第七話 評議会の使者
ギルとジーロスが立て続けに騒動を起こした後、アイリスたちが半ば強制的に案内されたのは、『外国人滞在区画』と呼ばれる、都市の一角にそびえ立つ、真っ白な高層建築物の一室だった。
感情のないロボット警備兵による送迎という名の、丁寧な軟禁状態に置かれてから数時間。
アイリスは、全く効果のない説教の真っ最中だったが、もはやその声には疲れの色が滲んでいた。
「…ですから、この国では、目立つ行動は全て『違反』なのです!」
「ですが姉御! あの街には魂が感じられなかったのであります!」
ギルは、まるで檻の中の熊のように、狭い(と彼が感じる)部屋の中を行ったり来たりと落ち着きなく歩き回っている。
「ノン! そもそも、この部屋のデザイン自体が美しくない! この白い壁は、僕の創造性を殺すための陰謀だ!」
ジーロスは、壁の一点を見つめながら、いかにしてこの殺風景な空間を芸術的に改変するか、その計画を練っていた。
「ひひひ…。軟禁されてるってことは、ある意味、安全が保証されてるってことだ。今のうちに、新しいビジネスプランでも…」
テオは、腕輪型端末の通信機能が制限されていることに悪態をつきながらも、次なる金儲けの算段を立てることをやめない。
アイリスは、その混沌の三重奏に、深いため息をついた。
状況の深刻さを、何度説明しても、この分隊員たちには全く届かない。
そして、最大の懸念事項は、まだ解決していなかった。
「…シルフィは、一体どこへ…」
彼女が、疲れ果てた声でそう呟いた、まさにその時だった。
宿舎の扉が、静かに、しかし、有無を言わせぬ響きで、ノックされた。
アイリスが警戒しながら扉を開けると、そこに立っていたのは、一体のロボット警備兵と、その機械の腕に、まるで迷子の子供のように、しょんぼりと手を引かれている、銀髪のエルフの少女、シルフィだった。
「あ、アイリス様…!」
シルフィは、アイリスの顔を見るなり、わっと泣きついた。
「よかった…! 迷子になってしまって、どうしようかと…! この、白い、丸い方が、ここまで連れてきてくれたのです…!」
ロボット警備兵は、感情のない合成音声で、淡々と告げた。
『中央管理区画、セクター・ゼロにて、保護しました。対象に、外傷、及び、敵意は確認されず。よって、保護対象として、こちらへ、お連れいたしました』
「ちゅ、中央管理区画…!?」
その、あまりに物騒な単語に、アイリスは、顔を青ざめさせた。
この、天然エルフは、自分が一体どれだけとんでもないことをしでかしたのか、全く理解していない。
ロボット警備兵は、ぺこり、とお辞儀をすると、来た時と同じように、音もなく去っていった。
アイリスは、ようやく全員が揃った安堵と、これから降りかかるであろう、さらなる面倒事の予感に、眩暈を覚えた。
彼女が、シルフィを部屋の中に招き入れ、仲間たちに、改めて状況の深刻さを説こうとした、まさにその時だった。
再び、宿舎の扉が、静かに、しかし、今度は、先ほどよりも、さらに重々しい響きで、ノックされた。
アイリスが扉を開けると、そこに立っていたのは、一人の、初老の男だった。
寸分の狂いもなく着こなされた、上質な灰色のスーツ。白髪は、一本の乱れもなく、完璧に撫でつけられている。
その、色素の薄い瞳には、一切の感情が浮かんでおらず、まるで、磨き上げられた水晶玉のようだった。
「ソラリア王国、親善訪問団代表、アイリス・アークライト殿で、いらっしゃいますね」
その声は、抑揚がなく、まるで合成音声のように、正確な間合いで紡がれる。
「私は、アヴァロン評議会より皆様の元へ派遣されました、評議員のデキムスと申します。本日は、皆様を歓迎し、また、滞在中の、いくつかの事案について、確認するために、参りました」
