伝統文化を伝えてわかったこと 急転開
前回の続き。
2020.3.8 副題改訂 ※「急転開」は誤字ではなくわざとしてあります。
A子嬢は足音も高く、私と葵嬢に詰め寄る。
「黄葉くんは何も悪くないわ、周りが悪いのよ。彼を理解して、守ってあげるのが、本当の教師じゃない!」
「え、あ、うん。ソウダネ!」
さっきの黄葉の涙が胸に刺さるので、素直に謝ってしまった。
「服やマニュキュアだって、望んでやってるんじゃないわ、モデルの仕事を理解しようとして、誠実なだけ、完璧主義者なのよ。それをつるし上げるだなんて、まるで処刑みたい!」
え、マニキュアの話?
「…黄葉、貴方モデルしてた?」
「一切してない」
だよなあ。ネットへの写真すら赤宗の検閲対象なのだ。ツメはコイツの趣味だし。
廊下はいつの間にか、間抜けた喜劇の舞台に成り下がっていた。
黄葉は私からじりじり距離を取り、葵嬢の影に隠れる。A子嬢は鼻を鳴らすと、さらに詰め寄り、次は私越しに葵嬢を睨みつけた。
これはもしかして、二度目のライバル対決。
「立花先輩、いい加減、彼の個性を認めてあげて!」
「貴女、もしかして入学式の? 名前は?」
「政略結婚なんて間違ってる、愛がなければ人は幸せになれないのよ!」
「……愛と希望のある人生は万人の目指すところです」
「なのに、家柄や体面ばかり気にして、黄葉くんと家族は何のかかわりもないわ!」
「…養育という点で、関わりはあるのでは。家を無視していい理由とはならない」
「黄葉くんは自由なのよ、あなたには関わりない!」
「自由は責任が伴うもの、部活や人に対して不誠実であっていいとは思いません、その為に知人が注意することは必要でしょう」
A子嬢は一方的に、恐らく乙女ゲームで設定されたセリフをまくし立てて、火花を散らせている。
対し、葵嬢は困惑しつつも、すべてに正論で返す。
表面だけは会話が成立しているが、言葉に込められた真意は、まるでかみ合っていない。私一人がもやもやするばかりで、「まあまあ」と執り成すのが実に空虚だ。なんて場に居合わせたんだろう、助けて誰か!
「どうした、黒瀬」
攻略対象候補は呼んでない!
藍原先生が、橙野を小脇に抱えて、顔を真っ赤にした久留間を連れてきた。さっさと職員室や部活に逃げて行ってくれたらよかったのに。
心中のつぶやきを余所に、人垣は自然と彼らのために道を開ける。A子嬢は顔を輝かせ、しかし次いで眉にしわを寄せた。
「なんでここにいるの? このイベントに他キャラなんて出なかったわ!」
誰にも聞こえない筈の小声が、しかし一番近くにいた私には聞こえてしまった。やっぱり、イベントだったのか。
藍原が橙野を下ろすと、生年は久留間の手を取り必死に抗弁した。
「泰心さん、百合先生に襲われたことは見てないから! 誰にも言わないから!」
「太陽、小さい頃から思ってたけど、お前やっぱりおっちょこちょいだな」
ざわり。
周りが明らかにうろたえた。黄葉と葵嬢が驚愕の目を向け、A子嬢が私を睨みつける。
「百合ちゃん、そんな、テルじゃなくて泰心が狙いだったの!?」
「そんなんじゃないから…」
「ルマちゃん、大丈夫だから! 一緒に怒られよ!」
「橙野くん!」
「怒ってないから……」
固く手を取り合ったカップルは、可愛いらしくてつい、小さな恋の旋律を歌ってしまいそう。
「あっ、あの、百合先生、やっぱりあーゆーことは、もう少しロマンチックなところで…!」
周辺に、私と藍原先生の誤解さえ生んでいなければ。
「ルマちゃん、幻を元に忠告するのやめようか! 私幼児よろしく抱えられてただけだから! チビデブ発言されてたから!」
「黒瀬、俺そんなこと言ってないぞ、小さいけどちゃんと重いって言ったんだ」
「言ってる! 許しませんよ、絶対にだ!」
ちょっと傷ついただろうが。
A子嬢は藍原先生達に速やかに距離を詰め、橙野と久留間の手を引きはがす。美しくも健気に、藍原先生を見上げる。
「藍原先生、黒瀬先生が何を言っても、夢は追いかけるべきです! わたし、頑張りますから!」
藍原先生は面食らったまま「まあ夢は大切だな」と、こちらも正論で返した。藍原先生の夢なんて、私知らないんだが。
A子嬢はにっこり笑うと橙野の肩を掴んで、私の方へ向き合うようにぐるりと振り回した。
