第零幕脇での会話
前作への評価等、ありがとうございました。
おかげさまをもちまして、連載を始めることといたしました。どうぞよろしくお願いいたします。
第1話は、連載用に細かい描写と名前を変えていますが、あらすじは前回短編と同様です。新編は第2話から。ご了承ください。
「あんたが黒瀬百合ね!」
西日が差し込み、オレンジに輝く廊下で。
見知らぬ女の子が、仁王立ちで指さしてきた。
ピンクがかった明るい髪、同じくピンクがかった色素の薄い瞳。桃色を基調としたブラウスとスカートが可愛らしく似合っている。声も見目に相応しく可憐で、美少女、といっていい。
そんな美少女に指さされた私はといえば、国語科準備室の扉に手を伸ばした間抜けな格好で固まっていた。
「………はあ、そうですけど」
「セント・ウルスラ学園の古典の教師、紫垣くんの担任!」
「うん? それは」
「あたしにはわかってるわ!」
無視された。
「やっぱり黒髪ストレートに黒づくめスタイルで辛気臭い! 設定よりは・・・身長低いし顔幼いけど、どうでもいいわ! 「きみ虹」の悪役令嬢で、良い先生ヅラで猫かぶってだましてるけど、本性は長年学園に寄生して経営を腐らせている元凶! 裏口入学は当たり前、刃向う生徒はひどいいじめ、ことごとく嵌めて破滅させる! 大した実力もないくせに実家の権力振り回して、男をもて遊んでは捨てて、年増のくせに美少年を片っ端から食って! レインボーズも狙ってんでしょ、このビッチ! 他の女もだけど、あんたは特に邪魔よ!」
あの髪はチェリー・ブラウンとかいうんだっけ。多分手入れもしっかりしてるんだろう、キューティクルが素晴らしい。
面食らって、私の頭がよそにそれてしまっている間も、美少女の言葉は止まらない。
「ヒナタちゃんのワンコもカワイイし、どの子も連れて歩くのはいいけどやっぱりダントツはキバくんでしょ、女性不信なんて選択間違えなければ楽勝だし? シオくんルートは会う回数こなすだけで落とせるのはちょろいし、不良で荒んだりゅうちゃんのイベントは捨てがたいわ! アイハラのあのエロいスチルは外せないし、あんたの毒牙から解放してあげる! 冷徹青ちゃんのあたしだけのツンデレは鉄板、コンプレックスなんてすぐ忘れさせられるし! 隠しキャラだけど白井くんの癒しは必須! でもなんだかんだ、赤宗くんみたいな俺様ドSがあたしだけにデレるのって素敵よね! 逆ハーを目指してちやほやしてもらうの! あたしはこんなに可愛くて美人で、お金持ちで、愛されるために生まれてきたの、当然なの! 皇帝に相応しいのはあたし! 赤宗くんもみんなの孤独と悩み癒して、レインボーズもみんな落としてやるわ! あたしが救ってあげる! これは運命なのよ! あんたはシナリオ通り、容赦なく破滅させてやる! せいぜい悪役らしく惨めに待っていなさい、クソアマ!」
長々としたセリフを言い切ると、少女は満足そうに鼻をつんとさせ、胸をそらして廊下を歩いて行った。去って行く姿は、スッと背筋が通っていて美しかった。教員らしく見せるために、猫背を矯正しながら歩かねばならない身としては大変羨ましい。
廊下にぽつんととりのこされた私は、準備室に向き直り、扉を開け声をかけた。
「…ということです、赤宗さん。ご感想は」
「実に興味深い」
名指しされた赤宗本人が、怜悧な美貌に鷹揚な笑みをたたえて立っていらっしゃった。
いつ見ても思うが、この微笑み、胃腸に悪い。
「欲しい本は見つかったか?」
「ああ、ありがとうございます」
「赤宗の名前を言ってたけど、知り合い?」
「いや。先生のお知り合いでは?」
「全然。多分、学校見学者だと思うけど」
聖生瑠守良実学園は――これが正式な表記だ――日本有数の良家の子息ご令嬢が多数通う、いわゆる『お金持ちの私立学校』だ。幼稚園・小・中・高・大学・大学院を擁する学校法人で、「最高の環境で、未来の日本のトップにふさわしい教育を」を標榜している。
かつては高額の学費ゆえ、むしろ学園に通えるこがそれなりの財力と地位であることの証左だった。
近年経営者が代わり、収入に関わらず門戸は広がったが、この考えは受け継がれている。
日本の経済や行政を担う政治家や企業の子どもが大勢通い、学園の卒業は、将来の縁故と栄達が約束される。
入学に血眼になるものも多く、近年途中入学や編入も認められるようになったため、見学と称した下見や偵察が絶えない。先程の美少女も、その中の一人だろう。
しかしあの美少女――仮にA子嬢としよう――彼女は一体何がしたかったのか。
確かに、私は「黒瀬百合」で、この学園で古典を教えている。髪は黒のストレート、いつも黒を基調にした服装で幽霊一歩手前のファッション・スタイル。