表向きは、歓迎。
だが、その言葉の裏には、鋼鉄のような、冷たい刃が隠されているのを、アイリスは、肌で感じていた。
これは、尋問だ。
「…これは、ご丁寧にどうも。さあ、どうぞ、中へ」
アイリスは、完璧な聖女の笑みを浮かべ、その使者を、混沌の巣窟へと、招き入れた。
デキムスは、部屋の中央の椅子に、背筋を伸ばして座った。
彼の、感情のない目が、部屋の中を、ゆっくりと、値踏みするように、見渡す。
拳を握りしめ、臨戦態勢のギル。
扇子で顔を隠し、品定めするような視線を送る、ジーロス。
金勘定の算段を立てている、テオ。
そして、部屋の隅で、楽しげに、自分の髪を三つ編みにして遊んでいる、シルフィ。
デキムスは、その光景を一瞥すると、手元の半透明のデータ端末に、何かを、指先で入力した。
「…さて。では、早速ですが、いくつか、確認を」
彼の、最初の質問は、ギルに向けられた。
「入国直後、あなたは、意図的に、都市の騒音規定を、大幅に超過する音響的妨害を行いました。その、論理的な目的は、何ですかな?」
「ろんりてき、だと…?」
ギルは、眉をひそめた。
「目的など、一つしかあるまい! あの、気の抜けた街に、魂を、情熱を、叩き込んでやることだ! あれは、戦士としての、我が、魂の雄叫びであります!」
「…なるほど。『魂の雄叫び』、ですか」
デキムスは、表情一つ変えずに、端末にメモを取る。
『…対象ギル。音響的妨害の目的は、「魂の注入」。…理解不能。…心理的、あるいは、精神的な攻撃の一種である可能性を、記録』
次に、彼の視線が、ジーロスを捉えた。
「あなたは、公共物である街路樹の、色彩的価値を、無許可で改変しました。その行為によって得られる、機能的な利益について、ご説明を」
「きのうてき、だと!?」
ジーロスは、扇子を、ぱん、と閉じた。
「ノン! 君は、何も分かっていない! あの行為は、利益などという、下品なものではない! あれは、芸術だ! この、灰色の世界に対する、僕からの、美の、挑戦状なのだよ!」
「…『美の挑戦状』…」
デキムスは、再び、端末に、メモを取った。
『…対象ジーロス。公共物への改変の目的は、「美の挑戦状」。…これもまた、理解不能。…何らかの、象徴的な意味を持つ、示威行為か…』
彼の、完璧な論理の世界では、「情熱」も、「美」も、全てが、理解不能な、脅威のデータとして、処理されていく。
デキムスの尋問は、続く。
テオには、彼の「聖女様救済ファンド」の、非論理的な、経済モデルについて。
テオは、得意の口八丁手八丁で、「信仰とは、プライスレスな価値を生む、究極の投資なのですよ」などと、煙に巻こうとする。
だが、デキムスは、その言葉を、ただのデータとして、記録するだけだった。
『…対象テオ。非論理的な、信仰という概念を利用し、当国の金融システムに、意図的に、ノイズを発生させようとする、経済テロの、初期段階である可能性』
そして、最後に、彼は、シルフィに、視線を向けた。
その、問いは、これまでの、どの問いよりも、鋭く、そして、核心に迫っていた。
「…あなた。シルフィ殿。あなたは、いかにして、中央管理区画、セクター・ゼロへの侵入を成功させたのですかな? あの場所への侵入は、物理的にも、論理的にも、不可能なはずですが」
その言葉に、ギルたちが、息をのんだ。
シルフィが、そんな、とんでもない場所に迷い込んでいたとは、彼らも、初耳だったからだ。
シルフィは、三つ編みをいじる手を止めると、きょとんとした顔で答えた。
「はい。あのですね、白い鳥さんが壁の穴の中に入っていったので、追いかけていったら、着きました」
「…………」
デキムスは、固まった。
白い、鳥。
壁の、穴。
