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第二話


 警備詰所は王都中央区画内の庁舎群の一角にある小さな建物だった。

 その一室、椅子と机が置かれただけの、質素ながらも清潔に保たれた応接室に二人は揃って現れた。



 部屋の奥に怯えた様子の女が座っている。

 まだ顔に幼さの残る彼女からは、粗末ではあるが身なりには気を使っているのが見て取れる。



 アイヴァンが一歩進み出ると、不安げに二人を見つめる彼女に向けて穏やかに声をかける。



「そんなに緊張しないでくれよ。今日のこれは取調べなんかじゃない。──まあ、ちょっとしたお喋りってことでさ」


 そう言って彼はにこりと笑いながら椅子に腰を下ろし、その隣にリリーもかけて資料を広げた。

 


 そこには、マリア・デュランと記されている。


 彼女は第八の被害者であるセリグ侯爵家に仕えていた使用人の一人だった。



「事件の晩、侯爵の様子に変わりはなかったか?普段と違った点でもいいんだ。思い出せる限り話してほしい」


 アイヴァンはその資料には一瞥もくれず、まっすぐにマリアを見つめた。口元には先程と変わらず柔らかな笑みを浮かべている。


 マリアは一瞬肩を揺らし、アイヴァンの視線から逃げる様に目を伏せた。

 彼女は膝の上で固く握られた拳だけを見つめ、震える声で慎重に言葉を発していく。



「はい……あの日、旦那様は夕方にお戻りになりました。夕食後はいつものように書斎に。……変わった様子は特になかったように思います。──あの、私、夜は……自室で過ごしているのでそれ以上は……」


 アイヴァンはそんな彼女を気に止める様子もなく、尚もただのお喋りであると言わんばかりに質問を続けた。



「そうかい。念の為に確認しておくが、夜間に自室を抜け出すような事は?」


「あ、ありません……っ!」


 マリアは表情を微かに強ばらせ、額に薄らと汗をうかべて否定をする。




「………ふうん」


 アイヴァンは肘を机に預けゆるく顎を支えた。

 軽く頬に添えられた手と、僅かに傾けた首の角度に隠されてもう彼の笑みは見えない。


 それでも変わらず目はマリアだけを見据えている。



 机に預けた腕と反対の指先で資料の角を叩く。



 コツ、コツ、コツ。



 さほど大きくないはずなのにやけにはっきりと耳につく不快な音。

 それは癖というにはあまりに計算された音で、無意識の仕草とは到底言えるものではなかった。



 アイヴァンの指先から発されるその音につられるように、彼女の呼吸が徐々に早くなっていく。

 心臓が早鐘を打ち、握りこんだ爪が手のひらに刺さって鈍い痛みを残した。



 コツ、コツ、コツ。



 コツ、コツ、コツ。





 コツ、コツ、コツ───


 均一だったリズムが不意に一拍だけ遅れる。



 彼女の身体中の血管がそれに合わせて激しく脈打ち、耳の奥で鼓動が響く。

 部屋の酸素が徐々に薄くなっている錯覚すら覚えて、マリアは息をするのもやっとな状態だった。



「……わっ、わた、私────」




「オーケー。それじゃあ次の質問だ」



「────え……?」


 声を詰まらせたマリアが顔を上げた瞬間、アイヴァンは手をひらりと振って資料を机の端へと滑らせる。

 その一瞬で、部屋に充満していたあの張り詰めた空気が弾けるように消え去った。


 突然一変した空気に理解が及ばない様子で、マリアはただ呆然と目の前のアイヴァンを見つめる事しかできないでいる。


 彼女の瞳に映るアイヴァンは、ここに来た時と何も変わらない笑みを浮かべているままだった。



「ここ最近気になる人物や、屋敷の出入りに不審な点はあったかい?」


 少しの間を置いて発せられたアイヴァンの言葉に、ようやく我に返ったマリアは慌てて口を開いた。




 ──それからアイヴァンとマリアが二、三、質問を交わし終えると、リリーはタイミングを見計らったかの様に資料を手に立ち上がる。



「ご協力感謝します。何か思い出したらすぐ連絡を」


 アイヴァンもそれに続けて立ち上がり、マリアに向けてにこやかに手を振った。

 二人は応接室を出て詰所の廊下を抜け、表の通りへと足を踏み出す。


 もう空はゆるやかに朱を帯び、夕陽が地面に長い影を落としている。

 通りには穏やかな人の流れが続き、ぽつぽつと家々の窓から灯りが漏れはじめていた。



 二人は無言のまま、城へと向かう帰路にある通りを並んで歩いている。

 先に口を開いたのはやはりアイヴァンの方だった。



「結局、有力情報はなし、か」


「ええ。嘘もついていないでしょうね」



「──嘘、ねぇ…。まあ、あの話しぶりじゃ嘘はついていないだろうさ。少なくとも、“事件については”な。……クソッ」


 アイヴァンは足を止め、先程のマリアの記憶を振り払うかのようにそう吐き捨てた。

 それでもまだ気がおさまらないのか、舌打ち混じりに顔を背ける。


 いつも飄々としている彼にしては珍しく、その瞳に静かな怒りを滲ませていた。



 彼女の震える声、伏せられた目元、小さく揺れる肩──それらが取り調べの恐怖からくるものだけではない事に、彼は気が付いたのだろう。


「とんだクソ野郎がいたもんだな」




「────暴かれるべきじゃない秘密はあるわ」


 その様子を見つめながら、ぽつりと囁く様に呟いたリリーの声は風にかき消された。



 アイヴァンは暫くしてからリリーへ視線をやり、どこか居心地悪そうに首筋をかいた。



「──悪党が裁かれないなんてのは、珍しい話じゃないがね。こうも綺麗に“それっぽい”連中ばかりが殺されてるとなると、やっぱり狙ってやってるとしか思えないよな」


 彼が眉を下げて笑顔を作り、そう言い終わる頃にはいつもの調子に戻っていた。

 先程までの怒りをもう微塵も感じさせる事はない。



「──正義の裁きのつもり、なのか?しかしなぁ……法で裁かれなかった悪人に裁きをって話なら、確かに理屈は立つ気もするが、それにしちゃ腑に落ちない事がありすぎる。


 あの正確な殺し方が素人とは思えない──かと思えば殺した後にわざわざ見つかるリスクを高めてまで何度も斬りつけるのは何のためだ?

 苦しめてやろうってんなら殺した後じゃ意味がないよな。見せしめにでもしてるつもりか?


 そもそも裁きを下す人間の選び方が曖昧すぎるよなぁ……。犯罪者とは言え殺す程じゃない様な小物まであのざまときてる」



 アイヴァンはそこまでひと息に口にしたあと、僅かに眉をひそめた。言葉と同様に、その表情にはどこか納得しきれない色が残っている。



「……さっぱりだな」


 ひとしきり吐き出し、まるでお手上げだとばかりに立ち止まって天を仰いだ。



 すっかり西の空にはかすかな残光が残るばかりで、いつの間にか街の輪郭は徐々に夜の帳に呑まれつつある。

 点灯人が、建ち並ぶ街灯の油に火を灯し始めていた。



「とりあえず今は帰りましょう。考えるのは部屋でもできるわ」


 アイヴァンの少し先を歩いていたリリーがそう告げながら向き直る。

 その彼女の声と表情には、アイヴァンに対する呆れを隠すつもりが微塵も感じられない。

 それでも放っておく気はない様だった。


 リリーはそれ以上は何も言わず、アイヴァンが動き出すのと同時に一歩足を前に踏み出す。



 二人の足音は徐々に静まりゆく街のざわめきの中に消えていった。



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