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第四話 次なる違反者

 首都アクシオンに入国してから、わずか十分。

 アイリス分隊史上最も困難な隠密作戦は、ギルの雄叫びとジーロスの芸術テロによって、あまりにもあっけなく、そして華々しく破綻した。

 警告と罰金という手痛い洗礼を受け、アイリスの胃はすでに限界を訴えていたが、彼女の受難はまだ始まったばかりだった。

 ソラリア王国という混沌の世界で生きてきた英雄たちにとって、この完璧すぎる合理主義国家は、あまりにも刺激が強く、そしてあまりにも「面白い」玩具に満ち溢れていたのだから。


 特に、一人の男の目は、他の誰よりも爛々と輝いていた。

 不徳の神官、テオ。

 彼は、ギルとジーロスが引き起こした騒動の間も、決して慌てることなく、ただ冷静に、この異質な国のシステムを分析していた。

 ロボット警備兵の、完璧に統率の取れた動き。

 景観法違反を犯したジーロスの腕に、瞬時に装着された電子決済端末。

 そして、彼の懐から、有無を言わさず引き落とされていく罰金。

 その全てが、テオの商売人としての魂を、激しく揺さぶっていた。

(…すげえ。こいつは、とんでもねえシステムだぜ…)

 彼の脳裏に、故郷ソラリアの、あまりにも杜撰な徴税システムが思い浮かぶ。

 役人の見逃し、帳簿の改竄、そして、袖の下でまかり通る、無数の不正。

 だが、この国は違う。

 全てが、データで管理されている。

 違反があれば、即座に、警告と罰金。

 逃れる術はない。

「ひひひ…。完璧だ。完璧なシステムじゃねえか。…だがな」

 テオは、腕に装着された銀色の腕輪――個人認証決済端末――を、愛おしそうに撫でながら、不敵な笑みを浮かべた。

「完璧すぎるシステムってのはな、必ず、どこかに、致命的な穴があるもんなんだよ」

 彼は、詐欺師としての長年の経験から、それを知っていた。

 人間が作ったシステムである以上、そこには必ず、人間の「善性」や「信頼」といった、非論理的な感情が入り込む隙が生まれる。

 彼は、その「穴」を探し出す天才だった。


 一行が、目的のポテチが売られているという中央商業区画へと、息を殺して歩を進めている、その道すがら。

 テオは、注意深く、この国の経済活動を観察していた。

 店には、店員がいない。

 客は、ホログラムで表示された商品情報を見て、自らの腕輪を端末にかざすだけで、購入を完了させている。

 金銭のやり取りは、全てが電子データ。

 そこには、ごまかしも、値引き交渉も、入り込む余地はなかった。

(…なるほどな。対企業への取引は、鉄壁だ。だが、個人間なら、どうだ…?)

 彼は、公園のベンチで、二人のアヴァロン国民が、腕輪を付き合わせている光景に、目を留めた。

 一人が、もう一人に、何かを囁き、腕輪を操作すると、相手の腕輪が、ピコンと小さな音を立てて光る。

 個人間送金。

 借金か、あるいは、何かの対価か。

 テオは、その光景に、商機を見出した。

 彼は、何食わぬ顔でその二人組に近づくと、人の良さそうな笑みを浮かべて話しかけた。

「よぉ、旦那方。いい天気だねえ。ちょっと聞きたいんだが、この国の通貨『ラティオ』ってのは、個人でも簡単に貸し借りができるのかい?」

 アヴァロン国民は、感情のない目で、テオを一瞥した。

「…はい。個人間融資は、法で認められています。ただし、年利は三パーセントまでと規定されています」

「へえ、たったの三パーセント! そいつは、良心的だ! だが、もし、相手が返してくれなかったらどうするんだい?」

「…その問いは、非論理的です」

 男は、心底、不思議そうな顔で、答えた。

「アヴァロン国民は、全て、完璧な信用情報で管理されています。契約を反故にすることなど、ありえません。それは、自らの社会的信用を失うことを意味しますから」

「…………」

 テオは、固まった。

 そして、次の瞬間、腹を抱えて笑い出しそうになるのを、必死でこらえた。

(…ひ、ひひ…! ひひひひひ…! あったぜ…! 見つけたぞ…!)

