第七話 凶器
『GRAAAAAA――!!』
鬼の咆哮が夜空を貫く。
ろ級の鬼。
鬼には等級が存在する。それは強さであり鬼の進化の度合いを示す。
い級が最初期、生まれたばかりの人型の鬼。ろ級はその次の段階。二段階目の鬼であることを示す。見分けるのは簡単だ、人型を残しつつ歪に異形化の兆候があればそれはろ級である。
い級と同じく皮膚有機体が安定化しておらず、光によって不活性化するため暗がりから出ることができないが、同位体連結と呼ばれる全ての鬼との機能的連結が可能となっている。
そのため魔術による洗脳などというまどろっこしい手を使わなくなるのが幸いだが厄介さが変わったわけではない。むしろ最悪に悪くなる。
同位体連結により過去の記録や記憶を閲覧することによって最適化するため同じ戦術、戦略が効かなくなり、同位体連結における情報網上に保存された自身の存在情報から皮膚有機体の再生すら行うのだ。
かなり高い実力さえあればソロでも討伐は可能であるが、経験の少ない学生や、一般人からすればそれはあまりにも絶望的な相手。
つまり、そんなものに遭遇した雪弥と恭吾は絶体絶命であるということ。何の力もない一般人にとって、鬼は死の象徴だ。
「…………」
そんな中で鬼を恭吾は見据えていた。そして、自らの右手を。忌々しげに、顔を歪めながら。
『GRAAA――』
その間も鬼はゆっくりと歩いてくる。時間はない。そう、時間はないのだ。躊躇っている時間は、ない。躊躇えば最後、自分も、隣にいる雪弥も死ぬ。
それだけは駄目だろうと思う。どんなに自分が嫌いで、自分は死んでもいいと思っていても。隣の雪弥は違うだろう。妹がいるのだ。
悲しい思いをするのも、自分だけでいい。彼にも、彼の妹にもそんなことをさせてはいけない。もしそんな思いをさせてしまったならば、恭吾は自分を本当に許せなくなる。もう許せないというのに。本当に、これ以上は壊れるから。
だから、彼は――
「我は鞘なり。
鞘ゆえに刃を収め、鞘ゆえに刃を形作る。
刃とは心であり、心とは即ち刃である。
刃とは狂想であり、鬼を斬る凶器である。
我が身が鞘ならば、我が心は凶器である。
我はここに狂想を抜き放ち、その凶器にて鬼を殺す者なり。
狂想顕現――凶器・装具《怒纏》」
――狂えるほどの怒りを抜き放つ。
自身を燃やすほどの劫火。それは機関を駆動させるもの。人が手にした叡智の形であり、それは彼自身の怒りの形。自分を燃やす、自分自身への怒りの形。
ゆえに、それは鎧。両の手に身に纏う鎧。曰く、《怒纏》。怒りを纏うもの。炎の輝き。
「……逃げろ」
隣にいる雪弥へと告げる。ここは引き受けるからさっさと逃げろと。道はあけるとばかりに腕を振るうとともに炎の道が出来上がる。
しかし、雪弥は動かない。恐怖で動けなくなることは多い。特に鬼との戦いは。
「おい、雪弥!」
「…………」
しかし、雪弥は無言。その表情もまた無。動かない。何かを考えているのだろうか。ならば何を。いや、こんな状況で何をしているのか。
「チッ」
何をやっても動かない。ならば仕方がない。このような事態だ。何者か、誰か、学生でもいい。おそらくは誰かが来ているだろう。それに賭ける。雪弥を炎の壁で囲んで、自分は前に。
鬼の前に立つ。両の腕に莫大な輝きを纏わせて。
鬼の剛腕が唸りをあげる。
恭吾はそれを躱す。鬼の剛腕と打ち合う気などない。自身を思わない彼は、強化されないから。
輝きを見せれば逃げると思った。だが、やはりそう甘くはない。ゆえに、恭吾は炎の球を生じさせる。それを鬼へと投げた。
高熱。いや、灼熱の炎球を鬼は躱した。地面へと接したその瞬間、それは爆裂する。高熱を発し、地面を抉る。
跳躍した鬼へと生じさせた火球を放つ。爆裂する火球。しかし、鬼は未だ無傷。火力が足りないわけではない。
壊した端から回復して行っているのだ。手数が足りない。もっと多くの手数がいる。回復できない速度で壊す必要が。
だが、それを恭吾は出すことができない。忌むべき力として、使ってこなかったから。使い慣れていないから。
「くそ!」
そんな恭吾を嘲笑うかのように鬼はその剛腕を振るう。
恭吾は見切り躱す。そこに振るわれるのは剣のような爪。地面を転がるようにしてなんとか躱す。同時に火球を放つも躱される。先ほどよりも余裕をもって。
