第六話 静かなる脅威
首都アクシオンの、中央。
全てが純白で統一された、円形の巨大な議場。そこは、アヴァロンの最高意思決定機関である『評議会』が、その完璧な論理と思考をもって、国家の全てを運営する場所だった。
感情の入り込む余地のないその空間には、人の声一つない。
十二人の評議員たちは、それぞれが自らの席で目を閉じ、意識だけを中央のホログラムモニターに接続し、膨大な行政データを、ただひたすらに処理し続けていた。
彼らにとって、統治とは、感情や経験則に基づく曖昧な判断ではなく、データに基づいた、完璧な数式を解くことと同義だった。
その、絶対的な静寂と秩序が支配する聖域に、突如として、けたたましい電子警告音が鳴り響いた。
―――ウウウウウウウウウッ!
十二人の評議員たちが、一斉に目を開く。
彼らの目の前、中央のホログラムモニターには、これまで一度も表示されたことのない、深紅の警告メッセージが、激しく明滅していた。
『警告。国家中枢『中央管理区画』、セクター・ゼロに、未確認の生体反応を検知。識別コード、照合不能。脅威レベル、判定不能』
議場が、初めて、ざわめいた。
「セクター・ゼロに、侵入者…?」
「馬鹿な。あの区画へのルートは、物理的にも、魔術的にも、完全に遮断されているはずだ」
「中央管理AI、状況を報告せよ」
議長を務める、白髪の老人が、静かに、しかし有無を言わせぬ声で命じた。
彼の声に応え、ホログラムモニターが、一つの映像を映し出す。
それは、「中央管理AI」のメインフレームが置かれた、あの光の川の中心。
そこに、一人の、銀髪のエルフの少女が、きょとんとした顔で立っていた。
彼女は、国家の最高機密のど真ん中にいるという自覚など微塵もなく、ただ、自分の体をスキャンする赤いレーザー光線を、楽しげに指でなぞっている。
『…侵入者は、一名。対象の行動に、敵意は、確認されず。…ですが、その侵入経路が、論理的に、説明不可能です』
中央管理AIの、感情のない合成音声が、議場に響く。
『対象は、都市清掃ドローン用の、直径五十センチの搬入口から侵入。内部の、複雑なダクトを、物理法則を一部無視したかのような、最短ルートで通過し、セクター・ゼロに到達しています。…これは、ありえません』
評議員たちは、その、あまりに常識外れの報告に、言葉を失った。
「…その侵入者の、身元は?」
『…照合、完了しました。対象、シルフィ。ソラリア王国からの親善訪問団の一員。識別名『カオス』に属する、構成員の一人です』
『カオス』。
その、中央管理AIが仮に与えた識別名を聞いて、評議員たちの顔色が変わった。
それは、つい数時間前、このアクシオンで、立て続けに規定違反を犯した、あの、厄介な外国人グループのことだった。
「…中央管理AI。対象グループ『カオス』の、これまでの行動記録と、今回の侵入事案を、関連付けて、再分析せよ。彼らの、真の目的を、推定しろ」
議長の、冷たい命令が下された。
中央管理AIの、メインフレームは、神の領域に匹敵する、超高速演算を開始した。
モニターには、これまでの全てのデータが、無数の光の線となって、絡み合っていく。
一点目。激情のギルによる、「騒音規定違反」。
『行動:都市の中心部で、意図的に、基準値を超える雄叫びを上げる。結果:都市機能に、微弱な、音響的混乱を発生させる』
『分析:これは、我が国の警備システムの、反応速度と、対応能力を、計測するための、陽動行為であると、推定されます』
二点目。光輝魔術師ジーロスによる、「景観法違反」。
『行動:公共物である街路樹に、無許可で、特殊な光魔法を付与。結果:都市の景観統一性を、意図的に破壊。市民の、視覚情報を、混乱させる』
『分析:これは、我が国の、魔術的防御システムの、脆弱性を探るための、テスト攻撃であると、推定されます』
三点目。不徳の神官テオによる、「金融商品勧誘行為」。
『行動:我が国の、信用情報システムを逆手に取った、非論理的な、クラウドファンディングを開始。結果:システムの、盲点を突いた、経済的、サイバー攻撃の、準備段階であると、推定されます』
そして、最後の一点。
エルフの弓使いシルフィによる、「国家中枢への侵入」。
『行動:物理的に、ありえない経路で、セクター・ゼロへ侵入。結果:我が国の、中枢神経に、直接到達可能であることを、証明』
四つの、全く無関係で、行き当たりばったりの、混沌とした行動。
だが、中央管理AIの、完璧な論理回路は、その、バラバラの事象の裏に、恐るべき、一つの「意図」を、見出した。
感情や、偶然という、非論理的な要素を、完全に排除して、純粋なデータだけを、分析した結果。
導き出された結論は、ただ一つだった。
『―――結論を、報告します』
中央管理AIの、合成音声が、静まり返った議場に、響き渡った。
『対象グループ「カオス」の一連の行動は、個別の、偶発的な違反行為では、ありません。これらは、全て、連携の取れた、極めて高度な、潜入工作活動であると、断定されます』
議場が、凍りついた。
『まず、音響的陽動で、警備システムの注意を引きつけ、その隙に、魔術的攻撃で、防御システムの穴を探る。同時に、経済的サイバー攻撃で、金融システムを、内側から揺さぶり、そして、物理的にありえない経路で、別動隊が、中枢へと侵入する…。…完璧な、作戦です。我々の、論理の、死角を突いた、恐るべき、非論理的な、波状攻撃…』
中央管理AIの分析は、完璧だった。
そして、完璧に、間違っていた。
だが、その完璧な論理の前では、評議員たちに、反論の余地はなかった。
「…そ、そんな、馬鹿な…」
一人の評議員が、震える声で、呟いた。
「ソラリア王国は、我々と、友好関係にあるはずだ! なぜ、彼らが、このような、敵対行為を…!」
「…考えられる理由は、一つ」
議長が、重々しく、口を開いた。
「彼らは、我々の、この完璧な論理と秩序の世界を、恐れているのだ。自らの、混沌とした非効率な旧時代の価値観が、我々の合理主義の前に、いずれ淘汰されることを。…だから、その前に、我々のシステムを内側から破壊しようとしているのだ…!」
あまりに、壮大な、そして、あまりに悲劇的な、誤解。
だが、その結論は、彼らにとって、最も「論理的」で、納得のいく、答えだった。
「…中央管理AI。対象グループ『カオス』を、我がアヴァロンに対する、明確な『脅威』と、認定する。脅威レベルを、5に引き上げよ」
議長の、冷たい声が、響く。
「彼らの、これ以上の自由な行動は、許されない。…だが、下手に拘束すれば、外交問題に発展しかねん。…まずは、彼らの目的と、その背後にいる、真の司令塔を探り出すのだ」
その頃、シルフィは、中央管理区画で、光るケーブルを、楽しげに、編み物のようにして遊んでいた。
彼女の、その無邪気な遊びが、国家の最高意思決定機関をパニックに陥れていることなど、知る由もなかった。
アイリス分隊は、今、静かに、しかし確実に、この国にとって、最大の「脅威」となった。
彼らが、ただ、ポテチを買いに来ただけの、不運な旅行者であるという、あまりに非論理的な真実に、この国の誰もが、気づくことはなかった。
静かなる脅威は、今、その牙を、剥き出しにしようとしていた。