。
ズレが大きい分、時間はあるだけ欲しい、だが大っぴらに相談は出来ない、そして身が空かない。
一番のネックはアコ嬢だ。彼女の脳内がどれほど大人びようと、体は小学1年生。午前中で授業は終わり、お迎えが来る。メールで待ち合わせをしようにも、アコ嬢が所持しているのは、子ども用のおもちゃのようなケータイで、しかもご両親が内容をチェックしていた。アコ嬢はふくれっ面だったが、ネット・リテラシイ的には妥当な対応だと思う。
私も授業と部活と雑務に追われている。メールも、仕事用のもプライベートのも学校側に監視され、プライベート用は生徒に教えることを禁じられている――赤宗がプライベート用のアドレスを知っているのは不可抗力だ――。
幸いにして、家政婦や母親が迎えに来られない代わり、姉スミレ嬢が一緒に帰る日が週に最1、2回はある。アコ嬢の放課後、彼女の部活が終わるまで、セキュリティ万全の学園内でヒマつぶしをするのだ。その間アコ嬢が私を訪ねれば、定期的に時間を作りやすいのではないか。
という訳で、姉と帰るまで、私に面倒を見てもらえるようアコ嬢が家族に頼んで、赤宗が可能ならそれに合流するように、と結局アナログに落ち着いた。
そして今、赤宗はいない。
赤宗様を出し抜いて、アコ嬢から乙女ゲーム情報を聞き出すチャンスなのでは。が同時に、「無理だろうな」と諦めてもいる。
廊下で感動の対面をしてしまったので、大人びた平静を装って、「こんにちは、アコちゃん」と挨拶した。
返しに、アコ嬢本日の二言目。
「赤宗さまはいないの?」
これである。
「…赤宗のような美青年の前におばさんの挨拶など塵芥に等しい。でもたまに、黒板の隅っこにたまっている取りそこなったチョークの粉を見て、私のこと思い出してね…サヨナラ、旅に出ます」
「え、あっ!!」
この後慌てて平謝りされた。
施錠だけ先に済ませ、誰もいない密談に手頃な教室に滑り込み、改めて挨拶した。
「こ、こんにちは、さっきはごめんなさい。怒ってる?」
「大丈夫、ちょっぴりしか拗ねてない」
「拗ねてはいる…」
「私心のサイズも小市民なの。あのね、みだりに赤宗の名前を出したりすると、変に関係を疑われて、利用されたり勘繰られたりするかもだから」
「わかってる、ちょっと今日は浮かれてて」
浮かれるだろうなあ、そりゃあ。
赤宗は今三者面談だと答えると、アコ嬢は目に見えて消沈した。
「じゃあ、今日一緒にお時間は…」
「ないだろうねえ」
「…そうですね、赤宗さまはもともと生徒会に入っていらっしゃるし、明日は生徒総会、月木はフェンシングの主将でコーチングもなさっているし、赤宗財閥の代表として週末は食事会、パーティ、会談、視察、ご自身がお持ちの会社の株主総会、会社経営…お忙しいものね…」
「え、あ、うん…あいつ社長もやってるのね…」
やだ詳しい。月刊赤宗会報とか出版されて「今月のご公務」とか書いてあるのだろうか。そして読んでいるのだろうか。はたして個人情報とは。いやしかしよく考えると、彼女は乙女ゲームの原案者なのだ。赤宗の生活など設定の段階でわかっているのだろう。そうだと思いたい。
だがそう、赤宗は、忙しいのだ。
陛下が「俺に構わず決めてもらって構わないよ」と言ったのには驚いた。アコ嬢の次に、赤宗のスケジュールを合わせるのが厳しいと思っていたからだ。中学の頃から試合、生徒会、授業、部活、それだけでも忙しいのに、帝王学の一環か、財閥の仕事を一部負担している。名目上社会見学や職業体験、ボランティア、インターンシップと職員打ち合わせでは言われているが、実際は恐らく、幹部クラスの仕事を回されているはずだ。
そんなこと、アコ嬢だってわかっていたはずだが、それでも落ち込みようといったらない。
「まあまあ、可愛い女の子がこんなに萎れちゃって、赤宗ってばワルイ男。そんなに、赤宗のこと好きかい?」
「大好きです」
目にぎらりと光が蘇り、息が熱を帯び始めた。
「「きみ虹」は勿論ですけど赤宗さまは別格です。好きという言葉では片付かないくらい。もう、大好き。私、もともと赤宗さまが攻略対象で一番、一番! 好きだったんです。それがまた目にできるようになるなんて、もう、もう!」
わかった。わかったから、愛を謳いながら私の脇腹殴るのやめてほしい。
「今まで遠くから見るだけでも幸せだったのに、なのに、あんな近くで、声をかけてもらって、しかも…!!」
「なあに?」
「名前を呼んでもらえた…!」
ああ、本当、これ以上嬉しいことなんてあるかしら! こんなに幸せなことって!
