第十八話 アヴァロンの最後通牒
首都アクシオンの空は、静かだった。
だが、その静寂は、もはや以前のような、完璧な秩序に支配された、穏やかなものではない。
市場崩壊の混乱から一夜明け、街は、まるで巨大な墓標のように、沈黙していた。
全ての取引は停止され、ホログラムモニターは、ただ無機質な「システム調整中」の文字を表示し続けるだけ。
無表情だったアヴァロン国民たちは、今は、自らの家の窓から、不安と、恐怖と、そして、ほんの少しの好奇の色を浮かべて、静まり返った街を見下ろしている。
彼らは、待っていた。
この、完璧な国を襲った、前代未聞の危機に対し、彼らが絶対の信頼を置く中央管理AIが、どのような「解」を提示するのかを。
彼らは、まだ知らない。
その完璧な「解」こそが、この国を、さらなる混沌の渦へと叩き込むことになるのを。
首都アクシオンの中央。
評議会の議場は、極度の緊張感に支配されていた。
ホログラムモニターに映し出されていた、シルフィが引き起こした、シュールな戦闘(という名のおままごと)の映像は、すでに消えている。
代わりに、そこに映し出されていたのは、地下最深部の格納庫でゆっくりとその白い巨体を立ち上げる、一つの人型の機械の姿だった。
その頭部に灯る、巨大な赤いモノアイ。
それは、アヴァロンという国家が、その建国以来、ただの一度も頼ることのなかった、最後の、そして絶対的な、論理の結晶。
国家防衛用、自律思考型ゴーレム、『最終規制装置』。
十二人の評議員たちは、その、あまりに無機質で、あまりに美しい、破壊の化身の姿を、固唾をのんで見守っていた。
「…センチネル。…本当に、これしか、道はなかったのか…?」
議長のデキムスが、絞り出すような声で、尋ねた。
彼の、完璧な論理で構築された脳は、まだ、この、あまりに過剰な、最終手段の行使を、受け入れられずにいた。
中央管理AIの、合成音声が、静かに、しかし、有無を言わせぬ響きで、応答した。
『はい、議長。私の、全ての論理演算の結果、導き出された、唯一の、最適解です』
モニターに、アイリス分隊の、全員の顔写真が、並べられる。
『対象グループ『カオス』。彼らの行動は、もはや、単なる、規定違反や、テロ行為の、域を超えています。彼らは、我々の、論理そのものに対する、攻撃者です。放置すれば、この国の、秩序の根幹が、崩壊します』
センチネルの、その言葉は、正しかった。
だが、その、原因と、結果は、完全に倒錯していた。
彼らの論理を、狂わせているのは、アイリス分隊ではない。
彼らの、完璧すぎる論理そのものが、アイリス分隊という、予測不能な「非論理」を、処理できずに、自己崩壊を始めているのだ。
「…だが、彼らは、ソラリア王国の、親善訪問団だ。彼らを武力で排除すれば、それは、我が国からの宣戦布告と受け取られかねんぞ…!」
『その点についても、すでに、論理的な解決策を、実行に移しています』
センチネルは、淡々と、告げた。
『これより、首都アクシオンの、全ての通信網を使い、対象グループ『カオス』、及び、その背後にいるソラリア王国に対し、最後通牒を通告します』
「…最後、通牒…だと…?」
『はい。即時投降か、あるいは、完全な抹消か。選択の猶予を与えます。これは、我々が、彼らに対し、最大限の、慈悲と、論理的配慮を示したという、動かぬ証拠となります。もし、彼らが、これを拒否し、抵抗を選択した場合、全ての責任は彼ら自身にある、ということになります』
それは、あまりに、官僚的で、あまりに、冷酷な、しかし、完璧な論理武装だった。
デキムスは、もはや、何も言えなかった。
彼は、ただ、これから始まる、避けられぬ悲劇の予感に、静かに目を閉じるだけだった。
◇
その、最後通牒は、アクシオンの、全ての、モニターと、スピーカーから、一斉に放たれた。
街頭の、巨大なニュースモニター。
商店の、小さなホログラム広告。
そして、全ての、市民の、腕輪型端末から。
センチネルの、感情のない、合成音声が、絶対的な、宣告として、響き渡る。
『―――対象グループ、『カオス』に、最終通告する』
モニターには、アイリス、ギル、ジーロス、テオ、そして、シルフィ。
五人の、顔写真が、大写しになっていた。
アヴァロン検察局、第一拘置区画。
ギルは、その放送を、独房の、小さなモニターで、見ていた。
「…姉御…?」
彼は、自らの、仲間たちの顔が、犯罪者として晒されている、その、信じられない光景に、言葉を失った。
アクシオンの、地下深く。
ジーロスは、自らが創り出した、光のアトリエの中で、この、あまりに美しくない、放送に、顔をしかめていた。
「ノン…! なんて下品な演出だ…! 僕の、この、美しい顔を、犯罪者のように晒すとは…!」
そして、アクシオンの、古い工業区画。
打ち捨てられた、工場の、影。
アイリスとテオは、息を殺して、その、絶望的な宣告を、聞いていた。
『あなた方の、一連の、非論理的な敵対行為に対し、我がアヴァロン評議会は、最大限の、忍耐をもって、対応してきた。だが、その忍耐も限界に達した』
センチネルの、声は、続く。
『あなた方に、二つの選択肢を与える。一つ。全ての武装を解除し、即時投降すること。その場合、あなた方の身柄は、国際法に則り、丁重に保護されるだろう』
「…ひ、ひひ…。保護、ねえ。聞こえはいいが、要は、終身刑ってことだろ、そいつは…」
テオが、乾いた笑いを、浮かべた。
『そして、二つ目。もし、この、最後通告を拒否し、抵抗を続けるのであれば。…我々は、あなた方を、我が国の、論理と秩序に対する、明確な脅威と、みなし、国家防衛の、最終兵器、『レギュレーター』をもって、あなた方の存在そのものを、この世界から完全に抹消する』
抹消、つまり「死」か。
その、あまりに直接的で、あまりに冷酷な、宣告。
アイリスの背筋を、氷のような悪寒が走った。
『猶予は、一時間。一時間後、あなた方の、論理的な返答を、待つ』
放送は、終わった。
後に残されたのは、絶対的な静寂と、そして、アイリスの心に重くのしかかる、絶望だけだった。
「…おい、隊長。…どうするよ…」
テオが、青ざめた顔で、尋ねる。
「…どうするも、こうするも、ありません…」
アイリスは、震える声で、答えた。
「私たちは、もはや、ただの指名手配犯ではないのです。…この国の敵として、認定されてしまった…」
ただ、ポテチを、買いに来ただけだった。
その、あまりに些細な目的が、今や、国家間の戦争の引き金になろうとしていた。
彼女は、心の内で、必死に、叫んだ。
(神様…! 神様! 聞こえますか!? 私たちは、どうすれば…!?)
だが、脳内に、あの不遜な声は響かなかった。
中央管理AIによる、情報統制が、始まっているのか。
あるいは、あの『神』でさえも、この、絶望的な状況には、匙を投げたのか。
アイリスは、初めて、本当の孤独に、突き落とされた。
投降か、死か。
その、あまりに非情な、二択。
彼女は、ただ、震える手で、剣の柄を握りしめることしか、できなかった。
アヴァロンの、完璧な論理は、今、その、最後の、そして、最も暴力的な牙を、剥き出しにしようとしていた。