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わたくしの昔語りで御座います

 ユート様とアヤメ様が部屋を出て行かれてから暫くして、わたくしは、今もこしのあたりにしがみついているラルム様の方へと顔を向けてみます。すると、窺うような目でこちらのことを見ていたその顔が、わたくしと目が合った瞬間に、プイと横に逸らされてしまいました。どうやら、まだ完全に心を開いては頂けていないようで御座います。さて、これはどうしたものでしょうか。

「あの、よろしければ、今から屋敷の裏手にある、庭園に行ってみませんか? 手前味噌ながら、今の時期は、百合を始めとして、遅咲きの夏の花が咲いています。きっと、心も落ち着くのではないでしょうか?」

 さて、一応そんなことを言ってみましたが、どうでしょうか。全く、こういうことなら、ユート様の方が成れていらっしゃるはずなのに。一体なぜ、わたくしなどに押し付けてしまわれたのか。あれですね。ことが終ったら、また虐めて、いえ、お諫めして差し上げなければなりませんね。

 ラルム様は、わたくしの提案に、しばらくの間考えるようにしていらっしゃいましたが、やがて、小さく、首を縦に振られました。どうやら、行きたい、ということのようです。

「では、早速行きましょう。ですが、もう時間も遅いので、わたくしの部屋からランタンをもってきましょう」

 わたくしは、腰のところにラルム様を提げたまま、ラルム様の部屋を後にして、自室へと向かって歩き始めます。ですが、あれですね。この体制は、少々歩きにくいですね。


 それから、ランタンを手に、わたくしとラルム様は庭園へと行きました。外に出てみると、辺りはもうすっかり暗くなってしまっています。深呼吸をしてみると、土と緑の匂いをふんだんに含んだ、夏特有の甘い大気が、肺の中を満たして行きます。やはり、土と緑がある場所というのは、心が穏やかになります。

 わたくしの腰のところでは、それを見たラルム様が、同じように、深呼吸をしていらっしゃいます。そして、少しホッとしたような顔になると、今度は、辺りをキョロキョロと見回し占めます。恐らく、庭園の中を自由に見て回りたいけれど、そんなことをしても良い物か迷っている、というところでしょうか?

 わたくしは、あえてそれを無視して、腰にラルム様を付けたまま、庭園の中を歩いていきます。そして、ある一角まで来ると、目の前にある大きな葉っぱに、そっと手を触れます。

 それは、サトイモという、アヤメ様の国の植物です。今の時期に花は咲きませんが、大きな葉っぱが早くも夜露を集め、その巨大な葉から発する植物特有の空気と合わさり、触れる者を癒してくれる気がします。わたくしの、お気に入りの一つです。それに、秋に収穫する地下の芋は、ユート様の好物でもありますし。全く、この芋は調理が大変だというのに、毎年毎年、わたくしに調理するように要求するのですから。少しはこちらの身にもなっていただきたいものです。自然と顔がほころんでゆくのを自覚してしまいます。

 ふとそこで、いつの間にやら、ラルム様がいないことに気づきました。辺りを見回してみると、とがめる者がいないと分かったからなのか、わたくしから離れ、庭園の中を歩き回っていました。そして、ひとしきり庭の中を見て回ると、ある花に見入ってしまわれました。

 わたくしは、そーっとその後ろに歩み寄って行き、声を掛けてみます。

「その花の名前はオニユリで御座います。気に入りましたか?」

 そう言って、ランタンの明かりで花を照らし出してみます。すると、朱色に黒い斑点を持つ花びらが、橙色のランタンの明かりに照らされ、さらにその赤味を増します。

 ラルム様は、わたくしの言葉にうなずくでもなく、ただ、花を見ていらっしゃいます。

「オニユリの花言葉は憎悪。どうですか? まだ、わたくし達を信用していただけませんか?」

 そう言いながら、ラルム様を目の高さを合わせるように、その場にしゃがみ込みます。ラルム様からの返事はなく、暫く、夜風が植物を撫ぜる音だけが耳に届いてきます。

「……」

「なんで御座いましょう? もう少し大きな声で言って頂かなければ、聞こえませんが?」

 いえ、これだけ静かなら、きちんと聞こえているのですが、きっと、こういうことはきちんと吐き出しておいた方が良いと思うのです。

「わたくしもあなたと同じ奴隷身分で御座います。今は、何を言っても、とがめる者などいませんよ?」

 その言葉を最後に、ラルム様がキッとこちらを睨み付け、話し始めます。やっと、彼女本来の顔が見られたような気がいたします。

「は? あったりまえじゃない! なんであんなのを信じなきゃいけないの! そりゃ、あの変態おやじと違って、あの童貞野郎はあたしのこと本気でいやらしい目で見たりはしないし、あたしを買ってくれたことだって、少しは感謝してるわよ! でも! なんで貴族の奴らなんかと仲良くしなきゃいけない訳!」

