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狂想のインサニティエッジ  作者: テイク
第一章 始まり
3/22

第二話 兄妹

できる限り毎日0時に更新していきたいと思います。

「兄――さん――、兄さん――!」


 途切れ欠けた意識の中で、明滅する真っ赤な赤い視界の中で、誰かの叫ぶ声が聞こえる。だが、全てがあいまいだった。

 何かの燃える音も、何かの燃える匂いも。紅い何かが垂れる音も、重い何かに押しつぶされているという感覚も。その全てが曖昧で何一つわからなかった。

 ただ、自分は死ぬかもしれない。そう冷静に考える。恐怖はなかった。こうなる直前、確かに恐怖を感じていたはずだが、今、心は明鏡止水の如く、静かだった。

 心地よいように思えるし、なんだか淀んでいるようにも思える。なんにせよ、都合の良い状態であることはわかった。


「に――ん、兄――ん――!」


 そんな自分に、降りかかってくる声。ノイズまみれのラジオのように途切れ途切れにやはり聞こえる。自分を呼ぶ声。聞いたことのある声。

 それは確か妹の声だったはずだと、朦朧とする意識の中で確信する。四歳ではあれど、大人のように聡明な彼女が、泣きながら自分の名前を呼んでいる。

 それだけでなく、謝る声も。何を言っているのだろうか。何を謝っているのだろう。わからない。わからない。わからない。

 ただ、とりあえず、辛うじて動いた右手を伸ばす。こういう時は、こうした方がいいとなんとなくそう考えたから。


「兄さん!!」


 口を開くが、答える声は出ない。

 そこで、ふと、自分はなぜ口を開いたのかを考える。確か、色々思うことがあったはずで。こんな状況だからこそ何かを伝えようとしたのではないだろうか。

 けれど、けれど。何一つ浮かんで来ず、全てがどこかへと消えてしまった。そして、次第に瞼が落ちていく。

 そのさなか思い出したことがある。自分たちは事故に遭った。細かいところなどは何一つわからない。ただ、大事故に遭い、そして、自分はいま死にかけているのだけはわかった。

 だが、やはり恐怖はないいまや何もかもわからず、確かにあったはずのものは見つからない。それを悲しいと思うことも出来ない。

 いや、そもそも………………。

 そして、全ては暗がりの中に沈んだ――。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 それは夏のある日のことだった。

 真夏の澄み切った、吸い込まれそうなほどの青空の下、深緑の葉は青々と茂り涼しげな木陰を作り出している。

 そんな日、住宅街の端にぽつんと存在するとあるボロアパートの一室へとこの辺りの公立中学校の制服(ブレザー)を着た少女が駆け込んでくる。

 地味めながら可愛らしい少女だ。今時珍しい垢抜けていない少女。見目は悪くない。美人というほどではないものの容貌はそれなりに整っている。綺麗というよりは可愛らしいが妥当だろう。年の頃を考えれば可愛らしいは十分に褒め言葉だ。

 そんな少女、八坂由宇(やさかゆう)は走ってきたのか肩で息をしながらも、ものが少ないというよりはない部屋の中にいる人物に向かって大きな声を投げかけた。


「お兄様!」


 それに反応するのは部屋の中で座っていた少年だ。少女に似た少年である。言葉のとおり彼と彼女は兄妹なのだから当然だろう。

 ゆえに、妹と同じで地味目ながらも、そこそこ悪くない見た目の少年だった。年の頃は17ほどであるが、笑みを浮かべた表情は由宇に似て可愛らしいと思わせる。ただ、どこかその少年は機械的に無感情の歪に思えて、どこか見る者全てが心配になるような少年だった。

 そんな少年――八坂雪弥(やさかゆきや)は肩で息をしながら大声を上げた由宇の方を向く。さも、どうしたの? とでも言う風に。

 それはどこかあまり妹の剣幕なんて気にしていないような、そんな印象を受け手に受けさせる。事実、雪弥はまったく気にしていない。

 勿論、それは如実に由宇に伝わった。


「お兄様!」


 ゆえに、如何にも私、怒っていますという風に由宇はへらへらと笑う兄へと詰め寄る。怒り心頭といった風であるが、兄にとっては可愛らしい妹の顔とでも言うのか、まったく気にしていない風であった。

