部活は楽しんでほしいものです 2
時間軸としては前話の直後
突然だが、瑠守良実学園の弓道場は敷地内の端っこにある。中等部から歩いて五分。なかなか遠い。加えて、学園ではあまりメジャーな部活ではないので、弱小部といって差し支えなかった。
数年前までは。
橙野のクラスの余韻もそこそこに、大慌てで弓道場までの道を小走りに向かう途中、声を掛けられた。平均より高めのすらりとした眼鏡姿、青景だ。
「黒瀬先生、これが今日の練習メニューと、それから今後の活動予定表、これが練習試合の予定表です。弓道場の開閉と、他校への連絡、お願いできますか」
「お、これかあ」
何枚かのプリントを渡される。手書きの几帳面な字で、練習メニューがきっちり書いてあった。私はそもそも弓道などしたことがないので、今は何もかも新鮮だった。
よくあることだが、顧問の先生に、その部活をまったく経験していない者が当たることは多い。これはごく自然なことだ。先生の数は限られており、対して部活は多い。
そして私も今年、文系の文芸部、体育系の弓道部、一つずつ部活の顧問を受け持つことになった。これは随分ましな方で、部活の顧問を何個も掛け持ちしたり、あるいはコーチ役までしている方も世の中にはいる。練習内容や生徒の体調管理まで考慮しなくてはならない。教員の仕事削減が叫ばれコーチも外部委託に移行すべきと言われることは多くなったが、現実は厳しい。日本の学生たちよ、顧問を労わってくれ。
良実学園は外部から、経験者を別にコーチとして呼んでいる。お金持ち様様。おかげで仕事は、まあ顧問を持っていない時より増えるのだが、随分楽な方だ。顧問はコートを確保しておいたり予算編成を促したり、ざっくり言えば学校側が用意した保護者のようなもの。よく生徒にうざがられるが、こればっかりはどうしようもない。
「練習は、デモンストレーション用に、新入生も体験できるものを組み込んであります」
「なんか悪いな。前任からちゃんと引き継ぎ出来てたらよかったんだが。練習メニューとか、次から私が組んだ方がいいのか?」
私も初めてのことなので、どこまでがコーチで、どこまでが顧問である私の領分なのかわからない。二人して弓道場に向かいながら聞いてみると、「いいえ、問題ありません」と青景が冷静に返した。
「前年から俺が練習メニューも試合も組んでいましたし」
「これ青景が去年から組んでんの!? すごいな!」
弓道部には、数年前から青景が在籍している。レインボーズがそれぞれ、弱小だった体育系部活に入ったために、パワーバランスが豪快に崩れた。レインボーズ目当ての新入部員が増える、実績はのびる、また部員が増える……おかげさまで弓道部は、しばらくは安泰である。
しかし青景が、どうやらあまりに優秀で、コーチや教員の方が仕事を彼に丸投げしていたらしい。そういえば彼は、赤宗に次ぐ学年2位の成績だった。赤宗は人類の限界値にいるチートだが、青景も今すぐ、日本最高学府に入れる程度の頭は持っている。加えて、スポーツはおよそ万能、特に弓道は、日本で三本の指に入る。それで美形。なんだお前もチートか。
思わずメニューを二度見すると、青景は眼鏡をくいと押し上げた。
「べ、別に、主将が忙しそうだったからとかでなく、自分で組んだ方が効率的ですから!」
え、ツンデレ? 私に発揮しなくても? 目尻が赤くなり色気が増した。青景邦優、照れるだけでも罪深い。
今年は風紀委員をやり――パワーバランス的に風紀委員会は大喜びだろう――ホームルームでは議長をやり、よくよく聞くと、提出物集めの手伝いや宿題の面倒も見ているらしい。
こんなに若いのに、仕事ができるからって押し付けられて。だんだん罪悪感が出てきた。私、甘やかされている。
「なんかごめん。初っ端から忙しいな。新学級だけど、調子どうよ」
「変わったことはありませんが…よく話しかけてくるのはいます。縹田、とか」
「ああ、あなた方仲良いよね」
青景の眉間にしわが寄った。
「俺は縹田となんて仲良くしていません。あいつはペットです。まったく躾し直さなくては!」
「各方面に誤解を与える発言」
「あいつ、靴の踵、ぺしゃんこになるまで踏んでいたんですよ!」
思わず自分の足元を見た。うん、踏んでない。
「踵痛くなんないのかね」
「何度言っても直らないし、クラスの全員やり出すし。スリッパよろしくぺったぺった、気が散ることといったら!」
それ、上履きなら私もよくやったな。ちなみにこの学園、校内用の靴はあるが、基本的には土足である。
