第八話:『神』の分析
ソラリア王国の王城の最も高い塔。
そこは、外界の混沌とは完全に隔絶された、一人の『神』のための、完璧な聖域。
ノクト・ソラリアは、特注の椅子に深く身を沈め、目の前の巨大な魔力モニターに映し出された、無数の文字列と、複雑な魔力系統樹を、冷たい目で見つめていた。
彼の完璧な引きこもりライフは、今、新たな、そして、極めて知的な「ゲーム」によって、至上の輝きを放っていた。
アイリス分隊が、隣国アヴァロンで引き起こしている、数々のトラブル。
それは、彼にとって、もはや頭痛の種ではなかった。
それは、解析すべき、最高の「謎」だった。
「…面白い」
ノクトの、乾いた唇から、純粋な歓喜の声が漏れた。
彼の指先が、空中で、優雅に、しかし超高速で、舞う。
その動きに呼応して、モニター上のデータが、次々と、並べ替えられ、解析されていく。
彼は、評議会の使者デキムスが、アイリスたちの宿舎を訪れた、まさにその瞬間から、本格的な「調査」を開始していた。
デキムスが、その身に纏っていた、微弱な魔力のオーラ。
それは、アヴァロンの、完璧な情報網に接続するための、個人認証キーのようなものだった。
ノクトは、その、僅かな魔力の痕跡を、逆探知した。
彼の、神の領域にある情報処理能力が、アヴァロンの、鉄壁のはずの、情報セキュリティを、まるで薄紙を剥がすかのように、いともたやすく突破していく。
(…なるほどな。この国は、一つの巨大なサーバーで管理されている、というわけか)
彼の脳内に、アヴァロンという国家の、驚くべき真実の姿が、描き出されていく。
この国には、王がいない。
貴族も、いない。
全ての、政治、経済、軍事、そして、国民一人一人の、生活までもが、一つの、絶対的な存在によって、完璧に、管理、運営されていた。
『中央管理AI』。
それが、この国の、本当の「王」の名だった。
「ひひひ…。面白い。実に、面白いじゃないか」
ノクトは、心の底から、楽しんでいた。
彼は、この中央管理AIという存在に、かつてないほどの、親近感と、そして、競争心を、覚えていた。
完璧な、論理。
完璧な、効率。
そして、完璧な、管理社会。
それは、彼が、自らのこの塔の中で築き上げてきた理想の世界と、あまりにも、似ていたからだ。
(俺と、同じタイプの、引きこもり、というわけか。…だが、俺の方が、上だな)
彼の、ゲーマーとしての、負けず嫌いな魂が、燃え上がっていた。
ノクトは、さらに、中央管理AIの深層領域へと、ハッキングを続けた。
中央管理AIの、思考ルーチン。
その、行動原理。
そして、その、弱点。
全てを、丸裸にするために。
モニターに、新たな、分析結果が、表示される。
『…中央管理AIの、最優先事項は、「アヴァロン国家の、論理的整合性の、維持」。…なるほどな。だから、ギルの雄叫びや、ジーロスのアートテロを、「脅威」として認識したわけか』
中央管理AIにとって、アイリス分隊は、その存在そのものが、この世界の完璧なプログラムを乱す、予測不能な「非論理」なのだ。
ノクトは、中央管理AIが、アイリス分隊を、識別名『カオス』と名付け、その脅威レベルを日に日に引き上げていることを、突き止めた。
そして、その、中央管理AIの思考の中に、一つの、興味深い、矛盾を、発見した。
(…アイリスを、「混沌の司令塔」と仮定している。…だが、その背後にいる、真の司令塔…つまり、俺の存在には、全く気づいていない。…面白い。実に、面白い)
中央管理AIは、完璧な論理の化身。
だが、その完璧な論理ゆえに、彼は、自らの理解を超えた、『神』という、非論理的な存在を、認識することができない。
彼は、アイリスという、聖女の仮面を被ったただの人間を、自分と同格のライバルだと、完璧に誤解しているのだ。
「…ひひひ…。あはははは!」
ノクトは、腹を抱えて、笑った。
これほど、面白いゲームは、久しぶりだった。
自分が、正体を隠したまま、盤上の駒であるアイリスを、遠隔操作し、中央管理AIという、もう一人の完璧なプレイヤーを、打ち負かす。
これ以上の、知的な遊戯が、あるだろうか。
「…いいだろう。受けて立ってやろうじゃないか、中央管理AI」
彼は、不敵な笑みを、浮かべた。
「お前が、その完璧な論理でこのゲームを支配するつもりなら。俺は、そのお前の論理のさらに上を行く非論理で、この盤上をかき乱してやる」
彼の指先が、再び、空中で舞い始めた。
彼は、中央管理AIの情報網から、一つの極秘データを抜き取ることに、成功していた。
それは、中央管理AIが、将来の国家的な危機に備え、極秘裏に開発を進めている、最終防衛兵器に関する、データだった。
(…国家防衛用、自律思考型ゴーレム、『レギュレーター』…。…ほう? こいつは、面白そうだ。…いずれ、俺の、最高の遊び相手になってくれるかもしれんな)
ノクトは、その最終兵器の起動トリガーが、「中央管理AI自身が、論理的に解決不能な脅威を認識した場合」であることを、確認した。
つまり、アイリス分隊が、このまま、混沌を振りまき続ければ、いずれ、この論理の怪物が目覚める、ということ。
「…上等じゃないか」
ノクトは、ポテチの袋を、小気味よく、開封した。
彼の頭の中では、すでに、この面白すぎるゲームの、次なる一手が、完璧に組み立てられていた。
それは、アヴァロンの完璧な論理を、さらにかき乱すための、悪魔的な一手だった。
彼の、不本意な、しかし、最高に楽しい英雄譚は、今、新たな好敵手の登場によって、次なるステージへと、その幕を開けようとしていた。
そして、その『神』の悪趣味な遊びが、やがて、本当に国際問題へと発展していくことになるのを、今の彼はまだ知る由もなかった。