 だからか、いつもよりもきつめに由宇は言う。


「お兄様! 大学に行かないとはどういうことですか!」

「そのままの意味だけど?」


 え? 何か問題ある? と雪弥はそんな疑問顔を浮かべる。本当になぜ妹が怒っているのかわかっていないようだった。


「お兄様は大学に行くべきです」

「ああ。言ったでしょ。それだと由宇が高校行けなくなるって」


 由宇の言葉で得心のいった雪弥はそう返す。

 ロボアパートの一室に年頃の男女が二人暮らしをしている時点で察しはつくだろうが、二人の両親は死んでいる。親戚もいない。そのため、彼らは両親が残した財産を使って生活しているのだ。

 生活は苦しい。大学と高校に同時進学なんてできるはずがなかった。生きるのさえ苦しい中、悠長に進学なんてできるとは二人とも思っていない。行けてどちらか片方のみだ。

 奨学金を使うことも考えたが、そこまでして行くか? と雪弥は考えてしまった。だから、雪弥は妹に譲ったのだ。

 そして、それが由宇が怒っている理由だった。


「お兄様は行くべきです。私なんて、そこらへんで男見つければいいのです。専業主婦で生きていけます。ですが、お兄様はそうは行きません。お兄様は働く必要があるのですよ」

「うーん、でもねえ」


 由宇の言葉に雪弥はあまり気乗りしないなあという風。


「でもねえ、ではありませんお兄様。大学では出会いもあるのですよ? 私はお兄様と夫婦になる女性をお待ちしているのです。お兄様のお子を抱きたいと思っているのですよ?」

「いや、気が早い、早すぎるよ。第一そんな相手もいないのに」

「ですから、大学に行くのです」

「いや、そうだとしてもさあ」


 妹を中卒で働かせて大学行ってる兄って世間的に見てどうなの? と雪弥は考える。別に世間体を気にするわけでもないが、それでも色々と風評被害をうけそうな気はする。下手すれば通報されそうな気もするのだ。

 しかし、それでも由宇は雪弥を大学に行かせたいらしい。自分のことよりも雪弥のことの方が大事だとでも言うかのように。それこそ自分よりも兄に幸せになってもらいたいと平然とのたまう。

 雪弥はその反対で、由宇を高校に行かせて、自分は働きなんとか彼女を大学まで行かせたいと考えている。その方が彼女は幸せだろうから。そういう風に考えるようにしている。それが普通だから。

 だが、それでは雪弥が幸せでないだろうと由宇は反対して、話は平行線のまま進む。

 だから、いつものようにそれは決着しない。ただ白熱はする。今日もまた際限なく白熱するだろうと、そう思われたそれは、しかしそこまでは至らなかった。


「ん?」


 一枚の便箋が投函されたことによってそれは中断する。


「なんでしょう? 光熱水道費は先週払いましたし」

「さあ?」


 ともかくとして、二人は言い争いを一時中断して投函された便箋を見る。宛名は兄妹の名前、差出人の名前はない。切手すら。悪戯か? と思うがとりあえずは中身を見てみる。

 中に入っていたのはチケットだった。どうやらそれは列車の切符のようであるのだが、行き先は不明。そもそも辛うじて切符とわかる要素があるだけで、他はほとんどが白紙。どうにも悪戯臭い。

 しかし、そんなことをして何の得があるのか。悪戯にしては意味がわからない。どう反応していいかもわからない。

 言い争っていたことも忘れて二人は首をかしげて悩む。


「なにでしょうか? 悪戯、にしては意味がないですし」

「うーん、なんだろう?」


 じっくりとみても、光に透かして見てもなんら変わらない。試しに微妙にあぶってみるも、文字は現れない。寧ろそれによっておかしなことに気が付いた。

 燃えないのだ。明らかに火に弱い紙のはずが、全然燃えないのだ。不思議なこともある。まさか、そんな新素材というわけでもあるまい。

 つまりは、これは怪異であるのだ。とすれば少々期待することもある。わずかな非日常への誘い。(まま)ならない現実からの逃避チケット。それが切符であるならば何とも良い皮肉ではないだろうか。

