放課後は煽っていくスタイルで
2020.1.3 改訂
生徒の居ない校舎というのは、どんなに豪奢な作りでも、独特の静かさとノスタルジイがある。
良実学園のセキュリティ・レベルが高いことは有名で、まだ日が出ている間なら、滅多なこともない。放課後の教室施錠のため廊下を歩きまわりながらも、鍵をもてあそびつつ窓外を眺める余裕があった。常勤になって休みも減った。後に仕事も残っている。気を緩められる少ない時間だった。
疲れた頭で考える。赤宗は今すぐにでもA子嬢の学園生活を破滅させることができる。なのにまだ静観する、と言ってくれたが、どうしてこんなことを、口約束とはいえしてくれたのか、さっぱりわからない。まるで奇跡だ。
それになぜ交換条件に、「白井」の名前を出したのか? 白井も赤宗のことを気にかけている――「逃げてくれ」とはどういうことだ?――何かしらの関係があるのか。
いずれにしても、赤宗がA子嬢を排除したがっているのは明白。
欲を言えば、赤宗よりも先に、A子嬢のいう「乙女ゲーム」のシナリオを知りたい。A子嬢の次の動きが赤宗より先に把握できれば、レインボーズが「攻略」されるのを防ぎつつ、彼女を守ることができる。だがA子嬢も、結構、いや多々抜けているところがあるとはいえ、これ以上「悪役令嬢」である私に、接触できるようなことは流石にしないだろう。多分。
考え込もうとして、廊下にいきなり音が響いた。扉を軽く叩きつけるような。前方で、制服姿が教室から飛び出し、顔を伏せたまま走り出す。スカート、見覚えのある上背。
「早苗?」
女生徒であの高さは彼女以外にないはずだ。
早苗蕾、結構背があり、180cm近くあった、と思う。猫背で自信がなさげで、顔を伏せがち。古典しか受け持ったことはないが、成績は良い方で、スタイルはかなり良い、美人系の顔立ち。何がそんなに自信がないのか、私としては不明なのだが。
私の声が聞こえなかったのか、止める間もなく早苗はそのまま姿を消した。ちらりと光るものが垣間見えた。
何があったのだろう。彼女が出てきた教室をのぞき込むと、小緑が何やらやたらと不機嫌そうに立っている。赤くなる空と相まって、電柱みたいである。
「小緑。早苗が出てきたけど、どうかしたか?」
「別に」
ハイ、ダウト。何にも心当たりがなければ、彼の場合「さあ」「知らねえ」と返すはず。
「別にじゃないだろう」
「関係ないだろ、「百合ちゃん先生」には」
機嫌の悪いときは、揶揄するような口調でとことん煽ってくるのが小緑だ。実に嫌みったらしい言い方に、だがこの程度でカッとなっては教員の名折れである。
「それで私が済ますと思っていないよな。早苗、目に光るものがあったような気がするんだけども」
小緑は一瞬表情をこわばらせたが、すぐぶすくれた。自身の席に荒々しく座り込む。
黒ぶちの眼鏡に、椅子に立膝で座り込み、私と視線を合わせようともせずスマホをいじっている。
「小緑、理由は?」
「生徒の友人関係に口出すなっての」
「小緑の友人関係には口を出していない、早苗のことしか。…え、早苗って友人だったの?」
「揚げ足とるなよ、うぜぇな……」
小緑は口を引き結んでスマホをいじり、あれこれ抵抗していたが、ついに折れた。
「うざかったから、ちょっと言ったら、爆発しちゃってでてったんだよ……」
「何て言ったの?」
「『努力してれば誰かが見てくれると思ってんの』『誰も見てない』『結果も出せないのに夢見過ぎ』『非効率』『くだらない』とか。…細かいのは忘れた」
「ちょっと?」
今のどこが「ちょっと」なのか。
これが、校内の一部の人間には「ゆるふわ美形」に見えるらしいが、私にはどうも、ただのでかい熊にしか見えない。そして今は猛毒の口を持つ。
私は小緑を見据えたが、小緑はふてくされた表情を隠そうともしない。
「小緑」
「あの人、誰も見てないのに頑張るなんて、点数稼ぎにもならないのにムダの極地じゃん。何だよ、正しいだろ」
「違う…小緑」
「うるさい。間違ってない」
小緑は完全に拗ねている。それこそ耳は塞いでいないが、どんな話もシャットアウト状態だった。
珍しいことだ。他人に対してここまで振り回されるなんて。私は憮然とした小緑の顔を見つめながら。
見えない位置でガッツポーズをした。よくやった! 早苗!
