【蛇足】てをつなぐ
バルタザル王宮から戻って以来、週に1回のペースでロシュミットさんのお屋敷におよばれしている。
わたしはロシュミット夫妻にいたく気にいられたらしい。
いつでも往き来ができるようにと、森の家とロシュミットさんのお屋敷に残された魔方陣を、魔法石を使うことにより常時発動可能にしてしまった。
つまり、魔導師がいなくてもその魔方陣に入るだけで移動ができてしまうのだ。
魔力を宿す魔法石はとても高価らしく(少なくともレビンソンさん自身が保有している魔力よりは確実に多い)、ロシュミットさんがけた違いのお金持ちだと再認識させられた。
魔法石に宿る魔力は半永久的だけれど、それをひとの魔力の回復には使用できないので、もっぱら魔方陣の式の安定などに用いられている―――とレビンソンさんからの受け売りの知識をひけらかしてみる。
ロシュミットさんのお屋敷に行くときは、テオにも必ず同行してもらう。
魔方陣が、怖くて。
それは、何度使っても、慣れない。
自分がどこかへ行ってしまいそうで。
テオはそんなわたしのわがままをいやな顔ひとつせずにきいてくれる。
手をつないで、眼を閉じて。
テオと手をつないでいるだけなのに、それだけでもう怖くない。
わたしは本当にテオに頼りきっている。
お屋敷では、ロシュミット夫人の話し相手になることが多く、ときどきダンスや礼儀作法なども教わる。
夫人は話題が豊富で、ちっとも飽きない。
ダンスと礼儀作法については少し厳しいけれど、教えてもらっているのだからあたりまえだ。
今日は広間でダンスの練習。
わたしとロシュミット夫人、そして講師の先生。
なんと、わたしなんかのために先生を用意してくれているのだ。
夫人曰く、
「するなら徹底的に」
何事も基礎からしっかり身につけて、臨機応変に対応できるようになってこそ一人前。
それはなにもダンスに限ったことではなく、すべてにおいて。
部外者がいると気が散って集中できないからと、テオもロシュミットさんもしめだされてしまっている。
高価なドレスに着替えて。
足がもつれたりつりそうになりながら、ステップの練習。
わたしはダンスなんて踊れなくていい。夫人から誘われたとき、そう断った。
でも、夫人は、こう言ったのだ。
「もしもテオがまたお城に呼ばれたら、あなたもついていくのでしょう? そのとき舞踏会なんかがあって、出なくてはならなくなったとき、あなたは壁の花で我慢できる? あなたが踊れなければ、テオは他の女性と踊ることになるのよ」
いまになって思えば、うまく夫人にのせられたのだなとわかる。
まず、テオは舞踏会なんかには出ない。
そしてわたしをひとりにしない。
万が一舞踏会に出席しなくてはならなかったとしても、わたしをおいて他の女のひとと踊ったりはしない。
わかっていたつもりだったのに、夫人に言われたときは、ダンスを習うしか選択肢はないと思いこまされしまった。
さすがテオが一目おくロシュミットさんの奥方ということか。
慣れない足運びに、先生とはいえテオ以外の男のひとと体を寄せあうのはとてつもなく緊張する。
休憩と言われ、ソファに倒れこむように座った。
ちっとも上達している気がしない。
ロシュミット夫人に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
疲れから弱気になっているわたしは、広間の壁にかかっている額縁に眼をとめた。
そこには、ロシュミットさんとその家族の肖像画が飾られている。
ロシュミットさんと夫人、3人の娘さんたちがこちらにむかってにこやかな笑みを浮かべている見事な出来映え。画家の腕もすばらしい。
「どうしたの?」
紅茶を一口こくりと飲んで、ロシュミット夫人が訊ねる。
わたしはしばらくぼうっと絵に見入っていたらしい。知らぬ間にテーブルにはメイドさんが運んできてくれたティーセットがのっていた。
「あ、肖像画が…すごく素敵で」
わたしの視線の先にある自分たちの肖像画を夫人も見つめた。
「ああ、あれね。よく描けているでしょう。一番下の娘が16歳のときのよ」
一番下の娘って…どれだろう?
わたしは眼をこらしてよく見たけれど、笑顔の3人の娘さんたちはそれぞれ同じ年格好のようで、全然わからない。
ちなみに全員美人です。
「この絵の時点での娘たちはね、上から23、19、16。みんなお嫁にいってしまったの。しばらくは寂しかったわ」
仲の良い家族だったのだろう。
絵をながめて当時のことを思い出しているロシュミット夫人のまなざしは穏やかで、慈愛に満ちていた。
「娘が結婚の適齢期になるたびにアルモーフィ家に打診したけれど、みんな断られてしまったわ」
いたずらっぽく笑う夫人。
わたしの胸がずきんとうずいた。
アルモーフィとは、テオの姓。
そのアルモーフィ家に結婚の打診をしていたということは。
テオがロシュミットさんたちの娘さんのどれかと夫婦になっていたかもしれないということで。
「特に夫がテオにぞっこんで。テオの人間性に惹かれたのでしょう。本人からすっぱり断られて落ち込んでいたわね」
ふふふと含み笑いをもらす。
ああ、だから…
テオはロシュミットさんのお屋敷に行くことをいやがったんだ。
過去にそんなできごとがあったから。
顔を合わせるのが気まずかったのかな。
「自棄になって、娘みんな外へ出してしまったの。ロシュミット家はわしの代で終わりだ、って」
テオは次男だし、あわよくば婿養子になって家を継いでもらいたかったみたい。
そう言う夫人も残念そうな表情をしていた。
同じことを考えていたのだろう。
けれど、その願いはかなわなかった。
「でも、それがいまはよかったと思えるの」
ロシュミット夫人が真剣な顔つきになってわたしの眼を見た。
「テオが娘と結婚していたら、あなたはここにいなかった。テオがあなたと出会うことも2人が恋におちることもなかった。私たち夫婦がその出会いをさまたげなくて、本当によかった」
夫人が両手でわたしの両手をにぎり、にっこりと笑う。
「私もノアザに会いたかったもの」
まるで少女のように、屈託なく。
わたしはいまのこの幸福をかみしめる。
愛されている。
血のつながりのない、家族でもないこのわたしを。
このひとは、大切に想ってくれている。
わたしだってそう。
ロシュミットさんも夫人も同じように大切だ。
親しくなるのに時間は関係ない。
伯母のように10年いっしょにいてもわかりあえないひともいれば、たった3日で親子のように情のわく夫妻のようなひとたちもいる。
「ありがとうございます」
声が震えていたかもしれない。
嬉しさがこみ上げてきて、口がうまく動かない。
「さあ、休憩が終わったら今度は曲を通しで踊ってみましょう」
夫人は笑顔のまま、わたしの手をきゅっと握った。
きいてない。
ありえない。
どうして?