「橙野くん、君は自信を持っていいのよ! 他のレインボーズたちなんかと、比べる必要なんてないの! わたし、貴方の音楽が大好きよ!」
「へ? 誰だっけ?」
「君は立派な男の子!言いたいことを言っていいの! あの先生に、言わなきゃいけないこと!」
A子嬢は熱く訴えるのに、橙野は不思議そうに彼女と私とを何度も見やった。彼女の発言に心当たりがないのだ。A子嬢は期待の目で橙野を私の方に押しやる。
私は肩を竦めて、「まあ何か聞いてみなさい」と促した。そうしなきゃA子嬢は離してくれないだろう。橙野は散々首をひねって、はっと顔を上げた。
「じゃあ、試験範囲教えてください!」
彼は言いたいことはさっさと聞いてしまう性質なので、今更言いたいことなど、試験のヤマくらいないのである。
A子嬢はぽかん、としている。最近よく見る表情。
「授業でやったところが試験範囲です」
「そんなあ! ヤマ教えてよ! 配点は、文法出るの、黒板に書いたのは出る!?今日の授業とかは?」
橙野は必死だ。あーでもないこーでもない、質問を繰り返し、出る問題を絞ろうとする。その態度は嫌いじゃない。
「さてね。きちんと授業で教えたことを答えればいいんだよ」
「大丈夫!覚えてる!「男はみんなスケベ」!」
周りの視線が一気に冷えた。また誤解だ。そんなことは教えていない。
「藍原先生、そうなんですか?」
「久留間、それ、俺が同意したら色々非難されるから」
見た目だけは夜の帝王の藍原先生である。イタイケな少女に「男はスケベだよ」なんて言ったら、存在に年齢制限が掛かってしまう。
葵嬢の視線が向いたのに狼狽えた黄葉は、青くなったり赤くなったり、一気に挙動不審になった。
「えっああっの、えと、おおおおおオレはそんなことないっていうか、その」
「ハヤトはよく女子と遊んでるじゃん、そーゆーの分かる?」
「太陽!!」
葵嬢はそっと黄葉から距離を取った。私に冷淡に「ではこれで」と告げると、颯爽と廊下を渡っていく。
「葵さん、ちょっと!誤解!誤解だから!」
馬鹿、百合ちゃんの馬鹿、私をなじると、黄葉も葵嬢の後を追っていく。
葵嬢の好意の内容が、今やっとわかった。あれだ、やっと信頼できる犬のトレーナーに会えて、やっと面倒を見てもらえると思っている、あれはそんな好意だ。去り際、彼女の目は友人が駄犬を見るそれによく似ていた。
多分、葵嬢に前世の記憶はないだろう。希望がまた一つ消え、やけに胸に刺さる目の記憶だけ残された。
誤解を招いた当の橙野はきょとんとしている。
「ハヤト、涙目だった。先生、恋ってやっぱり、悲しいんだね」
ここでそのセリフを再び使ってくるとは、橙野、貴方、実は意図してやってる?
「あっ! タイシンさん、さっき全力で走っちゃったじゃん。保健室行こう、保健室!」
「いや、これくらい大丈夫だから」
「ルマちゃん、一緒についてきて」
「わかった!」
藍原先生は肩越しに「また後でな」と残して、小さな二人にぎゅうぎゅう押しやられていった。
A子嬢はその姿を呆然と見送ると、凄まじく険しい目つきで私をねめつけた。
「あんた、ちゃんと授業しなさいよ!」
言い訳のしようもございません。
A子嬢が憤慨しながら去って行った後には、吐かれていた悪意も毒も消え、人垣には戸惑いと、五月の奇妙な蒸し暑さだけが残されていた。
ぽつりと一人残されてしまった私は、取り合えず声を張り上げた。
「解散!」
日が暮れてやっと戻ると、職員室は不思議と誰もいなかった。
ことの多い一日だった。校内で橙野がばらまいた、藍原先生との誤解の種が明日にはどんな噂に仕上がっているのか。私の陰口も拡がっているようだし、変な形になって赤宗に伝わったらどうしようか。
婚約者もとい転生者候補も、この調子だと期待薄。しかしまた候補を洗い直すにも検討つかず時間もない。
いや、そもそもあと半月で約束の期限だ。乙女ゲームのシナリオが手に入らなければ、赤宗はA子嬢を排除にかかる。A子嬢は、そんな危機にあるとは露知らず。
想像するだけで胃が痛い。
ふらふら自席に戻ると、机に山積みにしてある生徒の授業ノートに目眩がした。そうだ、まだ仕事が残っていた。
古典の授業が本格的に始まるのは、高等学校からだ。
