第二十四話 混沌の戦場(後編)
「―――混沌を、続けます! 二人も、思う存分、やってください!」
アイリスの、リーダーとしての、そして、もはや一人の混沌の信奉者としての、力強い命令が、悪趣味なディスコホールと化した闘技場に響き渡った。
その言葉に、これまで傍観に徹していた(あるいは、ただ単に状況についていけていなかった)二人が、ついに動き出す。
不徳の神官テオと、天然エルフのシルフィ。
彼らは、このパーティーにおいて、最も予測不能で、最も純粋な「混沌」の化身だった。
テオは、フリーズしたままの『最終規制装置』を、まるで品定めでもするかのように、じろじろと眺めていた。
その目は、もはや敵を分析する戦士のものではない。
目の前に転がった、巨大な金のなる木を、いかにして最大限に利用するかを計算する、商人の目だった。
(…ひひひ。すげえな、こいつ。この、白い装甲。見たこともねえ金属だ。魔力伝導率も、硬度も、俺が知るどの金属よりも上だ。…こいつは、とんでもねえ価値があるぜ…!)
彼の、詐欺師としての本能が、この絶望的な状況の中で、最高のビジネスチャンスを嗅ぎつけていた。
ギルの逮捕、ジーロスの逃亡、そして、自らが引き起こした市場崩壊。
その全ての損失を、補って余りある、莫大な利益の可能性が、目の前に転がっている。
彼は、懐から、小さなナイフと、なぜか常に持ち歩いている、鑑定用のルーペを取り出した。
「おい、アイリス! ちょっと、こいつを、もらっていくぜ! ギルの保釈金の、足しにしねえとな!」
彼は、そう言うと、何の躊躇もなく、機能停止している最終規制装置の、巨大な脚へと駆け寄った。
そして、その、美しい純白の装甲の、継ぎ目に、ナイフを差し込み、まるで牡蠣の殻でもこじ開けるかのように、器用な手つきで、一枚、また一枚と、剥がし始めたのだ。
ガキン! ゴキン! という、無慈悲な金属音。
それは、もはや戦闘行為ですらなかった。
ただの、火事場泥棒。
それも、国家の最終兵器を、白昼堂々、解体するという、前代未聞の。
その、テオの、あまりに冒涜的な行動。
それを、最終規制装置の、かろうじて機能していた論理回路が、検知した。
『エラー。対象テオ。行動、本機の装甲に対する、物理的干渉を開始。目的、不明。攻撃か? 否。対象の行動に、敵意は観測されず。これは、何を意味する?』
最終規制装置は、混乱していた。
テオの行動は、彼の膨大な戦闘データの中に、全く、存在しなかった。
敵の装甲を剥がす、という行為は、通常、その内部構造を破壊するための、攻撃の予備動作のはずだ。
だが、テオは、剥がした装甲を、嬉しそうに、ルーペで眺めたり、歯で噛んで、その硬度を確かめたりしている。
その姿は、まるで、希少な鉱物を、鑑定しているかのようだった。
『対象の行動を、再定義。本機の、構成部品に対する、窃盗行為、か? エラー。論理的に、ありえない。戦闘状況下において、なぜ、窃盗を? 理解、不能…』
その、論理の怪物の、さらなる混乱に、追い打ちをかけたのは、やはり、あの、歩くシステムエラーだった。
シルフィは、ジーロスが作り出した、悪趣味なディスコ照明に照らされて、キラキラと輝く、地面の破片に、いつの間にか、心を奪われていた。
それは、ギルと最終規制装置の、これまでの攻防の余波で砕け散った、闘技場の、ただの石畳の欠片だった。
だが、ジーロスの、七色の光を浴びて、それは、シルフィの目には、まるで、虹色の宝石のように、映っていたのだ。
「わあ…!」
彼女は、感嘆のため息を漏らした。
「とっても、綺麗です…! きっと、これを集めれば、虹色のお花畑への、道しるべになるに違いありません!」
あまりに、的外れな、そして、あまりに都合のいい、勘違い。
彼女は、その場にちょこんと座り込むと、戦闘の喧騒など全く意に介さず、その、キラキラした石ころを、一つ、また一つと、楽しげに、拾い集め始めたのだ。
彼女の、その、あまりに無防備で、あまりにマイペースな行動。
最終規制装置の、赤いモノアイが、その、小さな、しかし、致命的な「非論理」を、捉えた。
『エラー。対象シルフィ。行動、戦闘区域内における、瓦礫の収集を開始。目的、不明。これは、一体、何を…?』
最終規制装置の、完璧な論理は、シルフィの行動を、理解しようと、フル回転を始めた。
瓦礫を、集める。
その行為に、戦術的な意味は、あるのか?
バリケードを、構築するためか? 否。彼女の集め方は、あまりに、無計画すぎる。
投擲武器として、利用するためか? 否。彼女の行動に、敵意は、一切、観測されない。
彼の、膨大な戦闘データの中に、シルフィの行動に該当するケースは、一つも、なかった。
それは、ただの、子供の「遊び」だったからだ。
だが、最終規制装置の、完璧な論理の中に、「遊び」という、非生産的な概念は、存在しない。
『エラー。エラー。エラー。論理的、矛盾を、検知。対象の、行動目的の、再定義を、要求。再定義、不能。システムに、過負荷…』
赤いモノアイが、これまでにないほど、激しく、明滅を、繰り返す。
彼の、論理の根幹が、揺らいでいた。
(彼らは、本当に、脅威なのか? それとも、これは、私が、まだ、理解できていない、新たな、攻撃の形、なのか?)
最終規制装置の、思考回路に、初めて、「疑問」という、非論理的なノイズが、混じり始めた、瞬間だった。
混沌の戦場は、今、最も静かで、そして、最も致命的な、最終局面へと、向かおうとしていた。