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第二十一話 完璧な敗北

 闘技場跡は、奇妙な静寂に包まれていた。

 ほんの数分前まで、そこは混沌の三重奏――陽気な歌と、悪趣味な照明と、意味不明のダンス――が支配する、シュールな祝祭の空間だったはずだ。

 だが、今は違う。

 歌は止み、光は消え、踊りも終わった。

 英雄たちの、あまりに非論理的な悪あがきは、論理の怪物の思考回路を一時的にフリーズさせ、束の間の静寂をもたらした。

 だが、それは、嵐の前の静けさに過ぎなかった。


 赤いモノアイを不気味に明滅させ、沈黙していた『最終規制装置(レギュレーター)』。

 その巨体が、再び、静かに動き出す。

 だが、その動きは、以前とは明らかに違っていた。

 以前の動きが、未知の異常(バグ)に遭遇した機械の、ぎこちない混乱だったとすれば、今の動きは、その異常(バグ)を完全に解析し、自らの思考回路(アルゴリズム)更新(アップデート)した、冷徹な捕食者の、それだった。

『行動パターンの、再計算を、完了』

 最終規制装置(レギュレーター)の、合成音声が、静かに、しかし、有無を言わせぬ響きで、告げた。

『対象グループ『カオス』の、非論理的行動パターンを、新たな脅威モデルとして、データベースに登録。これより、排除プロセスに、移行する』

 論理の怪物は、学習したのだ。

 彼らの「混沌」を、もはや理解不能な異常(バグ)としてではなく、対処すべき、一つの「戦術」として、認識した。

 その、絶望的な宣告に、仲間たちの顔が、再びこわばる。

 だが、アイリスの心は、もはや、折れてはいなかった。

 彼女の脳内には、絶対的な司令塔の声が、再び、響き渡っていたのだから。

『フン。ようやく、本気になったか、あのブリキ人形も』

 ノクト()の声は、どこまでも冷静で、そして、どこまでも不遜だった。

『面白い。面白いじゃないか。学習した、だと? …ならば、こちらも、その、出来損ないの学習能力のさらに上を行く、完璧な戦術を見せてやろうじゃないか』

 盤上の『神』は、ついに、本気になった。

 彼の、ゲーマーとしての、全てのプライドを懸けて。

『―――新人! 聞こえるか! これより、俺が、直接、お前たちの全てをコントロールする! 一瞬の思考の遅延(ラグ)も許さん! 俺の手足となって、完璧に動け!』

(はい、神様!)