 やっと、彼女の声が聴けました。どうやら、かなり溜まっている様で御座います。

「それは、なぜで御座いますか? わたくしで宜しければ、お聞きしますが?」

 ラルム様は、わたくしを怒鳴りつけたままの勢いで、もう一度わたくしのことを睨み付けると、品定めをするかのようにわたくしのことを見つめた後、意を決するようにして、話し始めます。

「いいよ。話してやるよ! お姉さんいい人そうだし、そんなに聞きたきゃ話してやるよ!」

 そう言って、ラルム様は、堰を切ったように話し始めました。

 あたしは、元々はガフティのおっさんの領地の隅っこにあるちっこい村に住んでたんだ。生まれつき変な髪の色してたけど、みんないい人だったから、基本的には楽しく暮らしてたよ? 親も優しくてさ。『お前の紫の髪と瞳は、神様からの素敵な贈り物だね』だって。そんなこと言われたら照れくさいっての! 

 でもな! 今年の6月だよ。あたしの噂を聞きつけたのか、突然おっさんとこの兵士が来たんだ。で、『紫の髪をした少女を奴隷として買い付けたい』だって。あたし、初めて知ったよ。奴隷って普通の市民が簡単になれるんだって。

 でさ、あたしの両親は、当然かばってくれたんだ。『どれだけお金を積まれても、娘は売れません』て。

 そしたら、あいつらどうしたと思う? ちって舌打ちしてさ、その場であたしのパパとママ刺しやがった。腰にさげてた綺麗な剣で、グサって。

 そっからは、あれだよ。おっさんの屋敷でいい奴隷になる訓練ってやつ。ひたすらひどいことされた。ちなみに、あたしはもう奴隷として登記されちゃったから市民には戻れないんだって。お姉さんの方が詳しいだろ? 裁判には先例拘束ってのがっあって、この国にはドレッドスコット判決ってのがあるから、絶対に無理なんだって。

 で、あの変態童貞領主に買われて、今あんたと話してる。はい。おしまい。

「は! どーせあいつも、珍しい髪の色したあたしが欲しかったんだろ! こういう奴隷を持ってることがステータスってやつなんだろ? そうだよな。あたしは可愛いし、この髪の毛はもっと貴重だもんな。親も言ってたよ。天使の髪の毛みたいだって!」

 話しながら、ラルム様の声が涙声になって行くのが、明白に伝わってきました。

「なんだよ! なんで、なんであたし何だよ! パパとママは褒めてくれたけど、こんな事になるならこんなのいらない! これあげるから、返してよ! あたしのパパとママ!」

 目の前には、先ほどまでの肩肘張った少女では無く、10歳のラルム・ストラーフという少女がいました。確かに、これは、ユート様の言うとおりでした。

「少し、よろしいですか?」

 わたくしは、目の前で泣いている少女へと、声を掛けます。

「なんだよ?」

 ラルム様は、花をすすりながら、わたくしを睨み付けてきます。

「少し、わたくしの話を聞いて頂けませんか?」

 そう言いながら、わたくしは、ラルム様を抱え上げ、庭園のベンチの方へと移動し、そこにラルム様と一緒に、腰を下ろしました。

 メイド服のポケットからティッシュを取り出しながら、わたくしは話を続けます。

「お使い下さい」

 そう言って、ティッシュを差し出すと、わたくしは一度、庭園を後にしました。そして、屋敷の厨房へ行くと、適当なカップを探して、飲み物を入れ始めます。今は夏ですが、あの様子では、温かいミルクティーが一番でしょう。御砂糖とミルクを多めにして差し上げましょう。


