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紅き滴降る降る周りに

 ユーナハナ大陸のハートランドを抑えた神聖リョーモ帝国はイヴァンブロ四世の治世に急速に領土を拡大し、その跡を継いだカラカラ帝の時代に大陸のほぼ全域を支配下に置く最大版図を築き上げた。後世の歴史書では、帝国の騎兵隊を構成する騎馬遊牧民トンツィギ族の機動力の高さが戦場で有利に働き、この巨大な国土を維持するのに大いに役立ったと説明されている。しかし、帝国は騎馬兵もおらず兵数的にも不利な状況でも幾度となく大勝を収めるなど、騎馬兵の強さだけでは説明がつかない動きが複数あり、研究家を悩ませてきた。欠けたピースを埋めるのは学術的には軽視されがちな“個の力”である。神話上の人物とも言われるヴォルフガング・K・サウナ―。彼が帝国の最盛期を築いたといっても過言ではない。この物語は帝国に身を捧げた最強の男、サウナ―の波乱万丈な人生を描いた英雄譚である。

     ―――泉暦1234年、トベツ・ポーカイド連合軍本陣――― 

 連合軍を率いる名将ジョン・ザッケイ将軍は台地に展開した2万の自軍を見て勝利を確信していた。


 彼の作戦はこうである。進行中のサウナ―軍を別動隊でトーカツ山とトムラウシ山に挟まれた隘路に誘い込み、山に置いた伏兵で挟撃しつつ連合軍本隊の展開する台地に追い立て完膚なきまでにひねりつぶす。古来より数多の軍師によって用いられた必勝法である。しかし、相手は視界に入るだけで死を意味するとされる“死を呼ぶ鴻鵠”のサウナ―。歴戦の勇士ザッケイ将軍は勝利を確信しつつも決して気を抜いてなどいなかった。たとえこの作戦が失敗しようとも他に500の策を残していた。彼に誤算などあるはずもなかったのである。彼は静かに、しかし隠し切れぬ野心をもって獲物を見定めていた。彼の目は、これからサウナ―軍の血によって赤く染まるであろう真っ白な雪山の反射によって爛爛と輝いていた。しばらくすると山の中腹からゆっくりと上がる狼煙が目に入った。サウナ―軍が術中にはまり隘路に入ったということである。本作戦の肝とも言える重要な局面を終え、胸をなでおろす。山の間から這う這うの体で逃げ出してくるサウナ―軍を思い浮かべるとつい口角が上がってしまう。最強の男を打ち取る名誉。まだ戦は終わっていないとはいえどうしても想像せずにはいられなかった。将軍はそろそろサウナ―軍の悲鳴と自軍の雄たけびが聞こえてくる頃だと思って耳を澄ました。しかし、彼の鼓膜を振動させたのは人間の声ではなく、臓物をも振るわせるほどの巨大な地鳴りであった。山の方で大量の雪煙が上がっているところを見るとどうやら雪崩が起きたらしい。しかも二つの山から隘路に向けて雪がなだれ込んだようである。規模から推測するに伏兵は全滅かもしれない。しかし逆に言えば下にいたサウナ―軍の被害は自軍の比ではないだろう。つまり自然の猛威によってサウナ―軍が勝手に壊滅してくれたのだ。自分の手で倒せなかったことは残念だが仕方がない。サウナ―もつくづく運がない男である。しかし、もしかしたらサウナ―だけは生きているかもしれない。将軍は気を取り直し、追撃するために兵たちに呼びかけた。

「先ほどの雪崩でサウナ―軍はおそらく壊滅した。我らの勝利である!諸君、これは天啓にほかならない。この地を護れという神の思し召しだ!我らはこれより雪崩を生き残った侵略者の残党を駆逐し、その血を我らの神に捧げよう!君らの健闘を神や祖霊が見下ろしているぞ!全軍かかれ!」

先ほどの地鳴りにも匹敵する連合軍の勝鬨が山々にこだまする。連合軍が前進を始めようとしたとき、舞い上がって煌めく氷塵の中から巨大な影が表れた。馬に乗った人のようである。近づいてくるにつれて全貌が少しずつはっきりしてきた。体高が二メートル以上の巨大な白馬、その上の白いマントをつけた男がこちらを不敵な笑みを浮かべながら見つめている。一目見て戦場の誰もがあれこそがサウナ―であると理解した。それほど別格のオーラを放っていた。



