教員にもプライベートはある 2
時間軸は前話の直後。黄葉編2。
2人が黄葉を抱えたまま進む姿は、黄葉の美貌と相まってとても目立った。取り敢えず、手近なファミレスに飛び込む。大通りに面した所を避け、奥まった席に黄葉を押し込んだ。
ドリンクを4つ持ち、私が黄葉の正面、友人二人が通路を挟んだ席に座る。黄葉はずっとパニック状態だ。
「庶民の炭酸が飲めないってなら鼻つまんででも流し込む」
「さ、流石にファミレスのドリンクバーに文句付けたことないんだけど?」
私はまた深く嘆息した。
「一時間くらいはここにいなさい。そうすればあの子もいなくなるだろうから」
黄葉は綺麗な形の瞼をぱちくりさせた。
「怒って、ないの」
「何に?」
一体何に怒るというのだろう? 本気でよくわからない。
「あんた、俺のこと、嫌いじゃないの。この前…太陽のクラスで」
「ああ、うん。でも嫌いなのはあなただろ? そもそも、「嫌い」と「怒る」は違うものだ」
そういえば、そういうことも言ったっけ。私は取ってきた紅茶に口をつけながらつぶやいた。
黄葉はきまり悪げに、身をすくませた。
「いつから、気づいてた?」
「初めて会った時から」
黄葉が目を見張る。むしろ何故気づいていないと思ったのか。
食堂で親し気に話しかけてきたときも、値踏みし、口先だけの誉め言葉はどれも使い古されて、碌に考えていっていない。
窓際まで詰め寄り迫っても、綺麗な目で誘惑らしい言葉を吐いていても不自然で、全身全部で私を蔑んできていた。
冷たい視線。あれは、侮り、蔑み、見下す視線。教職1年目で見慣れた。
「小梅さんも遥香さんも、本当にありがとう。あのままだったらちょっと困ってたよ」
当の小梅嬢たちはどこ吹く風だ。
「この程度で怒ってたらもたないわ」
「百合が私たちといるのに話続けるからねぇ。連れてきたほうがって意味かなとおもったんだけど」
「ちょっとね、事情がね…本当にありがとう……」
小梅嬢たちの心の広さにはいつも頭が下がる。
「黄葉は、どうしてあの子と連れ歩くことになった?」
「連れ歩いてなんか! テルたちと遊ぶ約束して、その前にちょっと息抜きしたかったっていうか…」
「息抜き?」
黄葉ははっと気づき「別に、良いだろ」と視線をさまよわせた。先を促してやっと、とつとつと語り続けた。
「その辺店見ながら歩いてたら、出くわしちゃったんだ。あの子苦手で。オレこれでも顔良いでしょ? 女の子が寄ってくるんだけど、あの子はとりわけ距離感なくってさ、勘違いして困ってるの」
黄葉は、顔を顰めて、半分自慢交じりの愚痴を並べ立てていく。
「なんで、女ってああなの? 見た目できゃあきゃあ騒いで、つまんない相槌ばっかり。くだらなすぎるよ」
「あのね…本当にあなたは…周りがみんな女だって気づいてるかい…?」
小梅嬢たちの視線が俄然クールになる。黄葉は一瞬詰まるが、それでも構わず続ける。
「ちょっと耳障りのいい言葉言ったらコロッとよろけちゃって、小さなことで見栄の張り合い。つまんないよ」
傍らで聞いていた小梅嬢が鼻を鳴らした。私はちらりと横目で2人の様子を窺う。
「ねぇ遥香。今時の子って、視野が狭いわね」
「そうねぇ。客観的に考えるってことができないわね」
「どうしてそんなこと考えるようになったかっていうと、最近知った子がホントにおかしな子で」
突如始まった2人の会話、代わりに黙りこんだ私を、黄葉は交互に見やる。小梅嬢は鋭く一瞥し、遥香嬢が微笑む。