広間に入ってくる数名の男女。手にはそれぞれ楽器を持っている。
な、生演奏!?
たしかに曲を通してみると言っていたけれど。
まさかこんなことになるなんて。
しかも、続いて部屋に入ってきたのが。
正装した、テオだった。
彼の姿を見た瞬間、大げさでなくわたしは気を失いそうになる。
なんて…かっこいいの!
テオ自身は憮然とした顔で、窮屈なのか襟元をしきりにさわっているけれど。
それさえ、さまになっている。
上背があり体格もよく姿勢がいい。
濃い青の生地に、襟を金糸で刺繍がほどこされた長めの丈の上着は、テオの野性味あふれる精悍な顔立ちによく似合っていた。
白いシャツに上着と同じ色のベスト。タイは暗い赤。
スラックスも濃い青で、膝下まである黒いブーツに裾を入れて履いている。
片手を腰にあて、もう片方の手でわしゃわしゃと自分の頭をかくテオの癖も、なんだか洗練されて見える。
だめだ。見とれてしまう。
わたしは、赤くなった頬を両手で隠した。
「ノアザ」
テオがわたしに気づいてこちらへやってきた。
家ではあまり気にしたことがなかったけれど、テオは所作がいちいち優雅だ。
やはり貴族出身だから?
「なにがどうなっている? 夫人がいきなりこれに着替えて広間へ来いと…」
黒い瞳が熱を帯び、うっとりとした表情でわたしを見つめるテオ。
いつの間にか彼の手がわたしの細い腰に添えられ。
「可愛いな。似合っている」
わたしの腰を、添えた手でぐいと引き寄せ、首のあたりに顔をうずめると、ちゅっと口づけされた。
今日着ているドレスは茜色のかわいらしいデザインのもの。
胸元にはやっぱり詰め物をしているけれど、それ以外はなにもしていない。
「テオ、ノアザが困っているから」
夫人の声にわたしはほっとした。
テオとの距離が近くて、わたしは顔どころか首まで朱に染まってしまっていたから。
逆にテオは、ちっと短い舌打ちをして、不満をあらわにする。
「テオ、ノアザと一緒に踊ってあげて」
「はあ?」
首から顔は離してくれたけれど、体は密着したままで、わたしは焦る。
「リードはまかせたわ」
ロシュミット夫人はテオの剣呑な視線などものともせずに、手をぱんぱんと叩いた。
それが合図だったらしい。演奏が始まった。
テオと踊るの?
このわたしが?
わたしが内心あたふたと慌てていると、テオが観念したように、小さく息を吐いて。
わたしと向かい合うように立つと、右手はわたしの左手を持ち、左手はわたしの腰にあてた。
ダンスが始まる。
なに、これ。
先生と踊るのと全然ちがう。
ああ、テオのおかげなんだ。
テオのたくみなリードのおかげで、へたくそなはずのわたしが、なかなかに踊れている。
楽しい!
先生とのときは、足がもつれたり、先生の足を踏んだり、膝がぶつかったりしたのに。
そんな失敗は、テオとは一度もなかった。
わたしを引っ張るテオの横顔が、高潔な騎士のそれに見える。
わたしに忠誠を誓う騎士…なんてね。
自分の想像に思わず笑みがこぼれる。
「どうした?」
テオが首をかしげる。
ダンスが終わった。
わたしは息があがっていた。
胸をおさえ、はあはあと息をする。
「すばらしかったわ2人とも。さすがテオ、やっぱり上手」
ぱちぱちと拍手しながらロシュミット夫人が近づいてきた。
わたしはなんとか息をととのえ、夫人に笑顔をむける。
「ノアザものびのび踊れていてよかったわ。テオのリードのおかげね」
夫人も満足そうで、わたしも嬉しくなった。
「楽しく踊れた。テオ、ありがとう」
テオは、小さいときからダンスを習っていたのだろう。
だって、貴族だもの。
わたしの心のなかには、まだまだわだかまりがたくさんあって、それは依然としてくすぶり続けているけれど。
わたしが自分からテオの手を放さない限り、彼はわたしのそばにいつまでもいてくれるだろうといううぬぼれのような確信がある。
だって、ほら。
ダンスが終わっても、テオはわたしとつないだ手を放さない。
なにが書きたかったのか、よくわからなくなってしまいました…
テオはダンスが上手です。




