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第一話 分隊史上最も困難な任務

 天使ザフキエルとの、あまりに理不尽で、あまりに常識外れの戦いが幕を閉じてから、数日が過ぎた。

 王国には、以前にも増して混沌とした、しかし、どこか活気に満ちた日常が戻っていた。

 ソルトリッジ社のポテチ工場は「濃厚コンソメ・ストロングソルト味」の生産を再開し、塔の上の『神』の機嫌も、とりあえずは元通りになった。

 そう、全ては、元通りになったはずだった。

 聖女アイリス・アークライトの日常もまた、元通り以上に、理不尽で、面倒くさいものへと、その姿を変えていた。


「―――以上が、今回、我々に与えられた、最重要機密任務の全容です」

 王城の東棟、アイリス分隊に与えられた作戦会議室。

 いまだ壁にはギルが開けた巨大な風穴が空いたままだが、もはや誰も気にする者はいなかった。

 その中央で、アイリスは、一枚の羊皮紙を手に、極めて真剣な、そして、どこか遠い目をしながら、目の前に並ぶ、あまりに個性豊かすぎる分隊員たちに、そう告げた。

 彼女の顔には、聖女としての威厳と、このどうしようもない状況に対する深い諦観が、美しいモザイクを描いている。

 羊皮紙に書かれていたのは、つい先ほど、彼女の脳内にだけ響き渡った、あまりに個人的で、あまりに俗っぽい『神託』の要約だった。

『緊急クエストだ。隣国アヴァロンでしか販売されていないという、「幻のサワークリームオニオン味ポテチ」を入手せよ。期限は、一週間だ』

 部屋には、張り詰めた、しかし、どこか気の抜けた沈黙が流れていた。


 最初に、その沈黙を破ったのは、元・魔王軍幹部にして、現・アイリスの一番の舎弟、激情のギルだった。

 彼は、その、丸太のように太い腕を組み、眉間に、深い皺を刻んでいる。

「…姉御。…一つ、よろしいでしょうか」

「何ですか、ギル」

「その、『げんていぽてち』とは、いったい、どのような古代の魔導兵器なのでありますか? それを、一週間以内に、隣国から奪取せよ、という隠密破壊工作任務、と理解しましたが、相違ありませんか!」

 その、あまりに真剣で、あまりに根本的に間違っている問い。

 アイリスは、こめかみを、強く、押さえた。

「…ギル。それは、兵器ではありません。…食べ物です。ジャガイモを、薄く切って、揚げた、お菓子です」

「お菓子、でありますか…!? では、なぜ、それが、最重要機密任務に…!?」

「隊長の言葉を遮るな、この筋肉馬鹿!」

 ギルの、純粋な疑問を、不徳の神官テオの、下品な声が、遮った。

「ひひひ…! 分かってねえな、ギル。これは、ただのお菓子じゃねえ。『隣国アヴァロンでしか販売されていない』『幻の』お菓子だ。…つまり、希少価値があり、莫大な利益を生む、黄金のガチョウってわけよ! さすがは神様だ! 天使のせいで俺が被った金貨一万枚の罰金を、これで取り返せという、ありがたいお告げに違いねえ!」

 テオは、この任務を、新たなビジネスチャンスとして、完璧に誤解していた。

 その、彼の強欲な解釈に、光輝魔術師ジーロスが、扇子で口元を隠しながら、待ったをかける。

「ノン、ノン! テオ! 君の、その、金に汚れた思考では、この任務の、真の芸術性は、理解できまい!」

「ああん?」

「いいかい? この任務の本質は、『アヴァロン』という、退屈な国にあるのだよ! あの、全てが機能性重視で、整然としていて、美のかけらもない、灰色の国! そこに、我々という、混沌の芸術家が赴き、その美を布教する! これこそが、神が我々に与えた、高尚なる使命なのだ!」