「あら、私も知ってるわ。付き合いのいい人のフリをして、人のことを馬鹿にしてばかりで、あからさまで全部バレているのに、上手く隠しているつもりの子」
「はっ!?」
「イキってるっていうのかしら」
「はっ!? 何、あんたら大人の、先生の癖にそんなこといって…!!」
自分のことだと気づいた黄葉が騒ぎだす。小梅嬢が含み笑いをした。
「一般的な話だよ。君のことじゃない。それとも、心辺りが?」
「黄葉、一応世間話だから……」
会話はなおも続く。
「どうやらその子、女の子はおだてて騒ぐだけが取り柄のおバカさんだと思っているらしい」
「まあ。悲しいことに、世の中にはそんな女性もいるわね。でもそんな風に考えているってことは、その子より、そういう「馬鹿な」女子の方が、演技は上手よねぇ」
「お。オレがあいつらに劣るっての!?」
黄葉は小さく震えて明らかに、動揺しているが、そんなこと構わず続く。世間話と見せかけた嫌味の嵐だ。
「確かに。おだてておけば気持ちよく過ごしてくれるわけだから」
「でもその子も、テキトーに相手してあげれば満足するんだ、その程度の人間なんだって思っているのよ。「おだてて楽しくさせてあげてる」って。バカでくだらない子ばっかりって言うけど、同じレベルだってことね」
「お互いさまだね。きっとお互い分かりやすい子たちなのね」
「相手がどう考えているかなんて、表面的にしかとらえたことがないのね。そういう子って、男女の別なくいるわよね」
「碌に考えもせず、適当な付き合いばっかりしてるからかしら。きっと「人気者」でしょう?」
「私だったらそんな人気、恥ずかしいわねぇ。そこもわかってないなんて」
「その子顔も良くって、自信もってんのね。教員を落とせるって思ってるんだ」
「まあ、もしかして口説き文句はありきたりで使い古されていなかった?」
「偶然だね、しかも金をちらつかせてきたんだよ」
「子どもにタカると思っているのよね、随分な侮辱よね」
「なのに嫌っている先生に助けてもらっているんだ」
「あら、恥ずかしくないのかしら? しかもあれで私たち教員が子どもに手を出すと本気で思っているなんて」
柔らかいふわふわ穏やかなお姉さんの雰囲気で、遥香嬢はにっこり。
「かわいいわねぇ、愚かな子って」
黄葉はもはや一言もない。茫然自失である。
私は黄葉の様子を見ながら。
――やばい。2人とも怒ってる。
内心、冷や汗をかいている。これだけ言われて、私だったら泣いている。余程勘弁ならんらしい。
というか、これは黄葉を怒っているというより、私を怒っている。これだけきついこと言って、黄葉があることないこと保護者に言って、訴訟起こされたら。というかその前に、この場に赤宗が来たら、色々終わる。
「黄葉、ここで言われたことは、学校や教育とは一切関係ない。文句が言いたくなったら、責任はすべて私にあるから」
「いいわよ、自分で言ったことには責任持つわ、訴えたきゃ訴えなさい」
「ねえ、百合。こういう子って教えがいがあるわよね。貴女も「指導」頑張っているのよね?」
「うん、はい。ごめんなさい」
怖い。
以降は二人ともメニューをもって話し始めた。聞かないふりをしてくれるらしい。
ため息をついて黄葉に向き直ると、スマホが小さく震えた。友人二人からの通知だ。
――ランチ2人前で手を打つ
奢り決定。泣ける。
「オレが…悪いのかよ…!?」
正面から、絞り出すように声が漏れてきた。顔を上げると、黄葉は伏せた顔を歪め、机の下でズボンを強く握りしめている。
「勝手にオレのイメージ作って、幻滅して、ファッションとしてしか見てなくてさあ!?