小緑は関心事以外はとことん無視、無関心、無気力である。およそ「現代っ子」のイメージそのまま。
彼はでかい。純粋に身長の話。ほとんど2mあるし、多分まだ伸びる。肩幅もあって、小学校から大人と同じような体格だったらしい。顔も、実はたれ目の三白眼で、顎の輪郭がはっきりした、男らしい顔立ちをしている――ゆるふわに見えないのはこの為だ――。
頭脳の面では、IT関連では赤宗でさえかなわない時があり、口数は多くないが頭の回転はいい。
そして友人たちはレインボーズ、実に華やか。約束された勝ち組だ。大人含め誰もが圧倒され、他人と衝突を経験しなかった。才能に恵まれ苦労らしいことをしたことがない。
だから思考や言動が、時たまひどく身勝手で無神経だ。家族は存外まともだが、叱ってもまともに受け取らないし、レインボーズは誰も叱らない。レインボーズの互いの距離感が、むしろお互いの世界を狭めてしまう。最近は赤宗がよく招集をかけていて、それが増している。それが彼の傍若無人を助長する。要するに、視野が狭くて幼い。
精神的にも、成長してほしいし、させたい。彼の狭い世界が広がればいい。高1の教員学年団は、そう思っている。こういう時は同い年と衝突するのが一番だが、教員でさえ聞かないこともあるのに、先輩後輩、同級などもってのほか。何を言われてもケンカ売られても逆に煽ってくる。
対して早苗は、これと言って自己主張のあるタイプではない。教室カーストも下よりの位置にいる。
なのに今、小緑は今動揺している。ヒエラルキーで言えば、彼より圧倒的に下にいる、引っ込み思案の早苗が、小緑を、振り回している!
ただ、衝突した内容がわからないのは痛い。早見にはフォローのしようがなく、小緑は何にイラついているのかわかるまい。好機を逸し深く嘆息した。
「…詳しいことは分からないから、これ以上は聞かないけど。早苗は滅多に怒ったり取り乱したりしない。小緑、あなたは女性を泣かして喜ぶ奴じゃないよな? 謝っときなよ」
「……なんで俺が謝るんだよ。悪くないのに」
「泣いてる女性には負けとくもんだよ」
わかった、とは彼は言わなかった。代わりに「どうしてここにきたの?」と尋ねられた。
「うん? 見回りのため?」
「違う、この学園に2年前に来た理由」
「え? 今聞く?」
「なんで来たの?」
「なんでって……百石先生が困ってらしたから?」
瑠守良実は、日本を担う人物たちの子ども達が通う故に、セキュリティには細心の注意を払う。さらに学園に通う子どもは、親の影響が強く変にプライドが高い。親も何かといえば文句を言いに飛び出してくる。
面倒くさい。
実際、私のように感じる教員は多かったらしい。教員が居続かず、非常勤講師一人選ぶにも時間がかかるありさまだった。学園の講師や教職員は、山場先生のような、学園の卒業生がほとんどだ。それがまた面倒くさい。現在、経営者が変わって方針も代わり、令息令嬢教育よりも、より国際的で学問に力を入れた教育に切り替えているのだが、これに異議を申し立てる古参の教職員も多いのだ。セキュリティ事情に加え、教員の成り手も少ない上に、教員自身の人品の選抜にも手間と時間がかかり、そして古参の言葉があり……。
私が非常勤になったのは、人が足らずに人事で校長たちが悩んでいる時だった。中高の校長と副校長が教鞭をとっている大学で、大学院に進む予定の私にお声がかかった。人間としては残念な私だが、学歴だけは立派だったのでごり押しした。
「給料もいいし非常勤ぐらいなら、と始め、現在に至る」
「ふーん」
尋ねてきたわりに、気のない感じだ。
逆に、こちらからたずねてみることにする。
「新学期のクラスの様子は? どうだ?」
「わかんない。ああ、でも変な奴来た。手作りだって。お気に入りでしょっていって、スコーンおいてった」
「スコーン好きだったか?」
「別に。お菓子なんてただのカロリー摂取だし。オレも知らない奴から手作りなんて気持ち悪くて食べる訳ない」
「どうした?それ」
