関係者でも、入校証をおつけください 1
前話を一部変更いたしました。
あらすじに大きな変更はありませんが、多少キャラクター像を深めていくために手を入れさせていただきました。よろしくお願いします。
今職員室は、緊張で張り詰め、静まり返っている。校長、副校長ですら、威厳を湛えつつ、備え構えているように見えた。異様な空気に、日頃ゆるゆるとした隣席の藍原先生も静かなもので。いわんや、私をや。スマホの画面との睨み合いを演じていた。
廊下からの音高く、しかし威圧感のある足音が近づいてきた。緊張が一気に高まり、皆の背筋が一様に伸びる。音が止まるとともに、扉が鮮やかに、覇気と共に解き放たれた。
「時間がない、手早くお願いしよう」
雷鳴が轟き、縦稲妻が走った。
…ような気がしただけで、実際はとても長閑な昼過ぎの空だけど。
我が校理事長、赤宗氏であった。やはりどの角度から見ても赤宗実輝シニア版である。息子、赤宗Jr.を軽く凌ぐ、全身からあふれる覇気をまとっている。BGMはシューベルト作曲「魔王」、さっきから私の頭の中を流れている。父さん、あれが見えないの、権力と名声を持った魔王が。我々教員を追い詰める切迫感がぴったりの一曲です。
「御足労いただきありがとうございます。さあ、こちらへ」
流石というべきか、校長らは緊張などおくびにも出さず、赤宗を伴い、奥の校長室へと粛々と移動していった。その姿が見えなくなっても、我々の緊張は解けないで…。
「あ、黒瀬先生」
唐突に声を掛けられたのに驚いて手を滑らし、机に機体を落としたとしても、当然のことだと思う。
あまりに大きな音が鳴ったので、職員室からはピリピリした視線が集中し、私の口からは「故障」という嫌な想像に、やたらと「あ」の音が出た。声をかけた藍原先生本人は目を見開いて、次いで気まずそうに頬をかく。
「すまん、壊れたか?」
「あああああいえ多分大丈夫です保険も掛けてあるし内容も確認した直後だからああああああああ」
「あー…黒瀬が悪いんだぞ。一緒にエビ天蕎麦食べに行ってくれないから」
「言うに事欠いてそれですかあああああ今絶対関係ないし私今エビ天食べられる胃じゃなああああああああ」
そうして、二人してはっと気が付いた。職員室中からの鋭い視線が集まっている。ベテランの岩崎先生からは呆れかえっているし、山場は皮肉気で、安城先生に至っては目線で切り裂かれそうである。
私は粛々と、先程赤宗シニアが入ってきた扉に移動し、藍原先生がそれに続く。二人で粛々と頭を下げたまま扉をシャット。深々とつくため息も一緒のタイミングになっていた。
なんだあの雰囲気、赤宗シニアに戦々恐々じゃないか。赤宗シニアが相手じゃ、まともに対応できるのは校長と副校長しかいないのだから、他の教員も出てくればいいのに。
改めてスマホをみると、画面に同窓会の会費入金の確認メールが、変わりなく表示されていた。
「なんだ、平気じゃないか」
「…なんですか、先生だってさっきまで静かだったくせに」
「いやだって、俺だって赤宗さんが来るとなると気が引き締まるって言うかなー」
長年、赤宗と幼馴染で付き合いのあるはずの藍原先生さえ、これである。
「赤宗シニア、魔王の父はやはり魔王…父さんは聞こえないの、魔王のささやきが…」
思わず声が漏れて、藍原先生は私のつぶやきにふきだした。
「…魔王…赤宗さん…追い詰めに来る感じか…」
「父さん、あれが見えないの? 暗がりにいる魔王の娘たちが」
「んん…!…落ち着くんだ坊や、あれは黒スーツの秘書たち…駄目だじわじわくる」
ツボにはまったのか声も出なくなった。ざまあみろ、腹筋割れろ。
「…赤宗理事は滅多にいらっしゃならないんですか?」
