ノート提出に潜ませて 1
感想、訂正指摘いつもありがとうございます。藍原の人気に嫉妬。
そのせいか、ほんの少し登場が増えました。
三本純恋。「純」粋な「恋」と書いて「すみれ」。彼女も妹のことを言えない。
1年C組。文法が苦手、文脈を読むのは得意。字が丁寧で、ノートをペンでフルカラーにしていて、落書きがやたらと上手くて、よくよそ事を考えて授業中は意識がお留守。
職員室の椅子をきしませて、出席簿にある名前をなぞりながら、名前の主の姿を頭に描く。
頬の少しふっくらした感じの、気のいい女生徒だ。読み物が好きで、私が非常勤の時は漫画の話で盛り上がった。私への風当たりが強いときも、周りを気にせず、気安く呼び止めたり廊下で話したりする。
次に、表紙が汚れたノートを取り、表紙を撫でた。名前のない、オシャレなノートの中は、古典の「古」の字もない。
この世に存在しない乙女ゲームの、「攻略対象」であるレインボーズたちの情報が書かれている。1ページ目は白紙、次の見開きのページには、絵といくつかの心当たりのある言葉が、強い筆跡で書き留めてあった。
――あかむね サネテル。16さい。高1。ザイバツのおんぞうし。「きみ虹」のメイン・ヒーロー。
次のページも、その次のページにも、その次にも。めくっていくと、「黒瀬百合」のページもあった。「悪役令嬢」「悪徳教師」「ビッチ」エトセトラ。
A子嬢が言っていたのと、ほぼ同じことが書いてある。系統だっているとは言えないが、元となった乙女ゲームを知っているなら理解できる程度には、しっかり書かれている。
三本純恋はレインボーズたちの婚約者でもなく、かといって何か深い関係があるわけでも何でもない。ただ青景と同じクラス、それぐらいだ。その、さらに妹なんて。A子嬢の言う攻略対象と、現実のレインボーズのズレは、転生者の改変によるものではなかったのか。
なにより、A子嬢とほぼ無関係の者が、シナリオを持っていた。それはつまり、「前世」は存在し、この世界は「乙女ゲーム」だということになる。
ぼんやりめくっていくうちに、だんだん違和感が生まれてきた。書かれている内容はしっかりしているわりに、字が中高生にしては少し、幼い感じがする。
というか、ノートを繰っていくと、古いページに行くにつれて、どんどん平仮名やカタカナで書かれることが多くなっていくような気が。
思い返される昨日の電話越しの奇声。
これは……狂気?
声に出ない唸りを上げていると、隣に大柄な肩が落ちてきて我に返った。
「黒瀬、今日聞いてきたんだが、噂がすごいことになっているらしいぞ」
話しかける藍原先生には気づかれないよう手元のページを隠し、何でもない風に答える。
「なんです? 私が西太后よろしく、天下の悪女になっていても驚きませんよ」
「噂によると、黒瀬は夜の帝王の伝説がある俺と過去全財産貢いだホストを間違えて、金を返してくれと迫っていたが断られ、橙野にそれを目撃されたショックで女性に走り、立花に告白して黄葉との三角関係になり黄葉号泣、とな」
「私が西太后とか調子乗ってすみませんでした」
そして噂の中の「私」よ、立ち位置はそこでいいのか。
「いっそ噂を増長させるか。夕飯食いに行かないか、昨日言った、にしん蕎麦」
「増長させません。待ち人があるので」
「ふうん。色々聞きたいことがあったんだがなあ」
とんでもない。昨日の今日で、この男と二人になるはずがない。彼が聞きたいことを吐くまで、逃げられない様に抱えあげられるに決まっている。
「お伝えするべきようなことは、何もありませんよ」
「黒瀬にとっては、そうなのかもな。まだ」
視界の端で藍原先生を窺うと、彼は飄々と机の上のお仕事をさばきながら、私を見てにっこり笑った。
読めない。表情が、まったく読めない。藍原先生は、初対面からいつもそうだ、思わせぶりに細めた目から色気を流し、口からは祖母自慢が出てく。
「まあ、今はそういうことにしといてやろう。一年の長があるし、女の子には優しくしろってばあちゃんも言ってた」
「「重い」は女の子に禁句だとはお教えにならなかったのですね」
「根に持つなあ。そこは人生の先輩の言葉を、素直に受けとけよ、後輩」
おもむろに、大きな手を私の頭の上に置いた。
「ちゃんと、相談、しろ、よっと!」
「イタイですよっ!」
ぎゅうぎゅうと押し付けられ、椅子にますます沈み込む。払いのけると、藍原先生はまた楽しそうに喉の奥でくつくつと笑った。
「黒瀬先生、お待ちかねの人ですよ」
