第六話
──深夜。街灯の油も尽き、一層闇に包まれる通りにただ一人、フードを目深に被ったその人物は現れた。
既に光の届かぬ暗がりにありながらも、なおも警戒するように周囲をゆっくりと見回しながら歩みを進めていく。
やがて、ある建物の前で足を止めると、改めて辺りに人の姿がない事を確認し、懐から取り出した鍵で静かにその扉を開けた。
建物内へ一歩踏み出す───
「──はやく寝ろって言ったよなぁ?」
低い声と同時に、背後から肩をつかまれた。
そのまま勢いよく中へと押し込まれ、身を捻じる間もなく床に叩きつけられる。
激しい衝撃で深く被っていたフードが外れ、窓から差す月明かりがその人物の顔を仄かに照らし出した。
「リリーーー……ッ!!」
アイヴァンの絞り出す様な叫び声が、深夜の教会に響き渡る。
後からバタバタと音を立てて槍を携えた兵士が二人、ランプを手にして教会内へとなだれ込んでくる。
ランプの光に晒されたリリーの顔は今この状況下にあってなお、何の感情も映してはいなかった。
「……私を嵌めたのね」
リリーは組み敷かれたまま抵抗する様子も見せず、ただ彼を咎めるようにそう冷たく言葉を発する。
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アイヴァンはやっとの思いで見つけたそれを手早くめくり、教職名簿の欄にある神父の名前を確かめた。
「……はは、こりゃまたなんとも」
司祭:オレア・セラフィン(聖名:パウロ)
・叙階日:王国歴730年 花月第5日
・出身:旧ラクリマ庇護院
・備考:王国歴712年霜月第12日、王都第三商工区・旧染織倉庫群 跡地(廃棄指定区域)より保護。詳細非公開。
そこに記されたリリーと同じ姓に、苦笑しかけたアイヴァンの表情が固まる。
修道女:ローザ・セラフィン(聖名:マグダレナ)
・誓願日:王国歴731年 雪月第17日
・出身:同上
・備考:同上にて保護。詳細非公開。
ただの偶然と片付けるには無理がある一致に、アイヴァンの心臓が一度大きく鼓動する。
──容疑者を含む教会関係者と同一の姓。
およそ素人によるものとは思えない正確な頸動脈への攻撃。
そして、犯行があった翌日に食堂内で彼女が見せた、らしくない行動───
「考えすぎだろ……」
そう口にするアイヴァンの言葉とは裏腹に、彼の身体は既に動き出していた。
先程散々繰り返したせいで上達した手捌きで、またひとつの資料を探す。
近衛騎士:リリー・セラフィン
・叙爵日:王国歴719年 火月第3日(王国騎士団所属)
・近衛拝命日:王国歴722年 風月第21日(王国直属 近衛騎士団第一隊)
・出身:旧ラクリマ庇護院
・備考:王国歴712年霜月第12日、王都第三商工区・旧染織倉庫群 跡地(廃棄指定区域)より保護。詳細非公開。
資料を掴んだ手に力がこもり、紙面に深く皺が走った。
アイヴァンは静かに目を伏せ、一度だけ深く息を吐く。まるで、これが答えだと途中からわかっていたかのように。
彼らの偶然とするには不自然な一致。そして、語られぬ過去。
「……確かめるしかないよな」
アイヴァンは書類を雑に棚へ戻すと、文書保管庫を後にした。
向かう先は同じく行政局内にある秘録文書室。
リリーの非公開記録が、そこにある。
「許可できません」
秘録文書室の入口に座る若い司録官はアイヴァンの訴えを容赦なく切り捨てた。
「そこをなんとか頼むよ。急ぎなんだ」
そう言いながら、アイヴァンは見せつける様に自身の胸にある徽章を指で叩き、眉を下げて再度入室許可を口にする。
「できません。どなたも閲覧許可には審査と手続きに三日程はかかります。それがたとえ王国近衛騎士第一隊所属の騎士様であっても、ね。王印状をお持ちであれば別ですが」
「そんなもん用意する方が時間がかかるだろうよ……」
決して譲る気のなさそうな司録官に根を上げ、降参だとでも言うように両手をあげると「三日後にまたくるよ」と言い残してアイヴァンはその場を去った。
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「……私を嵌めたのね」
リリーの冷たいその声に、アイヴァンの瞳が僅かに曇る。それでも彼女から目を逸らす事なく、感情を押し殺すかの様に淡々と言葉を並べた。
「調べた時はまだ最悪の奇跡が重なっただけだと思いたかったよ。でもな、さっきお前──聞かなかっただろ」
「……何を?」
アイヴァンの鼻から短く乾いた笑いがもれる。
「何って……目撃者はただの執事だぞ?有難い司祭様の俗名なんて、俺が知れるはずがない。──調べでもしない限りはな」
「……っ!」
「普段のお前ならまずそれに気が付いたろうさ」
「──そこでようやく諦めがついたよ。そんな些細な事にも気付けないほど内心動揺してたんだろう?
お前が犯人なら、教会になんか行かれちゃたまったもんじゃないよなぁ……っ!!」
アイヴァンはここまで抑えつけていた怒りを語尾に滲ませ、固く握った拳をリリーへ向けて振り下ろした。
拳は彼女の頬を微かに掠めて落ち、木造の床がぎしりと大きな音をたてる。
その拍子に頬が切れ、温かな血が一筋肌を伝っても、リリーは未だその目ひとつ動かさない。
「──ここまでなのね」
そして、まるで何もかも終わったとでも言うように静かに笑った。
────キィ……
彼女の笑い声が消えないうちに、礼拝堂の奥へと繋がる扉が、高い音と共にゆっくりと開く。
その場にいた全員が弾かれる様に顔を上げ、音の元を凝視した。
開かれた隙間から現れたのは、赤く灯る蝋燭を手に携えた──この教会のシスター。
ローザ・セラフィン。
「……リリー?」
──その時、彼女が動いた。
まるで時間が止まっていたかの様な一瞬の静寂を一番に破り、アイヴァンの身体を突き飛ばす様に跳ね除ける。
リリーは即座に距離を取ると、腰の剣を迷いなく引き抜き真っ直ぐにアイヴァンへと向けた。
「逃げなさい!」
ローザを背に庇うようにして短く叫ぶリリー。
今まで心を映さなかったその瞳は、これまでとは打って変わって激しい熱を帯びていた。