パンダニャンの左手首の場所を知っていますか?
「それでは発見時の事を話していただけますか?」
津川警部は穏やか表情で話しかけた。
話しかけられたのは今回の被害者の妹であり同居人である初音 綾であった。
また、第一発見者でもある。
その目は泣き腫らした後で真っ赤であった。
「家に帰ったらバスルームからシャワーの音がして……お姉ちゃんは旅行に行っているはずだしおかしいなと思ってバスルームに行ってみたら……うぅ…」
「妹の方も彼氏と旅行にいっていたようですよ」
別室で亀刑事が遠藤警部補に耳打ちをした。
「で、帰ってきたら自分より後に帰ってくるはずの姉さんの方が先に帰っていたと……まぁ、最初から行ってなかったと見るのが妥当かな。」
遠藤警部補は頭を掻きながら言った。
「似てない姉妹だな。亀ちゃんはそう思わない?」
「さぁ……この年になると若い子の顔はみんな同じにみえるものでして。」
「しかし、津川警部もまどろこっしい聞き方するなぁ。第一発見者を疑えと言うけどまずはクロかシロだろう。」
「どうするんですか?」
遠藤警部補は取調室に足を踏み入れた。
津川警部は綾の手前、表情を崩さずに言った。
「何かご用で?」
「ちょっとお聞きしたいことがありまして」
「……聞くのは自分の担当です」
「まぁまぁ!一つだけですから」
そして綾の方を見つめた。
綾は相変わらず泣いている。
「初音 綾さん」
「……はい」
「パンダニャンの左手首の場所を知っていますか?」
津川警部は絶句した。
綾もポカンとしながら答えた。
「パンダニャンってアニメでやっている奴ですよね?」
「ありがとうございました。」
そう言い残して取調べ室を後にした。
津川警部と綾はしばらく固まっていた。
部屋の外にいた亀刑事に遠藤警部補は言った。
「彼女はシロの可能性が高い。」
「何故です?」
「パンダニャンの手首の話に無反応だった。わざわざパンダニャンの手首を切ったぐらいだ。犯人なら何かしらの反応があるはずだ」
亜理抄の朝は遅い。
昼まで寝ていることもザラであった。
夜遅くまで仕事……をしているわけではない。
夕方まで峰と仕事をした後にすぐ寝てしまう。筆と発想は早い方なので午後から夕方までの仕事でもうまくやりくりできるわけである。それがどういうわけか今日は朝の7時から起きている。
「ったく、せっかくの休日なのに」
普段の休日ならば昼どころか夜まで寝ている。
しかし、今日は警察が8時にたずねてくると言うことでこの時間から起きていた。
「あー!まだそんな格好で!早く着替えてくださいよ!」
峰がハスキーな大声で怒鳴る。
「着替えるって……普段どおりの格好でいいじゃない?」
「先生の普段着は人にはお見せできませんから。ほら、もう来ちゃいますよ?」
峰に促されて亜理抄は渋々外出用の服に着替え始める。
今日は休日なので峰が出勤する必要はないのだが、来客しかも警察が来るということなので来ていたのであった。
亜理抄がだらしないために峰はたびたびマネージャのような事をする。
もちろん手当てなどは貰ってないので峰が個人的にやっている事だ。
プライベートだと立場は逆転しているのかもしれない。
「全く、面倒ね……一体何の用だっていうのよ」
「心当たりはないんですか?」
「全く。税金も払っていますよ」
「……自分で払ったことないじゃないですか。いつも僕が代理でやっていますよ」
「ふわー。早く終わらして寝たいわー」
「さりげなくスルーしましたね……まぁ簡単な話って言っていたからすぐに終わるんじゃないですか?」
8時になっても警察は来なかった。
9時、10時、11時…いくら待ってもこなかった。
外出着が窮屈そうな亜理抄は呟いた。
「これって来る来る詐欺?」
「何ですかその楽しそうな詐欺は……ちょっと警察に電話してみますね。」
「……これなら普段と同じ時間に起きればよかった」
電話機に峰が向かったところでチャイムが鳴った。
「来たみたいですね。文句言ってやらなくちゃ」
峰が乱暴にドアを開ける。