職員室の端っこから、安城先生から呼びかけられた。ノートを持ったまま出入口に行くと、すれ違いざまに、自席に戻る安城先生から、にこやかに「仲がよろしいのね。でも仕事はちゃんとしなきゃダメよ」と注意を受けた。美貌の女性教諭は、口元こそ弧を描いているが、目が笑っていない。怖い。
即、入り口に向き直り
「こんにちは、三本、アコちゃん? 待ってましたよ、私が、黒瀬百合です…」
と挨拶して、驚いた。
目線の先に、人がいない。
あれ、安城先生に騙された? 一瞬邪推してしまっていると、視界の下の方から、想定よりもはるかに高く、幼い声が聞こえた。
「え、あなたが、黒瀬…?」
呆気にとられて、動揺してか細く掠れている。視線を下ろすと、声の主が茫然と立っていた。
彼女は震えていて、しかし気を取り直し笑顔を浮かべた。かすかに緊張し、目の奥にうかぶ困惑と疑い、恐れ。正しく、これは私が予想した転生者の反応だ。
だがしかし。
「三本愛恋です、お会いできてうれしいです」
肩口までのさらさらした黒髪には、天使の輪がある。小さな手と頬は、小さく柔らかい輪郭をしている。
勘弁してくれ。私は膝から崩れ落ちた。
デカイ図体でちょろちょろ私の後ろに寄ってきた藍原先生は、私たちの様子を見て笑った。
「明日の噂は、黒瀬の隠し子説かな?」
目の前にいたのは、齢六つの幼女だった。
三本純恋は、妹アコ嬢のことを「周りから浮いている」と言っていたが、その理由はすぐにわかった。
あまりに、動かない。
友人であり小学校教諭である遥香嬢は、かつて言った。
「小学1年生は動物よ、悪魔よ、怪物よ。言葉と常識が通じるなんて思っちゃだめ。
空中を睨んでいたと思ったら壁に突進して、何もない所でこけて大泣きして、大人の言うことなんか屁にも思わず暴走するのよ。
私の仕事は、言葉が通じる状態にまで持っていくこと、コミュニケーションなんて考えちゃダメ、個性の伸長なんて二の次よ」
言いすぎだろ、とは思うが、一概に否定できないところが恐ろしい。私も一応教育実習で、小学校に行ったことはあるのだ。小学2年男子に追突されて腰が抜けるかと思った。
まず、席に一時間座っている、というのが奇跡だ。席について、先生の話を聞くようにする。ごく当たり前で、身につけておくべきことであるが、この「当たり前」ができない。もともとこの年齢は、動いている方が体が楽なのだ。加えて、上手く怒れない大人が増えて、家庭でも教育の仕方がわからないという。最近は、「学校で躾してくれ」という人間が多いそうである。
世のご両親たちよ、「優秀」な子どもを育てたいというなら、まず自分の席に座れる子になるよう叱ってあげてくれ。
さて一方、アコ嬢はというと。
「わたし、お姉ちゃんから黒瀬先生のお話、よく聞いてるんです、だから会えてうれしくって」
「やあ、恥ずかしいな。さぞかし、みっともない話が伝わっているんだろうね?」
「全然! お姉ちゃん、とっても楽しそうに学校に行ってるから、わたしも学校に行くのが、ずうっと楽しみだったんです!」
私はノートを持ったまま、職員室から、空き教室の鍵をかっぱらうと、ジュースと茶を購買で買ってアコ嬢を教室に押し込んだ。
アコ嬢は、小さな歩幅で、前をしっかりと見ながら私の後をちょこちょこ追う。教室に入ると、周りをゆっくりと見まわし、窓の方へ駆けていって、椅子に上り「いい眺めですね」と無邪気にはしゃぐ。椅子に座らせジュースを渡すと、すぐに満面の笑みを浮かべ礼を言った。
親もいないのにきちんと礼儀正しく、周りをきょろきょろせず、知らない場所へ探検しようともしない。そして余計な動作は、まったくない。
「驚いたでしょう、お姉ちゃんと自分のノートが入れ替わっているなんて」
「はい、見ても分からない呪文が書いてあって。「何これ!」って叫んじゃいました」
「昨日はどうもびっくりさせてしまったようで、ごめんね」
「……聞こえてたんですか、やだ、恥ずかしい!」
とにこにこ笑顔で、明るくはきはきと話しかけてくる。昨日の電話がなければ、ノートひとつで大騒ぎしていたとは思えない。だが一方で、私を見る目には警戒があり、ノートは気になって、ちらちらと私の手元を見ている。
まるで、「大人のイメージする子ども」の姿。
ありえない。
これは、周りから浮くだろう。
この子が、転生者。
落ち着き払った動作、私を見る困惑と恐怖、ノートの内容。それらが合わさって、私にそんな確信を持たせた。
同時に、尚更、彼女はそのことを認めないだろうと思う。三本純恋の言動とノートから察するに、かなり長い間、家族にも秘密にしていたのだ。今も、昨日の奇声を誤魔化そうとしている。
他人である私ごときにばらす気はないだろう。…いや、「悪役令嬢・黒瀬百合」には、というべきか?