 連合軍はいつの間にか前進を止め、しばし呆気にとられていた。しかし、冷静さを取り戻すと自軍の圧倒的有利を思い出し、喜び勇んでサウナ―目がけ駆け出して行った。1対2万。もはやこれは戦争ではなく狩りである。たとえサウナ―相手だろうと万に一つも負けるはずないのだ。もはや陣形は崩壊し人の群れはサウナ―の一点に向かって収束していった。ザッケイ将軍も兵士たちの暴走をもはや止めなかった。軍略家としては大変不愉快ではあるがここで弄するべき策もない。彼はため息をついてこれから起こる惨劇に胸を痛め、目を逸らした。その刹那—――



 再び大きな地響きが前方で起きた。慌てて目を向けると前衛部隊が壊滅している。軍の中に穴が開いたようになっており、その中心にいつの間にか馬から降りていたサウナ―が立っている。音に続いて揺れが後方にまで伝わってきた。目の前で起きた超常現象に雑兵が逃げ出したり、馬が驚いて騎馬兵が振り落とされるなど連合軍は大混乱に陥った。理解が追い付かない将軍は全軍をひとまず後退させるために声を出そうとした。次の瞬間、軍が二つに割れその間を火山の噴石のようなスピードでサウナ―が移動してきた。驚きと恐怖のあまり将軍は目を見開き、声も出せぬままサウナ―を目で追うことしかできなかった。サウナ―は重心を低くし拳を振り上げて何かしらの予備動作に入った。将軍は“それ”を知っていた。直接見てはいないし、何が起こるか断言することもできない。しかし先ほどまでの超常現象とこのサウナ―の動きを結びつけるのは知性あるものとして当然の判断だった。将軍は祈りにも似た懇願をしようと最期の声を上げた。

「やめt・・」

将軍の言葉は無慈悲にも遮られ、サウナ―の技が発動する・・・



『ナヰ』


サウナーは拳を地面に向けて振り下ろす。彼を中心として半径約500メートルの円の中にいた兵士が吹き飛ばされ、周囲の大地も激しく脈動し立っていることすらままならない状態になった。もしその場に鳥瞰する者がいれば、井戸に石を投げ入れた時のように大地に波紋が広がっていく様子が見れただろう。当然、本陣は壊滅し生き残った兵士たちは山を背にして逃げ出した。地面のそこかしこに亀裂が入り、尋常ならざる様相を呈していた。“死を呼ぶ鴻鵠”による最初の地鳴り(なきごえ)を聞いた時、既にザッケイ将軍の死は確定していたのだった。敗残兵の足音が遠のくと、あたりは静寂に包まれた。

 サウナ―が馬の元に戻ると後ろからサウナ―軍が合流してきた。実は策にはまったふりをして隘路に入って狼煙が上がるのを確認した後、素早く反転してサウナ―の技によって起きた雪崩を回避したのであった。

「いつもながら見事な技でございました。」

側近のゲヴェント・ロブズミーが語り掛ける。

「世辞を申すな。お前が相手方の策を見破っておらねば我が軍は壊滅しておったわ。」

サウナ―がつまらなそうに返す。サウナ―家とロブズミ―家は代々主従関係にあり、領地の内務や作戦立案はロブズミ―家が任されてきた。二人は幼少期からともに育てられ、兄弟のような仲だった。

「戦が終わったということは…またお行きになられるので?我々でご用意いたしますよ。」

ロブズミ―が心配そうに言った。サウナ―には戦の前後で必ず行う習慣があり、実はそれがサウナ―の力の源になっているのだが、このことは本人も含めてまだ誰も気づいてはいなかった。

「無論行く。護衛はいらぬ。」

それだけ言い残してサウナ―は去っていった。ロブズミーはため息をついて全軍に夜営の準備をするよう命じた。


 連合軍の敗北を受けてトベツ軍の最高司令エカシミリアン三世は独断でポーカンドの領土を割譲する和平案を帝国に持ち掛けるため、使者を送り出した。しかし、圧倒的優勢の帝国がそれで妥協するはずもないのでせめて帝国に何かしらの痛手を負わせようと画策していた。自室で頭を抱えていると突然扉が開き、兵士が入ってきた。