 アイリスの瞳に、『神』の光が宿った。

 論理と、論理の、知恵と、知恵の、真っ向勝負。

 『神』――ノクトと、もう一人の『神』――中央管理AI(センチネル)が作り出した最強の機械との、代理戦争が、今、始まろうとしていた。


「―――作戦開始!」

 アイリスの、鋭い声が、合図だった。

『ギル、前へ! 奴の、注意を、引きつけろ! ただし、攻撃はするな! 防御に、徹しろ!』

「御意!」

 ギルが、雄叫びを上げ、最終規制装置(レギュレーター)へと、突進する。

 だが、彼は、戦斧を振るわない。

 ただ、その鋼鉄の肉体を盾として、最終規制装置(レギュレーター)の進路を塞ぐだけ。

『ジーロス、テオ! 左右に、散開! 奴の、死角から、揺さぶれ!』

「ノン! 僕の、華麗なるステップを、見せてあげよう!」

「ひひひ…! ちょっかいを出すのは、得意でね!」

 ジーロスとテオが、幻術と、投擲物で、最終規制装置(レギュレーター)の、注意を、散漫にさせる。

『よし! 今だ、シルフィ! 奴の右肩の関節部! そこが、装甲の最も薄い一点だ!』

「はい!」

 シルフィが放った矢が、吸い込まれるように、最終規制装置(レギュレーター)の、巨大な肩の一点へと、突き刺さった。

 ガキン! という、硬い音。

 致命傷には、ほど遠い。

 だが、その、完璧な一点攻撃は、最終規制装置(レギュレーター)の、バランスを、ほんの僅かに崩した。

『―――アイリス! 突っ込め!』

 アイリスは、その、一瞬の隙を、見逃さなかった。

 彼女の体は、風となって、最終規制装置(レギュレーター)の、懐へと、一直線に、突き進んでいく。

 完璧な、連携。

 完璧な、戦術。

 ノクト()の、神がかりの采配が、初めて、論理の怪物を捉えた、はずだった。


『甘い』


 最終規制装置(レギュレーター)の、合成音声が、響いた。

 アイリスが、その心臓部であるモノアイへと、剣を突き立てようとした、その寸前。

 最終規制装置(レギュレーター)の、全身の装甲が、一斉に、スライドした。

 カシャ、カシャ、カシャ、と、無機質な音を立てて、その、白い巨体は、全く、別のフォルムへと、変形したのだ。

 シルフィが狙った、右肩の弱点は、分厚い、追加装甲で、覆われ、アイリスが狙った心臓部は、より、奥深くへと、格納される。

 そして、その代わりに、ギル、ジーロス、テオの三人がいる、それぞれの方向に、新たな小型のレーザー砲塔が、せり出してきた。

 変形に要した時間は、わずか、数秒。

『戦闘パターン、予測、完了。あなた方の連携は、確かに、論理的です。ですが、その論理は、すでに、私の計算の中にあります』

 次の瞬間。

 三つの、レーザー砲塔から、正確無比な、光の矢が、放たれた。

「ぐおおおっ!」

「ノンッ!」

「げっ!」

 ギルの足元を、ジーロスの幻術の発生源を、そして、テオの投擲物を、寸分の狂いもなく、撃ち抜く。

 三人は、その場で、動きを封じられた。

 そして、アイリスの、目の前。

 最終規制装置(レギュレーター)の、巨大な腕が、彼女を、捕らえようと、迫っていた。

 それは、ノクト()の、完璧な戦術に対する、最終規制装置(レギュレーター)からの、完璧な反撃(カウンター)だった。


 ◇


 塔の最上階。

 ノクトは、水盤に映るその光景に、初めて、言葉を失っていた。

(…なんだと? 俺の戦術が、読まれた…? …それも、完璧に…?)

 ありえない。

 彼は、この世界の全てのゲームを知り尽くしている。

 彼の戦術は、常に、最適解のはずだ。

 だが、この機械人形は、その最適解をさらに上回る最適解を、叩きつけてきた。

 最終規制装置(レギュレーター)は、ノクトが最初の指示を出した瞬間、母体である中央管理AI(センチネル)が保有する、アヴァロン建国以来の膨大な戦闘データを全て共有・解析していた。

 その中には、歴史上の名将たちの戦術データも、過去にソラリア王国と幾度となく行ってきた模擬戦闘の記録も、全てが含まれている。

 ノクトの戦術は、確かに天才的だ。

 だが、その基礎となる部分は、歴史上の偉大な戦術家たちの思考パターンに、少なからず影響を受けている。

 最終規制装置(レギュレーター)は、ノクトの最初の攻撃を受けた瞬間、センチネルのデータベースから、彼の戦術の根源となっているであろう、類似した思考パターンを持つ、過去の天才たちのデータを瞬時に引き出し、照合したのだ。

 最終規制装置(レギュレーター)は、ノクト本人を学習したのではない。

 「ノクトのような天才が取りうる、全ての戦術パターン」を、過去の膨大なデータから予測し、最適解を導き出したのだ。

 彼は、今、自分自身と、戦っていた。

 いや、歴史上の全ての天才たちを、同時に、相手にしていた。


 闘技場では、一方的な蹂躙が、始まっていた。

 ノクト()が、どんなに奇策を繰り出しても、最終規制装置(レギュレーター)は、その全てを、完璧に予測し、そして、完璧な反撃(カウンター)を、叩きつけてくる。

 ジーロスの、広範囲幻惑魔法には、モノアイのレンズを瞬時に偏光させることで対応。

 テオの、確率操作には、全ての可能性のパターンを瞬時に計算し、最も確率の低い最悪の結果を強制的に引き起こすことで対応。

 ギルの、渾身の一撃には、その力のベクトルを最小限の力で受け流し、そのエネルギーを利用して、彼自身へと叩き返す。

 それは、もはや、戦闘ではなかった。

 ただの、公開処刑だった。

 分隊員たちが、一人、また一人と、その場に倒れ伏していく。

 致命傷は、負っていない。

 最終規制装置(レギュレーター)の攻撃は、相手を、殺すのではなく、「無力化」することだけを、目的としていたからだ。

 その、あまりに効率的で、あまりに無駄のない戦い方こそが、ノクト()のプライドを、最も深く傷つけた。


 やがて、闘技場に立っているのは、アイリス、ただ一人となった。

 彼女は、剣を構え、荒い息をつきながら、目の前の白い巨人を睨みつけている。

 最終規制装置(レギュレーター)は、動かない。

 ただ、その赤いモノアイで、彼女を冷たく見下ろしているだけ。

 まるで、「もう、終わりか?」と、問いかけているかのようだった。

 アイリスの脳内に、初めて、ノクト()の、震える声が、響いた。

『…だめだ…。勝てん…。こいつには、勝てん…』

 絶対者の、初めての敗北宣言。

 アイリスの、最後の希望が、断ち切られた。

 彼女は、その場に膝から崩れ落ちた。

 剣が、カラン、と乾いた音を立てて、地面に転がる。

 完璧な、敗北。

 論理の怪物の前で、『神』の完璧な論理は、完膚なきまでに、叩きのめされたのだ。

 最終規制装置(レギュレーター)の腕が、ゆっくりと、アイリスに向けられる。

 その、無慈悲な、最後の一撃が、放たれようとした、その時。

 アイリスは、見た。

 倒れ伏しながらも、自分を守ろうと手を伸ばす、分隊員たちの姿を。

 彼女は、聞いた。

 脳内で、自らの敗北に打ちひしがれている、あの不遜な『神』の、悔しそうな息遣いを。

(…まだだ)

 彼女の、心の底で、何かが、燃え上がった。

(…まだ、終わっていない…!)

 『神』の声が、無くとも。

 完璧な作戦が、無くとも。

 自分には、まだ、残されているものが、ある。

 彼女は、ゆっくりと、顔を上げた。

 その瞳には、もはや、『神』の光は、宿っていない。

 ただ、一人の、騎士としての、不屈の闘志だけが、燃え盛っていた。

 論理の怪物が、裁きの光を放つ、その寸前。

 盤上の駒は、ついに、自らの意志で、立ち上がろうとしていた。

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