目は潤んで笑顔は緩みとろけそう。机さえなかったら、彼女はそこら辺を転がりまわっていたのではないか。感極まって両手で顔を覆い、足をじたばたさせた。多分この瞬間、前世今世通してダントツに幸せなのだ。
「…あれ、先生、どうしたの?」
「わきばら……いや、なんでも」
「…まさか」
アコ嬢がハッと気づいた。
「ヒロインが何かあったんですか!」
「いやわきばら…なんでもいいや」
窓から入ってくる風は、初夏らしく爽やかだが、午後になると湿り気が増していた。
部屋のど真ん中に陣取って、アコ嬢のカバンに入っていたあれこれを机にぶちまけると、私は脇腹をそっとおさえつつ、SNSの件と、生徒との距離感を間違えたのだと――白井というのは伏せて――ざっくり説明した。…女生徒人気ランキングの下りでは、完全に汚物を見る目をしていた。怖い。
最終的にアコ嬢は、下敷きでだらしなくあおぎながら、持参のタンブラー片手に、距離感の件にのたもうた。
「まあ、そうなるよねー」
ですよね。私は机の上に顔面をめり込ませた。
「友達同士でも、フツーに距離感間違えて、関係切られますよ。まして先生だとね」
「その件に関しては誠に遺憾でして…」
「SNSに関しては、学生のイヤな部分がモロに出てますよねー。でも問題にしたら、沈静化するどころか誰が先生にバラしたんだって、あっという間に犯人探しになっちゃうよね」
自分の同じような考えを聞いて安心するかと思いきや、私は逆にうんざりしてしまった。自分の不安や疲れを、年端もいかない子どもに愚痴ってしまっただけなことに気が付いてしまったのだ。言わなくてもいいことを言ってしまったし、結局、解決方法は見つからないままだし。
今度は私の方が、唐突に意気消沈し始めた私を見て、アコ嬢は努めて明るい態度になった。
「でも、気にしない方がいいですよ。この年頃だったらよくある反応だし。気持ち、わかるなー。私も先生ウザかったし」
アコ嬢は深くうなずいた。
「「あなたの気持ち、理解できるよ」って顔してるけど、結局自分がいい人だって思いたいだけの人気取りなんでしょ、って。ムカついて仕方なかったなー。馴れ馴れしくて、そのくせ特定の人としか話さないし」
幼女に慰められるのを心ひそかに悲しみつつ、相槌を打っていたが、途中から不思議な感じに首をひねる。
「…前世の記憶が戻ったの?」
「へ?」
彼女は、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「いや、「年頃」って…ウザ「かった」って、過去形だから…」
「…あれ? えっと…」
アコ嬢は頭を抱え、眉を顰め、果てはうめき声をあげ始めたので、慌てて止めた。本当にふとした瞬間に零れ落ちた記憶のようだ。全然思い出せない、少女の瞳が不安そうに揺れて、逆に申し訳ない。
「ごめんなさい、無意識だからもしかしたら前世が出てきたのか…やっぱりわからない」
「いやいや、私のオーバーにとらえちゃって…気にしないで。頭痛は? 休もうか」
「いえ、平気です。ええと、あと、そう、SNS。これシナリオにあります」
シナリオ通り。不穏な響きだ。自分の眉間にしわが寄るのが分かった。
乙女ゲーム「きみ虹」のストーリー序盤、悪役令嬢・黒瀬百合は、その悪徳と残虐性を巧妙に隠している。弱者は虐げることで、取り巻きは権力と美貌で黙らせ、世間体は親切で理知的な、教員の鑑として欺く。
ヒロインも、女性の理想として「黒瀬百合」に憧れる瞬間すらある。学園生活の経過につれ、悪役令嬢の黒い噂を聞き、言動ににじみ出る憎悪と傲慢に気づく。関係が深くなり、正体を理解した時にはもう遅い。
そんなヒロインが悪役令嬢の言動に疑念を持つのは、学園のSNSでの発言だ。多くの発言の中で埋もれてはいるけれど、悪役令嬢に追い詰められている者の幾つかの叫びが、断末魔のようにヒロインの記憶に焼き付くのだ。
ただ、とアコ嬢自身は首を傾げた。
「入学一カ月過ぎたがけの今は、黒瀬百合は基本的に「いい先生」と出てくるだけで。悪役令嬢としての黒い噂を知るのは、もうすこし後なはずなんですけど」