「急報!東部戦線近くのカルルスの街にてサウナ―と思わしき人物を発見。現在傭兵部隊が尾行中。進行方向にはオーユマヌ川しかなく…信じがたいことですがどうやらその岸辺にあるバーニャに向かっているようです。いかがされますか。」

エカシミリアンは部下の手前平静を装いつつもこの僥倖に歓喜した。千載一遇のチャンスが舞い降りてきたのである。報告によればサウナ―は一目見ればわかるらしいので人違いということもあるまい。強者の奢りとでも言うべきか、戦時中にもかかわらず間抜けなことである。しかも尾行中の傭兵部隊には確か暗殺のプロがいたはずである。こんな幸運は二度と来ない。

「サウナ―は一人で連合軍を滅ぼす力を持つ男だ。決して集団で攻め込まず、悟られないようバーニャの中で暗殺しろ。」

エカシミリアンは最後の望みを託して命じた。


 サウナ―が服を脱ぎ、バーニャに入っていくのを見届けた傭兵部隊は隊長の命令で外に待機していた。傭兵隊長オドリケル、太い眉に無精ひげを生やした人のよさそうな男である。しかし、平時は暗殺で生計を立てているほどの名手であり、傭兵は戦時中の小遣い稼ぎであった。彼にはここまでして稼がないといけないわけがあった。服を脱ぎ、胸にかけた木製のペンダントを見つめる。息子が作ってくれたお守りである。相手は最強の男、サウナ―。正直生きて帰れるかはわからない。しかし、息子のために彼は戦って帰らなければならないのであった。深呼吸をしてバーニャの扉を開ける。正面にサウナ―が腕を組み、シェンティだけを身にまとって座っているのが見える。腕で隠れているが胸には十字の傷跡があった。オドリケルは空いているスペースを探すふりをして扉に手を添えながら少しの間入り口付近に立っていた。実は彼には自分の生命力を木に流し込むことで成長を促す能力があり、今まさにバーニャの材木を伸ばしていたのだった。ひとまず彼は扉に使われる木材を伸ばすことで壁と接着させてバーニャを密室にした。更に時間を稼ぐため、地元民を装ってサウナ―に話しかけた。

「おや、見ない顔だね。あんた帝国の騎士さんかい?」サウナ―は静かにうなずいた。

「袖振り合うのも多少の縁。ここはバーニャなんだから少し話しましょうや。」

扉のみならず壁全体の材木が一つに融合し、更に壊れにくいよう厚みを増して補強されたことを確認してサウナ―の横に腰かけた。

「では聞こう。おぬしが被っているその帽子はなんだ。」

オドリケルは内心ドキッとしたが落ち着いて返した。

「これですかい?これは私が作ったバーニャ用の帽子でね。のぼせたり髪が傷んだりするのを防いでくれるんだ。あんたも被ってみるかい?」

「いや、よい。」

「まあ俺の汗もついてるしな。ハハハ…まあお望みならあんたのも後で作ってやるよ。」

バーニャの中だから誤魔化せたがオドリケルは冷や汗をかいていた。実はこの帽子の中には羊の腸に冷水をつめたものと木製の匕首が入っており、サウナ―にばれれば命はなかったのである。彼は密室に閉じ込めてのぼせたサウナ―を冷水で頭を冷やし続けた自分で殺そうと考えていた。そのためにもサウナ―をできるだけ長く留める必要がある。

「そういやあんた、名はなんていうんだ?」

「サウナ―だ。」

「まさかあんたが人類最強と名高いサウナ―とはね!」

「ほう、わが名を知っておるのか。」

「もちろんだとも。東にあった二つの王朝をあんたが撃ち破ってからというものの、西方諸国はあんたの噂でもちきりさ。」

「こうまで顔が知られるとあまりこういった所にも入りずらくなるな。」サウナ―は少しうつむいた。「そうだ!俺とどちらが長くバーニャにいられるか勝負しないか?俺はここいらじゃ一番長くバーニャに入れるってことが誇りなんだ。人類最強のあんただ。俺が少し遅く入ったのはハンデだと思って許してくれよな。この勝負受けてくれるね?」

