いざしゅっぱつ
急いでいるらしい2人のために、わたしたちは最低限必要なものをみつくろい、鞄につめた。
着替えの服などほとんど入れていない。
テオが言うに、滞在先で買えばいいだろう、ということらしい。
しかも、呼びつけた相手に代金を払わせるとか。
それって、王様だよね?
王様に払わせるの?
大丈夫なのかな…
テオの思考についていけない。
なんとか準備を済ませ、いざ出発! というときになって。
わたしは気がついた。
「どうやって目的地まで行くんですか?」
状況に流されてしまっていて、いまのいままでまったく思いつきもしなかったわたしは、かなり鈍いだろう。
外は夜で、真っ暗。
雪はやんでいるけれど、かなり積もっている。
普通なら、朝を待つ。
あと、それにともなうもうひとつの疑問。
2人はどうやってこの家にたどり着いたの?
訪ねてきた時点で、夜は更けていて、月も出ていなかった。
そんななか、防寒用のコートは着ているもののそれほど重装備でもなく、はいているブーツもあまり汚さずにここまでやってきた2人。
「ゲートを、開いて、移動します…」
自信なさげなレビンソンさんの声。
「ゲート…ですか?」
また初めて耳にする単語。
わたしは首をかしげる。
「百聞は一見にしかず。荷物を持ち、外に出てみるのだ」
ブラナーさんは気が短いようで、さっさと自分のコートを羽織ると玄関のドアを開けた。
とたんに流れ込んでくる冷たい外気。なかのぬくぬくとした暖かさに慣れてしまっていた体にひどくこたえる。
しかも、まだ、わたしはコートを身につけていない。
慌てて黒のコートを羽織り、鞄を手に持とうとしたら。
テオがひょいとわたしの鞄を横取りした。
「鞄はおれが持つから、ノアザはきちんとコートを着るんだ」
きちんと着るというのは、前のボタンをとめろということらしい。
わたしはテオの好意に甘え、ボタンを上から下まで全部、しっかりととめた。
わたしのその首にふわりとかかる臙脂色のマフラー。
濃い赤い色のそれは、テオのものだ。
「襟元が寒そうだ。巻いとけ」
「ありがとう…」
わたしはマフラーを巻きなおし、テオもマフラーもなんてあたたかいのだろうと幸せな気持ちになった。
ブラナーさんはすでに外にいる。
レビンソンさんに続いて家を出ると、そこは一面真っ白な雪の絨毯のはずが。
一部土の地面が露出し、不自然に青白くぼうっと淡く光っている。
恐るおそる近づく。
そこには。
魔方陣と呼ばれるものが、あった。
ロースクールのテキストでしか見たことがなく、目のまえのそれが本物だという実感がない。
「魔方陣を見るのは初めてか?」
隣に来たのはブラナーさん。
いつの間にか帯剣している。
「初めてです」
正直に答える。目は魔方陣に釘付けのまま。
「アーレンが描いた。これをつかって王都へ向かう」
「魔方陣にも色々あってね。描きかたによって用途がかわるんだ。これには空間転移の式を描いてる」
レビンソンさんのよどみのない説明。顔の表情や声がいきいきとしている。
わたしは、彼のその変貌ぶりに驚きながらも、魔方陣が放つ淡い青白い光に魅せられていた。
「魔導師か」
テオが暖炉の火を消し、戸締まりをして出てきたようだ。
「魔導師って…初めて見た」
「この国に魔導師はあまりいないからな。隣のバルタザルにはわりといるが」
テオが以前叔母と暮らしたという隣国バルタザル。
軍事国家といわれているだけあって、剣術はもちろんのこと、魔法の開発にも力を入れているという。
魔法をつかえるというのは稀有な存在で、その才能の持ち主である魔導師が多数、バルタザルに属している。
バルタザルの戦争無敗は、魔導師たちの力によるところも大きい。
「ロシュミット辺境伯の館の敷地に転移します」
「辺境伯? 国境沿いの? なぜ?」
矢継ぎ早に問いかけるテオに、レビンソンさんはみるみるしぼんでいき…
「アーレンは中級クラスの魔導師ゆえに一気に王都まで転移するだけの魔力がない」
ブラナーさんがとどめをさし、レビンソンさんは完全に自信を失い、いまにも泣き出しそうだ。
魔導師や魔法、魔力についてはテキストで勉強したから、知識としては知っている。
例えば範囲魔法をつかうとして、その範囲のひろさや威力は術者の魔力の強さに由来する。
魔力の多少は、つかう魔法の継続時間や回数にかかわってくる。
つまり、魔力が強くて多い魔導師が有能であるとされ、重んじられる。
わたしからしてみれば、魔法をつかえるというだけで尊敬の対象なのだけれど。
魔力の有無については、まったくないひとのほうが圧倒的に多い。
あるひとは、だいたいが魔導師の家系だ。
魔力は血に宿る、とまでいわれているのだから。
「で。どうして辺境伯の館なんだ。他になかったのか」
テオは辺境伯というひとにこだわっているらしい。
「仕方がなかろう。秘密をまもってくれそうなかたを陛下が選出されたのだ。現にロシュミット辺境伯はすばらしい人格者であられる」
ブラナーさんは辺境伯というひとを褒めたたえている。
なにを言っても無駄だと思ったのか、あきらめたように肩をすくめたテオは
「わかったよ。さっさと行こう」
そう言ってさっさと魔方陣に足を踏み入れる。
ブラナーさん、レビンソンさんと続けて入り、残ったのはわたしだけ。
怖い。
見ているだけなら大丈夫。けれど、いざ魔方陣で移動となると…
「どうした?」
テオが魔方陣から出て、わたしのそばに来てくれる。
「魔法、初めてで、怖い…」
万が一、事故でも起こってへんなところに飛ばされたりしたら。
テオと離ればなれになってしまったら。
「心配ない。『みた』ところ魔方陣の式は完璧だ」
でも、怖いの。
テオは2つの鞄を片方の手で持つと、空いたほうの手をわたしにむかって差し出した。
「手をつないでいれば、飛ばされたとしても一緒のところに行けるだろう」
ああ…また、気をつかわせてしまった。
わたしは自己嫌悪に陥る。
まだまだ子どもだ。
そしてわたしは差し出されたテオの手をしっかりと握る。
テオにみちびかれ、魔方陣の中へ。
「移動します」
レビンソンさんの声を最後に、わたしの視界は暗転した。
この世界での魔法と魔導師のことを書きました。うまく伝えられているか心配です。