そこはまったく否定しない、が。
赤宗が、笑みを少しからかうようなものに変えて言った。
「黒瀬先生、悪徳教師だったのですね?」
「そのようで。ところで、教員2年目の非常勤講師に出来る悪事とは?」
「何だろう。先生は小心者でいらっしゃるし」
失礼な奴。だがその通り。
「うーん、あ、授業で間違って「平家物語に出てくる平清盛の父親は後白河天皇」って、ウソ知識教えちゃったことかな!?」
「それはやめましょうか」
「正直ごめんなさい」
これ以上なく深く頭を下げておいた。
「正確には「白河天皇」。まあもともと、「当時こういう噂が流れていた」という程度の与太話だから。反省しているならいいだのでは」
「気づいているなら指摘してもいいのでは…?」
「ふふ、八つ当たりかな」
「あーあ。1学期古典はもう授業終わっちゃったし。訂正すべきだよなあ」
「学期最後の、一分にも満たない話、忘れていますよ」
「それはそれでショック。いいよ、来期隙を見て訂正しよう。はあー、…大体、なんで似たような名前付けるんだろう。白河とか嵯峨とか朱雀とか鳥羽とか。サボらないでよ…」
あーあ、子どもに申し訳ない。
「…確かにこれは、「いい」教員ではないな……」
私は思わずため息をつくと、だが赤宗は優しくフォローを入れた。
「授業は悪くない。内容も整頓されて目標もわかりやすく丁寧で、黒板も見やすく、解説は雑学も交えて興味を引く。実力はある」
「赤宗…」
教え子は美しく微笑んだまま続けた。
「難点は、レベルが高すぎる、身に着けさせたい実力が何なのかの明示、うっかりミスが多い、字が下手、たまに口調が雑、授業の仕方が保守的で地味、でしょうか。でも古典が専門でなく現代文であることを考えると許容範囲かな」
「視点と評価が、教育実習の指導教官履歴レベルの的確さで厳しさで刺さる」
ただでさえない教員としての威厳がゼロ値になった。辛い。
まあ、いつもこんな感じだけどな。いい加減で、小心者で、うっかりで。
週三日、中学三年生の古典を二クラス三時間ずつ担当の、しがない学生非常勤、24歳。いわゆる「一般市民」、ごくフツーのサラリーマン家庭出身の小娘。こんなお坊ちゃんお嬢様学校に通う金もその気もなかった。経営に口出しできるはずもない。
非常勤だから担任も持っていない。クラス担任は、少なくとも毎日勤務する常勤でないと務まらない。だがこの学園、お金持ちや政治家の子が通うので誘拐などの可能性が異常に高く、教員もセキュリティには細心の注意を払わなければならない。児童生徒は上昇志向が強かったりプライドの高い家庭の子が多いので、子ども達もそのように、プライドが不必要に高く傲慢で野心家で…要約すると、面倒くさい。就職先としての魅力がまるでない。
髪が黒いのは染める必要がないからだし、服が黒いのは上下のズボン・スカートセットで五千円のスーツ一本きりしか、勤務できる服がないから。これからしばらくは買うつもりもない。どうぞ、私のスペックに「面倒くさがり」を付け加えてほしい。
赤宗を見上げると、彼はどこ吹く風で微笑んでいる。黒曜石のように煌めく黒の瞳。つやつやした黒髪に、西日が髪の毛に当たって、ほのかに赤みを帯びた。どうやら私をからかってご機嫌を直したようだ。ふーん、まあよろしかったですよ。
赤宗は、一応、私の教え子、ということになる。一応というのは、どうも私の方で違和感があるからだ。
赤宗真輝。日本どころか、世界屈指の大財閥グループ赤宗の御曹司。中学三年生で大学を卒業できる頭脳を持ちながら、日本スポーツ界の寵児でもある。
学園内ではカリスマ性を遺憾なく発揮し、生徒のみならず教職員含め、名実ともに学園の頂点に、絶対王者として君臨している。学園の者は彼を「皇帝」と呼ぶ。
尊大な態度が身にまとっているように似合い、端々に見える傲然とした物言いも鼻につかない。容姿も美しいパーツが完璧なバランスを形作り、常に他を圧倒する微笑を浮かべている。非のうちどころがない。
教え子にリアル・チートがいる。
ネタがあんまり盛りだくさんだったので、初めて彼の肩書を聞いた時は爆笑して大ヒンシュクをかった。その後赤宗に会った時もまた爆笑しそうになった。多分変な声も出てた。ケータイのバイブよろしく細かく震える私を見ていた、あの赤宗の冷たい目が忘れられない。
ちらり、と、赤宗の抱える本の背表紙を見ると、源氏物語を専門に研究する学術雑誌だった。国文学者でも、源氏物語専門でなければ開くこともないような、ニッチな雑誌。
…赤宗、あなたはどこまで行くおつもりなの?