「随分と子供じみた挑発だな。だがまあ良い。この勝負受けてやろう。」

サウナ―は呆れつつも少し口角を挙げて応じた。オドリケルは作戦が軌道に乗って安堵した。

「ところで、なぜあんたは戦の最中だってのにこんなとこにいるんだい?」

もはや暗殺とは関係ないが、緊張もほぐれてきたので純粋な疑問を投げかけた。サウナ―は上を見上げ、笑っているとも悲しんでいるともとれる表情をしながら語りだした。

「俺の父はとても厳格な武人でな。サウナ―家の伝統に則って息子の俺に毎日血反吐を吐くほど厳しい訓練を課していた。この胸の傷も父につけられたものだ。父に手加減は一切なかった。修行中もほとんど私を褒めず、いつも眉間に皺を寄せていた。そんな父との唯一の楽しい思い出が湯治で立ち寄った温泉とその付近にあったバーニャなんだ。」

オドリケルは質問したことを後悔した。かつてはただの殺戮兵器としか見えていなかったサウナ―に人間味を見出してしまったからだ。しかもたちが悪いことに彼が行動原理としている父性に訴えかけてくる。これまでの暗殺でも対象と話すことはあったが大概は悪人であり、これほど純粋な心を持つ者は初めてであった。追い打ちをかけるようにサウナ―は話を続けた。

「温泉での父は別人のように優しくてな。入浴の作法やバーニャの楽しみ方を教えてくれたんだ。小さいころから世話などしてくれた記憶がないのにその時ばかりは背中まで流してくれてな、初めて”親子”というものを実感したんだ。次の日からは何事もなかったかのようにまたきつい修行が再開されたがな。今でもこうしてバーニャに入ると思い出すんだ。在りし日の父との温かい思い出を…」

オドリケルは思わずうつむいてしまった。これまで仕事のためと割り切ってきた罪悪感が息を吹き返し、彼の意識の中に広がっていった。しかし、任務をしくじれば職を失って息子を養うことができない。息子の命とさっき会った男の命など天秤にかけるまでもないがそれでも躊躇してしまうのだった。任務の全貌を告げてしまおうとまで考えたとき、二人は異変に気付いた。焦げ臭いにおいが辺りに立ち込めているのだ。煙突の不具合やバーニャの煙ではなく、外からの煙であるようだ。室温もどんどん上がっているようだった。外の方で火を焚く音がする。しかも河原を走る複数人の足音と話し声も聞こえる。どうやら傭兵部隊が功を焦って隊長であるオドリケルごとサウナ―を焼き殺そうとしているようだ。

「なんだこれは。」

扉を開けようとしたサウナ―が異変に気付いたようである。オドリケルは観念して事情を説明した。

「私はあなたの暗殺を任ぜられた傭兵隊長のオドリケルです。扉の木を伸ばして密室を作り、のぼせさせて弱ったあなたを殺そうとしていました。しかし仲間の裏切りに遭い、今あなたもろとも焼き殺されそうになっています。この際あなたの技の巻き添えになっても構いません。バーニャごと破壊してお逃げください。」

サウナ―は少し驚いていたがすぐに冷静に返してきた。

「お前は敵ではあるが悪人ではないことはこれまでの会話で分かっている。裸の付き合いに免じて許してやろう。しかし情けないことに俺は今日力を使い果たし、もう技が繰り出せんのだ。扉を蹴破るくらいならできたかもしれんが、ここは完全に密室になってしまった。敵ながらあっぱれな技よ。」

男気溢れるサウナ―にオドリケルは感服していた。しかし悠長なことも言っていられない。熱もそうだが外から入ってくる煙も濃くなってきた。二人は体勢を低くした。

「オドリケルよ、再び扉を作ることはできんのか?」

「申し訳ありませんが木を小さくすることはできません。また、私にもこのバーニャを破壊するほどの力は残っていません。任務遂行後は仲間に外から壊してもらう予定でした。」

傭兵なのに仲間を信頼しすぎた報いだとオドリケルは反省した。しかし、もう遅い。このままでは二人は死んでしまう。オドリケルは胸のペンダントを握りしめた後サウナ―を見て覚悟を決めた。