そこに立っていたのは遠藤警部補であった。
峰は思わず呟いた。
「遠藤……新作?」
遠藤警部補はキョトンとして言った。
「人違いですね。本官は「遠藤九作」と言います」
「あっらー。おしいわねー。」
後ろから亜理抄が声を出す。
遠藤は気を取り直して話し始めた。
「えーまずは遅刻したことを謝罪します……それにしても寿賀瑠々先生が女性でこんなに美しい方だとは驚きです。あっ、僕はパンダニャンのファンなんですよ。どうです?今度パンダニャンの詳しい話を聞かせていただきませんか?お食事をおごりますよ」
名刺を差し出されたのは峰の方であった。
峰はそれを制して言った。
「いや、僕は……先生は後ろの方です」
「これは失礼。で、貴女のお名前は?」
後ろで亜理抄が嬉しそうに呟いた。
「みすぼらしい格好に女好き……ますます遠藤新作ね。まぁ、警察じゃなくて探偵だったらもっと完璧だったけど」
「……どうぞ。粗茶ですが。」
なおも峰を口説こうとする遠藤警部補をようやくなだめてお茶の間に座らせた。
「これはどうも。いやいや、峰さんのような美しい女性に淹れていただけるなら、泥水でも玉露ですよ」
「じゃあ、泥水と取り替えてきましょうか。それに僕は女性じゃ……」
「それよりも刑事さん。用件は?」
峰の言葉を亜理抄は遮った。
どうやら遠藤の勘違いを面白がっているようだ。
遠藤警部補はお茶に口を付けてから言った。
「そうですね、まずは一つ目。」
「はい。」
「パンダニャンの左手首の場所を知っていますか?」
「……」
亜理抄は黙った。
その反応を遠藤警部補は見逃さなかった。
(クロだな。犯人でなくても何か知っているのは間違いない。)
その考えは自分のお茶を淹れてきた峰の言葉が遮った。
「寿賀瑠々のファンっていうのは本当みたいですね。さすが。」
「えっ?」
「もしかしてその格好もそのアピール?名前も偽名とか。」
「峰さん、何の話ですか?」
「だから遠藤新作の話でしょ?そのセリフで犯人を探す話があったじゃないですか。」
遠藤警部補は頭がこんがらがってきた。
「そういえばさっきも「遠藤新作」がどうのこうのって言ってましたが……何の話ですか?」
今度は峰が面を食らった。
「「遠藤新作シリーズ」。作寿賀 瑠々。知っててやったんじゃないですか?」
「申し訳ないですが寿賀先生の作品はパンダニャンぐらいしか…詳しく聞かせてもらいませんか?」
嬉しそうに峰が語りだそうとしたのを亜理抄が制して言った。
「当時はこの子はアシスタントにいませんでした。私が説明しましょう。」
遠藤新作シリーズ……
寿賀 瑠々がデビューしてから3作目となる作品である。
前作、「金田少年の事件簿」の登場人物である遠藤新作にスポットを当てたスピンオフ作品であった。
探偵、遠藤新作が華麗に事件を解決していく王道ミステリー漫画であった。
だが、王道的な内容よりもサブタイトルにもなっている犯人の怪奇性と事件の猟奇性の方に人気を集めた。集めたといっても後年、しかも一部のマニアにだけであるが。
「ホッケーマスク」
夜な夜な人間が切り刻まれる事件が発生した。目撃者の情報によるとホッケーマスクをした男が近辺をうろついているという事であった。
「福笑い」
殺害した人間の顔のパーツをぐちゃぐちゃにする事件が発生した。新聞では「福笑い事件」と呼ばれ、世間では犯人の呼称も「福笑い」と呼ばれた。
「ハゲ」
殺した人間の頭の皮を剥ぐ連続殺人が起こった。「ハゲのうらみ」とネット上で騒がれた。
しして4つ目のエピソードとして……
「人形使い」
「殺した人間の体をナイロンの糸でバラバラにするって話。肉体の一部は持ち去られていてその傍らには持ち去られた部分を切りとられた人形が置いてあるって寸法。」
「で、探偵の遠藤新作は出合いがしらに「人形の体を知りませんか?」って聞いていくんですよね。犯人と警察しか知りえない情報でかまをかけていくと。」
亜理抄の説明に峰が続ける。
遠藤警部補は頭をガリガリと掻いた。
ふけが飛び散るのに峰が目を覆った。
