手に入らないもの ―何でも手に入れてきた俺が女友達だけは手に入れられない―
夜のスタートにしても少し遅い20時。
こんな時間からでもバーに来てくれる女の子たちのフットワークの軽さにはいつも感謝する。
「そんな難しそうなお仕事、すごいですね」
「慣れてしまえば意外となんとかなるんですよ」
何度か来て雰囲気の良さを知っている店で楽しむ、ハイボールと顔だけは好みの女との会話。
こういうタイプには仕事内容を噛み砕いて説明したところで、大変なんですねと言われるのが関の山。
適当に流して勤務地だけ仄めかせば勝手に目を輝かせてくれる。
「もういい時間ですね。行きましょうか」
サッと立ち上がり、出口へと女を促す。
店から出ると、女は驚いた様子で払いますと一万円を差し出してくる。
会計など、化粧直しを待たずとも自分がお手洗いに、と言えば済むこと。
むしろ自分で終わりを決められるからちょうどいい。
「いや、俺が誘ったんですからいいですよ」
「そんな...申し訳ないので少しだけでも...」
食い下がって千円を出す周到さに、どっと疲れが出てくる。
少しでもお金を払って、貸し借りを減らしたいと思うような性格ではないのは明白だ。
「ご一緒できて楽しかったので、本当にいいですよ」
微笑みながら伝えると、途端にほっとした顔で財布をしまいはじめる女。
吊り目の写真に惹かれて誘ってみたけど、まあこんなもんか。
せめて駅までは、と微笑みを崩さないままゆったりとしたペースで歩き出した。
『ここ、予約取れたんだけどどう?来週金曜、19時から』
『おいしそう!ごちそうさまです。店で集合ね』
口直しのごとく声をかけたのは長年の女友達。
店のHPを添えてメッセージを送ると、すぐに反応が返ってくる。
都合が悪くなったからと同僚に譲ってもらったのはどこかのグルメ雑誌で星を得たという名店の二人分の席。
当たり前のように奢られる気満々の返信だが、悪い気はしない。
彼女だって払えるくらいには余裕で稼いでいる。
わかった、とだけ返したがもう既読にはならなかった。
一度だけスクロールすると現れる直近のメッセージは5ヶ月前。
その時のやりとりも、必要な情報だけ詰まった短いものだ。
「ごちそうさま、おいしかったー!」
「な、おまかせだったけど完璧だった」
ごきげんな声と笑顔で感謝を伝えられると、来た甲斐があったと素直に思える。
久しぶりの寿司......もといセナに、男としての自尊心が満たされて行くのを感じた。
ん、とセナが小ぶりな鞄を突き出すので、はいはいわかってるよ、としっかり態度に出しながら受け取る。
鞄は軽く、大した荷物は入っていないんじゃないかと思ったが、そんなことを口にしようものならセナからの小言が飛んでくるはずだ。
奢った挙句に荷物持ちなんてと思うやつもいるかもしれないが、俺は案外嫌じゃない。
これくらいできるでしょ?という、彼女からのちょっとしたテストみたいなものだ。
であればその期待に応えるため甲斐性を見せようじゃないか。
そもそも可愛いだけの女なんていくらでも出会えるが、喜ばせてやりたいという女はそうそういないわけで。
しゃんと立ってはいるもののすっかり気の緩んだ様子なのは、その実、あなたに身を預けるからあとはよろしくということ。
俺が車道側に立ったのを合図に歩き出す。
ウッディ系の重たい香りが鼻を掠める。
先日会った時はムスクの香水をつけていた覚えがあるが、変えたのか。
肩も、手も、決して触れる距離ではない。
酔ったふりをして一歩分近づいても距離は縮まらないのに、少し離れてみると離れた分が戻ることはない。
一週間の疲れとほどよい酔いですっかり気の抜けた俺は、仕事の愚痴を零す。
本当に大変だったので誰かに聞いて欲しかったんだ。
「今週めちゃめちゃ忙しくてさ、毎日2時寝だったんだよな」
「働きすぎ!今日無理してこなくてよかったって」
「いやもう落ち着いたから大丈夫。でも今日も上司が鬼詰めてきて数字作り直した」
ほんとお疲れ様、とようやくもらえた自分への労いの言葉で、ようやく怒涛の一週間が終わったのだという実感が湧いてきた。
「ただでさえ忙しいのにIBの連中が出張ってきたからそっちも相手したし」
