げんそうとげんじつ[ノアザ視点]
あの出来事があってから、わたしはますます部屋のなかに引きこもるようになってしまった。
動かないからお腹があまりすかず、食欲もなくなる。
また地雷を踏みたくないので本を読むのはやめた。
いまのわたしは、一日中窓辺の椅子に腰かけ、窓からぼーっと外の景色を眺めているだけ。
考えないようにしていても、やはり頭に浮かぶのはテオと王女エルフリーデさまとの親しげな姿。
いつもはもっさりのっそりのくまさんのはずのテオが。
深みのある紫黒の軍服を身にまとうとそのゆったりした動きがとたんに優雅に見えた。
たまたま無精髭を生やしていただけで、もともと彼は男らしい顔をしているのだ。
その隣に寄り添うしなやかな肢体の若く美しい王女さま。
青いドレスがその理知的な顔立ちによく似合っていて。
年齢は21歳ということだったけれど、女性の芳醇な色香を醸し出すその姿は大人びていた。
わたしじゃ、こうはいかない。
わたしがどんなに着飾ってテオの隣に立っても、あんな風にはなれない。
やはり、好きになってはいけないひとだったのだ。
森の家ではよかった。だってほかにだれもいないもの。
わたしがテオを好きだと言っても、きいているのは彼だけ。
でも、ここではちがう。
大勢のひとのまえで、わたしがテオを好きだと言ったら、多分笑われる。
不釣り合いだ、って。
ここへ来て、魔法がとけたのだ。
森での生活は、幻想。
こちらが、現実。
テオは現実の世界に戻り、この王宮で暮らす。
わたしは…
なんとか、自活できるすべを探さなくてはならない。
そのとき。
こんこん、とドアをノックする音がした。
サラさんの叩き方ではない。
「は、はい」
わたしは慌てて椅子から立ち上がると、ドアを開ける。
「はじめまして」
ドアのむこうに立っていたのは、見たことのない若い男のひとたちだった。
3人とも背が高く、並んで立たれていると壁のようで、見下ろされるかたちになったわたしは、畏縮してなにも言えなくなってしまう。
全員が同じ紺色の軍服姿で、髪と瞳の色は黒。
バルタザル国民は、そのほとんどが黒い髪に黒い色の瞳をもつ。
だからこのひとたちも純粋なバルタザル人なのだろう。
軍服はこの国の騎士団のもので、近衛騎士団とはまた別の所属のもの。
「ごきげんはいかがですか?」
最初に声をかけてきた男のひとが、また口をひらいて少し前に出た。
わたしはこわくてなにも言えない。
このひとたちは、いったいなにをしにわたしのところに来たのだろう?
「ファルジア、よせ、彼女がおびえている」
隣にいた男のひとが制止した。
「これは失礼。私はファルジア・オーランシュ」
そう名乗った男のひとは、悪びれた様子もなくひょいとわたしの右手をとると、その甲に自分の唇を軽く押しあてる。
「!!」
突然のことに全身が総気立つ。
「ファル!」
「騎士としての挨拶をしたまでだよ」
オーランシュというひとは、わたしの手を握ったまま放さない。
「彼女、びっくりしてる。あたりまえか」
もう一人いた男のひとがわたしの顔を見てくすくすおかしそうに笑う。
「いきなりだもん、驚くよね。僕はレオン・バレーヌ。そっちのやつがジラルド」
「ジラルド・ルクレール」
ぼそりと男のひとが名乗った。
わたしはわけがわからず男のひとたちの顔を見比べる。
「来賓室にロシュミット辺境伯のお身内の方が泊まられているときいてね。挨拶に来たんだ」
オーランシュさん、そんな説明はいいから早く手を放してほしい。
たしかにこのひとがいうとおり、ここではわたしはロシュミットさんの身内となっている。
そうでもしないと一般人でしかも見た目がバルタザル人ではないわたしが王宮に長期にわたり滞在できるわけがない。
お屋敷を離れるとき、レビンソンさんがロシュミットさんに頼んでくれていた。
「ファルがどうしても、っていうからついてきたんだけど…まさかこんなうら若き女性だとは思ってもみなかったよ」
どうやら彼らはロシュミットさんの身内の年齢や性別まではきいていなかったらしい。
「俺は戻る」
ルクレールさんはわたしに一礼すると、くるりと体の向きをかえ、歩き出そうとした。
「ちょっと待てよ、ジル。おい!」
オーランシュさんが足早に立ち去るルクレールさんを引き止めようと声をかけ、手をのばす。
やっとわたしの右手が解放された。
左手で右手の甲をさすり、ふと顔を上げると、そこにはオーランシュさんとバレーヌさんしかいなかった。
「…ったく。ジルは堅物なんだから」
オーランシュさんはルクレールさんが去った方向を見つめて、ちっ、っと舌打ちをした。
「ところで、お嬢さん」
振り返りわたしににこやかに話しかけるオーランシュさんの顔は、ルクレールさんへの不快感をきれいに隠していた。
なんたる変わり身の早さ。
「な、なにか?」
また取られてはたまらないので、わたしは両手を後ろにまわした。
「あなたお一人での滞在ですか?」
こういう場合、なんとこたえたらいいのだろうか。
まさかわたし目当てでやってくる人間がいるとは思っていなかったので、そこまでは打ち合わせをしていなかった。
けれど、ここは。
「そうです」
と、こたえておくのが無難だろう。
わたしの後ろ盾がロシュミットさんということは。
ブラナーさんやレビンソンさん、そしてテオとなにかつながりがあると知られてはいけないということなのだろうから。
