第四話
「何があったのか、順を追って話してもらえますか」
昨日と同じ警備詰所内の一角、椅子と机しかないその部屋で、今日も事情聴取が行われていた。
ただ昨日と違うのは、アイヴァンの目の前に座っているのが若いメイドではなく、白髪混じりの老執事だという事、彼が、事件解決の重要な鍵を握っているかもしれない、という事だった。
年の功ゆえか──ディモン・アゼル侯に長く仕えてきたモーリス・ラングフォードは、この状況にも特段怯んだ様子は見せない。
アイヴァンの言葉に僅かに頭を下げると、モーリスは昨夜の出来事を話し始めた。
「……昨晩もいつも通り、一時に屋敷内を巡回しておりました。……お恥ずかしい話なのですが、前に一度、屋敷内で身内によると思われる窃盗事件がありまして……それからずっと続けている習慣でございます。
廊下を歩いていた時、旦那様のお部屋の扉がわずかに開いているのに気が付きました。あの方は就寝の際、必ず内側から鍵をかけてお休みになりますから、不審に思いまして──」
「で、中を覗いた、と?」
モーリスの言葉を遮るように口を挟んだアイヴァンは努めて軽い調子を装ってはいたが、その瞳には隠しきれない高揚が滲む。
これまで何の手がかりも得られなかった中にようやく現れた有力な証言。
その一言一言を聞き逃すまいと、アイヴァンは意識を集中させるかの様に机の上で両手を組んだ。
「ええ。……それで私は、手にしていた蝋燭を消して、音を立てないように注意しながら扉の隙間を覗きました。そこで……そこで、とても恐ろしい光景を見たのです」
その一言を最後に、モーリスはふいに言葉を切った。
彼の顔からは血の気が引き、微かに口元が震えている。
その様子を見て、アイヴァンは左右に小さく首を振った。
モーリスの言う「恐ろしい光景」が何であったのか──もはや聞くまでもない、とでもいう様に。
「全部話さなくていい。思い出せるところからで構いませんよ」
そう答えるアイヴァンの言葉は、相手の心情に寄り添うよう見えて実に計算されたもののように思える。
意図して動揺を責めず、けれど容赦する事なく、ただ“今、必要な情報”を引き出すのに最も適した言葉を選んでいるかのようだった。
「……申し訳ありません、大丈夫です。……私が見たのは、二人。一人がベッドに眠る旦那様に何度も刃物を振り下ろし、もう一人はそれを少し離れた場所から見ているだけでした。
どちらもフードを被っておりましたし、月明かりのみが頼りでしたので、顔はわかりませんでした」
「……見てた、というのは?」
アイヴァンは彼の言葉を繰り返し、ほんの少し眉を寄せる。
「それは……あの、私にもどういうわけかは……言葉の通り、ただ見ておりました。
そのあと、ふいにベッドに近付いて行き、刃物を振り下ろしていた人物の手を取りました。
そうですね……ええ、あれは……まるで、止めるみたいに」
モーリスのその返事を聞いて尚更わからないとでも言うようにアイヴァンの首が斜めに傾く。
それから少し考え込むように、彼は無意識に腕を組んで目を伏せ、片方の指先で口元に触れた。
ほんの一瞬の沈黙を挟んでアイヴァンが伏せていた瞳をあげると、まるで仕切り直しだとばかりにモーリスに微笑む。
「おっと申し訳ない。続きを」
そう言いながら組んでいた腕を解いたアイヴァンは、掌をモーリスへと向けて差し出す。
「ええ。ですがそれ以上は……あまりに恐ろしくて、私はその場を離れましたので」
「なるほど。では他に、何か気付いたことや気になる点はありますか?」
モーリスは少し目を伏せてから、記憶を手繰るようにゆっくりと口を開いた。
「それが……一人、ただ見ていた方なのですが、足に少々問題があるように見えました。ベッドに近付く際に、こう……右足を、引き摺る……とでも言いますか、とにかく、歩き方に特徴があるのは間違いありません。
……確証があるわけではないのですが、私その歩き方に、少々見覚えが。
庇護区画にある聖セリア教会にお勤めの神父様に、似たような歩き癖があったかと……私用で何度か伺った折に、目にしたことがございます」
その後もアイヴァンはモーリスの話に耳を傾け、しばらく様子を見たのち聴取を切り上げた。
挨拶もそこそこに部屋を出た彼の足取りは軽い。