彼の、完璧な論理回路が、その、あまりに非論理的で、あまりに、子供じみた答えを、処理できずに、フリーズした。
彼は、数秒間、沈黙した後、かろうじて言葉を絞り出した。
「…その、『白い鳥』とは、都市清掃ドローンのこと、ですかな…?」
「はい! とっても、可愛かったです!」
デキムスは、頭が、痛くなってきた。
彼は、端末に、震える指で、こう、記録した。
『…対象シルフィ。国家中枢への侵入理由は、「鳥が可愛いから」』
彼の、完璧な論理の世界が、ガラガラと、音を立てて、崩れていく。
騒音、芸術テロ、経済攻撃、そして、無邪気な、不法侵入。
一つ一つの事象は、まだ、理解の範疇だった。
だが、その、全ての行動原理が、あまりにも、非論理的すぎる。
こんな、混沌とした集団が、どうやって、一つの組織として、成り立っているのか。
彼は、ついに、リーダーである、アイリスに、最後の、そして、最も本質的な問いを、投げかけた。
「…アイリス殿。あなたに、お伺いしたい」
彼の、水晶玉のような瞳が、まっすぐに、アイリスを、射抜いた。
「あなたの、この、あまりに非論理的な分隊。その、行動原理は、一体、何なのですか? あなたは、この混沌を、どうやって統率しているのですか?」
絶体絶命の、問い。
アイリスの背筋を、冷たい汗が伝う。
彼女は、心の内で、必死に叫んだ。
(神様…!)
だが、脳内に、あの不遜な声は、響かなかった。
おそらく、この面白い尋問劇を、高みの見物と洒落込んでいるのだろう。
アイリスは、覚悟を決めた。
彼女は、ゆっくりと、立ち上がった。
そして、デキムスをまっすぐに見つめ返すと、聖女の、慈愛に満ちた、しかし、どこか全てを見透かすような、謎めいた微笑みを浮かべた。
「…デキムス殿。あなたは、論理を、信じておられる。それは、素晴らしいことです。ですが、この世界は、論理だけでは、成り立っては、いないのです」
「…と、申しますと…?」
「嵐が、どこへ吹くか、予測できますか? 花が、なぜ、その色で咲くのか、説明できますか? …私たちの、行動も、それと、同じです。ただ、あるがままに、存在するだけ。…そこに、論理的な、理由など、ありません」
それは、答えではなかった。
ただの、詩。
ただの、禅問答。
だが、その、あまりに非論理的な答えこそが、デキムスの、論理的な脳に、最大の衝撃を与えた。
彼は、はっ、とした。
この、聖女は。
この、混沌の、中心に立つ、この女は。
自らが、混沌そのものであると、言っているのか。
あるいは。
この混沌を、意のままに操る、さらに高次の何者かの存在を、示唆しているのか。
デキムスの背筋を、ぞくり、とした悪寒が走った。
彼は、アイリスの、その、穏やかな瞳の奥の、奥に。
決して、見ることのできない、しかし、確かに存在する、巨大な「何か」の影を、感じ取っていた。
それは、この混沌の全てを、盤上の駒のように操る、絶対的な司令塔の気配。
「…なるほど。…よく、分かりました」
デキムスは、静かに、立ち上がった。
「本日は、貴重なお話を、ありがとうございました。…あなた方の、その『非論理』、しかと、評議会に、報告させていただきます」
彼は、それだけ言うと、来た時と同じように、感情のない顔で一礼し、部屋を後にした。
だが、彼の、内心は、嵐のようだった。
(…脅威は、我々の想像を、遥かに超えている…!)
彼は、確信していた。
アイリス分隊は、ただの、工作員ではない。
彼らは、我々の論理では決して太刀打ちできない、未知の「何か」に率いられているのだ、と。
静かなる脅威は、今、そのベールを、さらに深くした。
そして、アヴァロンの、完璧な論理は、その、見えざる敵の前に、初めて、本当の「恐怖」を感じ始めていた。