「さあ。捨てたんじゃない? どーでもいいよ。テルがくれたもの以外に食べる気しない」
酷いセリフを、小緑は淡々と、当然のようにつぶやく。
小緑は何事にも無関心なので、食事も基本面倒がる。効率が1番で、好きなものしか食べないときもある。いつでも糖分を摂取できるよう、彼の鞄には某有名店のチョコレートやら何やらはいっているのは有名だ。なんなら今も、立っているこちらにまで甘い匂いが押し寄せるほど。ちなみに教科書は入っていない。
ただし食べるのは、身内からもらったもの。それ以外には一切手を出さない。先日、角砂糖をそのままかじっているのを目撃した。なおハチミツは水のように飲める。彼は食事を頭でとるタイプだと、その時確信した。
心中頭を抱えていると、小緑は机に突っ伏したまま頭を傾げた。
「…変な匂いだな」
「ああ、先日ジンジャークッキー作ったから、匂い移ってしまって」
教員は体力勝負だ。ストレスも大きいし、よく動くので腹が減る。職員室の机に菓子を入れている先生も多い。私もよく間食するようになったので、缶に詰めて持って来たのだ。作った時スーツを脱いで椅子に引っかけたままだったから、台所からの臭いが匂いが染み付いたらしい。藍原先生にはさんざん言われた。
「児童書読んでたら食べたくなって。今の時期スーパーじゃなかなか売ってなかったし。家中シナモン臭くなったよ」
「どんなの?」
「シナモンとジンジャーがバリバリきいてるやつ。職員室に来たらあげよう」
つっても、小緑は手作り食わないのか。肩をすくめると、遠くか、らえらいがなり声が響いてきた。
「小緑―! どこだー! 楽しい楽しい部活だぞー!」
「おー、こっちにいるぞー」
思わず返事すると、小緑が「うわっ馬鹿!」と叫んだ。今日は君の新しい面ばかり見るなぁ、と思いつつ、意味が分からずに「はあ?」と聞き返したが、その声は、物凄い勢いで近づく騒々しい足音で描きけされる。
声の主は、ドアから首を縫うと突き出すと、顔じゅうで笑った。
「おお! いたな、小緑!」
げ、京藤。
高2の男子生徒だ。小緑は縦にあるし肩幅もあるが、こいつはその小緑よりも一回りでかく、固い筋肉がみっちりついている。
「さあ、楽しい部活の時間だぞ! 熱くなろう!」
「うわやめろ、汗臭い男臭い! 熱いとか楽しいとか、ダサいしサムいんだ!」
「またまたそんなこと言って! 「つんでれ」とかいうんだろう、それ!」
がははは。
豪快な笑い声と共に、巌のような京藤の腕が、小緑の首をがっちり抱え込んだ。 暑っ苦しい。現代っ子の典型のような小緑に、これはきつい。
小緑は振りほどこうとしてせめぎ合いになっているが、京藤はそれも楽しんで「おお、そうこなくては!」とむしろヒートアップしていく。小緑、あなた以外にパワーあるんだね。
小緑がぱくぱくと口を動かした。
た、す、け、ろ。
私はにっこり笑った。
「京藤、小緑! 部活がんばれよ!」
「応! 今年は地区優勝はいけるぞ!」
「くっそおおお!」
小緑は物凄い目つきで見てきたが、無視である。ハチミツ大好き、現代クマは、哀れ、上機嫌の岩男にドナドナされていった。私は慎ましく手を振って送った。
鼻歌交じりに鍵の束をいじりながら、私は小緑とは反対に上機嫌でニヤニヤしていた。
そっかあ、早苗がなあ。小緑、これを上手く消化できれば、精神的な大成長のチャンスだ。いいぞ早苗、もっとやれ! 早苗自身の成長も嬉しい。職員室に行ったら触れ回ろう。
それにしても、なぜ小緑は早見に話しかけたのだろう。早苗の何が小緑の琴線に触れたのか。それとも逆? あんなに引っ込み思案で、カーストトップに話しかけるようなことなさそうなのに。わからないが、よい経験になるのに違いない。
日が傾いてきて、廊下の大理石に反射し目を刺した。そういえば、A子嬢に宣戦布告された日もこんな風に西日が強かった。
拍子に、思考が化学反応を起こした。
早苗には「乙女ゲーム」の記憶があって、だから小緑に話しかけた、とか?