先程のウソ知識に関するやりとりといい、授業への客観的評価といい、手に持っている雑誌といい。立っているステージが全然違う。教える立場なのに、たった15歳を追いかけるのに必死で。赤宗本人は「先生」と呼び敬意を表してくれが、それも慈悲に近い……なさけなくなってきた。いいの、自分にできることを頑張る、そうしよう。
さて、この通りの、あんまり情けない実態なので。
A子嬢の言いようは、ほとんど心当たりがないことのオンパレードで、言いがかりにもならない。
だが、「でたらめだ」と無視するわけにもいかない。
「……学園に通ってもいないのにレインボーズって名前知ってたねぇ…」
「「赤宗」、「アイハラ」は「藍原」」
「「キバ」は「黄葉」……「りゅうちゃん」は?」
「紫垣琉晟。「しおちゃん」は小緑獅央、「あおちゃん」は青景、でしょう」
A子嬢が出した名前の少年たちが、学園に実際通っている。たからだ。
中3の小緑や紫垣、青景、赤宗。
一つ学年下、橙野、黄葉。
教員の藍原。
皆苗字に色彩を持つ彼らは、『レインボーズ』と呼ばれる。
彼らは学園でも指折りの名家の御曹司であったり、あるいはそれぞれ多方面の才能と、素晴らしい容姿に恵まれ、学園のヒエラルキー最上部に立っている。
…いつも思うが、レインボーズってネーミング、ダサい。
「私や青景たちがこの学園に通っているのは知られているが、通称やあだ名までは届いていないはず」
「わたしが中3古典を教えているのも、普通は知らないね」
非常勤講師の名前なぞ、ホームページにも載らない。
セキュリティには万全を期し、非常勤の私さえ、念押しで秘密保持の書類にサインさせられるのだ。それが、子ども達の名が流出しているというのはゆゆしきことだ。
が。
「紫垣は、確かに目つきも柄も悪いし、口調は荒っぽい」
制服を少し着崩して荒々しく歩いたり、少し口が悪く、ケンカも強そう。
A子嬢いわく「不良」。見た目は、まさしくそのテンプレ。
「紫垣って、ご家族や赤宗たちとそんな仲悪かったか?」
「今日丁度、母と姉と幼馴染のショッピングに荷物持ちで引きずられて行った時の愚痴を聞いたね」
しかして紫垣の実際は、カブトムシと釣りにしか興味のない、思春期の権化である。
彼は非常に女子ども、小動物にも弱かった。押しにもとっても弱い。多分女性二人に押し切られたのだ。家族仲が悪いとは、一概にいえない。
「反抗期もおさまってきたようだ。喜ばしい」
「赤宗、それ絶対本人に言うなよ。拗ねるから」
紫垣を見ると、「中学生ってこんな感じなのかな」とほのぼのするのは内緒なのだ。
レインボーズは、古い頃からの仲らしく、赤宗は彼らを殊の外気に入って「彼らは僕のもの」といってはばからない。レインボーズもまた彼のことをよく聞く。言ってみれば、レインボーズは赤宗の「身内」。そういえば赤宗の発言も、ちょっと親バカ入ってる。
「レインボーズの「悩み」、ねえ。青景は「コンプレックス」って言ってたけど、コンプレックスっていろいろあるしねぇ」
「さて、考えすぎてこじらせてしまいそうだが・・・最近、肩の力が抜けたようで。黒瀬先生に先日指導していただいたと」
「私が一方的に愚痴っただけなんだけど」
青景は努力型の秀才で、他人にも自分にも厳しい。十二分に頑張っているのに、それ以上を求めようとしていたから、素直に「すごいなー私は怠け者になりたいなあ」と長々繰り返したのだ。
青景は呆れ果てた顔をしていたんだけれども、それ以来よく話しかけてくれている。多分、阿呆でゆるゆるの私に、慈愛の心が芽生えたんだと思う。
「なんてったって青景は、口は厳しいが優しいからな。思わずクラスでべた褒めした」
「あの時はいいものを見せてもらったな」
青景はとにかく「馬鹿たれ!」を繰り返し、彼のツンデレは、皆の知るところとなった。クラスもレンボーズも私自身も、彼の真っ赤な顔をみて、ずっとニヤニヤしていた。その後、ちょっと浮き気味だった彼にもクラスで友達ができたらしい。
「藍原先生は?」
これには私も赤宗も沈黙した。彼の苦悩の原因は私らしいが、年も近いし同僚としてそこそこの付き合い方が出来ているし、そもそも苦悩するタマじゃない。
藍原先生は、正直一番つかみどころがない。レインボーズで唯一の教員。見た目はホストとも言っていいほど整っているが、中身は実に天然だ。口癖は「田舎のばあちゃんが言ってたんだけど」。エロい? 自分で編んだ腹巻を自慢げに見せていた姿の、どこに見出せばいい?