「……物語を書いているの、それとも、マンガ?」
「…はい。マンガ家に憧れてて。おしゃれでかわいいお話が書きたいんです」
「いいね。私もね、好きなんだよマンガ。少女マンガはあまり数は読まないけれど。
…最近は、そういうのに憧れる子も多いんだろう。高等部にも好きそうな子がいるよ」
「そうなんですか?」
「「ヒロイン」になって活躍したいんだろうな。なかなか興味深い話も聞いたよ。例えば…私は、「悪役令嬢」だそうで」
少女の正面に座り込んで陣取ると、ノートをかざして見せた。
「このノートにも、同じように書いてあった。私は、「悪役令嬢」だと」
アコ嬢の言葉がぴたりと止まった。
「嫌われたものだよ」
「…あ」
「どこかでこの話を聞いたのかな?」
「あの」
「うん。…あなた、「以前」、何をしてたの?」
アコ嬢の目は今や、恐怖に濡れている。口調も幼い甘さが抜け、がらりと大人っぽく確信に満ちたものになる。
「…黒瀬、やっぱり気づいていたのね。何が目的なの。
いくら前世の記憶があるからって、わたしただの小学生よ、何もできない! 悪事に加担なんて出来ないから!」
悪党扱いされた。そりゃそうだ、乙女ゲームの中で私は「悪役令嬢」で「悪徳教員」なのだから。正直ちょっと、こんな小さな子に悪役扱いされて落ち込んだ。
私は足を組み、悪く見えるだろう笑みを浮かべてみせた。
「さあて。私の望むことなど、小さなことだよ」
「あんたがやろうとしていることは、誰も幸せにしないわ。愚かなことはやめて」
「そんなことを言われて、あなたの家族にどう言おうか」
少女はみるみる青ざめる。可愛らしい頬は、可哀想に真っ白で蠟のようだ。
「そう意地を張らず、ねえ、手を組もうじゃないか」
「なんですって?」
「あなたは知識を私に与え、自分の家族を守る。私はその知識を生かし、あなた方には手を出さない。悪い話じゃない」
「協力しなかったら、どうするの?」
私はにっこりと微笑んだまま、手元のノートをひらひらとさせ、答えなかった。
アコ嬢は絶望しきっていた。椅子に手をつき、愕然と私を見上げた。私の手元をじっと見つめ、唇をかみしめ数秒逡巡し。
「…わかったわ。乙女ゲームの知識、教えてあげる。その代わり、家族には…」
「やったー!」
思わずガッツポーズになった。転生者で協力の言質もとったぞ、教員なのに大人げない? 知ったことか!
「とりあえずシナリオ教えて! A子嬢が、あっ恐らくヒロインになりたい子のことそうやって呼んでいるんだけどさ、彼女が見事に赤宗の地雷を踏んでいて今人生の危機にあるのに周りの言うことなんて聞く耳もたないんだよ!」
思い切りまくしたてる私に、アコ嬢は口も目もぱくぱくと、呼吸困難だ。
「も、もくてき、は」
「A子嬢からレインボーズを遠ざけ、赤宗からA子嬢の未来と私の胃を守ることかな!」
私の望みなんぞ、ホントに小さなことだ。「心の平穏」。すごく小市民っぽくていい響き。
「あ、何、だって、「ヒロイン」とか、「以前」って」
「青春時代は皆、誰だってヒロインになりたいものではない? 自己中心的な考え方の人という意味なら今ちょっと世の中に増えているなって感じてしまうけど。「以前」はまあA子嬢と面識あるのかなっていう確認で、まあ人間生きている限り過去も「前」も当然あるよ!」
「手を出さないっていうのは」
「父サラリーマン、母専業主婦の一般家庭出身だよ、出せる手なんて右手と左手しかないよ!」
アコ嬢は椅子から崩れ落ちた。
「騙された…!」
人聞きが悪い。せいぜい「悪のりされた」と言いたまえ。
瑠守良実学園には幼稚園から大学院まであります。
中高等部校舎の隣に小学校、たまにヤギが来る。
2020.3.9 改訂
2020.3.18 改訂