「ああ。学期開始直後の会議に顔出すくらいだな。赤宗さんが学園に手を入れたのは、買ってから最初の3年だけだ。校長と副校長を招いた後はほとんど部下と校長たちに任せている。人事も、教育方針やカリキュラムも口出したことはない」
ひとしきり笑った後の藍原先生の語尾は、まだ震えていた。
校長や副校長は私の母校の先生でいらっしゃったが、私よりもはるかに仲が良い。校長とは異常なほどで、週一の割合で二人で飲みに出かけている。
「まず、赤宗さん忙しいからな。経営や法律に関しては部下に穴はない。校長たちもあれで肝が据わっている。むしろ赤宗さんの方が配慮してる部分もあるだろうな、校長なんて、桜井の父親が乗り込んで来て、寄付金で入学させろと言った日は、酒の席で「ポリネシア行ってやる!」って叫んでたから」
「そして副校長が止めるんですねよくわかりました。校長はポリネシアの社会文化学者ですものね。高校時代の朝会、伝説のスペクタクル3分間「校長のお話」を思い出します」
「えっ」
「ところで施錠確認当番の私は華麗に失礼します、アディオス!」
「まて黒瀬! 3分間くらいなら内容言ってけ!」
呼び止めようとした藍原先生のポケットで、バイブの音がした。最近彼のスマホはひっきりなしに鳴っている気がする。藍原先生が顔を顰めている隙に、鍵束をひっつかんで、教室に鍵をかけるためそくささと職員室を後にした。
藍原先生は、赤宗と私の間に何かあると知って知らずか、体育準備室で絡んできた一件の前と変わらず、腹の底が読めない、のらりくらりとした様子で絡んでは、赤宗のことを聞き出そうとして来る。
幸い私に来る雑多な仕事が多いのと、彼には責任の大きな仕事や、どうやら学園外の関係で忙しいらしく、滅多に合わないし、仕事以外に会話する時間がない、というので、捕まえられずに済んでいる。そういえば、こんな風に話すのもちょっと久しぶりだ。
べ、別にこの前の体育館準備室でのことなんて根に持ってないんだから。副校長と仲がいいからって嫉妬もしてないんだからネ! だから藍原先生は思う存分、「校長先生のお話」の内容に悶々とすればいいと思う。
廊下にはまだ人数が残っているが、嫌がる生徒を追い出し施錠して回る。
いやあ、廊下の空気は実にのびのびしている――嘘、微妙に私には居心地が悪い。周りからの視線が、好意的な物ばかりではないのを感じる。SNSの件でもそうだが、自分がストレスのはけ口になっているのは気分が良くないものだ。
だがそれは職員室も同じだ。毒舌家は生徒ばかりではないそうなので、どの人が私に対して悪感情を持っているのか、気になってしまう。まあ、それを差し引いても、今の職員室に居座る気はしない。
赤宗真輝の父は、様々な二つ名がつけられている。
繁栄の寵児、経済界の守護者、マネー戦略の革新者。だが異名は、その偉業の多大さをすべて表わせてはいない。
若くして財閥総帥の座を受け継ぐ。高いポテンシャルと斬新な経営策によって、元々貿易と鉄鋼から栄華を極めた赤宗財閥を、ますます盤石のものとした。現在ではITやサブカル産業にも規模を拡大し、各産業界で成功を収めている。
そんな彼が学校経営に乗り出したのは、十年前のことである。瑠守良実学園を買収した時、世間は驚愕したそうだ。まあ、当然と言えばと当然だった。
聖生・瑠守良実学園――ネットで皮肉交じりにセント・ウルスラと呼ばれている――は、明治初頭、良家の青少年への高度かつ発展的教育を目指し、聖生地区の名士瑠守博文氏が私財を投じて設立した私学である。設備なども大変凝っていて、瀟洒な校舎のデザインは流行の和洋折衷スタイルを反映し、一部は現在重要文化財に指定されるほどである。明治から大正までは、日本トップクラスの私学であった。