「黄葉君? 教えたことないけど、女性不信って」
「ちやほやされているから、人の中身を確認せずに付き合って痛い目を見ただけだよ。あの程度で女性不信とは片腹痛い」
まだ知らぬ黄葉くんの扱いが心配。
「あとは…赤宗は、何かある?」
赤宗はにっこり笑った。
「言う程のことはなにも」
これはダメだ、完全拒絶だ。
笑顔ってこんなに雄弁だったんだな。赤宗に出会ってからいろいろ笑顔の種類について考えさせられる。黒瀬、学んだ。
私は聞き出すのを早々に放棄した。赤宗陛下の口を割らせる自信がないし、そもそも無理やり聞き出す趣味はない。
問題はそこじゃない。
「悩みとかコンプレックスとか、どうもズレてるよな…。彼女はどこからこの情報を得たんだろう?」
「レインボーズではない白井の名前を知っていたのも」
「……報告しなきゃいけないかな」
A子嬢は、情報流出に関わっている可能性があるのだ。…目的がさっぱりわからないが。
まったく、彼女は何がしたいのだろう。御曹司たちが若い間にツバつけておこうというのだろうか。それにしては、名前は正確なのに、内容は妄想大爆発で荒唐無稽。私への発言も、深い意図があって行動しているようには見えなかった。
しかし、A子嬢、徹底した面食いである。
彼女が挙げた人物は、系統はさまざまだが、公平に見ても、顔立ちとスタイルのよいのが揃っている。
白井なんか、地味だし家はそう大きくも由緒あるわけでもないが、努力家で気骨のある男前だ。先生的には「わかってらっしゃる!あいついい子だよね!」と握手したい。
もはやここまで欲望に忠実だと、呆れるを通り越し、内心感嘆を押さえられない。
まてよ、イケメン、隠しキャラ、ルート、スチル、逆ハー…?