中学校までは、世間では「伝統文化に親しむ」程度ということで、「暗唱」したり「俳句」を詠んだりする、だけで済ませてしまう所も多い。
「ノートなんてとったことがない」「ノートの書き方も分からない」と言う生徒が毎年多数あり、それを受けて、一学期の中間考査前に、集めてノート評価をするようにしている。毎年、面倒くさいなと思うのだが、これをしないと点数につながらないのだから、仕方ない。
隣の藍原先生の席はすっきりして、それが逆に自身に残された仕事の多さを強調してうんざりする。藍原先生は私より仕事が多いはずなのに、どうやってこの量を捌いているのか。
もう今日は、ノート点検しないで帰ろうかな。
座り込んで、何気なく一冊のノートを手に取ってみて気づいた。名前がない。
一般的なノートだ。表紙のデザインがクラシカルで、恐らく女子のもの。装丁はまだしっかりとしていて、丁寧に使っているようだが、ただ黒鉛の汚れや手垢が目立つので、使う頻度は高いらしい。
なら、中身の文字で、ある程度誰かわかるだろう。目星をつけて、後でノート提出していない者と比較すればいい。
クラス、番号、名前を書いて提出だと言っているのに。呆れてノートを開いて、そして目を剥いた。
一ページ目、拙く描かれた、髪と目を赤く塗られた青年、乱れた字。
あかむね、さねてる。書かれているのは、彼の基本情報と。
「攻略対象」「乙女ゲーム」という言葉。
急いで他のページを見る。
とうの、黄葉、わんこ、大柄な青年の姿、青く冷たい表情の、眼鏡姿。つんでれ。舞台は「聖ウルスラ学園」。
これ、A子嬢が言っている乙女ゲームの、設定資料集だ。
職員室付の電話がけたたましく鳴った。驚き、受話器をあちこちぶつけなりながらやっと応えると、『先生やっと出た!』と嬉しそうに電話先の少女が笑った。
『先生スマホの番号教えてくれないんだもん。先生、今日ノート提出あったでしょ、名前のないノートがあったと思うんだけど。濃いベージュ色の、名前のない。中身見た?』
「あ、ああ、うん」
『あー、やっぱそうか。見ちゃったってさー、残念だったねー』
電話は教え子のものだった。電話の向こう側に話しかけたのか、声が少し遠くくぐもった。セリフの最後にかぶるように、言葉に表せないような奇声が上がったのが聞こえた。
『ごめんて。あのね、そのノート、間違えて妹のやつ出しちゃったんです』
「妹さん、の」
『そー、カバンに混じって入れちゃったみたいで。妹が大切にしているやつで、いっつも書いたり眺めたりしてるの。今そのノートが手元になくってパニック』
「はあ、そりゃ御愁傷さま」
『それで、そういえば同じノート今日提出しちゃったなって。わかったって、ごめんなさい今ちょっと妹が騒いでて。それで』
ここでひそひそ声になった。背後のずっと奇声は続いている。これを「ちょっと」と表現するのか。
『先生、妹とちょっと仲良くしてくれません? わたしの妹、ちょっと大人びてるっていうか、周りと馴染めなくって。元気づけてくれないかな。妹、先生のファンみたいだし』
「私の? 藍原先生と間違えてない?」
『全然! 私の副担が先生だって聞いてから、ずーっと先生の話聞きたがてるんだよ。黒瀬先生はどういう人なの、仲がいいのって』
知らず、自身の喉が鳴っていた。
「その子の、名前は?」
電話先で、少女が笑っているのが分かった。
『三本アコ! 愛と恋って書いて、アコ! すごい名前でしょ? 明日妹に取りに行かせます。明日わたしのノート渡しておきますんで。三本スミレ、ちゃんと期限に提出ってことにしといてね、じゃっよろしく!』
切れた受話器を、私は呆然と眺めた。
ミステリーだったら最低の出来だ。伏線も推理も論理も吹っ飛んだ。
「期限」目前にして、赤宗陛下を出し抜いて、私はシナリオを手に入れたのだ。
次回、シナリオの内容とは。
やっっっっっっっっっっっっと、シナリオが出せます。
少しは進度早くなる、と信じます。
この辺りの展開は思うところがあるので、いつか書き直すかもしれませんが、今回のところはこれで。
訂正指摘、ありがとうございました。
他のところも指摘していただいておりますが、もう少々、少々お待ちください…。
2020.3.8 改訂