帽子に入れていた匕首に自信の生命力をありったけ込め、木刀にしてサウナ―に渡した。

「私の力を流して木刀に変えました。木製ではありますが、私の生命力で硬くしておきました。あとはあなた様の剣技さえあれば壁を壊せるかもしれません。」

「顔色が悪いぞ、大丈夫か?」

「私のことは良いから早く壁を…」

「うむ。しかと引き受けた。」

そういうとサウナーは剣を振った。金属の刀に比べれば流石に切りにくかったが、それでも人が通り抜けられるくらいの穴をあけることができた。

「穴が開いたぞ。」

オドリケルに呼びかけたが返事がない。床に伏せてぐったりしている。

「大丈夫か。早く外の空気を吸うのだ。」

サウナ―が担ごうとすると、オドリケルは弱弱しい声で話し始めた。

「私はもう生命維持に必要な生命力を使い果たしてしまいました。外には私を裏切った傭兵もおりますし、どのみち私は助からないでしょう。サウナ―様はどうかお一人でお逃げください。そして私の息子を助けてやってください。息子の名前と住所は胸のペンダントに刻まれています。どうか、どうか…」

そういってオドリケルは意識を失った。

「この痴れ者が!父親に代わりはきかぬ。」

サウナ―は片手でオドリケルを担ぎ、穴からバーニャを脱出した。外は傭兵たちに取り囲まれており、サウナ―は木刀で傭兵の攻撃から身を守りながら近くの川へ飛び込んだ。強靭な精神力で耐えていたがバーニャの滞在時間は20分を超えており、実際は熱中症に近い状態だったのだ。傭兵たちは隊列を整えて川に入ったサウナ―を追おうとしていた。

「サウナ―は弱っているぞ!今がチャンスだ。決して逃がすな!」傭兵たちが川へ入ろうとしたその時—――

「誰が逃げただと?」川の中から蒸気を上げてサウナ―が出てきた。

「虚勢を張るだけの力は残っているようだな。野郎どもかかれ!」木刀しか持たず防戦一方だったサウナ―を見て、傭兵たちはもう既に各々報奨金の使い道を考えていた。サウナ―も決して万全な状態ではなく、川に入ったことで少し回復した気がしていたが急速に体が冷えたことでいわゆる“整った”状態になってしまった。しかも横にはオドリケルがおり、一人で逃げるわけにもいかない。傭兵たちが水しぶきを上げながら川に駆け込んでくる。サウナ―は木刀に力を込めて胴を切った。傭兵たちは吹き飛ばされたが傷は浅く致命傷には至らなかった。傭兵たちは鎧を着ていたので刃が徹るだけでもすごいことなのだが、木製ではこれが限界であるとサウナ―は悟った。他の傭兵たちはやられた仲間にも構わずにこちらに向かってくる。サウナ―が攻撃を防ごうと木刀を構えなおした瞬間――


 先ほどの傭兵たちの体が膨れ上がり湯気を上げながらつぎつぎに破裂して木っ端微塵に吹き飛んだ。生き残った傭兵たちはあまりにも凄惨な光景に恐れおののき、逃げ帰っていった。サウナ―自身も初めての経験に戸惑い、持っていた木刀を呆然と見つめていた。バーニャはごうごうと燃え上がり、水面は砂金のようにキラキラと光を反射していた。


 サウナ―は息を整え、服を着るとオドリケルを担ぎながら軍の本陣がある丘へ登って行った。するとほどなくして見張りの報告を受けたロブズミ―が駆けつけてきた。

「殿下、何があったのですか!なぜ死体など運んできたのですか?」

「死体だと?彼はまだ…」そこで初めてサウナ―はオドリケルが脈を計るまでもないほど体が青白く冷たくなっていることに気づいた。

「ここまで運んできたということは思い入れがあるのは分かります。生前は立派な人物だったのでしょう。しかし、兵士たちのためにも素性も知れぬ死体を陣の中に入れるわけにはまいりません。」

「しかしだな…」

「それに先ほど撤兵の勅命が下されました。我々は今すぐに荷をまとめてここを立ち退かなくてはなりません。したがってその者に対して我らができることは丁重に弔うことだけでございます。」

「…分かった、もうよい。そちは撤退の指揮をとれ。私はここに墓を作ってから合流する。」

「御意。」

 ロブズミ―が去るとサウナ―は手で穴を掘り始めた。そして、できた浅く小さな穴にオドリケルを横たえ土をかぶせた。そしてペンダントを見つめ、彼の死を悼んだ。最後に墓標として彼の遺した木刀を惜別の念を込めてゆっくりと墓の上に突き立て、跪いて祈りを捧げた。長い祈祷によって辺りは静まり返った。流石に冷え込んできたのでそろそろ陣へ帰ろうと立ち上がると――

 土が盛り上がり墓の中から手が突き出てきた。サウナ―は急いで墓を掘り返した。すると薄くなった土をかき分けていつのまにか顔色がすっかり良くなったオドリケルが咳き込みながら起き上がってきたではないか。

