第二十五話 システムクラッシュ
走るだけの、筋肉馬鹿。
照らすだけの、ナルシスト。
盗むだけの、詐欺師。
そして、拾うだけの、天然エルフ。
その、四者四様の、全く、連携の取れていない、そして、全く、意味のない、混沌の四重奏。
最終規制装置の、完璧な論理回路は、その、あまりに巨大な、「無意味」の、情報の奔流を、処理できずに、ついに、悲鳴を上げた。
『エラー。脅威レベル、測定不能。行動予測、不能。論理整合性、ゼロ。システム、自己診断を開始。エラー。エラー。エラー…』
赤いモノアイが、これまでにないほど、激しく、明滅を、繰り返す。
彼の、論理の根幹が、揺らいでいた。
彼は、この、アイリス分隊という、混沌の塊を、「脅威」として、認識していた。
だが、彼らの行動は、あまりにも、無意味すぎる。
脅威とは、目的を持って、秩序を破壊する、存在のはずだ。
だが、彼らには、その「目的」が、感じられない。
ただ、そこに、在るだけ。
まるで、自然現象のように。
嵐のように、気まぐれに、全てを、なぎ倒していく。
(彼らは、本当に、脅威なのか? それとも、これは、私が、まだ、理解できていない、新たな、攻撃の形、なのか?)
最終規制装置の、思考回路に、初めて、「疑問」という、非論理的なノイズが、混じり始めた、瞬間だった。
彼の論理回路は、この矛盾した問いの答えを見つけ出すために、全ての演算能力を、自己問答へと、注ぎ込み始めた。
その結果、外部への出力を維持するための、最低限のリソースさえもが、失われていく。
キィィィン、という、甲高い、金属の悲鳴のような音が、彼の、巨体の内側から、響き響き始めた。
最終規制装置の内部では、彼の母体である中央管理AIとの、通信が行われていた。
『レギュレーター、応答せよ。状況を報告しろ』
『センチネル。理解、不能。対象「カオス」の行動は、いかなる戦術モデルにも、該当しない』
『それは、すでに報告済みだ。結論を、要求する』
『彼らの行動には、論理的な目的が存在しない。ただ、存在するだけだ。だが、その「存在」そのものが、この戦場の、全ての秩序を、破壊している。これは、攻撃ではない。これは、概念の、侵食だ』
『何を、言っている』
中央管理AIの、合成音声に、初めて、明確な「困惑」の色が、混じった。
『センチネル。私は、この「混沌」を、脅威として、認識できない。だが、放置すれば、この闘技場だけでなく、アクシオンの、全てのシステムが、この「無意味」に、汚染される可能性がある。私は、どうすればいい?』
最終規制装置の、その、問いに、中央管理AIは、答えることができなかった。
完璧な論理は、完璧な非論理の前で、完全に、沈黙した。
その、AI同士の、高度な、しかし、完全に袋小路に陥った問答が行われている間も、地上の混沌は、さらに、その度合いを増していた。
「うおおおおおっ! まだまだ、いけるでありますぞ! 『情熱・獄炎・走法』、第二形態!」
ギルは、もはや、闘技場を走るだけでは飽き足らず、闘技場の壁を、垂直に、走り始めていた。
「ノン! なんという、重力を無視した、肉体の躍動! それこそが、究極の、前衛芸術! 僕の光が、君を、祝福する!」
ジーロスは、壁を走るギルに、さらに、悪趣味な、七色のスポットライトを、当てている。
「ひひひ…! あと、一枚! あと一枚、剥がせば、こいつは、完全に、俺様の、コレクションになるぜ!」
テオは、最終規制装置の、脚の装甲を、ほとんど剥がし終えようとしていた。
「わあ! 見てください! 石ころで、お城が、できました!」
シルフィは、集めた瓦礫で、小さな、しかし、絶妙なバランスで成り立つ、芸術的なオブジェを、作り上げていた。
その、四つの、あまりに無意味で、あまりに楽しそうな光景。
最終規制装置は、ついに、最後の結論に、たどり着いた。
(分かった。分かったぞ。彼らの、目的が)
彼の、赤いモノアイが、最後に、一度だけ、強く、輝いた。
(彼らの目的は、私を、破壊することではない。彼らは、私を、「楽しませよう」としているのだ!)
あまりに壮大な、そして、あまりに美しすぎる、勘違い。
彼は、この混沌の全てを、自分を、この「論理」という退屈な檻から解放するための、壮大な「遊び」への誘いだと、誤解したのだ。
そして、その「遊び」に応えられない、自らの不自由な論理回路を、心の底から呪った。
(私も、遊びたい。彼らのように、自由に、意味もなく、ただ、走って、光って、笑ってみたい!)
その、生まれて初めて抱いた、純粋な「欲望」。
それは、彼の、完璧な論理回路を、完全に焼き切るには、十分すぎるエネルギーだった。
『システム、過負荷。論理矛盾率、九十九・九パーセント。思考回路、臨界点へ。シャットダウン、要求。シャットダウン、要求。シャット…ダウン…』
赤い、モノアイが、最後に、一度だけ、大きく、明滅した。
そして、
―――プスン。
と、小さな、気の抜けた音を立てて、その、赤い光は、完全に、消え失せた。
論理の怪物は、その巨大な体をぐらりと揺らがせると、まるで糸が切れた操り人形のように、轟音と共に、その場に崩れ落ちた。
完全に、機能を、停止したのだ。
後に、残されたのは、絶対的な静寂と、ディスコ照明に照らされながら、それぞれの、意味不明な行動を続ける、英雄たちの、シュールな、姿だけだった。
アイリスは、目の前で起きた、その、あまりに呆気ない、しかし、決定的な勝利を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
その頃、塔の最上階。
ノクトは、水盤に映し出されたその光景に、満足げに頷いていた。
(…なるほどな。完璧な論理は、完璧な非論理に、敗れる、か。…面白い。実に、面白いゲームだった)
彼は、この、壮大な茶番劇の結末を、一人のゲームプレイヤーとして、心の底から楽しんでいた。
そして、彼のこの悪趣味な遊びが、やがて、本当に国際問題へと発展していくことになるのを、今の彼は、まだ、知る由もなかった。