職員室という舞台裏 2
黄葉とのやり取りの後、白井をトイレから引き出し平謝りした。白井は口角をあげるだけの笑顔を浮かべ、
「理由があると信じますから。きっと生徒をトイレに押し込めて放置する価値があることがあったんだろうと、信じますから」
「ほんとすまんかった…」
目が笑ってなかった。ほんと、反省してる…。
白井は少し、逡巡した後、「床に、真輝…赤宗がうつりこんでいました。赤宗に、何か?」と真剣な眼差しを私に向けた。勘がいい。
「大したことじゃないよ。まあ、赤宗は自分でもどうにかしそうだけどな」
彼は口を開こうとしようとしたが、結局何も言わなかった。
その後彼は淡々と職員室に課題を置き、帰り際に私は白井に文庫本を渡した。
「課題、運んでくれてありがとう。これは返すのは授業あった後でいいから」
手を引こうとして、かなわなかった。白井の細く骨ばった手が、本ごと私の手を握りしめている。
「黒瀬先生、赤宗から、逃げてください」
明るい茶の目が、痛ましいほど真っ直ぐに見つめてきた。
「せめてこれ以上、近づかないように。先生と、僕らのために」
それだけ言い、ゆっくり手を外すと、小さな声で白井は礼を言って去って行った。
その姿を見送った後、疲れがどっときて、職員室の椅子に倒れ込む。
一体なんだというのだろう。A子嬢の言動は勿論訳がわからない、赤宗の一連の行動も、それに白井までも。
白井は赤宗を、下の名前で呼び捨てた。白井と赤宗はそれほど近しい間柄なのだろうか。……日常生活で、無駄に謎めく必要ある? 謎解きゲームって私、大体負けてしまうし苦手なんだよ。
頬杖をつこうとして、机に放置していたスマホにメールが来ていたのに気づいた。
件名は赤宗。国語科準備室で待っている、という内容だった。
――何故教えてもいない私のアドレスを赤宗が使っているのか。
完全ホラー案件。
急いで準備室に行くと、赤宗は光さす窓を背に、髪の毛先を赤く染め優雅に座っていた。
「不思議な子だな、「彼女」は」
赤宗はごく小さ独りごちた。
「俺たちのわからないルールで動いているようだ」
「何がしたいんだ、赤宗」
「何がしたいとは? 俺は、不馴れな外部からの同級生に、親切から声をかけようとしているだけじゃないか」
「彼女の学校見学の言動、知らない振りをしたのは?」
彼はうっすらと笑った。
「……何の話だろう」
「おかしいと思うんだ、A子嬢の言動はどう考えても一般的な中学生ではなかったように感じたのに」
瑠守良実学園は、上流階級の子息令嬢を対象とする、意識の高いところだ。昨年度A子嬢が学校見学で、私を「悪役令嬢」と呼んだこと――それはいいのだが、彼女が言ったレインボーズだのなんだの、発言内容は憂慮すべきことだ。
学校見学の、ことがしっかり届いていたならば、受験の時父親がやって来た件も併せれば、A子嬢の入学に際してもっと事前に調べていたのではないか。それをしなかったのは、そもそもA子嬢の発言の裏付けがうまくいかなかったからでは?
「彼女の言動をふせることで、何か利益があるのか? それとも、誰に損害を与えられるんだ?」
「……確かに、昨年見学に来た女子生徒について聞かれたこともあった。だが『よく聞こえなかった』し、『さほど問題があったようには思えない』から、そう答えた。調査は俺に関係なく、公平に、法に許される範囲で、きちんと行われただろう。
……では、逆に聞こうか。俺が「彼女」に声をかけることに、何か問題が?」
赤宗の怜悧な美貌にある笑みは完璧で、それだけに芸術的で、うすっぺらに張り付いていた。
「「彼女」のためであるし、それこそ公共の利益というものではないか。
ここまで周りの助言聞かず、黄葉たちの迷惑顧みず行動している「彼女」が、先生方の優しい対応に素直に従うものか。」
ぐうの音もない。
そもそも、「乙女ゲームへの転生」なんて言い出す方がどうかしている。私が「A子嬢は「乙女ゲームへ転生した」と思い込んで行動しているんだ」と主張したとしても、物証あるわけでなし、本人が否定すれば、どうしようもない。教職員や保護者が信じてくれるだろうか。
それを逆手にとって、むしろ「黒瀬先生は私に悪意があって荒唐無稽なことを言い出したんだ」と言いふらすかもしれない。
「「彼女」が黒瀬先生の対応を悪くとって、あることないこと言いふらすかもしれない。黒瀬先生は気にせずとも、学年は荒れるだろう。
それにこのまま行動が改善されなければ、問題を起こすのは必至。
学園から放逐されれば、「彼女」の将来に大きな痛手となり、手の届かないところにいけばストーカーなどになって、黒瀬先生やかわいい太陽や颯翔に、手を出すとも限らない。
さてそもそも、そんな娘を野放しにしている家に問題はないか。そんな家はない方がいい。いっそ、彼女に関わるものすべてなくそうか」
本人ばかりか、その家も、関わった会社も潰すと言う。たかが15、6の青年が。
それでも、彼の才能と立場をもってすれば、可能だと思う。事実、彼は親の力も使わず、ひとりの青年を変えてしまっていることを私は知っている。
……なんでこのカリスマ、0かさらにマイナスかの二択しかないのか?
