ノート提出に潜ませて 2
時間軸は前回の直後
三本愛恋が前世を思い出したのは一年前のことである。
赤宗真輝が異学年交流の為、中等部の生徒会長として幼稚園にやって来た時だった。
日の光に赤く透ける髪をさらし、微笑んでいる姿を見て、彼が乙女ゲームの攻略対象であることに気づいた。
「わたし、ゲームの企画者だったんです!」
但し、彼女の前世の仕事は少し特殊だった。企画の段階で、キャラや舞台設定他、脚本も大筋完成させておいて、これに各シナリオライターがセリフや細かいシナリオを付けていった、らしい。
「といっても、乙女ゲーム作成の「普通」がわからないんだよなあ。企画と脚本とキャラデザインと、監修もやっていたってこと?」
「原作者みたいな立ち位置だったんじゃないかと。熱意で全部こなしていったような、そんな感じです」
しかし、突如脳内に現れた成人済みの前世は、幼い精神を圧迫した。アコ嬢は倒れ、高熱で一週間は枕から頭が上がらなかったという。
ようやく全快すると、前世の思考はそのままアコ嬢の中に居座っていたが、記憶自体は、ふとした瞬間に零れ落ちる程度にしか出てこなかった。まだ小学校にも上がらない少女の脳に負荷がかかりすぎるのだろうか。
「だから、忘れたり整理するために、ノートを作りました」
それが奇縁を辿って「悪役令嬢」の手元までやってきた、とな。純恋お姉ちゃんは妹の機密情報にもうちょっと気を使うべきだ。
アコ嬢はそれから、必死に「5歳児の言動」というのをトレースしながら、周りに感づかれないよう大人しくやり過ごした。概ねうまくいっていたが、不安は常にあった。食卓で姉、純恋が話していた「黒瀬先生」という言葉だ。
「姉から聞く限り、「黒瀬」はごく普通の新任教師であるように聞こえました。
でも、作品内では「黒瀬百合」も、最初は優秀で生徒思いの教員像を装っていたので、油断はできません」
自分の存在に気づかれたら。
「黒瀬百合」なら悪用するに決まっている。レインボーズの名は学園全体で有名だったから、微かでも動向は分かる。姉が巻き込まれないように、何事も降りかからないように、息を潜めて。
小さい体で随分と頑張ったものだ。しかし、そうなると、もしかして彼女の精神は、私より年上なのか。
「実際のところ、どこまで覚えてるものなの? 前世というものは」
アコ嬢は、幼い手足を小さく折りたたみ、丸くなって考え込んだ。
「覚えてないんです」
名前も、親兄弟がいたかも、まったく覚えていない。
「習ったこと、何が好きだったとか、会社の同僚の顔。両親がいたのも、会社にいたのも確かだけれど、全部ぼんやりしていて」
少し眉をひそめて、不安そうにつぶやく。
その方が、今はいいのかもしれない。死ぬ間際の記憶があったとしたら、とてもじゃないが、六歳の脳や精神には処理しきれない。
黙って考え込んでいると、アコ嬢は頬をぷっと膨らませた。おしゃまな雰囲気がして可愛いというか、愛嬌がある。
「にしても、先生酷いですよね、こんなケナゲでカワイイ女の子を脅すんだから」
「酷いとは? 私自身は大袈裟なことは言ってないし、嘘もついていないよ。少女マンガみたいな話が好きな人もいる、ヒロインになりたい子もいる。はたから見れば世間話の領域だと思うけどなあ」
「わたし、もうおしまいだと思って絶望したんですよ」
これは失礼した。苦笑いしながらノートを返す。
「六歳の少女に悪役扱いされると傷つくものがあってだな」
「もしかして黒瀬先生には前世の記憶があるのかと思いました。性格はそのままで、でも破滅フラグを避けるためにこんな情けない姿をしているのかなって」
取り繕わなくていいとなると、アコ嬢はなかなかいい性格をしている。
「アコちゃんて呼んでいいかな。いや、もしかしたら年上かもしれないけど」
「全然! 構いませんよ。気にせず話せる人なんて初めてで、嬉しいんです。ああ、とっても気楽」
姉・純恋が心配していた通り、彼女には同い年の友人というのが少ない。彼女のことを理解できる子どもは、同年代にはいないだろう。
家族の前でも、あまり心配させないよう精いっぱい六歳を「演じる」のだが、その分気が抜けないらしい。
「いつか「悪役令嬢」にばれるんじゃないか、悪用されるんじゃないかって。他のキャラの動きも気にしなくてはいけなくて…でも、嬉しかった」
この世界に生まれて。アコちゃんは、目を細めた。