(つまり、俺のかまかけは「人形使い」を知っているかどうかの確認にしかならないわけか……作者の寿賀先生が知っているのは当たり前であの反応だったと。あーいい作戦だと思ったんだけどなぁ)
少し間を置いて遠藤警部補は問いかけた。
「それで5つめのエピソードは?興味が出てきたので聞かせていただけますか?」
それは嘘であった。
職業柄、猟奇的な漫画は嫌いであった。
しかし、ここまで聞いたからには最後まで聞いておくものだろうと思ったのであった。
亜理抄は少し答えにくそうであった。
「5つ目というか最後のはねぇ……」
「最後なんですか?」
歯切れの悪い亜理抄の横から峰が口を出した。
「掲載されている雑誌が休刊になっちゃったんですよ。だから先生にとってはトラウマなんですよね?」
「それはすみません……」
「ちょうど、僕が昨日読んでいたから見せたほうが早いかな」
そう言って峰は奥の書庫から雑誌を何冊か持ち出してきた。
ギャルOh!というタイトルの雑誌は新聞紙のような薄さであった。
(なるほど休刊か。)
言われるままに遠藤新作のページを開くとそこには大きな字でサブタイトルが書かれていた。
「リストカッター」
その言葉に遠藤警部補は何かひっかかった。
その違和感の正体はすぐに分かった。
事件はこう。
手首を切り取られた死体が発見された。
筋力を奪う薬を使用し湯船につかわされて、手首から血を流しすぎての失血死であった。
(これはまるで……)
次に遠藤警部補は確信する。
被害者の名前が
「初音 未来」
(間違いない!この漫画の模倣犯だったんだ!)
しかし、疑問が残った。
何故、犯人は現場にパンダニャンの人形を置いていったのだろう?
この話には人形は出てこなかった。
人形が出てくるのは先ほど説明された「人形使い」の方である。
遠藤警部補は亜理抄の方を見る。
地味な第一印象を持つこの女性ではあるが。
(パンダニャンは彼女へのメッセージ……宣戦布告かも。)
見つめられた亜理抄は照れながら聞いた。
「どうしました?」
(この事を本人に伝えるべきか?)
一般人に事件のことを話すのはもちろんやってはいけない事である。
しかし、亜理抄は無関係ではない。
むしろ殺害の対象になる可能性も高い。
(俺も嫌な奴だなー。)
本音として模倣された漫画の作者の協力を仰ぎたいというのがあった。
遠藤警部補は話した。
事件、今回の模倣について。
亜理抄は冷静であった。
職業上、そういう事はいつか起きると思っていたのかもしれない。
一方、峰の方は信じられないという様子であった。
そんな二人を見比べながら遠藤警部補は聞いた。
「先生、何か心当たりはありませんか?人から恨みを買うとか」
「さぁ……知らずに買ったりしているかもしれませんが」
亜理抄を恨んでいる人物……
遠藤はそこから当たってみる事にした。
「それでは僕は帰ります。お時間をとらせて申し訳ありませんでした。……そうだ資料としてこの漫画のコピーもらえませんか?あっ、単行本が出ていれば帰りに自分で買って行きますが。」
「あいにく「リストカッター」の話だけは単行本に収録されていません。コピー機ならありますので。峰ちゃんお願いね」
「はいはーい。この頃のギャルOh!は発行部数も少ないですからね。ネットのマニアの間でも幻の回とされているんですよ。読んだことすらない人も珍しくないんですから。」
(読んだことすらない人も珍しくない?その辺を当たっていけば……いやいや、そんなもんをどうやって調べるんだ?それに、今持ってなくても記憶を頼りにしている可能性も……)
コピーを受け取り遠藤警部補は笑顔で言った。
「ありがとう。峰ちゃんだっけ?下の名前聞いてもいいかな」
「峰……ふ・じ・おです!」
「ふじおちゃんか。いい名前だね。今度食事でもどう?」
そう言って電話番号が書いてある名刺を渡した。
刑事という職業は合コンでは使いにくいのか職業の欄は「国家公務員」になっていた。
「それじゃね!先生も何か分かったら警察のほうに連絡をください!」
そういって遠藤警部補は去っていった。