 だが、結局その切符について何もわからず、数時間のうちに兄妹は頭の片隅にそれらを追いやってしまう。それほどに日常は忙しい。

 制服姿のまま彼らは料理をして夕食を摂る。それからお風呂。勿体ないので二人で入って。残り湯は洗濯に使う。そんないつも通りの行動を続けて。

 夜になる。

 夜。彼と彼女は直ぐに眠りにつく。一つの布団で。それ以外、この部屋にはないから。家財道具なんてとっくの昔に売ってしまっていたから。そのまますぐに眠りについて、そして――。


「え?」

「はい?」


 ――気が付けば二人は地下鉄の駅に立っていた。

 夢ではないと即座に感じる。肌に感じるリアルな感覚。頬を互いにつねれば確かな痛みがあって。それだけではなくもっと確信的に、脳が、本能が、全てがここが、この空間が夢でないことを告げていた。現実であると告げていた。

 由宇は未だ混乱の中にあったが、雪弥は落ち着いていた。騒いでなんとかなるから無理矢理落ち着いているのではなく、本当に、芯から冷静であった。まるで、驚くなんている心の動きを失くしているかのように。


「ふむ……」


 雪弥は周りを見渡す。知っている地下鉄駅とは似ても似つかない。何より、薄汚れすぎている気がする。確かに白い地下鉄駅だ。真っ白すぎるくらいに白いが、薄汚れているような気がする。何か、そう煤のようなもので汚れているような気がするのだ。

 だが、それだけで他はまったくわからない。とりあえずはこのまま待っていることを選択する。

 そんな冷静な兄にひかれたのか、由宇も次第に落ち着いて周りを見渡すことが出来るようになった。見れば見るほど違和感や不安感が消えていく。そして、そんな感覚すら消えた。


「なんなんでしょう、ここは?」

「さあ、まあ、原因ぽいものはこれだよね」


 それは投函されていた切符。


「ですよね」

「うん、まあ、良いか」

「良いのですか。これからどうなるかもわかりませんのに」

「良いの良いの。どうにかなるよ」

「もう、相変わらずなのですから」


 そういう問題ではないだろうが、これ以上考えることもできなかった。駅に列車が入ってきたからだ。いや、正確には列車ではなくそれは、蒸気機関車だった。黒い煙と蒸気を吐き出しながらそれは駅へと入ってきた。

 こんな地下鉄でそんなものが入ってきたら大変だろうと思うが、全然そんなことはなく、まったく煙くならない。

 なんだこれはと思いながらも二人は蒸気機関車へと目を奪われる。複雑な機構。この世のものではない。そう二人は直感する。見たこともないほど精巧で機能美に溢れたそれはこの世の蒸気機関車とは一線を画している。

 だからか、接近してき来た存在に気が付かなかった。


「やあやあ、ようこそいらっしゃい」

「――!」

「――」


 背後からそんな少年の声が聞こえた。機関車に夢中で気が付かなかった。いつの間に忍び寄っていたのか。そこにいたのは車掌だった。

 薄紫色の黒い上着と帽子、様々なホルダーの付いたベルトを締めたいかにもな車掌の少年。雪弥や由宇よりも年下に見える。まだ子供。だが、その姿は貫禄のある車掌そのもの。

 大仰な手振りでようこそと二人に一礼する。


「ここに君たちのような若者が来るのは珍しい。けれど、それもまたありえないことではないからね。さあさあ、切符を拝見」

「あ、ああ」


 その大仰なしぐさに誘われたのか、手に持った切符を渡す。


「はい、確認。では、乗ると良い。良い旅をっと――」


 それを切ると不意に、車掌が黙る。何かを感じ取ったのか。

 二人もまた同様に何かの息遣いを感じ取った。誰かの息遣い。いや。いいや、違う。感じた息遣いはそんな静かな物じゃない。獲物を狙う獣の如き、それ。


「――やれやれ、面倒な」

『GRAAAA――――』


 少年の呟きと共に、地下鉄の一角から、何かの唸り声が響く。いつの間にか、地下鉄のホームは暗がりに覆われていた。

 唸り声を聞いた瞬間、由宇は恐怖で動けなくなる。あれは駄目だと本能が逃げろと叫ぶ。だが、身体は動かない。動いてはくれない。ただ、恐れを宿した瞳をその暗がりの奥、紅い輝きに向けるのみ。

 それは異形だった。闇に生まれ、闇に住み、闇で生者を貪る恐怖のカタチ。あるいは、狂気のカタチ。あるいは怒りのカタチ。あるいは、そう、あるいは、ありえない悲しみのカタチ。