「さて、では、これでも飲みながら聞いて下さい。わたくしの、昔話で御座います。今から10年ほど前。わたくしとユート様が、7つか8つの時のことで御座います」

 わたくしは、ラルム様にカップを差し出しながら、話し始めました。

 わたくしの母は、わたくしと同じ奴隷で御座いました。ここからだいぶ離れたところの領主の持ち物だったようで御座いますが、どこだったかはよく覚えていません。

 今の話だけでだいたい察しがついたと思いますが、わたくしは、いわゆる妾の子というやつで御座います。

 母親は、わたくしのことを可愛がってくれましたが、父親の方は、当然快くは思っていなかったようで御座います。妾に付いたこぶなどいらない、という訳で御座います。それでも、母親がその領主のお気に入りだったせいで、わたくしはそれなりには暮らせていました。それでも、母親がメイドとして働いている間に、父親にいじめられたことは幾度となくありましたが。

 そして、そんな生活が長く続くはずもなく、ある日わたくしの母は、父親に殺されました。正確には、父親が見ている中、父親の命を受けた兵士に、ですが。

 どうやら、妾との間に子どもがいることが社交界で噂になっていたようです。貴族というのは、世間体を大事にする人々ですので、いくらお気に入りでも、こぶつきで、自分の評判を落とすような物はいらない、というわけだそうです。

 そして、わたくしは奴隷市場に売りに出されました。恐らく、7つほどの子どもを殺すのは後味が悪かったのでしょう。全く、小さい男です。

 売りに出されてすぐ、わたくしはユート様の父君に買われました。彼は、ユート様とは違い、奴隷制を当たり前のことと思っていらっしゃる方で、それも、わたくしの父親以上に、奴隷は物、という考えをお持ちだったようで御座います。

 彼曰く『貴族たるものメスの一匹や二匹調教できなくてどうする』とのことです。わたくしは、ユート様の妾として、それも、訓練用の玩具として買われたようで御座いました。7歳の子ども相手に7歳の子どもを買い与えるなど、正気の沙汰とは思えませんが、おかげで今の生活があるわけですし、一応、彼には感謝しておきましょう。

 元々が奴隷で、しかも、目的がユート様に反抗的な奴隷の調教を覚えさせる、という物でしたので、わたくしは、すぐにユート様に引き合わされました。

 ええ。勿論、わたくしも今のあなたのような態度をとりました。いえ、その時のわたくしはもっとひどかったかもしれません。ラルム様がガフティ様になさったように、些細な抵抗をして見せる気力すらありませんでした。

 当時のわたくしにとって、母親は唯一、話をできる人間で、わたくしのことを肯定してくれる人間でした。つまり、わたくしにとって、母親は世界と同義でした。その母がいなくなってしまったのです。きっと、全てに絶望したような、とてもひどい顔をしていたのでしょう。

 当然、口もききませんでした。そんなわたくしに向かって、ユート様は何と言われたと思います?

『君が、僕の友達になってくれる人なの? よろしくね、グリサ』

 でございますよ? 全く、なんであの人は、わたくしのような奴隷を、すんなりと人扱いできてしまうのでしょうね。いえ、まあ、7歳の子どもの発言としては、これが普通なのかもれませんが、この国の貴族の子どもとしては、むしろ異常で御座います。恐らく、底抜けにバカなのか、底抜けに優しいかのどちらかなのでしょう。

 あと、わたくしのリサという愛称も、この時につけていただきました。どうやら、グリシャという名前は、発音しにくかったようで御座います。

 ですが、わたくしも、深い傷を負っていましたし、意地になっていた部分もあったのでしょう。それでお、頑なに無視し続けました。そんなわたくしに対して、ユート様は様々な方法でコミュニケーションを採ろうとしてくださいました。

 その中でも、御父上の真似をして、わたくしにセクハラを働こうとしているのがひどく滑稽で、子どもが意味なんか分からずにやっているので当たり前ですが、不覚にも、いま思えば、本当に不覚にも、笑ってしまいました。あそこで笑わなければ、今のユート様も、もう少しまともになっていたような気がしてなりません。いえ、今は置いておきましょう。

 それを見たユート様は、

『やっと笑ってくれたね。ねぇ、どうしてずっと変な顔してたの?』

 だそうで御座います。全く、あの世間知らずの子どもは。そこからで御座います。少しずつ、ユート様とわたくしが今のような関係になって行ったのは。

 そして、今から3年ほど前に、御父上が亡くなられ、ユート様が領主になられてからは、その底抜けのバカさが、法律にされてしまいました。屋敷で働いていた奴隷たちや、領内の奴隷たちも、ユート様には感謝していることでしょう。嫌いだからという理由だけで、全ての家臣をクビにしてまで、実質的な奴隷開放をしてしまうなんて、本当に、バカとしか言いようがありません。