「どうかしたのかい?」
「いや、私も白井も、最近はネット小説すすめあってたんだけど…」
また微笑まれた。わかるぞ、今度は非難の笑みである。通勤ラッシュの時文庫本開くより、スマホ動かす方が楽なんだ、それだけだ。
「その中に、「乙女ゲーム」っていうのがあるのよ」
プレイヤーが、登場する複数の対象とゲーム世界で仮想恋愛を体験する、女性向けの恋愛ゲームだ。
試しにスマホを取り出し、乙女ゲームをいくつか検索して見せた。
「…ああ、これなら傘下でも作ってますね」
「赤宗財閥って何でも作ってるのね…で、その乙女ゲーム自体が舞台になった小説が最近多いんだよ」
主人公は、乙女ゲームの主人公やその悪役で、あるいはそれらに転生する。転落ルートを回避したり、傍観者を気取っていたり、無自覚にもヒロイン・スタンスを強奪していたり。
実にさまざまに人生を過ごしていく。
「その中に、キーワードとしてスチルとかイベントとか、よく出てくるんだよね」
「先生は乙女ゲームをやったことが?」
「いや、全然。CMや広告で見るけど、まともに読んだのは派生作品のマンガやネット小説だけ。ゲームはあんまりしないから、気づくのに時間かかったのさ」
つまり。
「彼女、その乙女ゲームとこの学園を重ねてるんじゃないのか?」
イタイ奴。そういわれるのではないかと思った。正直自分でもそう思う。
赤宗は「本気ですか」と問うてきた。よかった、考えていたよりずっとましな反応だった。最悪速やかに精神病院に引っ張られるのも覚悟していた。
「少なくとも、私は、彼女は本気だと思う」
私をせめているとき、A子嬢は胸を張っていた。自信を持って私に対峙し、目を輝かせ、生き生きとしていた。A子嬢は、本気でこの学園がゲームの舞台だと信じている。
「彼女は何をもって、この学園がゲームの舞台だと思い込んだんですか」
「名前。彼女、学校名を大声で言っていただろ」
セント・ウルスラ。聖をセント、生を「ウ」、瑠を「ル」、守が「ス」、良は「ラ」。学校見学に来ていた女子たちが、こそこそとだが、よく口にしている。
「気合い入れた読み方だと思うけどね。それが、彼女の知っている既存の乙女ゲームと一緒なんじゃないか。ゲーム名らしいのも言ってたし」
「…一応、無根拠ではないとはわかったが」
正気の沙汰とは思えない。流石の赤宗陛下もあきれ顔だ。
「となると、彼女がヒロイン、赤宗たちレインボーズと白井が攻略相手、私が「悪役令嬢」。彼女は逆ハーレムがご希望で、それには私を破滅させるのが必須条件」
「敵に宣戦布告とは」
「今どき「折り目正しい」子なんじゃないの」
答え方が皮肉気になったのは否めない。見ず知らずの人間に、ここまで嫌われるというのは不愉快だ。まして一般人であるので。
「ですが、「あらかじめ敵だと分かっている」アドバンテージをさらけ出す意味が分からない」
「うーん、そこまで深く考えてそうではなかったけど。余程自分に自信があるか、もしくは」
ぴっと指を立てた。
「ゲーム補正がある、と思っている」
もしくは、ヒロイン補正、システム関与とか。たとえ、ゲームの筋書き通りにキャラクターたちが動かないとしても、ゲーム通りの展開にするために、不可思議な、不自然な力が働くこと。
ネット上では「成程ご都合主義」と面白く読んでいたが、実際起こるかもしれないと言われると、しらじらと聞こえる。
「それはつまり、恋愛対象の意思を無視して、感情がヒロインにコントロールされる、ということか」
「そう、いうことになるかな」
言って、自分の失言に気づいた。
「いい、度胸だ」
赤宗の微笑が、獲物を威圧するそれに変わっていた。瞳孔がかっぴらいて、壮絶な笑みがますます深まっていく。背筋がぞっとした。
「私のものに、節操なく手を出そうとは。実に不愉快だ」
表面上は飄々と「そうだなー」と軽く流しながら、私は胃の底のあたりが冷えていった。
勤務一年目の時。
私は若輩で迫力も自信もないし、また実家は吹けば飛ぶようなサラリーマン家庭であるので、授業ではなめてかかってくる生徒たちもいた。
特にひどい男子がいて、彼は私が気に入らずに、親に私を辞めさせると授業中に息巻いていた。私自身は気楽な学生身分で、何か言われたらさっさと辞めてやろうと腹をくくっていたわけだが、次回の授業に行って拍子抜けした。
教室が実に静かにだったのだ。不気味なくらいに静まり返り、その男子とは目も合わない。唯一、態度が変わらないのが赤宗だった。
なので、不思議に思い授業の終わった後、赤宗に「何か男子生徒にあったのか。わからないところがあったら聞きに来いと言ってくれ」と言ったのだ。
そうしたら赤宗はこの、威圧感のある笑みを浮かべて、
「なんだ、あれはまだ心配をかけているのか。忠告では足りなかったのかな。もう一度「声かけ」しましょうか」
と言った。「声かけ」が「洗脳」に聞こえた。