「手を出さないでいたら不利益を被るだけで、利点はない。さあ、どうしようか」
赤宗の深い笑みは、瞳が洞穴のように黒々として底が見えない。
この笑みにたじろぐな。
A子嬢のためといいながら、その実、A子嬢のことなどひとかけらも考えていない。その酷薄さに、肺から冷えていくような気持ちがする。それでも私はゆっくり深呼吸した。
赤宗は正しい。彼に任した方がいいかもしれない。だが違う。それをしたら、もしかしたらA子嬢は、そして確実に私は、ダメになる。私は「教員」ではなくなる気がする。
「……まだ。まだ彼女に、何かする必要はない。彼女自身や彼女の実家に、何かあったと判断したら、教職員に報告してこれを防ぐ。……レインボーズを、彼女のことで煩わしたくない?」
身内には何も知らせないまま、すべてを終わらせたいのではないか、そうアタリを付けた。
「杉本校長と百石副校長に報告するということ? 先生方は基本的に金でも権力でも揺らがないから、確かに面倒だね」
赤宗は笑ったまま。
「では、俺が声をかけないかわり…交換条件とでも言おうか。俺が「彼女」に声をかけるタイミングを、黒瀬先生、あなたに教えてほしい。先程の黄葉のような面倒のないよう、レインボーズに「彼女」を近づけないために俺に協力すること。あとは……白井陽希の様子を、教えてほしい。これぐらいかな」
「…白井?」
前2つの条件は、要約すると「手を出させたくないなら、赤宗とA子嬢を見張っていることだな」だが、ここで何故彼が出るのか?
「仲が良かったのか?」
「彼も、生徒の一人だし、攻略対象の一人だったろう。保護してやりたいのでは? 僕らが動くと目立って仕方ないからね」
それ以上条件を足す気配もない。これはあまりに私に有利な条件だ。
困惑が露骨に出ていたのか、それを見て赤宗の笑みの種類が愉快そうなものに変わる。
「俺も、俺以外の人間が何かしそうだったりしたら、止めることにしよう。誓って俺と黒瀬先生、2人であたるんだ。「彼女」が俺たちにこだわっている間は、ずっと。黒瀬先生、あなたは、俺たちのことをずっと考えることになるだろうね」
これほど上機嫌の赤宗は初めて見る。
「でも黒瀬先生のことだからきっと、「彼女」のことも心配する、それは不愉快だな」
すうと目に鈍い光が走った。笑みが、声に出さない言葉を伝えてくる。
邪魔だな、あれは。
「……何もしないんだろう……!」
「勿論」
赤宗の笑みは、いまやとろけるように甘く、美しい。
「一緒に、ヒロインから僕のレインボーズを守ろうじゃないか」
飽きたら、有無を言わせず、彼女を破滅させるつもりのくせに。
「黒瀬先生、何か?」
百石先生の問いかけに、赤宗と白井とのやり取りがよぎる。
言えばいいのでは? ふと思う。
でも何を? A子嬢の奇妙さ、A子嬢が学年で浮いているのは皆知っている、「乙女ゲームに転生したと思い込んでいる」と感じているのは私だけ、「悪役令嬢」と呼ばれた事実も報告したのに大したこととは思われていない、めぼしいことはまだ何もない。
一方で、何もかもうっちゃって、思うこと全部言えばいいとも思う。
赤宗のことも白井のことも考えず、百石先生に任せてしまえば、もうそれでいいのでは?
「いいえ、何もありません」
「……わかった。保護者会では桜井さんのことも話しておこう。それに、他にも報告することがあるな」
わかってる。A子嬢のことは先生方には報告するべきだ。彼女の今後には、それが一番いい。教師として、そうすることが正しい。でも。
すみません、百石先生。今はまだ言えません。
じんわりと罪悪感が胃の辺りに広がる。
百石先生、先生のストレスがこれ以上増えないようにしますから。ごめんなさい。本当にごめんなさい。
心中謝罪しながら、しかし赤宗よろしく、私は微笑んでいた。
これは、答えを先延ばししただけ。
どうやら私は、悪役令嬢と呼んだヒロインから、自分の身を守りつつ、攻略対象を保護しつつ、カリスマからヒロインをも庇いつつ、どうするかを考えなくてはならないらしい。
これなんていうのかな。
そうだ、ムリゲー、だ。
困ったことに、人間切羽詰まると笑えてくるようだった。
私は一体、どうすればよいのだろう。
まだ、答えは出ない。
これで作中、4月の章終了。
ちゃんとヤンデレしかかってますかね。
2019.12.24 改訂
2019.12.27 改訂
2019.12.29 改訂