表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/30

第十九話 絶望的な鬼ごっこ

 投降か、死か。

 中央管理AI(センチネル)が突きつけた、あまりに冷酷な最後通牒。

 その宣告が響き渡った後、アクシオンの街は、不気味なほどの静寂に包まれた。

 それは、嵐の前の静けさだった。

 アイリスは、古い工業区画の、錆びついた配管の影で、息を殺していた。

 隣では、最重要指名手配犯となったテオが、顔を真っ青にさせ、ガタガタと震えている。

「…お、終わりだ…。俺たちは、ここで、あの白いブリキ野郎に、スクラップにされるんだ…」

「弱音を吐かないでください!」

 アイリスは、叫んだ。

 だが、その声は、自分自身に言い聞かせているようでもあった。

 一時間。

 残された時間は、刻一刻と、減っていく。

 彼女は、心の内で、必死に、叫んでいた。

(神様…! 神様! 聞こえますか!? 私たちは、どうすれば…!?)

 だが、脳内に、あの不遜な声は、響かなかった。

 中央管理AI(センチネル)による、情報統制が、始まっているのか。

 あるいは、あの『神』でさえも、この、絶望的な状況には、匙を投げたのか。

 アイリスは、初めて、本当の孤独に、突き落とされた。

 これまでは、常に、あの声が、道を示してくれた。

 どんなに理不尽で、どんなに悪趣味でも、そこには、確かな、勝利への道筋があった。

 だが、今は、ない。

 彼女は、ただの、新人騎士だった。

 聖女でも、英雄でもない。

 糸が切れた、操り人形。

 絶望が、彼女の心を、黒く塗りつぶそうとした、その時だった。

 彼女の脳裏に、仲間たちの顔が、浮かんだ。

 牢獄で、自らの無力を噛み締めているであろう、ギル。

 街のどこかで、孤独な逃亡生活を送っているであろう、ジーロス。

 そして、今、この瞬間も、一人ぼっちでこの巨大な迷宮をさまよっているであろう、シルフィ。

(…私が、やらなければ…)

 ふつふつと、心の底から、何かが、湧き上がってくる。

 それは、神から与えられた、命令ではなかった。

 リーダーとして、仲間を、守る。

 その、あまりにシンプルで、あまりに騎士らしい、衝動。

「…テオ。行きますよ」

 アイリスは、立ち上がった。

 その瞳には、もはや、迷いはなかった。

「まずは、ジーロスと、シルフィを、探し出します。そして、ギルを、助け出します。…投降など、しません」

「…正気か、隊長!? あの、バケモノが、うろついてるんだぞ!」

「ええ、正気です。…私たちは、まだ、負けてはいませんから」

 その、あまりに無謀な、しかし、あまりに力強い宣言に、テオは、呆気に取られていた。

 彼は、目の前の少女が、いつの間にか、ただの、神の駒ではない、一人の、指揮官の顔になっていることに、気づいていた。


 だが、彼らの、その、ささやかな決意を、嘲笑うかのように。

 運命の、一時間が、経過した。

 街全体に、再び、あの、けたたましい非常警報が、鳴り響く。

 そして、大地が、揺れた。

 ドォォン…!

 ドォォン…!

 地響きは、一定のリズムを刻みながら、ゆっくりと、しかし確実に、こちらへと近づいてくる。

 アイリスとテオは、工場の、錆びついた窓から、外を覗き込んだ。

 そして、信じられない光景を、目撃する。

 彼らがいた、工業区画の、遥か向こう。

 純白の、高層ビル群の間を縫うようにして、一つの巨大な白い影が、こちらへと、進撃してきていた。

 その頭部に灯る、巨大な、赤いモノアイ。

 最終規制装置(レギュレーター)