 聞こえてくるのは鋼の足音。鋼の軋む音。たくさんの機械が蠢く確かな音。それは怪物の動く音。暗闇に鋭く、響いて、由宇の意識は否応なく呑み込まれそうになる。


「はい、はい、ストップ」


 ぱぁん、と車掌の拍手の音が響く。恐怖が消える。消えた。震えも。何もかも。まるで魔法にでもかかったのか、あるいは解けたように。


『GRUAAAAA――!!!』

「はいはい、煩い、喚くな」


 車掌はそう言って、ホルダーから機械を取り出す。それは懐中時計のようなものであって。車掌は――。


「――起動(Start)


 ――起動の言葉を口にした。車掌の手の中の機関機械が起動する。


――それは確かな熱量を持って。

――それは確かな冷気を持って。

――それは確かな駆動を持って。


 それは起動する。熱量を生み出し、冷気を吐き出し、心臓の鼓動のように駆動を始める。

 それは弱く。徐々に、徐々に。力強いそれへと変わる。それはさながら生き物のように蠢いて、右腕を這っていく。

 掴んでいる車掌の右腕をそれは這い上がって行く。カチリ・カチリと音を鳴らして、這いあがっていく。そうして肩まで覆うそれ。ぎちり・ぎちり、と音を鳴らしてそれはカタチを作っていく。

 歯車が組み合わさってカタチをなす。そうして、鋼は姿を現す。それは(かいな)。鋼の腕。蒸気科学が生み出す怪物を破壊するモノ。

 兄弟には何が起きているのかわからない。


――カタチは腕。

――ツクリは鋼。

――ヤクは破壊。


 だが、理解をする間もなくそれは出来上がる。

 それは、粉砕するもの。異形を殺すもの。闇を払うカタチ。破壊する腕。

 鋼の機械が車掌の腕を覆っている。複雑な機械群が車掌の腕を覆って形を作っている。まさに、巨腕。鋼の巨腕。鈍の輝きを放つもの。


真理機械時計(クロックエクスマキナ)


 車掌がそう呟く。兄妹にはなんのことだかわからない。

 真理機械時計。

 それは魂の輝きを見せるもの。魂の形を見せるもの。魂の役割を見せるもの。

 高次心理学による魂の存在証明と機関科学(エンジンサイエンス)歯車工学(ギアエンジニアリング)による再現機構、そして、少しの錬金術における質量変換と呼ばれるような技術の結晶。

 さる高名な数学者が、かの解析機関や演算機関の前身たる階差機関を設計した彼の数学者が遺したもの。

 起動したそれ。完成したそれ。現れるのは異形を殺すための凶器。

 車掌はそれを振るう。ただ、振るう。特に彼のは破壊するのには特化してるから。触れればヤクに従って、終わるのだ。これはそういう機械だから。そう、それで終わり。

 鋼鉄の拳が、車掌の振るう巨大な腕が全てを砕くのだ。いつものように。いつもの通りに。


『GRAAAAAAAAA――――!!』


 砕く。砕く。砕く。

 ただの一撃で、異形を砕く。

 そして、何事もなかったかのように、


「はい、おわり。さて、発車の時間だよ。早く乗ると良い」


 そう兄妹に向けて言う。


「いや、ちょっと待ってください。これはいったい、どういうことなのですか」


 わけがわからないから説明してほしい、由宇はそう車掌に言った。


「良いから乗りなよ。切符を持っているというのはそういうこと。ほら、早く」


 けれど、取り合ってはくれない。どうすればいいか由宇は兄を仰ぎ見て。


「んー、じゃあ、乗ろうか? ここにいてもまたさっきの奴みたいのに襲われても困るしね。僕じゃどうやっても由宇を守れないから」

「わかりました。行きましょう。明日から夏休みですし。家を空けても問題はないでしょうし」


 特にどこかに行っても問題はないだろう。彼女はそう自分を納得させて。

 二人は蒸気機関車へと乗り込んだ。


「出発進行――」


 そして、機関車はゆっくりと走り出す。走り出して、消える。まるで初めからそこには何もなかったかのように。異形の砕いた欠片も消えて。薄汚れたホームすらも消えて。何もかもが消え失せた。

 そう何もかも。兄妹がいたことも。全て。そう全て――。


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