振るわれる剛腕と剛爪。先ほどよりも鋭く早く。最適化して進化している。現在進行形で。躱す余裕がなくなってくる。
炎の鎧を貫通して、それは恭吾を傷つけていく。血が流れ自らの身体が冷えていくのを感じる。不味いと思いながらもこの状況を打破できる手段がないのだ。
自身の火球は次第に通じなくなっていく。ならばそれ以外の形にでも変えればいいだろう。炎を自在に操れるのだ。だが、そんな時間は許されない。
見切るのもやっと、見えなくなりつつある攻撃に対応しながら槍や剣を編むなど恭吾の実力では不可能。そもそも、本来恭吾の能力は前衛がいて初めて機能するのだ。前衛のいないこの状況ではどうやっても勝ち目などない。
このままではいずれ学習されて終わる。そうなれば自分は死に、雪弥も死ぬ。それが許容できぬから力を振るったというのに。これでは無駄ではないか。意味がないではないか。自分は良いが、それでは自分の事情でしかないのだ。
ゆえに、恭吾は願った、何かこの状況を変える何かの到来を。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翔子は走っていた。爆発音は聞こえている。何者かが戦っていることは明白だった。ゆえに、脚に紫電を纏わせて彼女は走っている。
前方では火の柱が上がっていた。記憶の中を探ってもあれほどの火柱を立ち昇らせるほどの使い手はいだろうかと彼女は思う。
まさか、成績上位陣ではあるまい。明らかに学生の実力を超えた彼らならばろ級だろうが苦戦せずに終わる。
ならば誰だ。炎の能力者。魔力は感じない。心当たりは、ない。ならば新たに覚醒した一般人だろうか。無くはない話であるが、可能性は低い。
ならば、ハンターと呼ばれる連中か。軍人ではないフリーランスの傭兵というべき存在。軍人と違って強さはピンキリであるが、フットワークの軽さから重宝されることもある。
確かにそれならば戦っていても問題ない。
「急がないと」
ただ、だからといって、自分が急がない理由はない。自分が急ぐことで助けられる命があるかもしれないのだ。その可能性が残っている以上。異能を使って身体を酷使していようが、疲れていようがなんであろうが、翔子が走るには十分な理由だった。
『GRAAAA――』
「もう、急いでるってのに!」
しかし、そう簡単にいかせてはくれないらしい。騒ぎを聞きつけて、野次馬の如く鬼が集まって来ていた。い級の雑魚ばかりであるが、如何せん数が多い。
無視して行こうにも、ここで無視すれば住人達が襲われるのは確実だ。教団の細工のおかげで、機関灯は消えているのだから。
「お願い、もう少しだけ頑張って」
ゆえに、斬る。それ以外の選択肢はない。だから、姿も知らぬ炎の使い手を案じながら、翔子は紫電を振るう。
『GRAAAAAA――!』
「すぐ、行くから」
鬼の脇と通り抜け様に斬り裂いて、突っ込んできた鬼に蹴りを放ち吹っ飛ばす。折り重なるようにして飛ぶことになった鬼に大して雷を放ち焼く。
振り返らない。ただ前へと進む、救うために。見知らぬ誰か。人を救うために彼女はただ闇を夜を駆ける。
閃光を放ち、轟雷として鳴りを響かせながら。せめてこの轟音が届くことを祈って。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
恭吾が鬼と戦っている中、雪弥は考えていた、自分の中にある力について。この世界に来てから何からの力が自分に備わっていることを雪弥は感じていた。
それがなんなのかわからなかったが、恭吾が力を出したことによって気が付いた。あれと同じものが自分にもあることを。
いや。正確に言えば似たようなものか。恭吾の自分自身への怒りから来るものではなく、より自分であると思うものが自分の中にあることを雪弥は感じ取っていた。
どうやって使うのだろうか。恭吾が今にも殺されようとする中で、自分がいつ死んでもおかしくないような状況の中であって、彼は平時と変わらぬ冷静さで、それを考えていた。
合理的に考えれば逃げるのが妥当だろう。恭吾が囮になってくれているのだから。炎の壁だって恐怖は感じない。さっさと通り抜けてしまえばあとは戦闘の余波によってすっかり散り散りになっている教団員の間をすり抜けていくだけだ。