だが買収された当時は、一族経営である故の怠惰、長年の放漫運営ばかりが目立った。褒められる点は国内屈指のセキュリティ、財力、「ステータス」。看板ばかり立派、中身はボロボロ。「金で学歴を買う」と、ある種の人気はあったが、当然、「良識」ある教育界での評価は最悪だった。
学校経営は、少子化の進む現代日本ではハイコスト・ローリターンである。利益が期待できる分野ではない。しかも買収したのは沈むのを待つばかりのポンコツ学園。「赤宗の頭領は、才能が一周して気が狂った」とすら言われた。
ところがどっこい。赤宗シニアは、買収早々経営陣を一新、経済的に裕福で教育熱心な中上流階級層に、セキュリティの高さゆえの安心安全と丁寧な教育を歌い文句に運営大改革、赤宗財閥の名も相俟って、経営は一気に黒字回復。瑠守一族は排斥され行方はようとして知れない。教育には門外漢で手も足も出ないかと思いきや、四年前日本国内でも著名な教育者である今の校長、副校長を引き抜いてきた。某教育系雑誌では「今後最も期待できる学校」第2位を獲得、瑠守良実学園は教育界では類を見ない大躍進を遂げたのである。
…という、生きる政財界の伝説、赤宗シニアに、客観的かつ冷静に台頭に話ができる人間は、職員室では校長と副校長しかいないわけなのだ。
…物のわかったふりをしているが、赤宗シニアに関してはぶっちゃけ世界が遠すぎて意味が分からない。とりあえず赤宗はチートの家系なのは分かった。
経済雑誌には、CMや優良大企業としておなじみの名前が名を連ねる。保険、製鉄、製紙…こんなデカイ経営形態が同じ日本にあるというのが信じられない。「東雲株式」…亡くなった奥方の親戚筋に当たる会社なのか。先日就職情報誌で、人気の企業トップ・テンに入っていた。その下は家電製品で有名、あれはロボット、あれは工業で、保険で名を知らぬものはないあの会社も傘下…。くらくらする。
で、だ。
乙女ゲーム「きみ虹」内では、学園は、聖ウルスラの名を冠するキリスト教系中高一貫の歴史ある「お金持ち」学校だ。経営は腐敗、賄賂と裏金が横行し、その中心に「黒瀬百合」がいる。エンドパターンによって悪役令嬢の没落の要因と行く末は異なるが、その没落のとっかかりが、この経営の不正行為を暴くことらしい。
つまり、A子嬢が「悪役令嬢」を追い詰めるためには、「私」が学園経営において不正をしていなくてはならない。
不可能じゃん?
不正とはすなわち、赤宗体制への喧嘩売りである。ゲーム内では、一応大企業の娘である、「悪役令嬢・黒瀬百合」ならともかく、吹けば飛ぶ一般人、存在がバグ、の「私」に、何ができるだろうか。
社会的に死ぬ。生命の危機も感じる。先だって赤宗が言っていた暗殺の件もだが、あれだろ、どうせ周防生徒会長みたいな赤宗シンパがシニアにもいるんだろ。しかもきっと強烈なやつが。それが通勤の路上や学園の廊下ですれ違いざま、刃物で私の腹やら心臓やらを「サクッ」と。
やばいコワイ、カリスマ赤宗コワイ。近寄らんとこ。無理だけど。
思った瞬間、暖かい何かに膝がぶつかった。
驚きすぎて両足が地面から飛びあがっていた。先程スマホを取り落としたような奇声だけはこらえた自分エライ。次いでお腹と心臓を触りまくった。血なし痛みなし裂け目なし。
「よし、生きてる!」
「今ので死にかけたの!?」
おや、可愛らしいソプラノ・ヴォイスとデ・ジャヴ。腹のあたりからツッコミが入った。両腕をガッツポーズで振り上げたまま下を向くと、ぎゅうぎゅう詰めになったピンクの小さな花柄カバンに、汚れたシナリオ・ノートを大事に抱える三本アコ嬢が、驚いて見上げていた。
いつの間にかジャンルが変わっていた件。ノンジャンル…間違っていない気がする、不思議…。
只今、ジャンルを「現実世界〔恋愛〕」にするか、「ヒューマンドラマ〔文芸〕」にするかで迷っております。どっちも微妙にズレてるような…。
2020.3.22 改訂