「おまけにハンカチは持ってなくてトイレから出たら手を制服でふくし、ズボンはずり下がっていて短足に見えるしシャツははみ出てるし、校章をよく忘れるし」
「カーチャン、ごめんね」
思わず耳を塞いだ。耳が痛い。まだまだ青景の不満は続き、私の心にザクザク刺さる。
勘弁してくれと音を上げようとしたとき、青景が静かになっているのに気付いた。私の顔をじっと見つめてくる。
「先生こそ、赤宗とよくお話されている」
かろうじて、顔表面だけは平静を保てた。
「今日も一緒にいたようですね。何かありませんか。何か問題があるなら、俺の方から赤宗に」
「いやいや」
まずいまずいまずい。
赤宗の行動をセーブするつもりで、逆に私が「レインボーズにばらさない」約束を破りそうになっている。
このまま勝手に青景にばれたりしたら? A子嬢は明日には破滅。私は? 考えたくない。
「大したことないから。ちょおっと疲れてて、赤宗が気にして話しかけてくれるだけだって」
「それは、まあ。仕方ないだろうと思いますが」
「仕方ない? なんで?」
青景は私を頭の先から何からしげしげと見つめ、ため息をついて「分からないままの方がいいでしょう」と肩をすくめた。そう切られると気になるじゃないか。
「何だよ。何か気になることがあったら言えよ」
「では先生も困ったことがあったら必ず言ってくだ」
「はい青景さん弓道部にいくぞー」
「黒瀬先生!」
よりにもよって、青景に感づかれるとは。青景は頭の回転は早い方だ、ばれたら、A子嬢は即破滅コースだ。
しかも青景はレインボーズの中で一番の難物だ。思春期の子どもに対する母の如く丁寧に根気強く話しかけてくるに違いない。絆されない自信がない。
「おっ、邦優くん! 百合ちゃん先生もいる!」
おお、天の助けが廊下を走ってくる。もう「ちゃん先生」に突っ込んだりしないぞ。
「縹田、廊下を走るな! 危ないだろうが!」
「え、邦優くん優しいかな? 名前通りかな?」
「良く来た、ペット!」
「え、何どういうこと? 話が見えない。邦優くん怒ってる? ごめんね、ちょっと他の部活に助太刀頼まれてぇ」
縹田はにかっと悪びれない明るい笑みを浮かべた。ちらりと見せる白い八重歯が憎めない。
中3になってから青景に興味を持ち、弓道部にも入るようになって、今やクラスでは自他共に認める悪友である。
青景と身長は同じか少し高いくらい。体のパーツが全体的に長いような、ひょろりとした印象を与えている。職員室は親しみを込めて「ヒョロ田」と呼ばれている。悪口ではない、愛である。
青景は神経質そうな美形だが、縹田も愛嬌のあるいい顔をして、身近で親しみやすいイケメンだ。
ばさばさの明るい髪は見事な天然パーマで、本日は寝癖が尋常じゃなかったのか、いつもより一回り大きく頭が膨れている。それを派手なバンダナできゅうきゅうにおしつけて、これがチャラく見えない。内緒だが、私は、初めて会った時から彼が羊に見えている。笑うとより似る。
「何の話してたの?」
「ちょっと…赤宗の話を」
「いやいや、今は縹田への文句だったでしょ」
「だよね、百合ちゃん先生、赤宗と仲良すぎでしょ。なんでそんなに仲良いの?」
縹田もそっちにくいつくんじゃない。
「準備室の鍵の貸し借りしてるくらいだよ。縹田は青景と仲良いね、靴のかかと怒られるくらいには」
「あー。うちの男子たち邦優くんに甘えちゃってさー。この前なんかとれかけたボタン付けてもらっちゃって」
「ふらふら取れそうだと気になるからですよ」
「青景、ソーイングセット持ってたの?」
「うんにゃ、流石に女子に借りてた」
私は気づかれないように、見えないところで小さくこぶしを作った。中3の時は、青景は生来の厳しさと細かさでクラスで浮いていたのに、馴染んでいる様子。成長したね!
縹田はけらけら笑った。
「お蔭でこいつ、風紀委員にさせられて!」
「どうせ風紀委員になったなら、クラス全員の踵、卒業まで絶対踏みつぶせさせません!」
青景のツンデレが明後日の方向にねじれている。
私たち三人は連れだって弓道場に向かった。
「俺のメニューどうなってんの?」
「基礎練習が中心だ。お前はカンもいいのに、細かいところが雑だから最後の詰めが甘いんだからな」
「弓道って目がいいとやっぱり有利なのか? 青景、眼鏡で近眼なのに、的に当たるの?」
「百合ちゃん先生、これ遠視だよ。邦優くん視力はサバンナ育ちだから!」
「マジか。青景は老眼早いんだね」
青景にひややかに睨まれた。なんで?