大したレベルじゃないくせに、努力もしていないくせに。
皆上っ面で、順位付けやキャラ付で必死で。腹の中じゃオレのこと馬鹿にして。嫉妬して、足引っ張ろうって気満々なのに、それがばれないと思って。
自分が上に行くためのブランドか何かにしか思っていない。ばかみたい。なんでみんなそうなのかな。そんな暇があったら、直接言えばいいじゃん、練習や勉強すればいいじゃん。大人だって!!」
勢いよく上げた顔は、日頃の美形ぶりなどどこかに打ちやってしまって、くしゃくしゃになった。食いしばった口から零れている声が、悲鳴に似ていた。
「大人だって同じだ! 何も変わらない、オレがちょっと声かけたら、すぐに参って、金も遠慮することなくて。おばさんのくせして本気だと思ってんのかよ。
オレやテル達の親のコネを欲しがって、他の大人も腹の探り合いで、オレにはばれてないと思ってやがる! 教員だって!」
ここ2年、私が通っていた時に辞めていった講師たちの姿が脳裏を駆ける。一、二、さん…まさか。
「…本当に、バカみたいだ」
黄葉はまたうなだれて、視線が虚空を見つめた。その実もっと遠い、もっと深い所を見ているようだったけれど。
そうだ。そういえばコイツ、まだ中学生なんだよな。
ふと、目の前の青年の顔を眺めながら気づいた。今更ながら、この目の前の子が、初めて年相応に見える。
頬の辺りやあごの線がまだ丸く、端正だが男らしいというより、女顔で幼い。瞳がヘーゼル色で、線の細さが、まだまだ柔らかくて優しい感受性を示しているような。
一学期が始まる前に交わした、赤宗との会話を思い出す。「女の子にフラれて女性不信」か。これは「人間不信」の方に入るのではないか。背丈ばかり立派になって、まだまだ人間を知らないのに、大人も子どももダメな所ばっかり見せた。
「……黄葉は、愛されてるんだなぁ」
ぽつんと言った一言は、思っていたより響いたようで、友人たちと黄葉は驚いてこちらを見た。き、気まずい。
「あーあー、なんて言おう? …人間ってさ、その気になったらどんなに小さい子でも、こすっからく立ち回ったり、相手を傷つけたりできるもんだよね。ハブにする、悪者にする、権力使って脅す、いじめる。どんな手を使ってでもさ。
あなたは、それ、出来なかったよね。自分の想像できる限りの悪いこと、してるつもりなんだよね?」
でも誰も、傷つけていない。逆に、嫌われていると思って気まずくなっているのだから。悪く言えば、「甘ちゃん」だ。典型的な悪役の態度しか取れない。精一杯悪ぶって、「お前が悪いんだ」と叫んでいる。未熟で青臭さのする潔癖さだ。
黄葉って、「人間てこんなもんでしょ」と知ったかぶりして、割り切って早々に大人になっちゃうもんだと思っていた。
「意外に人の感情に繊細だよなぁ。は周りの人間の、エゴイストな部分に傷ついてるんだよなぁ。それは、黄葉がどんなに周りに言ったって、どうにかなるものでもない」
責める気にもなれない。黄葉の周りにいる人間の気持ちが、少し分かる。何しろ、私は凡人である。才能があって美貌があって金持で、名声にコネのある、健康な青年。そりゃ凡人は心が揺らぐ。嫉妬もするし、ゴマもする。
「大目に見てよ。皆弱っちいのさ。嫉妬したり、足を引っ張ったり、自分の実力と向き合うのが怖いんだよ。
上っ面ばっかりなのは、裏切られるのが怖いから。
人をブランド品のように扱うのは、そうしないと周りを見返せないと思っているからさ」
やあ、言っていて、自分に刺さってくるぞ。でもまあ、仕方がない。太宰治も言っている、君も私も、「皆弱い人間なれば」。
「オレは、どうすればいいんだよ…?」
「うーん、コレばっかりは自分で考えないとなぁ。
自分が思っている以上に影響力があることを自覚して、人を見る目を養うことかなぁ。多少そいつらより大人になって、折れてやる、とか?」
うう、説教臭い。だんだん切り上げたくなってきた。生徒が思っている以上に、説教って堪える。年寄になった気がする。
「あとは、あー「上っ面」もそんなに悪くないよ? 本音ばっかりで付き合っていると、衝突ばっかりとか、傷ついちゃう奴も世の中にはいるからさ。「気遣い」が出来てるってことだよ、な? まー、ストレスたまったら、愚痴くらいいくらでも聞いてやるからさ」
ファミレスの安いグラスを手に、せいぜい気楽そうに「先生らしい」ことを言ってみた。
黄葉の顔は、うっすら赤らんで、なんだか赤ん坊のように一気に幼くなった。目を細めて鼻にしわを寄せて、涙がぽろんぽろん落ちていった。
「マジで、それで、センセーとか、ないでしょ」
泣きながら悪態かよ、と苦笑い。
しかし、私はすぐに、安請け合いをしたことを後悔することになる。
「あ、あとあなたの言っている教員は、「教員」ではないです。正確に言うと、「人間」失格です」
「人間失格だね」
「人間ではないわね?」
教員三方からの圧に、黄葉は「アッハイ」と行儀よく返事した。
この回を書くのにほとんど三カ月かかった。
次回、温度差で黒瀬も風邪をひきそうになるテンション差予告。
2020.1.5 改訂