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第十話 鉄壁の検察局

 激情のギルが、公共物損壊の現行犯で百体を超えるロボット警備兵に拘束されるという、衝撃的な光景。

 それは、アイリス分隊にとって、この国が、もはや「少し変わった隣国」などではない、明確な「敵地」であることを、痛感させるには、十分すぎる出来事だった。

 宿舎に戻ったアイリスは、頭を抱えていた。

 仲間が、捕らえられた。

 それも、この、完璧な論理と秩序で支配された国で、法を犯した犯罪者として。

(…どうすれば…)

 ソラリア王国であれば、聖女である自分の口添え一つで、多少の無茶は通るだろう。

 だが、ここはアヴァロン。

 彼らのシステムは、感情や地位やコネといった、あらゆる「非論理的」な要素を、排除している。

 アイリスは、途方に暮れていた。

 その、絶望に満ちた静寂を破ったのは、意外にも、テオのどこか楽しげな声だった。

「ひひひ…。面白い。面白いじゃねえか、この国は」

 彼は、腕を組み、不敵な笑みを浮かべていた。

「なあ、隊長。落ち込んでる暇はねえぜ。あの筋肉馬鹿を、助け出しに行くんだろ?」

「…ですが、どうやって…。この国の法は、完璧だと聞きます…」

「だから、面白いんじゃねえか」

 テオの、目が、ギラリと光った。

「完璧なルールってのはな、それを、完璧に理解しちまえば、最強の武器にもなるんだよ。…俺は、昔、神官だった頃、聖書の分厚い教義を丸暗記してな。その、教義の矛盾を突いて、腐った司教どもを、何人も論破してやったもんだ」

 彼の、詐欺師としての才能は、ルールを破るためだけでなく、ルールを利用するためにもあったのだ。

「行くぜ、アイリス。あんたは、聖女様として、黙って座ってりゃいい。交渉は、この、元・神童の俺様に任せな」

 テオの、その、根拠のない、しかし、妙な説得力のある自信に、アイリスはわずかな希望を見出した。

 彼女は頷いた。

 聖女と詐欺師。

 異色のコンビは、仲間を救うべく、この国で最も「正しい」場所――鉄壁の検察局へと向かった。


 アヴァロン検察局は、巨大な、黒い水晶でできた、威圧的な建造物だった。

 太陽の光さえも吸い込み、一切の感情を拒絶するかのような、冷たい輝きを放っている。

 中に入ると、そこは、静寂と、清潔さと、そして、絶望的なまでの事務的な空気で、満たされていた。

 アイリスとテオは、総合受付に設置された、水晶のパネルの前に立った。

『ご用件を、どうぞ』

 感情のない合成音声。

「昨日、公共物損壊の容疑で拘束された、我が同胞、ギルの、解放を求めに来た!」

 テオが、威勢よく告げる。

『了解しました。…対象ギル。罪状、公共物損壊。証拠映像、多数。…現在、第一拘置区画にて拘束中。…して、あなた方は、彼の何ですかな?』

「俺は、彼の雇い主だ! そして、こっちは、ソラリア王国からの親善大使でもある、聖女様だ! 分かったら、さっさと、責任者を出しやがれ!」

『…雇い主、及び、親善大使、ですか。…なるほど。では、第二十七番交渉室へお進みください。担当者がお待ちしております』

 パネルが、緑色に点灯し、床に、光の矢印が現れた。

 あまりに、あっけない、第一関門の突破。

 テオは、拍子抜けしながらも、ほくそ笑んだ。

(ひひひ…。ちょろいもんじゃねえか。あとは、担当者とやらを、いつもの調子で丸め込んでやるだけよ…)

 だが、彼の、その、楽観的な観測が、致命的に間違っていたことを、彼は、数分後に思い知ることになる。


 第二十七番交渉室。

 そこは、白い壁と、白いテーブル、白い椅子だけが置かれた、無機質な、尋問室のような空間だった。

 テーブルの向こう側には、二人の人物が座っていた。

 一人は、デキムス評議員と同じような、灰色のスーツを着こなした、生身の、悪魔のように冷たい目をした、役人。

 そして、もう一人は。

 人間ではなかった。

 水晶と銀細工でできた、美しい、しかし、どこか不気味な、人型の機械人形(ロボット)