「これはいったい...どうしたことだ。」

「わかりません。手首に痛みを感じて目が覚めると、いつのまにか穴の中にいて…。」

見ると手首に切り傷があり、そこから鮮血が流れていた。位置的に木刀が刺さったと思われる部分である。サウナ―は二度も不思議な現象を引き起こした木刀を見つめた。二人とも困惑していたが、いち早く冷静になったオドリケルが至極まっとうな疑問を投げかけた。

「それよりも、なぜ敵である私を救ってくださったのですか?」

「知らぬ。人の動機など全て後付けに過ぎぬ。ただ体が動いておった、それだけだ。」

「いずれにしてもありがとうございました。感謝してもしきれるものではございませんが、せめてあなた様の軍の末席に加えていただけませんでしょうか。このオドリケル、一生をかけてご恩に報いたいと存じます。」

「勝手にしろ。ところで息子はどうするのだ?」

「今息子は西南のナルコニア王国におります。誠に勝手ながら一度息子を迎えに行き、その後願わくばサウナ―様の領地で親子ともども住まわせていただきたいのですがよろしいでしょうか。」

「良いだろう。早く迎えに行ってやれ。」

あたりはすっかり暗くなり、サウナ―の顔はよく見えなかった。二人のことを雪の光が優しく包んでいた。

 二人はひとまず本陣に帰り、サウナ―はオドリケルの能力も含めて今回の奇妙な出来事をロブズミ―に話した。するとロブズミ―は思い当たる節があるらしく、立つのも困難な老馬のもとにサウナ―を案内した。

「この馬はもはや走ることも食事もままならず、死を待つばかりの状態でございます。遠慮はいらないのでその木刀で軽く馬を叩いてみてください。」

サウナ―は少し罪悪感を覚えながら木刀で馬の肩を叩いてみた。すると先ほどまでうずくまっていた馬が目を見開き、身軽に跳躍をし始めた。

「これは…」

「私の仮説が正しければ、オドリケル殿の能力で生命力を流し込まれたこの木刀は生命力を流しやすい状態になっており、殿下の並外れた生命力を相手に受け渡す架け橋になっているのだと思われます。最初に傭兵どもがはじけ飛んだのは、流れ込んできた強すぎる生命力に体がもたなかったからでしょう。」

「うむ、なるほどな。そちの説明で腑に落ちたぞ。」

「さらにこれはまだ確証が持てぬのですが、殿下の尋常ならざる御業『ナヰ』も生命力がかかわっているのかもしれません。その能力はやはりただの筋力では説明がつかない部分が多すぎます。」

「左様か…」

戦に身を投じてから十年ほどたつがサウナ―もまだ自身の能力は把握しきれていない。彼が本当の能力に気づくのはもう少し後のことである。

 エカシミリアンは傭兵たちの敗走を聞き、頭を掻きむしって呻き声をあげた。この1週間ほどで20歳ほど老けたようだった。しかし次の報告は予想に反して彼の顔を輝かせた。なんと圧倒的に優勢だったはずのなぜか帝国が和平交渉に応じ、撤退を始めたのだ。エカシミリアンは泣いて喜び、騎士団たちは三日間にもわたる大宴会を催して帝国の撤退を祝った。一方、勝手に領土を割譲されたポーカンドの総長は憤死してしまったという。その報いであろうか、トベツ軍はこの1週間後に西の大国オーシュウリア=ハナマキ―帝国からの遅すぎた“援軍”によってこの地を追われることになる。ザッケイ将軍と約二万の兵を失ったトベツにあらがう術は残されていなかった。逃走した傭兵たちは散り散りになって西方諸国の軍に入っていき、各国はサウナ―の情報を得ることになった。バーニャでの暗殺未遂はサウナ―を最も追い込んだ戦闘として知られることになり、西方諸国によってサウナ―には莫大な懸賞金がかけられバーニャや温泉地には暗殺者たちが張るようになった。かくして、バーニャは憩いの場から戦場へと変貌を遂げたのである。



―――その頃、サウナ―がかつて訪れたことのある温泉地に髪を拾う怪しげな老婆が現れた

”ちゅうちゅうたこかいな・・・ちゅうちゅうたこかいな・・・”

サウナ―の次の戦いはすでに始まっているのであった。

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