 ジーロスもまた、この任務を、自らの美学を披露するための、最高のパフォーマンスの舞台だと、完璧に誤解していた。

 そして、最後に、エルフの弓使いシルフィが、きょとんとした顔で、手を挙げた。

「あのう…。その、『アヴァロン』という国には、綺麗な、お花畑はありますか?」

 誰も、彼女の、そのあまりに純粋な問いに、答えることはできなかった。


 アイリスは、深いため息をついた。

 魔導兵器、黄金のガチョウ、芸術活動、そして、お花畑。

 誰一人として、この任務を、正しく理解していない。

 いや、そもそも、正しく理解すること自体が、間違っているのかもしれない。

 この任務の本質は、ただ一つ。彼女の脳内に住まう『神』が、ただ、食べたいから。

 その、あまりに個人的で、あまりに理不尽な、欲望を満たすためだけに、この国の、救国の英雄たちが、今、動員されようとしているのだ。

(…馬鹿馬鹿しいにも、ほどがあります…)

 アイリスの心は、すでに、折れかかっていた。キリリ、と胃が痛むのを感じる。

 彼女は、意を決して、リーダーとして、最も合理的で、正しい判断を告げた。

「…皆さん。この任務は、私一人で、静かに行ってまいります。皆さんは、王都で待機していてください」

 だが、彼女の分隊員たちが、その「正論」を受け入れるはずがなかった。

「何を仰るでありますか姉御!」

 最初に異を唱えたのは、ギルだった。

「隣国への、それも姉御一人での潜入など、このギルが断じて許しません! 姉御の盾となるのが、我が存在意義! この命に代えても、お供させていただきます!」

「ノン! 君は分かっていない!」

 ジーロスが、扇子を広げて続く。

「あの美のかけらもない灰色の国へ、君という最高の芸術品を、一人で行かせるなど、美的センスに対する冒涜だ! 僕が同行し、君という存在の美しさを、かの国の俗物どもに見せつけるための、最高の演出をしてあげなければ!」

「おいおい、隊長、正気か?」

 テオが、呆れたように腕を組んだ。

「『幻の』限定品だぞ? こいつは下手をすりゃ国家間の取引になるかもしれねえ。そんな大事な交渉を、あんた一人に任せられるかよ。俺様の交渉術が必要だろうが!」

「えっ? アイリス様、私は行かないのですか?」

 最後に、シルフィが、純粋な瞳で首を傾げた。

「冒険ですよね? 私、行きます! きれいなお花畑、あるかもしれませんし!」

 アイリスは、頭を抱えた。

 守護、演出、交渉、そして、純粋な好奇心。

 彼らの、あまりに自分勝手で、あまりに力強い、しかし、どこか心からの「同行したい」という意志の奔流。

 それを、今の彼女に、止める術はなかった。

「……………はぁぁぁぁぁぁぁ……」

 その日、一番、深くて、長いため息が、会議室に、虚しく響いた。

「…分かりました。…全員で、行きます…」

 彼女は、リーダーとして、そして、神の駒として、最後の、そして、最も重要な注意喚起を、行わなければならなかった。

「―――皆さん。いいですか、よく聞いてください」

 彼女の声が、静まり返った会議室に、響き渡る。

「アヴァロンは、全てが、法と、秩序で、管理された国です。…裏を返せば、少しの『乱れ』も許さない、ということ」

 彼女は、仲間たちを、一人、一人、見渡した。

 大声を出す、筋肉馬鹿。

 勝手に、街を改築する、ナルシスト。

 平気で、詐欺を働く、神官。

 そして、ただ、そこにいるだけで、世界の法則を乱す、天然エルフ。

 不安要素の、塊。

 混沌の、見本市。

「…いいですか。今回の任務は、隠密作戦です。誰にも、気づかれては、なりません。絶対に、目立ってはいけません! いいですね! 絶対に、です!」

 その、悲痛なまでの、念押し。

 それに、仲間たちは、元気よく、しかし、全く心に響いていない、返事を返した。

「「「承知!」」」

「はい!」

 アイリスは、その、あまりに頼もしい(ように聞こえる)返事に、もはや、涙さえ出そうになっていた。

 彼女は、予感していた。

 この、分隊史上最も困難な隠密作戦が、アヴァロンの首都に着くなり、開始五分で、破綻することを。

 そして、その予感は、悲しいほどに、的中することになるのだった。

 彼女の胃痛は、これから始まる長い旅を思うと、さらに悪化していくようだった。

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