いやいや、まさか。考え過ぎ、奇跡の飛躍。けつまずいた消しゴムが小緑のオデコに当たったとか、そんな感じだって。
でも「違う」って、言い切れるのか?
「乙女ゲーム」と言うからには、他にも利用者がいて、前世の記憶を持っていないともかぎらない。
早苗に「乙女ゲーム」の記憶があるとしたら、A子嬢の言動はただの妄想ではなくなる。現実に、前世の記憶があって、この世界が「乙女ゲーム」だということになるぞ? そんなことありえない。
そうだ、この世界が「乙女ゲーム」の世界だとしたのは、赤宗とのいわばゲームの前提みたいなものであって。
でも、あの赤宗が言ったんだぞ?
それに早苗に記憶があったら、シナリオを獲得できるかもしれない。赤宗より先に。
早苗は引っ込み思案で、積極的にレインボーズに関わろうとはしていない。丁度いいのでは?
ああ! 疲れて頭が上手く回らない!
考えすぎてクラクラする頭を振る。
そんな上手い話あるか?
本当にたまたま、早苗と小緑は些細なことで喧嘩しただけだとしたら?
なら、他の、「乙女ゲーム」の知識を持つ転生者を探せば。ライバルキャラや攻略対象が、モブといわれる名のないキャラクターも複数設定されている。「乙女ゲームへ転生」した者が一人いるのなら、他にも転生者がいるかもしれない。
そんなものはいなかったら?
その時は、「乙女ゲームへの転生」はA子嬢だけの妄想でした、となるだけ。今と何も変わらない。
探してみる価値はある。というより、他に出来ることがない。
A子嬢をフォローしつつ、レインボーズを守り、さらに、赤宗に白井の様子を伝えて、そして勿論教員の仕事をしながら、転生者を探すのだ。
…詰んでる。
気持ちが「スンッ…」と落ち込んだ。
うん、とりあえず記憶を持っている人を探すしか出来ることがない、とわかった。
ちょっと絶望して職員室に戻ると、藍原が「おかえり」と手を上げて迎えてくれた。何か、クッキーらしきものを口に含んでばきばき噛み砕いている。…見覚えがある。
「藍原先生。それ」
「ん? 美味いぞ」
そこは聞いていない。なんで、それを、食ってんだ。
「さっき京藤と一緒に小緑が来てな。「これはいらない」ってくれた。俺これ、良く焦げてる方が好きだな」
「うちのオーブン馬鹿になってて、焦げるまでやらないと上手く熱が回らなくて…そうじゃない!」
それは、私の焼いたジンジャークッキーじゃないか。急いで私の机に駆け戻る。置いてあった、ジンジャークッキーの缶が、ない!
「小緑が来たんですか!」
「「黒瀬先生にクッキーやるって言われた」って言ってたんで、「机の上にあるやつか」って答えたけど?」
体がふるふると勝手に震える。
そうだけど? やるとはいった、いったけどさ?
思いの丈を吠え立てた。
「やるとはいったが、缶三つ全部持ってく馬鹿があるか!」
突然の大声に、職員室がびくっとした。藍原は、クッキーをばきばき噛み砕いて、ちょっと硬いなーとぼやいていた。
翌日、小緑が憮然として言ってきた。
「ねえ、昨日百合ちゃん先生が焼いたジンジャークッキー、スパイスの分量おかしいしクローブ入ってないし、火がうまく入ってなくて粉っぽかったんだけど」
「ただのカロリー摂取なんだろ文句言うな! 勝手に持ってくからだ私のクッキー返せばあああーか!!」
色々な点が納得できなくて、滅茶苦茶大声で叫びまくった。
それが廊下でのことだったので、その後しばらく、学年で噂になった。
小緑の見た目のイメージは、秀麗なクマ。ガチクマ。中身には実在のモデルがいます。大人になりましたけどね。
京藤さんのイメージは坂田金時。クマと言ったら金太郎ですよね!
ストックが消えそうです。更新いや増して遅くなります。申し訳ない。
2020.1.3 改訂
2020.2.29 訂正。誤字指摘ありがとうございます。閏年だ。