縹田は笑いながら「許してあげましょ。前の顧問なんて、弓道場に来ようとすらしなかったんだから」とフォローにならない台詞を言った。
「練習メニューは青景に任せてくれていいよ? 部活メンバーで個別メニュー作るの、青景楽しそうだし?」
「べ、別に、楽しくなんてないんだからな!」
「邦優くん、ツンデレなの?」
「コーチは作らないのか? 前年の教員はどうした? 辞めたわけじゃないんだろう?」
「前任顧問は山場先生。コーチというか師範は女性なんだけど…いろいろね」
縹田は半笑いだった。山場先生……いや、もういい。それより師範とは、どんな人なんだろう。
そういえば、藍原先生は「弓道部は特に大変だからな」と同情してくれた。
彼自身は、現在のホストな見た目に反して健康健全なスポーツ少年だったらしく、バスケ経験から、顧問がやりたくて教員になったそうな。よくあるパターンだが、私とは逆に文系の部活の顧問が辛いらしい。「じゃあ代わりましょう」というと、藍原先生はにこにこ笑って「日付の都合もあるし」とごにょごにょぼやかしてどこかへ逃げていった。
「あー、そりゃ仕方ないな。師範は泰ちゃん先生の苦手なタイプっぽいし」
藍原先生の反応に、縹田は苦笑いした。どうでもいいけど「ちゃん先生」は流行りなの?
「上手く付き合えるのは邦優くんくらいじゃない?」
「俺も得意な方ではない……」
「練習メニュー組めなくても全然問題ないっすよ。なんだかんだ百合先生、仕事早いし俺たちはそれだけでもすげー楽。それに、もっと大事な仕事があるよ」
弓道場の出入口が見えてきた。が、数人の部員が、出入口に固まって騒がしい。縹田は不思議そうに声をかける。
「一色、どうした? 鍵は空けたんだろ?」
「あ、縹田くん」
「はなだたくぅん!」
一色と呼ばれた女生徒の肩越しには、甘ったれたトロベリーブラウンの髪。
「…えっ」
A子嬢。
先程橙野の教室前で、彼女の悲鳴を聞かなかったことにしたのに。いつの間に私より先に来て、部員たちと揉めているのか。
「青景くんと縹田くんって、弓道部なんだよね。私、弓道って見たことなくって。見学してもいいかなあ」
「あら、桜井サン」
「見学?入部希望なのか?」
縹田はA子嬢をみて少し笑った。青景は首をかしげている。他の部員たちも困惑顔で、数人は忌々しそうですらある。丁度、弓道場を開けた時にやってきたらしいが、その時のA子嬢の態度がよほど悪かったのだろうか、私と弓道場をちらちら見ながら目配せしてくる。あーはいはい頑張りますよ!
「いや、今日は、ちょっと練習や打ち合わせで忙しいっていうか」
「えー、先生、見学の邪魔なんてできるんですかあ? 私、弓道に興味あるんですけど」
A子嬢は、おかしいなあと、あくまで無邪気に首をかしげる。そうか、そうきたか。確かに、見学程度、青景がいるために引きも切らない。特に今は新入生歓迎中、私が阻むことはできない。
「邪魔ってわけでなくて…あ、おい!」
「へー、弓道場ってこんな感じになってるんだ。凄いね、青景くん」
部員よりも誰よりも先に、A子嬢が速やかに靴を脱いでのしのしと弓道場に入っていく。やっぱり空気が凛としていて気持ちがいいわね、この空気、青景君に似てるわっ、と小芝居が始まり、弓道場の真ん中でくるくる回っている。部員が息を飲むのが聞こえた。
だからA子嬢はどうしてそう爆弾を置いていくのか。私は慌てて靴を脱ぎ、道場に足を踏み入れた。
「だから、これから部活だから見学するとしても隅の方で静かに…」
「お待ちなさい!」
鋭い叱責が顔を打った。A子嬢も私もびっくりして、声のした方を向く。瞬間、藍原先生が逃げた理由が、一色達が道場に入らなかった本当の理由が分かった。
三角の眼、ぴっちり着込まれた着物、顔の形が変わるまできつく結い上げられた灰色の髪。古式ゆかしき和風小姑系老婦人が、弓道場に座っていた。
「あなた方は何です、いきなり入ってきてその態度、道場を何だと心得ているのですか!」
「な、なにこのババ」
「うわー止めろ! ええと私は今年度から弓道部顧問になりました黒瀬…」
「あなた!」
夫人のただでさえ吊り上がった眦がきりきり上がっていく。
「あなたですね、顧問になったというのに挨拶にすら来ない新任は!」
「すみませんいついらっしゃるか存じ上げず」
「お黙り!大体なんです、そのよろけたスーツ姿は、みっともない!二人とも、そこに正座なさい!」
「あちゃー、残念。きてたか」
縹田は相変わらず一色や青景達と出入口から、首だけのぞかせると、ひらひら手を振って囁いた。
「百合ちゃん先生、お仕事です」
そこから二時間近く、生徒たちが弓をひくのを背景に、私とA子嬢は正座体勢のまま、コーチ女史の説教を延々聞き続けたのだった。
つまり私の顧問としての初仕事は、まあ、そういうことだったのである。
伏線は今回でばらまいたので、後は組み立てて行くだけ
おかしいな恋愛ジャンルなのに、恋愛に挑戦しているのはA子嬢だけだぞ
結構な人数恋愛しているはずなのに
ペースもよろしくない
次回からは恋愛要素小出しにしたいです
2020.1.4 改訂