 人工(AI)検察官、『ソロン』だった。

「…お待ちしておりました」

 役人が、感情のない声で告げた。

「私が、本件の担当検察官、レックスです。そして、こちらが、本件における、アヴァロン国家の代理人を務める、人工(AI)検察官、『ソロン』です」

 人工(AI)検察官、その水晶の頭を、カクン、と、機械的に下げた。

『初めまして。法の下では、全ての存在は、平等です』

 テオは、その、あまりに異様な交渉相手に、ごくり、と喉を鳴らした。

「…早速ですが、本題に入りましょう」

 検察官レックスが、テーブルの上に、一枚の半透明のデータパネルを置いた。

 そこには、ギルが、土下座で、地面を粉砕する瞬間が、あらゆる角度から、完璧な映像で、記録されていた。

「…アヴァロン刑法、第九条、公共物損壊罪。法定刑は、懲役、最低五十年。あるいは、罰金、百万ラティオ。…さて、あなた方は、どうしますかな?」

「ひ、百万!?」

 テオの、顔が、引き攣った。

 それは、彼が、これまでの人生で稼いできた全ての金を足しても足りないほどの、天文学的な金額だった。

 だが、彼は、ここで引き下がるわけにはいかなかった。

 詐欺師としてのプライドがあった。

「ま、待て! 話を聞け!」

 テオは、身を乗り出した。

「あれは事故だ! いや、違う! あれは、彼なりの、謝罪の表現だったんだ! この国と、我が国の、文化の違いが生んだ、悲しいすれ違いってやつでな! そこには、悪意など一切なかった! 情状酌量の余地があるはずだ!」

 彼の、得意の、感情論。

 だが、検察官レックスは、鼻で笑った。

「感情ですか。…ソロン」

『はい』

 人工(AI)検察官が、答える。

『アヴァロン刑法、第一条。『法の適用は、対象の、感情、意図、あるいは、文化背景に、一切左右されない』。…悪意の有無は、罪の成立要件とは、無関係です。よって、情状酌量の余地は、ありません』

「ぐ…!」

 テオの、最初の攻撃は、完璧に論破された。

 だが、彼はまだ諦めない。

「そ、それなら、こうだ! あの男は、確かに、法を犯したかもしれねえ! だが、彼は、我がソラリア王国の、救国の英雄の一人だ! そんな彼を、このような形で裁くというのか!? これは国際問題に発展しかねんぞ!」

 脅し。

 これも、彼の得意技だった。

 だが、レックスは、眉一つ動かさない。

「国際問題、ですか。…ソロン」

『はい。ソラリア王国との間に締結されている、国際法、第三百八条によれば、『両国の国民は、滞在先の国の法律を、完全に遵守する義務を負う』と、明記されています。…もし、彼を、英雄であるという理由で、特別扱いすれば、それは、法の下の平等を定めた、我が国の憲法に対する、重大な違反となります。よって、国際問題には発展しません』

「な…!」

 テオの顔が、青ざめていく。

 この、機械人形(ロボット)は、全ての法律を、完璧に、暗記しているのだ。

 ハッタリも、脅しも、一切通用しない。

 アイリスは、震える声で、最後の望みを口にした。

「お、お願いします…! 彼を、許してはいただけないでしょうか…! 彼は、確かに、乱暴者ですが、根は優しい男なのです…!」

 聖女の、涙ながらの嘆願。

 だが、レックスは、その美しい瞳を、冷たく見返した。

「…美しい涙ですね。…ですが、残念ながら、その涙に、我が国の法律を、一ミリたりとも動かす力はありません」

 絶望。

 全ての、交渉が破れた。

 テオは、椅子に崩れ落ちた。

 彼の、自慢の知略と交渉術は、この、完璧な論理の壁の前では、全くの無力だったのだ。

 レックスは、立ち上がった。

「…交渉は、決裂、ですな。では、これにて」

 彼が、部屋を出ようとした、その時だった。

 アイリスの脳内に、それまで沈黙を保っていた、ノクト()の声が、響いた。

『…やれやれ。ようやく、俺の出番か』

 その声は、どこまでも冷静で、そして、どこまでも不遜だった。

『…面白い。実に面白いじゃないか、このゲームは』

 アイリスは、顔を上げた。

 その瞳には、もはや、涙はない。

 全てを見通す、『神』の光が宿っていた。

「―――待ちなさい」

 その、静かだが、有無を言わせぬ声に、レックスが振り返る。

 アイリス(ノクト)は、不敵な笑みを、浮かべた。

「…ええ、交渉は決裂です。…ですが、それは、あなた方との交渉が、です」

「…と、申しますと?」

「これから、私たちは、あなた方の上司…『中央管理AI(センチネル)』と、直接、交渉します」

 その、あまりに、突拍子もない一言に、レックスと、そして、人工(AI)検察官『ソロン』の、完璧な表情が、初めて、歪んだ。

 鉄壁の検察局は、まだ気づいていない。

 彼らの、完璧な論理が、今、彼らの想像を遥かに超えた、規格外の「非論理(バグ)」によって、内側から破壊されようとしていることに。

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