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第十三話 詐欺師の挑戦

 英雄は、投獄された。

 芸術家は、逃亡した。

 アイリス分隊は、首都アクシオンに到着してから、わずか二日で、その半数の戦力を失っていた。

 軟禁状態に置かれた『外国人滞在区画』の、白く冷たい部屋。

 その空気は、アイリスの絶望を反映するかのように、重く、淀んでいた。

「…どうすれば…」

 彼女は、頭を抱えていた。

 ギルの保釈金は、百万ラティオ。

 ジーロスは、今や国家を敵に回した、重要指名手配犯。

 打つ手が、ない。

 この、完璧な論理と秩序で支配された国で、自分たちがいかに無力であるかを、彼女は、痛感していた。

「アイリス様、お腹が空きました…」

 シルフィが、しょんぼりとした顔で、アイリスの服の裾を引く。

 その、あまりに日常的な、しかし、あまりに場違いな一言に、アイリスの堪忍袋の緒が、ぷつり、と切れそうになった。

 だが、その絶望的な空気を打ち破ったのは、意外な男の声だった。

「ひひひ…。百万ラティオ、か。確かに大金だ。だがな、隊長」

 不徳の神官テオが、腕を組み、不敵な笑みを浮かべていた。

「金ってのはな、無いところからはねえが、あるところには、腐るほどあるもんだ。そして、この国は、その『あるところ』の塊みてえじゃねえか」

「…テオ? あなた、何を…」

「決まってるだろう。稼ぐのさ。あの筋肉馬鹿の、保釈金をな」

 彼は、自らの腕に装着された銀色の腕輪――個人認証決済端末――を愛おしそうに撫でた。

 その表面には、彼のなけなしの資産が、デジタルな数字となって表示されている。

「ひひひ…。俺の、全財産、二百ラティオ。…上等だ。これだけありゃあ十分だぜ」

 彼は、その端末を巧みに操作し、一つのウィンドウを呼び出した。

 部屋の、白い壁に、巨大なホログラムが、投影される。

 そこに映し出されていたのは、無数の、企業名と、数字と、グラフ。

 アヴァロンの、株式市場だった。

「…まさか、あなた…」

「ああ。この国の、最も得意げな土俵の上で、勝負してやろうじゃねえか」

 テオの目が、ギラリと光った。

「完璧な市場、だと? 完璧な人工知能(AI)が管理してる、だと? …面白い。俺の『勘』と『ハッタリ』がどこまで通用するか。試してみたくなった」

 それは、あまりに無謀で、あまりに彼らしい、挑戦だった。

 アイリスは、止める言葉も見つからなかった。

 もはや、この稀代の詐欺師の悪運に賭けるしか、道は残されていなかったのだから。


 テオの挑戦は、始まった。

 彼は、ホログラムに映し出された膨大なデータを、一切見ようとはしなかった。

 企業の、業績も、将来性も、彼にとってはどうでもいい。

 彼は、ただ目を閉じ、指先で虚空をなぞる。

 まるで、風の流れでも、読むかのように。

「…来てるな。…金の匂いがするぜ…」

 彼は、ぱっと目を見開いた。

「よし、決めた! まずは、この、『セブンス・ヘブン・テクノロジー』だ! 7はラッキーナンバーだからな!」

 彼は、自らの全財産、二百ラティオを、その、よく分からないハイテク企業の株に全額投入した。

「なっ…! テオ! その企業、昨日の業績発表で、株価が暴落したばかりですよ!?」

 アイリスが、壁に表示されたニュースフィードを指差し、叫ぶ。

「うるせえ! 俺の勘が言ってるんだよ! 『底値の、今が、買い時だ』ってな!」

 それは、経済学のどの教科書にも載っていない、ただのギャンブラーの理論だった。

 だが、奇跡は、起きた。

 彼が、株を購入した数分後。

 『セブンス・ヘブン・テクノロジー』が、ソラリア王国との技術提携に関するサプライズ発表を行い、その株価は急騰し始めたのだ。

「ひひひ…! 見たか、アイリス! これが俺様の実力よ!」

 テオは、あっという間に、資産を十倍に増やしてみせた。


 その、常軌を逸した取引。

 それを、首都アクシオンの、地下深く。

 「中央管理AI(センチネル)」は、静かに観測していた。

『…警告。トレーダーID、七七四番Bの行動に、論理的矛盾を検知。…インサイダー取引の可能性をスキャン。…該当せず。…対象の取引パターンは、既知のいかなる利益最大化モデルとも一致しません。…論理的エラーの確率、九十九・八パーセント』

