第三話
まだ朝も早いというのに、王城内の騎士団食堂はすでに賑わいを見せていた。
焼きたてのパンや温かなスープの香りが漂う中、皆思い思いに朝食を取っている。
その一角、一際光の射し込む窓際の席に向かい合って座る、リリーとアイヴァンの姿があった。
「関係者の事情聴取ははだいたい終わったし、今日は屋敷近辺の目撃者でも洗ってみるか」
まだ湯気の立ちのぼるパンを千切りながらアイヴァンが言うと、リリーは手元のスープに視線を落としながら頷いた。スプーンを手に取り、小さく欠伸を噛み殺す。
その様子を目にしたアイヴァンが大げさに眉を上げて笑った。
「ははっ。珍しいこともあるもんだ。さては夜更かしでもしたな?」
「……別に、そういうわけじゃ───」
「失礼します!!」
リリーの言葉を遮るように食堂の扉が勢いよく開かれ、息を切らした若い衛兵が駆け込んできた。
食堂の喧騒が一瞬にして静まり、彼の荒い息遣いが響く。
「次の殺人と思われる事件が発生しました!ディモン・アゼル侯爵が先ほど屋敷にて遺体で発見され、第一発見者の執事を現在拘束中です!」
報告を受けた二人は互いに短く視線を交わす。
「事情聴取はおれが行こう。現場の方は任せていいな?」
深翠の瞳が一瞬だけ横に流れ、すぐに戻ってアイヴァンを映す。
「わかったわ」
アゼル侯爵邸は、王都の中でも古くからの格式を誇る一角にあった。石造りの門を抜けると、手入れの行き届いた庭と、重厚な外観の屋敷が静かに佇んでいる。
リリーは無言のまま屋敷の入口をくぐり、案内に立つ衛兵の後ろに続く。
廊下には幾人かの使用人が集められていたが、その誰もが口を閉ざして俯いたまま動かないでいた。
しばらく長い廊下を歩いて、現場である寝室の前で立ち止まる。
衛兵が扉を開くとその向こうではすでに現場検証が黙々と進められていた。
部屋中に流れる重たい空気とは対照的に、カーテンの隙間からこぼれる朝の光がほこりを照らしてきらめいている。
中央に据えられた一際大きな天蓋付きのベッドの上で、この屋敷の主であるディモン・アゼル侯爵は息絶えていた。
リリーは横たわる彼の足元まで進み、遺体の状態を確認する。
致命傷は頸動脈への一撃。出血状況から見て身体中に残る無数の傷が死後に付けられたものである事も、ほかの被害者達と何ら変わりはない。
彼女の瞳が遺体の顔をなぞっていく。
額には幾重にも折り重なる深く刻まれた皺。薄いまぶたは落ち窪み、その下でわずかに眼球の輪郭が浮きあがっている。
リリーの視線は次に、その中心にある折れて歪んだ鼻を通り、骨ばかりの頬を降りて酷くひび割れた唇で止まる。
そこで一瞬目を閉じた後、小さく息を吐いてからもう一度その顔を見据えた。
そこには、今までとは決定的に異なる部分──顔の左上から右下にかけ、大きく裂けるようにして一筋の深い切り傷が刻まれている。
ここまでの一見無差別にも思える殺人とはまるで違う、顔──その人の「個」を象徴する部位をあえて選んでつけたかのような一太刀。
その傷にはこれまで以上の深い憎悪と執着が漂い、未だ見えない犯人の輪郭をぼんやりと映し出しているかのようだった。
これで、九人目───。