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第十一話 芸術テロ

 アヴァロン法務局、第二十七番交渉室。

 その、白く、冷たい空間は、異様な静寂に包まれていた。

 担当検察官レックスと、人工(AI)検察官ソロン。

 完璧な論理で武装した二人の番人は、目の前の聖女が放った、あまりに突拍子もない一言を、いまだ処理しきれずにいた。

「―――これから、私たちは、あなた方の上司…『中央管理AI(センチネル)』と、直接交渉します」

 それは、この国のシステムにおいて、ありえない言葉だった。

 中央管理AI(センチネル)は、国家そのもの。

 意思決定を行う、絶対的な論理。

 市民が、直接交渉するなどという概念は、そもそも存在しない。

「…何を、馬鹿な…」

 レックスが、ようやく絞り出した声は、怒りというより、純粋な困惑に満ちていた。

中央管理AI(センチネル)は、交渉の対象ではない。ただ、在るだけの、法そのものだ。あなた方の、その非論理的な要求は、ここで却下…」

「却下するのは、こちらです」

 アイリス(ノクト)は、レックスの言葉を、冷たく遮った。

「あなた方は、ただの窓口に過ぎない。あなた方に我々の要求を審議する権限はない。あなた方の仕事は、この要求を、速やかに、上層部…すなわち、評議会、そして中央管理AI(センチネル)へと伝達すること。それだけのはずですが? それとも、あなた方は、自らの権限を逸脱し、親善大使である私との、正式な外交交渉を妨害すると?」

 その、あまりに完璧な、官僚的論理。

 レックスは、ぐっと、言葉に詰まった。

 人工(AI)検察官ソロンの、水晶の瞳が、高速で明滅する。

『…検察官。彼女の論理には、一点の矛盾もありません。我々には、この要求を、握りつぶす権限はない』

「…くっ…!」

 レックスは、屈辱に顔を歪ませながら、データ端末を操作した。

「…分かった。あなた方の、その要求は、しかと評議会へ伝達しよう。…本日の交渉は、これにて終了だ」

 アイリスとテオは、こうして、鉄壁の検察局から、追い出されるように退出した。

 後に残されたのは、前代未聞の要求に頭を抱える、二人の論理の番人だけだった。


 宿舎への帰り道。

 テオは、興奮を隠せないでいた。

「ひひひ…! すげえじゃねえか、隊長! あの、鉄面皮の役人と、機械人形を、完全に、論破しやがった! あいつらの、あの悔しそうな顔! 最高だったぜ!」

 だが、アイリスの表情は、晴れなかった。

(…神様。本当に、中央管理AI(センチネル)と、交渉など、できるのでしょうか…)

『フン。できる、できない、ではない。やるんだ』

 アイリスの脳内に響くノクト()の声は、絶対的な自信に満ちていた。

中央管理AI(センチネル)は、人工知能(AI)だ。人工知能(AI)である以上、必ず、行動原理となる、基本プログラムがある。俺は、今、その、根本的なルールを、探っている。…奴の土俵の上で、奴を打ち負かす。それこそが、ゲーマーとしての、俺の美学だ』

(ですが、ギルは…)