 中央管理AI(センチネル)は、テオの、その、非論理的な行動を、未知の、高度なアルゴリズムによる市場操作の試みであると、誤解し始めた。

 そして、その「エラー」を、自らの完璧な論理で「修正」しようと試みた。


 テオの博打は続く。

 彼は、今度は、何の根拠もなく、一つの無名の農業関連の株に全財産を投入した。

「次はこれだ! なぜなら、今日は、俺のラッキーカラーの緑色が来てるからな!」

 その、あまりに馬鹿馬鹿しい理由。

 だが、その直後、アヴァロン全土を未曾有の豪雨が襲うという予報が発表され、穀物市場が高騰。農業関連株は、軒並み、ストップ高を記録した。

「ひひひひひ…! 来てる! 来てるぜ、俺の、神がかった強運が!」

 テオの資産は、雪だるま式に、膨れ上がっていく。

 中央管理AI(センチネル)は、混乱していた。

『…エラー。…エラー。…対象の非論理的行動が、予測不能な外的要因(天候)と連動。…これは偶然か? あるいは、天候すらも操作する未知の介入か…?』

 中央管理AI(センチネル)の完璧な論理回路が、テオという、あまりに巨大な「非論理」を、処理できずに、軋み始める。

 中央管理AI(センチネル)は、テオのランダムな気まぐれな取引を、何か深遠な意図を持つ超高度な攻撃であると、誤解した。

 そして、その未知の攻撃から市場を守るため、対抗措置として、膨大な予測演算を開始した。

 その、中央管理AI(センチネル)の過剰なまでの自己防衛システムこそが、この完璧な市場に、最初の、そして、致命的な亀裂を、生み出すことになる。


「…よし。潮時だな」

 テオは、ニヤリと笑うと、それまで買い占めていた全ての株を、一気に売りに出した。

 その、あまりに唐突な利益確定。

 中央管理AI(センチネル)は、その行動を「大規模な売り逃げによる、市場崩壊を狙った最終攻撃」であると判断した。

 そして、その「攻撃」を相殺するため、中央管理AI(センチネル)は、市場に自動で介入した。

 テオが売った株を、中央管理AI(センチネル)が、自動で買い支える。

 だが、テオの行動は、ただの気まぐれだった。

 中央管理AI(センチネル)の、過剰な介入は、市場の需要と供給のバランスをほんの少しだけ歪ませた。

 その、僅かな歪みが、引き金だった。

 中央管理AI(センチネル)の、完璧な自己修復プログラムが、その歪みをさらに大きな歪みで修正しようとし、それがまた新たな歪みを生み出す。

 負の連鎖。

 フィードバックループ。

 ホログラムモニターに映し出された、安定していたはずの株価のグラフが、まるで心電図のように、激しく乱高下を始めた。

「ひひひ…! なんだ、こりゃあ! 市場がイカれたぜ!」

 テオは、その異常事態を、楽しんでいた。

 彼は、もはや、市場を分析してはいない。

 市場を混乱させている、中央管理AI(センチネル)という巨大な人工知能(AI)の「癖」を、読んでいた。

「今だ! ここで買いだ!」

 彼は、その人工知能(AI)が生み出したバグの波を、完璧なタイミングで乗りこなしていく。


 数時間後。

 アイリスは、目の前の光景が、信じられなかった。

 テオの、腕輪型端末に表示された、彼の総資産。

 その、数字の桁が、もはや、天文学的なものになっていた。

「ひひひ…。百万ラティオ、お釣りがくるぜ」

 テオは、満足げに、そう呟いた。

 その、彼の、背後。

 街頭のニュースモニターに、深紅の緊急速報が流れていた。

『アヴァロン株式市場、観測史上、前例のない、システム異常を検知。…現在、原因を調査中…』

 テオは、仲間を救うための大金を手に入れた。

 だが、その代償として、彼は、この国の、最も触れてはならない心臓部を、その悪運だけで、滅茶苦茶にかき乱してしまったのだ。

 人工知能(AI)の予測不能なバグは、今、静かに、しかし、確実に、産声を上げていた。

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