 論理の怪物が、ついに、その狩りを始めたのだ。

「…ひっ…!」

 テオが、息をのむ。

「…逃げますよ!」

 アイリスは、テオの手を引くと、工場の裏口から、飛び出した。

 絶望的な、鬼ごっこが、今、始まった。


 アイリスたちは、遮蔽物の多い、古い住宅地区へと、逃げ込んだ。

「こっちです! 入り組んだ路地なら、あの巨体では、追ってこれないはず…!」

 アイリスの、騎士としての、基本的な戦術判断。

 だが、それは、あまりにも、甘かった。

 彼女が、細い路地へと、飛び込んだ、その瞬間。

 路地の出口の地面から、対車両用の分厚い防護壁が、いくつも、せり上がってきたのだ。

「なっ…!?」

「袋の、ネズミじゃねえか!」

 二人が、絶望に振り返った、その先。

 レギュレーターの、巨大な赤いモノアイが、路地の入り口から、彼らを冷たく見下ろしていた。

『ターゲット、捕捉。排除、します』

 合成音声が、響き渡る。

 その、巨大な腕が、振り上げられた。

 絶体絶命。

 その、瞬間だった。

「―――そこまでだ、無粋な、機械人形!」

 どこからか、芝居がかった声が響き、閃光が、炸裂した。

 レギュレーターの、巨大なモノアイが、強烈な光に、眩む。

 見れば、近くの、建物の屋根の上に、派手な衣装の、ジーロスが、立っていた。

「ジーロス!」

「フン。君たちだけ、面白いことをしているじゃないか。この僕を、仲間外れにするとは、感心しないね」

 彼は、不敵に、笑った。

「アイリス様ー! テオさーん!」

 今度は、全く、別の方向から、間の抜けた声が、聞こえた。

 シルフィだった。

 彼女は、建物の壁面に設置された、巨大な半透明のホログラム広告の、裏側にある通路から、手を振っていた。

 どうやら、ホログラム広告のメンテナンス用の通路に、迷い込んでしまったらしい。

 こうして、予期せぬ形で、分隊は、合流した。

 だが、状況は、好転してはいない。

 むしろ、悪化していた。

 レギュレーターは、ターゲットが、四人に増えたことを、確認すると、その、戦術モードを、切り替えた。

『ターゲット、全員を、捕捉。これより、広域殲滅モードに、移行します』

 その、背中から、無数の、小型ミサイルポッドが、せり上がってくる。

「…おいおい、冗談だろ…」

 テオの、顔が、引き攣った。

「…皆さん! 逃げますよ!」

 アイリスは、叫んだ。

 ここから、本当の、地獄の鬼ごっこが、始まった。

 アイリスが、東へと逃げれば、レギュレーターは、その三ブロック先の交差点の、全ての信号を赤に変え、地下からは対車両用の分厚い防護壁をせり上がらせ、完璧な防壁を作り出す。

 ジーロスが、幻術で分身を作り出せば、レギュレーターは、熱源センサーで、一瞬で本体を見抜く。

 テオが、「こっちが、裏道だ!」と、地下水路へと続くマンホールの蓋に手をかけると、ガチャン!という重い金属音と共に、蓋が内側から電子ロックされる。

 彼の腕輪型端末には、無機質な警告メッセージが浮かび上がる。

『警告:許可なきインフラへのアクセスは、都市管理法第百十五条に基づき、禁止されています』

 最終規制装置(レギュレーター)は、ただ、都市のシステムに命令を下しただけで、彼らの最後の裏道さえも、完璧に塞いでしまったのだ。

 完璧な、予測。

 完璧な、追跡。

 彼らの、全ての、論理的な、逃走ルートは、レギュレーターの、完璧な、論理によって、ことごとく、封じられていく。

 街全体が、彼らを、捕らえるための、巨大な、罠と化していた。

「はぁ…はぁ…。だめです…。どこへ、逃げても、先回り、されて…!」

 数時間にわたる、逃走の末、アイリス分隊は、心身ともに、疲弊しきっていた。

 そして、ついに、彼らは、追い詰められた。

 巨大な、壁に囲まれた、古い、円形の、闘技場跡。

 出入り口は、一つだけ。

 そして、その、唯一の出入り口を、レギュレーターの、巨大な、白い影が、塞いでいた。

 赤い、モノアイが、絶望に膝をつく、四人の獲物を、冷たく、見下ろしている。

「…終わり、か…」

 テオが、力なく、呟いた。

 アイリスは、歯を、食いしばった。

 仲間を、守れなかった。

 『神』の、声も、聞こえない。

 彼女は、自らの、無力さに、打ちひしがれていた。

 レギュレーターの、腕が、ゆっくりと、振り上げられる。

 その腕に搭載された、高出力のレーザー砲が、最後の審判を告げる赤い光を、灯し始めた。

 絶望的な、静寂。

 アイリスは、ぎゅっと、目を、閉じた。

 だが、その、彼女の脳裏に。

 一つの、声が、響いた。

『…やれやれ。ようやく、お膳立てが、整ったか』

 その、声は。

 彼女が、心の底から待ち望んでいた、あの、不遜で、怠惰で、しかし、誰よりも頼りになる、

「―――神様…!」

 論理の怪物が、裁きの光を放つ、その寸前。

 盤上の『神』が、ついに、その重い腰を上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