その時になってやっと、赤宗が「皇帝」と呼ばれている実感がわき上がった。
男子生徒の、人生の分岐点になってしまいそうだったので、「声かけ」は必死でやめてもらった。
以来、赤宗の学年ではこの話が広がり、授業中は葬式のように静かだ。
当の男子生徒と私との間には、強くて太い「恐怖」というきずなが出来ている。
赤宗は、学園のだれより正しく賢いが、微笑し軽く指を振るだけで、誰かの人生を簡単に変えてしまう。
加えて、赤宗はレインボーズたちの身びいきが強く、刃向うものに容赦はしない。
やばい。
一瞬で教員一年目の衝撃が脳裏を駆け抜けた。
このままだと、赤宗はA子嬢を見つけ出し、「声かけ」されてしまう。というか、A子嬢が私を破滅させるより前に、彼女の破滅ルートが明日には実現する。
A子嬢、逃げろ。超逃げろ。
「まあ実際、ヒロイン補正があるなんてことは分からないわけだろ。そもそも全部私の憶測だし、まだ確証があるわけじゃないしな、あー私ちょっとせっかちだったかもね」
大慌てでまくしたてた。
なぜ、私は、ケンカ売って来た見知らぬヒロイン希望者を庇わなくてはならないのか。
だが、うら若いA子嬢の前途が今、危機にさらされているのだ。
「わきまえない発言をしたのは事実です」
「まだ若くて未熟な女の子の言うことだよ。どうしてこんな発言をしたのかわからないし。常識的なことが身に付いていないだけかも。もしかして、そそのかされているのかも。だって普通しんじないでしょう? この世が乙女ゲームの世界だなんてさ。長い目で見てやろうって。まずは成り行き。な」
「…そういうなら」
赤宗は覇気溢れる笑みを、今度は晴れやかなものに変え、一応矛を収めた。ありがたい。
私は安堵の吐息を押し殺した。
このカリスマの、青年の微笑み如何で変えられてしまう人生の軽さときたら。
A子嬢は「この」赤宗を知っていて「ドS」の一言にまとめたのだろうか。若いってすごい。
赤宗は、不満の微笑みを浮かべていたのが、思いついたように、楽しそうなものになった。
「先生が、一緒に成り行きを見てくださるんですから、安心ですね。もちろん、来年からずっと」
え、待ってどういうこと。
ぎこちなく赤宗に向き直る。なあに? その含みのある言い方。
赤宗はにっこり笑った。
「就活、上手くいってますか?」
待って、まてどーいうことだ。
教員として採用されるには、教員免許を持つだけでなく、各都道府県、各学校の行う採用試験に合格しなければならない。
私もとりあえず各私学で就活しているが、今までは面接までこぎつけても、どうしても合格にならなかった。
やっぱり人間性に欠けていることになるのか、ネコ被るの下手くそだなー、私。そう思っていた。
思ってたんだが?
「赤宗、一体何を」
「そんなまさか、一介の生徒に過ぎない僕が、何を知っていると? でもそうですね、来年度は収入は安定していますから、安心してください」
赤宗陛下のチートが止まるところを知らない。
こんな学校お断りだ、絶対嫌だ、たとえ就職浪人しても断ってやる、そう叫ぼうとした。
薄く微笑みながら、赤宗が言った。
「私たちを見捨てるのですか?」
喉の奥が詰まって、うぐっと唸ってしまった。
「紫垣は? 小緑は? 彼女の手に落ちるのを、先生は是としているわけではない」
こう言われると、弱い。
「彼女、は?」
「…最後まであきらめないぞ、私は」
「タフなことは、良いことです」
赤宗は余裕だった。くそ、負け戦の気配しかしない。
何度目かのため息をついて、私はA子嬢の去って行った方を見やった。
彼女のことは、どちらにしろ報告はしなくてはならない。彼女の情報源はどこか、彼女は果たして正気か、彼女に赤宗たちはどう対応するか。確かめなくてはならないことが、山ほどある。
ただし。
「彼女が高校に入れたらの話だけどな?」
「そうですね。思い切りよく言ってましたからね、学校名」
「試験の点数高くても、学校名間違えてたらアウトだろうな。面接で言わなきゃいいけど」
私は彼女の将来に幸多からんことを思った。
A子嬢、逃げろ。
赤宗真輝という少年は、君どころか、人間一人の手に余る。
良家の子息令嬢の通うお金持ち私立教育機関、聖生・瑠守良実学園――ひじりお・るもりりょうじつ学園。かつての聖生地区の名士、瑠守氏が建学した、歴史ある中高一貫校である。
なお、読み方は見学者がネットでつけたものである。
実際の聖ウルスラやキリスト教など実在の団体には一切関係はない。
黒瀬の口調が変えられませんでした。解せぬ。
おそらく黒瀬の言い分もあると思います。理由も作中で書きます。
読みにくいかと思いますが、よろしくお付き合い願います。
2019.12.10
ひっそりと改訂。やっと暇ができたので少しずつ読みやすく編集していきます。
お目汚しですがどうぞよろしくお願いいたします。