だが、雪弥はそうしなかった。そうしようと考えた時、妹である由宇の顔を思い出したのだ。それと言葉も。
――友人は大事にしないといけません。
――例えお友達の方が逃げろと言っても、逃げないでください。
――いえ、逃げてほしいのですけど、それよりもお友達を見捨てる方がよっぽど見たくありませんから。
――それが人というものです。
そんな言葉を思い出したのだ。ゆえに、友人は見捨てない。妹が見捨てるなと言ったから。自分の本心は逃げる方が合理的であると言っているが、妹との約束だ。仕方がない。
ゆえに、この状況をどうにかできる方法を模索する。それが自身に眠っているであろう力を使うことだった。
それが役に立つかなんてわからない。きっと後悔もなく死ぬかもしれない。後悔でも感じることでもできれば由宇は喜ぶのだろうが。
「谷田が唱えてたのは確か……
我は鞘なり。
鞘ゆえに刃を収め、鞘ゆえに刃を形作る。
刃とは心であり、心とは即ち刃である。
刃とは狂想であり、鬼を斬る凶器である。
我が身が鞘ならば、我が心は凶器である。
我はここに狂想を抜き放ち、その凶器にて鬼を殺す者なり。
狂想顕現――凶器……だったっけ?」
しかし唱えても何も起きない。するりと頭の中に入ってきた言葉なので間違っているということはないと思う。方法もあっているような気はしている。だが、何も起こらない。
パズルで言うならばあと一枚で絵が完成するというところ。つまり、何かが足りないのだ。何かが。資格はあるが、何か最後の一つが足りない。
ゆえに、雪弥は思考する。考える。これがなんなのかを。
「ぐぁ!」
恭吾の痛みに充ちた声が響く。あまり時間はない。炎の壁が弱まっている。向こう側が見える。何とか致命傷は喰らっていないが、傷だらけの恭吾の姿が見える。
本当に時間はないらしい。
「…………」
それでも特に表情すら変えず、雪弥は思考する。高速で回転する思考。恭吾の痛みをこらえる声を聞きながら、雪弥の思考はかつてないほどに回転する。
しかし、
「わからない」
わからない。わからない。わからない。
考えたところで何一つそれはわからない。
「狂想顕現とか言ってたから、何かを顕現させるんだろうけど、僕には――」
そんなものはない。
しかし、そう思った瞬間――
「あ、ああ、そうか……」
雪弥は理解した。すとんと、何かが型に嵌るように理解した。埋まらなかった最後のピースが埋まる。これだと思う。頭の中に言葉が浮かび上がるそれは名前だった。
それと同時に、
「ぐああ!」
恭吾が雪弥の足元に吹っ飛ばされてくる。
「谷田」
「……だから、苗字で呼ぶなっての。なんだ、ようやく我に返ったか、なら、さっさと逃げろ。もうもたん」
「うーん、それやっちゃうと由宇に怒られそうなんだよね」
危機的状況においても雪弥は変わらずそんな軽口をたたく。
「……おまえ、余裕だな、ったく、そんなこと一片たりとも思ってないだろうに」
雪弥は図星のように肩を竦める。
「まあ、逃げれそうにないし、ちょっと頑張ってみることにしたんだよ」
「……なに?」
「まあ、谷田のおかげなんだけどね」
そう言いながら、雪弥は、
――右手を前に、伸ばして
「我は鞘なり。
鞘ゆえに刃を収め、鞘ゆえに刃を形作る。
刃とは心であり、心とは即ち刃である。
刃とは狂想であり、鬼を斬る凶器である。
我が身が鞘ならば、我が心は凶器である。
我はここに狂想を抜き放ち、その凶器にて鬼を殺す者なり。
狂想顕現――凶器・無刀柄《無心》」
――言葉を紡いだ。
「……お前――」
横で恭吾がそう呆然と呟くのが聞こえる。それはそうだろう。戦えないと思っていた者がいきなり凶器を顕現させたのだから。
だが、事実、雪弥の手に凶器が具現化する。それは、刀身のない柄だった。
「うん、わからないじゃなくて、ない。だから、刀身のない柄だけってわけね。うん、僕らしいっちゃ僕らしいか」
普段と変わらぬ気の入っていない声色で雪弥はそう呟いて警戒して様子をうかがっている鬼へと向き直る。
「じゃあ、やろうか。怪物、僕が相手してあげるよ」
そして、宣戦布告のようにそう、告げた。刀身のない柄だけを向けて。