「細かいイベントはまだ思い出せないのもあるんですけど…ゲームの基本的なことはほとんど覚えてました」
頬を染め、声は熱くなり、ノートを世界で一番尊いものを抱きしめているようにして微笑む。
「本当に楽しかったんですよ。辛くて、切なくて、でも嬉しくて。私の感じてきた世界を、私の思いを、どうしても見て感じて欲しかった。キャラクターだってとっても大好き。」
思い入れがあるのだろう、聞いているこちらが照れるくらい柔らかく優しい口振りで、それがいかにも幸せそうだ。
「楽しかったんだ?」と聞くと、アコちゃんははにかんで「はい」と答えた。私もにっこり笑い返した。きっと前世の彼女は、良い仕事をしたのだ。
「どんな乙女ゲームなんだい」
「はいっ! 王道恋愛ストーリーです!」
アコちゃんは元気よく背筋を伸ばし、説明し始めた。
「乙女ゲームも人気が下火になった頃、ブームを再燃させ爆発的に流行したゲームです。
王道のストーリー、わかりやすいキャラクター設定、豊富なスチル。
脚本は大勢が手を入れただけあって、パラメータとイベント発生やルート分岐を駆使し、各シナリオが混ざり合いながら青春を作り上げていく複雑な構成で、プレイ時間は最長を記録。特にキャラデザインが良くって。新人だったんですけど、このゲームのスチルで有名になって、声優は厳選し大手の実力派アニメーションスタジオを使ってアニメ化したし、おかげでゲームの他に漫画や、二次創作も再び燃え上って…」
「待って待って待って」
言っている内容の半分しかわからない。私は天を仰ぎ、アコ嬢は慌てた。
「難しかったですか? なるべく、初心者にも簡単なようにしたんですけど」
「ごめん、ちょっとゲームが苦手で」
本当はちょっとどころではない。
「酷いなあ、黒瀬先生は。こんなに幼い子が説明しているのに、「苦手」の一言で片づけるのかい?」
「いやだって、分岐とか周回したり特定条件をクリアすると隠しキャラやルート開放?とか、手間がかかりすぎて。仕事の合間に切れ切れしかできないのに、選択肢をいちいちきちんと覚えておくとか不可能だし…何だと?」
向き直ると、アコちゃんの後ろに、微笑みの皇帝陛下がすらりと佇んでいた。
「いつのまに!?」
いや、そもそもどうやってアコちゃんと会っていることに気づいたんだ。教室に視線をめぐらすと、監視カメラが視界に入った。あれか、あれでこの教室にいるとわかったのか。いやいつ監視カメラを見た、いや見られるのか。
「高等部に、小学生のお客様なんて珍しいからね、それが黒瀬先生のもとに来たとなったら、それだけで学校の噂だよ…さて」
赤宗は、アコちゃんを真上から、にっこりと見下ろした。影が、少女の小さな体を覆い飲み込んでしまう。
「こんにちは。生みの親、と呼んだらいいのかな、」
「あ、あかむね、さねてる…」
「本当に、君は、前世の記憶を持っているのかい」
「ねえやめよう、赤宗これはやめよう」
覇気を垂れ流して幼女を圧倒するのはやめよう。さながら、絶対君主が村娘に、処刑宣告をしているシーンである。ほら、アコちゃんが固まってるじゃないか。
「ごめんねアコちゃん、ちょっと赤宗、A子嬢のことで気が立ってて…」
そして気づいた。アコ嬢の異常な様子に。
目は潤み目尻が赤くなって、頬がピカピカの桃色に光っていている。ほう、とつかれた吐息は何やら熱すぎる。
赤宗も様子のおかしさに直ぐに気が付いた。赤宗は、ますますにっこり、笑顔を出血大サービス。
「快く協力してくれるんだろうね」
「っは、はい!」
アコちゃんは、先程の乙女ゲームを語る時と同じくらい、いやそれ以上に、ふわふわと幸せそうに笑っている。今まで見た中で一番幸せそうで可愛らしい。
ああ、なんてことだ。完全に、恋する少女じゃないか。
彼女は赤宗真輝に、恋してる。
私は胸を押さえた。
若くみずみずしい初恋。年長者としては、是非とも、正直でまじめで家族思いな彼女の思いを成就させてあげたい。
だが、私には魔王と悪魔の甘言に誑かされる幼女の構図、目に特殊なフィルターを装備してしまったらしい。
今一番、応援できない恋が、ここにある。
教育実習生あるある。教育実習先の児童生徒たちの恋愛事情を聞いてビビる。らしい。
あんまりびっくりしてたので詳しく聞けませんでした。何があったんだろう。
2020.3.18 改訂