第二十八話 混沌という名の贈り物
絶対的な静寂だけが、古い闘技場跡と、そして、首都アクシオンの中央に位置する評議会の議場を、同時に支配していた。
評議員たちは、自らの席で、微動だにせず、中央のホログラムモニターに映し出された、一人の聖女の、あまりに不遜で、あまりに、論理を超越した宣言を、ただ、反芻していた。
『―――全ては、この、壮大な、シミュレーションのための、計算され尽くした、一つの、シナリオだったのですよ』
その言葉は、彼らの、完璧な論理で構築された世界に、修復不可能な、亀裂を入れていた。
ストレステスト。
脆弱性の、検出。
我々の一連の行動は、全て、あなた方の国を、より良くするための、贈り物だったのだ、と。
馬鹿な。
ありえない。
そんな、言い訳が、通用するはずが、ない。
だが。
だが、もし、それが、真実だとしたら?
彼らの脳裏に、これまでの、混沌の記憶が、蘇る。
ギルの、無意味な雄叫び。
ジーロスの、悪趣味な芸術テロ。
テオの、悪質な経済介入。
そして、シルフィの、予測不能な、不法侵入。
それらが、全て、計算され尽くした、一つのシナリオだった、と?
彼らの、完璧な論理は、その、あまりに壮大すぎる仮説を、否定することができなかった。
なぜなら、それ以外に、自分たちの、最強の最終兵器が沈黙した理由を、説明できる論理が、存在しなかったからだ。
「…ば、馬鹿な…」
一人の、若い評議員が、震える声で、呟いた。
「我々の、中央管理AIが、最終規制装置が、たった数人の、異国人の、気まぐれに、敗北した、とでもいうのか…? そんな、非論理的な、屈辱が、あってたまるか…!」
そうだ。
屈辱。
彼らが、最も恐れていたのは、それだった。
この、完璧な論理の国が、ただの混沌に、敗れた。
その、あまりに無様で、あまりに非論理的な事実を、認めること。
それだけは、彼らのプライドが、許さなかった。
その、絶望的な沈黙を破ったのは、議長のデキムスの、静かな、しかし、確かな、決意に満ちた声だった。
「…中央管理AI」
彼は、モニターの向こうの、聖女を見据えながら、静かに、問いかけた。
「…彼女の、説明を、受け入れた場合と、拒絶した場合。…それぞれの、未来予測を、シミュレートしろ」
『了解しました』
中央管理AIの、合成音声が、わずかなノイズ混じりで、応答した。
『説明を、拒絶した場合。我々は、対象グループ『カオス』を、敵性存在として、再認識。最終規制装置の再起動、及び、全戦力をもっての、殲滅戦へと、移行します。ですが、彼らの、非論理的な行動パターンは、未だ、解析不能。勝利の確率は、算出、不可能です。最悪の場合、首都アクシオンは、修復不可能な、物理的、及び、論理的なダメージを負う可能性が、あります』
その、絶望的な、未来予測。
『次に、説明を、受け入れた場合』
中央管理AIは、続けた。
『我々は、彼らを、敵ではなく、「高度な、友好国からの、コンサルタント」として、認識。彼らが引き起こした、全ての、損害は、「必要経費」として、計上されます。そして、我々は、彼らが提示した、システムの脆弱性に関する、貴重なデータを、手に入れることができる。国家の、論理的発展に、大きく貢献する、可能性が、あります』
二つの、未来。
破滅の、可能性。
そして、発展の、可能性。
答えは、もはや、一つしか、なかった。
デキムスは、ゆっくりと、立ち上がった。
そして、評議会の、全てのメンバーを、見渡した。
「…諸君。…我々は、今日、敗北した。…だが、それは、屈辱的な、敗北ではない」
彼の声は、静かだったが、その、一言、一言に、国家の指導者としての、重い、決意が、宿っていた。
「我々は、今日、学んだのだ。我々の、完璧な論理にも、まだ、改善の、余地があった、ということを。…そして、その、貴重な教えを、与えてくれたのが、友好国ソラリアの、勇気ある英雄たちだったのだ、と」
それは、完璧な、自己正当化だった。
そして、この、絶望的な状況を、乗り切るための、唯一の、論理的な、選択だった。
デキムスは、モニターの向こうの、アイリスに向かって、深々と、頭を下げた。
「…聖女、アイリス殿。…あなた方の、その深遠なる、ご配慮に、アヴァロン評議会を、代表して、心からの、感謝を、申し上げる」
◇
その、あまりに丁重な、そして、あまりに予想外の、感謝の言葉は、闘技場跡で、呆然と立ち尽くしていた、アイリス分隊の、度肝を抜いた。
「…は? …感謝…?」
テオが、素っ頓狂な声を上げる。
その、数時間後。
彼らは、なぜか、評議会の議事堂へと、丁重に、案内されていた。
そして、そこで、彼らは、第二の、信じがたい光景を、目の当たりにする。
評議会の、全員が、彼らの前に、ずらりと、並び、惜しみない、賞賛の、拍手を、送っているのだ。
「素晴らしい、ストレステストでした!」
「あなた方は、我が国の、危機を救った、最高の、コンサルタントです!」
「このご恩は、決して、忘れませんぞ!」
その、あまりに熱烈な、手のひら返し。
アイリス分隊の面々は、もはや、何が何だか、分からなかった。
アイリスだけが、脳内に響く、『神』の、満足げな声を聞きながら、(…全て、この人の、脚本通りか…)と、遠い目をしていた。
そして、その、茶番劇の、クライマックス。
デキムスが、巨大な、コンテナを、彼らの前に、運び込ませた。
「これは、我々からの、ささやかな、感謝のしるしです。…そして、両国の、永遠の友好の、証として、お受け取り、いただきたい」
コンテナの、扉が、ゆっくりと、開かれる。
その、中に、ぎっしりと、詰め込まれていたもの。
それこそが、この、長くて、面倒くさくて、そして、どこか、奇妙で、楽しかった冒険の、全ての、始まりだった。
『幻のサワークリームオニオン味ポテチ』。
それも、一袋や、二袋ではない。
おそらくは、数百、いや、数千袋。
コンテナ、丸ごと、一台分。
その、あまりに壮大で、あまりに俗っぽい贈り物を前に、アイリス分隊の面々は、それぞれの、いつも通りの、反応を示した。
「姉御…! これは、一体、なんでありますか…! 新種の、盾、でありますか!?」
「ノン! なんという、無粋な、贈り物だ! 美学の、欠片もない! …だが、この、パッケージデザインの、青と白のコントラストは、悪くない…!」
「わあ! お菓子が、たくさんです! 今夜は、パーティーですね!」
そして、テオだけが、その、震える指で、そろばんを、弾き始めていた。
「…ひ、ひひ…。ひひひひひ…! 一袋、いくらで、売りさばける…? いや、待てよ…。これは、もはや、ただのポテチじゃねえ。『アヴァロン王家からの、公式な贈り物』という、最高の『物語』付きだ…! …こいつは、とんでもねえ、ビジネスになるぜ…!」
アイリスは、その、混沌のど真ん中で、ただ、一つ、深いため息をついた。
(…帰りましょう。…早く、私たちの、国に…)
彼女の、胃痛は、もはや、限界を超えていた。
だが、その、疲れ果てた表情の、奥の、奥に。
ほんの少しだけ、確かな、誇らしさが、宿っていたことを、まだ、誰も、知らない。
『神』のハッタリは、こうして、最高の形で、結実したのだった。