こうかい
テオが庭と広間をつなぐガラス張りのドアのまえにいた。
ブラナーさんの姿はない。
いつの間に戻ってきたのだろう。ドアが開閉したような音は聞こえなかったけれど。
「辺境伯」
「なんだ?」
顔色をなくし、立っているのがやっとのわたし。
テオはそのわたしの隣までやってくると、じろりとロシュミットさんの顔を睨む。
射抜くようなテオの視線をさらりとかわし、ロシュミットさんは口角を上げる。
そこから、年上の余裕を感じた。
「ノアザになにを言った?」
ロシュミットさんのその態度に、テオはますます機嫌を悪くする。
「なにも。ただ、少し世間話をしておっただけだ」
あざけるような笑みを浮かべるロシュミットさん。
わたしは違和感をおぼえる。
ロシュミットさんは、こんなひとだったろうか?
事前に了解済みだったとはいえ、夜中、迷惑がらずお屋敷にわたしたちをあげてくれた。
ついさっきまで、普通に話をしていたし、わたしはそれでロシュミットさんに良い印象をもったのだ。
けれど。いまのロシュミットさんは、テオの神経を逆なでするようなことばかりしている。
「ただの世間話で、ノアザがこんなに怯えた、と?」
声が、刺々しくて。
わたしは、テオの羽織っている黒いコートの袖をぎゅっとつかんだ。
それに気づき、こちらを見るテオ。
「わたしは、大丈夫だから…」
ここがバルタザルの領土で、テオがバルタザルの国のひとだったというのにとてもショックを受けたけれど。
いまは。
テオの剣幕のほうが怖い。
こんな殺気だった彼をみたのは初めてだった。
怒っている、という言葉ではあらわしきれないなにかが、テオの表情にはある。
「おぬしを怖がっておるようにみえるが」
からかうようなロシュミットさんの口調。この老人にしてみれば、息子ほど歳の離れたテオの怒りなどなんともないのだろう。
「本当に、大丈夫」
だから、怒らないで。
懇願するような顔をしていたわたしを見つめ、テオの全身から力が抜けた。
次に彼にやってきたのは、後悔。
ロシュミットさんに指摘されたことが的を得ていたから。
わたしを怯えさせてしまったという自責の念。
テオはその膝をおりつつ、わたしを抱き寄せた。
腰に太い腕がまわされる。
わたしは先ほどまで感じていた恐怖などすっかり忘れ、苦しそうな表情の愛しいひとを見下ろした。
「怖がらせて、すまない」
わたしはテオの首に両腕でしがみつき、彼の肩に顎をのせる。
「大丈夫。もう、怖くない…」
普段なら、そのままキスに移行するところだったけれど。
「うおっほん」
白々しい咳払いの声が聞こえて。
わたしは、自分たちがいま、どのような状況だったのか瞬時に思い出し。
見られていた恥ずかしさで顔を赤くしながら、慌ててテオから離れた。
テオも立ち上がり、床についた膝を手で払う。
「おぬしらの関係はよくわかった。悪かったの、ノアザ」
「え…」
「テオがどのくらいそなたのことを想っておるのか、試させてもらった。そのせいでそなたを怖がらせることになってしまい、本当にすまなかった」
わたしに対し、深々と頭を下げるロシュミットさん。
彼の突然の行動に、わたしは目をしばたたかせた。
「謝るなら、試されたおれにだろうが」
まだ不満げな様子だったけれど、いまのテオからはあの殺気は感じられない。ようやく、いつもの彼だ。
「ふぉっふぉっふぉっ」
ロシュミットさんからもいやな感じが消えた。笑う声も顔も本心から楽しんでいるように見える。
「便りの一つも寄越さない恩知らずに、少々いじわるをしてみたくなったのだ」
「だれがいつあんたに恩を受けたよ」
ふてくされたように呟くテオ。
わたしはほっと胸をなでおろした。
よかった。
ロシュミットさんが悪いひとではなくて。
「そもそもおぬしがいけないのだ。恋人には、自分の出身地ぐらい教えておくのが普通だろう」
恋人―――あっさりそう言われて、わたしのほうが動揺する。
ちらりと横目でテオを盗み見たけれど、彼は特になにも思わなかったのか堂々としていた。
「“過去”は関係ない。大切なのは“現在”…いまだ」
「そう思っておるのは男だけで、女のほうは気になるものだ」
ロシュミットさんがこちらを見た。
図星、だ。
わたしはテオの“過去”が知りたい。
昨夜だって、邪魔が入らなければ間違いなく訊いていた。
わたしの知らない、テオの半生…
「そうなのか?」
ノアザ、とテオに話を振られ。
わたしはこくんと頷いた。
「おれの過去など聞いても、面白くもなんともない」
「でも…知りたい」
生まれたときのこと。子どもの頃のこと。大人になって、なにを成したのか。
叔母さんと結婚し、それから森にこもるまで。
彼の人生すべて知りたいといっても言い過ぎではない。
テオは腕を組み、口を真一文字に引き締めた。
困惑しているようだ。
「話してやったらどうだ?」
ロシュミットさんもわたしを後押ししてくれる。
「……バルタザルで生まれて18歳までこちらにいた。家族は両親と兄が1人。ウルスラへ4年間留学し、帰国。そのあとしばらく働いて、最終的にウルスラの北側の森で隠居生活でいまにいたる」
一気にそうまくしたてられ、わたしの頭は処理が追いつかない。
ロシュミットさんはなぜか笑いを必死でこらえている様子。
「テオ…それはさすがにはしょりすぎだぞ」
「おれの過去なんて、こんなものだ」
テオが髪の毛をわしゃわしゃと掻いた。
くわしく訊きたかったけれど、そのとき、庭からブラナーさんが戻り、睡眠中だったレビンソンさんも寝ぼけまなこで広間へやってきたので、みんなが揃い。
昼食をとることになったので、結局訊けずじまいに終わった。
大事なところで邪魔が入るのは、お約束ですね。
それにしても、登場人物の半数以上がおっさんてどういうことでしょうか。わたしがいくらおっさん萌えとはいえ…