「さすがじゃん」
「やることあるんだからマジで集中させてほしかったわ。月曜はCPIの発表でマーケット荒れたでしょ」
「そうなんだ、知らなかった」
「火曜は、ほとんど完成してた提案、中計でひっくり返されて作り直して」
「すごーい」
「水曜なんかその提案先で...」
「えー!センスいい〜!!」
やけに高い声で割り込む一切脈絡のない相槌。
......こいつやりやがったな。
「さしすせそ披露してんじゃねーよ!」
「あははっ、バレた?」
「わかんないわけねーだろ」
無邪気に聞こえるセナの笑い声に俺も笑顔になる。
つまんないをマイルドに表現したセナの主張にツッコミを入れれば、それが『意図は伝わったわごめん』になる。
「あ、なんか喉乾いちゃったからお水買ってくる」
鞄を俺に持たせたまま、ちょうど目の前にあるコンビニに一人で入って行くセナ。
お待たせ、と言いながらボトルを押し付けてくるので、本当に手のかかるやつだと呆れた振りをしつつキャップを開けて返してやる。
「待って、そんなこと頼んだつもりじゃなかった」
ケタケタと笑って言うので、そこで初めて俺の分を買ってきてくれただけだったのだということに気づく。
勘違いしたのはこっちだが、あまりに笑っているので無性に腹が立って、水は渡さず飲んでやることにした。
「ほら飲む?喉乾いてるんだろ」
中身が半分くらいになったペットボトルをもう一度渡そうとするが、やだよ間接キスじゃんとすげなく拒絶される。
ツボに入ったらしいセナはなんとか笑いを堪えようとしながら新しいボトルに手をかける。
いつもは少しキツい印象の瞳が、笑うと急に幼い印象になる。
風が吹いて、等間隔に植った木々がざわざわと揺れる。
そういえばここの銀杏並木は有名だったな、ぼんやりと意識が逸れると同時に、かつての彼女との思い出が蘇ってきた。
セナさんと俺は違う大学だったが、ふと予定が合い学祭に招待したことがあった。
当時のセナさんは、二人で歩いていて知り合いに見られても困らないか?と心配していたっけか。
今に比べるとだいぶ初々しさがある。
うちの大学に来るのは初めてだったらしく、楽しそうにきょろきょろして、俺としては子犬を見守る親のような気持ちだった。
新入生のような新鮮なリアクションが可愛かったんだよな。
校門の看板を見た時なんか、内容が過激だけど変な学校じゃないよね!?と不安そうに聞いてきた。
学生運動の名残だから誰も気にしてないと伝えても、ずっと胡乱げな表情だったのが面白かった。
ほかにも、校舎前の銀杏のせいで秋は道が臭いんだとか、色気のない話ばかりしていた。
その頃からセナさんに対してはいい意味でカッコつける必要がなかった。
「じゃあまたね、おやすみ〜」
もう少し飲みたいと言われた時のために店は調べてあったが、今日はここまでというならば深追いはしない。
見送ったあとに振り返りやしないかと後ろ姿をいつも見つめているが、セナはそのまま街中に消えていく。
何人かで遊んだ時も、解散した後に二人で飲み直そうかと連絡したことはあったが返事は数時間後。
何もなくても傷つかないレベルでだけ期待するようになった。
気まぐれで猫のようなセナを追いかけては逃げられて、試されては認められ。
大学生から社会人という大きな変動を経ても変わらなかった関係が、この先も同じだという保証はない。
誰かにセナを譲るくらいならいっそ俺のものにしてしまいたい。
何度もそう思ったことはあるが、結局は行動を起こさなかった。
俺が好きなこのセナは、今の危うい関係の中でだけ生きられるとわかっているから。
欲しくない女は簡単に手に入るのに、学歴も金もあって、肩書きだって遠くないうちに手に入るのに。
欲しいものはどうやっても手が届かない。
贅沢な悩みだとわかりながら、それでもないものねだりを止められなかった。
セナの背景については、いつか別のお話で書けたらと思っています。
三週連続更新、いかがだったでしょうか。
もし好評のようでしたら、また同じ世界線のお話を書こうと思います。
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