王宮に戻るのはテオだけだったはずなのだ。
国王側からしてみれば、そもそもわたしは想定外の存在なわけで。
おとなしくしていなくては。
「ここじゃなんだからさ、談話室に行かない?」
バレーヌさんに誘われ、不用心かと思いつつも、どうせわたしなんか襲われることなどあるまいと、半ば自暴自棄になりながらうなずいた。
談話室は中庭に面していて、太陽の光を取り込む大きな窓があり、そこから庭に出られるようにもなっている。
わたしたち以外にも何組かが話をしていて、万が一のことも起こりそうになかった。
中庭にはいやな思い出しかないので、わたしはそちらに背をむけて座る。
もし、テオと王女さまがまた散歩してようともこれだとわたしのほうが気付く心配がない。
円卓に布張りの椅子が3脚。
わたしの右ななめ前がバレーヌさんで左ななめ前がオーランシュさん。
「名前をまだうかがってなかったね」
オーランシュさんはわたしに話しかけるときは常に笑顔。
それがかえって軽薄そうにみえる。
女性の扱いに慣れている感じがして、わたしは苦手だ。
「ノアザ…といいます」
姓はあえて言わないでおいた。
ロシュミットさんの身内という触れ込みだし、あとで調べられても困る。
「ノアザちゃんか。かわいい名前だね」
にっこりと笑うバレーヌさんは、あどけなさを残していて少年のようだ。
「ありがとう、ございます…」
ひとと話すことがあまりないので、どうしても緊張してしまう。
「王宮は初めて?」
オーランシュさんに問われてこくりとうなずく。
「どうしてキミみたいな若い女性がたったひとりで王宮へ? お城は安全だけど、道中は危なかったでしょ?」
さりげなくバレーヌさんに訊かれたけれど。
背中に冷たい汗が流れる。
しまった。
なんとこたえたらよいのだろう。
まさか“魔方陣で転移してきました”なんて言えない。
そこまで、考えていなかった…
なんとか言わなくては、という気持ちばかりがあせって口から言葉が出てこない。
こたえなければ、あやしまれる。
どうすれば―――
「おれが同行してきたのだ」
わたしの背中から、声がした。
いま、一番ききたくなくて、でも、一番ききたかった声。
「アルモーフィ様」
わたしの目の前の2人が同時に名前を発する。
「ちょうど同じ時期に登城すると辺境伯から聞いて、それならと護衛も兼ねて共に来た。道中特に危険はなかったが」
座っているわたしの横をすり抜け、オーランシュさんの隣に立つ大きな影。
ああ、テオだ。
こんなに近くで見たのは久しぶり。
やっぱり、素敵。
心の中が幸せで満たされる。
「そうだったのですか。アルモーフィ様がついていらっしゃったのであれば、なんの心配もいりませんね」
オーランシュさんの顔から余裕の表情が消えた。
なんとか笑みを作ろうと努力はしているようだったけれど、うまくいかない。
テオはかたい、無表情ともとれる顔でじっとオーランシュさんを見つめている。
「ほかに彼女に訊きたいことはあるか?」
低く、重々しい、不機嫌な声。
オーランシュさんとバレーヌさんは互いに顔を見合わし、どちらからともなく慌てて席を立つと
「また、いずれ」
そう言って逃げるように談話室から出ていった。
2人が完全に見えなくなったのを確かめて、わたしはほっと息を吐き出した。
思った以上に緊張していたらしい。
膝の上に置いていた手はかたく握りしめられて血の気が失せ、白くなっている。
わたしがテオを見上げ、声をかけようとした瞬間。
「急に早足になったから、どうしたのかと思ったわ」
わたしは、その艶やかな声がするほうを見ることができなかった。
声の主がテオの隣へ移動する。
あのときは、離れた場所から聞いた。
けれど今日は。
「こんな少女に騎士が2人でよってたかって。大丈夫? こわかったでしょう?」
話しかけられているのがわたしだとわかっていても、どうしてもそちらを見ることができない。
「いまだに動けないほどこわい思いをしたのね。テオ、あの騎士たちの名前はわかる?」
王女さまは都合よく勘違いをしてくれたらしい。
「さあ。紺色の軍服からして、鉄紺(てつこん)騎士団所属の者かと。名前まではわかりません」
わたしは、テオの顔を見ることもできなくなってしまい、うつむいた。
しゃべりかたが、ちがう。
表情が、ちがう。
雰囲気が、ちがう。
わたしの愛するひとに似ているこの男のひとはいったいだれ?
「鉄紺騎士団の団長の耳に入れておいてちょうだい。2人がかりで女の子いじめるなんて、最低」
王女さまの口調が子どもっぽくなる。
「了解しました」
テオが王女さまにむかって頭を下げた。
「た、助けてい、いただき、あ…ありがとうござい、ました…」
わたしはうつむいたまま、途切れとぎれお礼を言う。
ここでは、テオとわたしは無関係。
騎士たちに迫られ困っていたわたしに、テオ…ううん、アルモーフィさまは助け船を出してくれただけ。
わたしは、震える体を叱咤し、なんとか椅子から立ち上がると2人のほうをむき、深々と頭を下げた。
「ありがとう、ございました…王女さま、アルモーフィさま…」
頭を上げると、なぜかテオがひどく傷ついた表情でわたしを見つめている。
わたしはのろのろと重い体を引きずるようにして、なんとかこの場を立ち去った。
とにかく、擦れ違わせまくりたいと思います。