『心配するな。奴は、今、アヴァロンの、完璧なセキュリティに守られた、最も安全な場所にいる。せいぜい、三食昼寝付きの、快適な休暇を、楽しんでいることだろう』

 その、あまりに楽観的な観測に、アイリスは、深いため息をつくしかなかった。


 宿舎に戻ると、ジーロスとシルフィが、二人を待っていた。

 アイリスとテオは、検察局での、絶望的な交渉の顛末を、彼らに語って聞かせた。

 ギルが、最低でも懲役五十年、あるいは、罰金百万ラティオという、とんでもない刑罰に処される可能性があること。

 そして、この国の完璧な法の前では、いかなる情状酌量も通用しないという、冷たい現実を。

 その、絶望的な報告を聞いて、ジーロスは、扇子で顔を覆い、わなわなと震え始めた。

「…ノン…」

 彼の口から、か細い呻き声が漏れる。

「…ああ、なんてことだ…。僕としたことが、根本的な、間違いを犯していた…!」

「…ジーロス?」

「僕は、この国の、法や、論理に、屈したのだと思っていた! だが、違ったのだ! 我々が、あの、無粋な役人どもに敗北した、本当の理由…。それは、ただ一つ!」

 ジーロスは、立ち上がった。

 その瞳には、狂信的な、芸術家の炎が、燃え盛っている。

「我々の、『美』が、足りなかったのだ!」

「「…………は?」」

 アイリスとテオの、素っ頓狂な声が、ハモった。

「そうだ! 我々の、この街における、美的インパクトが、あまりにも不足していた! 我々の存在そのものが、彼らのちっぽけな論理など、吹き飛ばすほどの、絶対的な『美』のオーラを放っていれば! 彼らも、我々の仲間を、不当に拘束するなどという愚行は、犯さなかったはずだ!」

 あまりに、壮大な、勘違い。

 彼は、ギルの逮捕という法的な問題を、自らの芸術的な敗北だと、完璧に誤解していた。

「…僕は、決めたよ」

 ジーロスは、窓の外、純白の評議会議事堂を、指さした。

「あの、最も醜悪で、最も権威的な、建物の前で。僕の芸術の、全てを懸けた、最高のパフォーマンスを披露する。我々の、真の『誠意』と『美』を、あの朴念仁どもに見せつけてやるのだ!」

「ま、待ちなさい、ジーロス! 今、下手に動けば…!」

 アイリスが、止める間もなかった。

 ジーロスは、芸術家としての使命感に、燃えていた。

「これは、ギルを救うための、そして、この街に真の美をもたらすための、聖戦なのだよ!」

 彼は、そう言うと、風のように、部屋を飛び出していってしまった。

 アイリスは、頭を抱えた。

 最悪だ。

 この、最も事態を悪化させそうな男が、最もたちの悪い勘違いをしてしまった。

「…ひひひ」

 その、絶望的な光景を前に、テオだけが、なぜか楽しそうに笑っていた。

「…面白い。実に、面白いじゃねえか。…あの、ナルシストが、一体、どんな芸術的なやらかしを見せてくれるのか。…高みの見物と、洒落込もうぜ」

 アイリスは、もはや、何も言う気がしなかった。

 彼女は、ただ、これから始まる、さらなる混沌の予感に、静かに絶望するだけだった。


 ◇


 首都アクシオンの、中央。

 評議会議事堂の前は、いつも通りの、静寂に包まれていた。

 その静寂の中、一人の、派手な衣装の男が、舞うように現れた。

 光輝魔術師ジーロス。

 彼は、自らの、最高の舞台の前に立つと、深々と一礼した。

「―――見るがいい、退屈な論理の信奉者たちよ!」

 彼の、芝居がかった声が、無人の広場に響き渡る。

「これより、この僕が、この灰色の世界に、真の『美』と『友好』の証を刻み込んであげよう!」

 彼は、両手を、天に掲げた。

 彼の、有り余る魔力が、七色の光の奔流となって迸る。

 その光は、評議会議事堂の純白の壁に、吸い込まれるように集束していく。

「いでよ! 我が芸術の化身! 両国の友好を願う、平和の翼!」

 轟音。

 議事堂の、屋根の中央から、まるで建物そのものから生えてきたかのように、巨大な黄金色の光の翼が、天に向かって広げられた。

 その翼は、太陽の光を乱反射させ、広場全体を、神々しい黄金色の輝きで満たしていく。

 それは、確かに、美しかった。

 そして、あまりにも悪趣味で、あまりにも挑発的だった。

 ―――ウウウウウウウウウッ!

 街全体に、これまでで最大級の非常警報が鳴り響いた。

 空から、地面から、おびただしい数のロボット警備兵が、ジーロスの元へと殺到してくる。

『警告。警告。レベルA指定、政府重要施設に対する大規模な魔術的攻撃を、確認。…対象を、テロリストと断定。…これより、実力による完全鎮圧に移行する』

 ジーロスは、自らが創り上げた美しい翼を背に、満足げに微笑んでいた。

「フン。僕の芸術が理解できない、野蛮な機械どもめ」

 彼は、扇子を広げると、殺到してくる機械の軍団を、まるで、舞台の上のエキストラでも見るかのように、優雅に見下ろしていた。

 アイリスの胃痛は、もはや、測定不能の領域へと達していた。

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