「さて、丁度カップが空になった時点で、昔語りは終了で御座います」

 わたくしは、空になったカップを抱えたまま、空を睨んでいるラルム様に声を掛けます。

「どうするかはラルム様次第で御座いますが、ここではもう少し自分らしく振舞って見てもいいのではないで御座いませんか?」

 そして、ラルム様の手からカップを回収しながら、今度は庭園の一角に向かって呼びかけます。

「ところで、ユート様とアヤメ様。一体いつまで向日葵の真似をしていらっしゃるおつもりですか? ラルム様の家具は、どうなりました?」

 わたくしの声に反応して、向日葵畑の一角がゴソゴソと動き始めました。そして、そこからユート様とアヤメ様が姿を現します。

「え、いや、ほら、この時間だと、もう家具屋も閉店だし、たまには、アヤメと二人で庭園でも見ようかなって?」

「そ、そうだぞ、グリシャ殿。べ、別に様子が気になったから、グリシャ殿の行動を先読みして、待ち伏せしてた、なんてことは無いぞ?」

 はぁ、やはり最初から聞かれていましたか。全く、悪趣味というかなんというか。そんなことなら、初めから御二人で御やりになればよかったので御座います。

 ユート様とアヤメ様が、わたくし達の座るベンチの前まで歩いてきます。

「い、いやー。ほら、俺の言った通りうまくいっただろ?」

 ユート様が、気まずさを誤魔化すようにそんなことを言っていると、ラルム様が突然、いを 決したように顔を御上げになり、品定めでもするかのように、ジーっとユート様のことを見つめ始めました。そして、涙の痕が残る顔に、悪戯っぽい笑顔を浮かべると、おっしゃりました。

「リサのお姉ちゃんさあ、こいつのことが好きみたいだけど、こいつのどこがいいんだよ? 顔は、中の上くらい? だけど、セクハラオヤジじゃん」

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 一瞬、その場の空気が凍り付いてしまいました。

「な、なななななななななな、何を言い出すので御座いますか、ラルム様! わたくしがこのような人間を好きになるなど、思い違いも甚だしいで御座いますですよ!」

「な、なんだと! リサ殿、そ、それはきっと何かの間違いだ! そうに違いない。貴女は大きな思い違いをしている!」

「え、そうだったの!」

 そして、騒然となるわたくし達を尻目に、ラルム様は一人、面白そうに笑い転げていらっしゃいます。わたくし達に見せる、初めての、本気の笑顔で御座います。

「全く、リサったら。それならそうと言ってくれればいいのに。さあ、おいで。俺の胸に飛び込んでおいで。ギューって抱いてあげるから。そしてその後別の意味で抱いてあげるから!」

「駛!」

 そして、わたくしは思わず、ユート様とアヤメ様を全力で殴りつけていました。ええ、しかたがありません。『思わず』で御座いますから。不可抗力で御座います。

 さて、ラルム様も笑顔になられましたし、後は、ユート様とアヤメ様の記憶をなくせば、万事解決で御座いますね。

補足

 作中で名前だけ引用したドレッドスコット判決ですが、奴隷制を採っていた時代のアメリカでの判決です。

 簡単に言うと、「奴隷州に住んでいる奴隷のドレッド・スコットが、過去に非奴隷制の州に住んでいた実績をもとに市民権を獲得できるか」が争われた裁判です。

 結果は、そもそもドレッド・スコットは市民ではないから裁判を起こせない(法律用語で「当事者適格がない」と言う)というものでした。

 作中で、奴隷はどうあがいても奴隷のまま、という意味で使っていますが、作者が曲解しています。雰囲気を出すのにちょうどよかったので、そのようにして使わせてもらいました。

 ですが、作者にそのような変な解釈の仕方を広めてやろう、とか言うような意図はありません。あくまで雰囲気的に丁度良かったから使っただけです。

 一応、他意はない、ということを示す意味で、作者の知る判決の概要をここに書いておきます。本当は、ミズーリ協定とかに絡んで、アメリカの転換点になるような判決なのですが、詳しくは忘れました。

 もっと詳しく知りたい方は、英米法100選を読むか、アメリカ政治史の本を読むかして下さい。


 あと、敬語で地の文書くの難しい。現在形なのに過去形みたいになったり、意図しないところで妙に淡々となったりしてしまった・・・

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