 完璧な、穴だ。

 この国のシステムは、国民全員が「論理的で、正直者である」という、性善説の上に成り立っている。

 ならば、その前提を根底から覆す、非論理的で不誠実な存在が入り込んだら、どうなる?

 例えば、自分のような、稀代の詐欺師が。

「…いやあ、素晴らしい! なんて、素晴らしい国なんだ!」

 テオは、心からの賛辞を、男たちに送った。

「あんたらの、その清い心を、俺は心の底から尊敬するぜ!」

 男たちは、感情のない目で、ぺこり、と頭を下げると、去っていった。

 アイリスは、その、テオの、あまりに胡散臭い笑顔に、嫌な予感しか感じていなかった。

「…テオ。余計なことは、考えていませんよね?」

「人聞きが悪いな、隊長。俺は、ただ、この国の素晴らしい文化に、感動していただけだぜ?」

 テオは、そう言うと、一行からすっと離れた。

「悪いが、俺は、少し、野暮用を思い出した。ポテチの調達は任せたぜ」

「あ、待ちなさい、テオ!」

 アイリスの制止も聞かず、彼は、人混みの中へと、消えていった。


 数時間後。

 首都アクシオンの中央広場に、一つの、異質なホログラム広告が、浮かび上がっていた。

 それは、テオが、街の広告代理店に、なけなしのラティオをはたいて、出させたものだった。

 広告には、テオが描いた、棒人間のアイリスが、後光を差して、微笑んでいる。

 そして、その下には、扇情的なキャッチコピーが、躍っていた。

『―――あなたの、その、論理的な資産を、非論理的な奇跡へと、投資しませんか?』

『救国の聖女アイリス様が、あなたの未来を、祝福します!』

『今、一口、百ラティオの「信仰」で、あなたも奇跡の担い手に!』

『目標金額、百万ラティオ! 集まった資金は、混沌とした隣国ソラリアの、恵まれぬ民を救うための、尊い活動資金となります!』

 その名も、『聖女様救済ファンド』。

 あまりに胡散臭く、あまりに感情に訴えかける、クラウドファンディング。

 アヴァロンの国民たちは、その非論理的な広告の前を、ただ、無感情に通り過ぎていく。

 誰も、引っかかるはずが、なかった。

 だが、テオの狙いは、そこではなかった。

 彼は、この広告を、アヴァロン国民ではなく、この国に滞在している少数の「外国人」に向けて、発信していたのだ。

 論理に縛られず、感情で動き、「奇跡」という言葉に弱い、愚かな、しかし、金払いの良いカモたちに。


 その、一連の、不審な動き。

 それを、首都アクシオンの、地下深く。

 「中央管理AI(センチネル)」の、メインフレームが、静かに、しかし確実に、捉えていた。

『…対象グループ『カオス』の構成員、テオ。…非論理的な、金融商品の、勧誘行為を開始。…目的、不明。…だが、当国の、完璧な金融システムに対する、意図的な攻撃の可能性を、排除できず』

 モニターに、テオの顔写真が、大写しになる。

『結論。対象テオを、経済監視局の要注意人物としてリストアップ。脅威レベルを4に引き上げ、厳重な監視体制に移行する』

 テオは、まだ、知らない。

 自らの、ささやかな金儲けの企みが、この国にとって、ギルやジーロスの、分かりやすい物理的な違反行為よりも、遥かに深刻な「脅威」として、認識され始めていることを。

 彼の、詐欺師としての本能が、この国の、最も触れてはならない逆鱗に、触れてしまっていたのだ。

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