むしろ「黒瀬百合」はヒロインに友好的である。苦痛の表情を身近に、事細かに見るために。
ゲーム攻略には、「ライバル令嬢に勝利すること」「悪役令嬢の告発」が必須である。悪役令嬢は、勿論学園の不正以外にも、大規模な不正経理や経費流用、詐欺、企業脅迫などの犯罪に手を染めていた。ゲーム上で彼女は赤宗財閥を標的にしているが、赤宗のガードは固く、むしろ赤宗が自身を追放しようと証拠集めをしているのに警戒している。
ヒロインに対しては、レインボーズに愛され、自身の邪魔になっている彼女に憎悪を募らせていくのだが、これはむしろ例外で彼女の犠牲者は、ほとんどがその気まぐれによるものだ。学園の内外問わず、道端の小石を蹴飛ばすとか、アリの巣を壊してみるくらいの感覚だ。そもそもヒロインを迫害する動機も、「こんな平凡な子が破滅したら、どんな感じか興味が出たから」と理不尽極まる。
「社会的肉体的に破滅させるのに加え、精神的により追い詰めるため、手下を使うことも自身が動くことも、手間を惜しみません」
「やっぱり暗黒面で勤勉…」
「で、ライバル令嬢とは結構距離感は近いんです。あくまで利用する駒として、なんですけど」
距離感近いも何も、ライバル令嬢の名前はアコ嬢がまとめたシナリオ・ノートで知ったばかりである。
彼女は、いつも大事に抱えているあの古びたノートを開いた。
「そもそものズレが大きすぎます。これまでのヒロインの行動から見て、彼女は逆ハーレム・エンド狙いと思われます。すべての攻略対象とライバル令嬢の、設定とのズレと、彼らの攻略現状をもう一度確認しましょう」
のぞき込むと、私が手にしたとき記されていた、鉛筆の幼い字の下には、綺麗に書き直されたボールペンの字が、また、新たに記入された部分がずいぶん増えていた。
前回からあまり時間は経っていないのに。驚いてアコ嬢をのぞき込むと、彼女は、先程の頭痛から何も出てこないことに、歯がゆそうに小さな頭を振った。
「最近多いんです。黒瀬先生とあってから、記憶が零れてくることも断然増えて、ノートに書き留めることもたくさんできました。でも同じくらい思い出せないことも多いんです」
「無理するなよ、まだ小さいんだから」
「やだ先生、前世も足したら多分私、中年ですよ。私しかできないことなんです。赤宗さまが必要だとおっしゃるなら、これくらい!」
彼女は幸せそうに笑った。
赤宗は、多分、分かっていたに違いない。
「今聞いたことは赤宗に秘密だよ」と言ったら、アコ嬢はそうしてくれるだろう。でも、赤宗にすべて話せと言われて黙っていられるとは思えない。だって、名前を呼ばれただけで、あんなに喜んで。必要とされたなら、頭痛もいとわないで。子どもに落ち着きがないのは、筋肉も体力も未発達で、脳も完成していないからだ。ノートをまとめるにも、幼いからで集中するのも書くのも苦労したろうに。
赤宗の為には、彼女は身も知識も惜しまない。だからきっと、どんな事柄も、赤宗に黙っていられない。
私は、A子嬢にもレインボーズにも何事もないように、この一年を平穏無事に終わらせたい。だからやはりまだ赤宗を出し抜くつもりはある。だが、情報交換が情報漏洩に繋がってしまうかもしれないというためらいもある。アコ嬢のように、幼い少女を巻き込むことへの迷いも。
三人で話し合った時、赤宗は私に「教職員として個人情報は何も言えないんだろう? 何もしなくていい」と言った。いつものように笑って、「ただここにいるだけでいいんだよ」と。何故そんなことを言うのだろう、とその時は思った。今でも正確に理解しているとはいいがたい。
だが、こういうことなのではないだろうか。
合理化だとか理性だとか論理的だとか、本当に賢い奴は、そんなことに拘泥しない。人間の感情や性格も計算に入れて、事態を掌中でめぐらすのである。
赤宗真輝は、そういう男なのだ。
「先生?」
「がんばろうか、アコちゃん」
私はアコ嬢と笑いあった。胸中にあるものは大分違うけれど。
矛盾訂正しております。
よろしくお願いします。
2020.3.22 改訂