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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

想像する時間

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 つぶらやくんは、日本に四季があるのは特徴であると、もう分かっているかな。

 ああ、ここでは全世界共通の常識ではなく、そのお国柄による特徴であるということね。

 四季が存在しない地域、というのは日本で育った我々には想像しにくいかもしれない。向こうも同じように四季という存在はイメージしづらいものかもしれない。

 以前、外国の知人と話をしたことがある。日本の地震についてのイメージだ。


 すでに聞いているかもしれないが、日本列島は環太平洋造山帯の上にあって、たいへん地震が起こりやすい環境にある。

 地球上で起こる地震の大半は、この造山帯近辺で起こっていて、そこから外れるとめっきり頻度が減るんだ。いわゆる、安定大陸の領域だ。

 友人はめったに経験しない地震で、様々な想像をする。それこそ、天地がひっくりかえって世界が滅亡するんじゃないか、レベルのイメージさえね。

 地震に慣れ、震災も経験している我々にとって深刻な面を理解しているのは確か。しかし、実際に知らないからこそぶっ飛んだ想像をすることができ、そのごく可能性の少ない事象に対応できることもあるかもしれないね。

 実は私も、まだ世界にくわしくなかった小さいころ、不思議な体験をしたことがあるんだ。そのときのこと、聞いてみないか?


 夜更かしする子のところには、お化けが来るぞ。

 小さい時分に、多くの子が一度は言われたことじゃないかと思う。

 私もそれを聞いて、早めに布団へ入らなくちゃと、気がせいてしまったものだ。

 お化けは、子供心に得体の知れない存在。もし出会ったら、何をされるか分からない。

 いや、話に聞いていたものと変わらないにしても、そのような目には遭いたくない。ときに、あまりに残酷で取り返しのつかないことも、彼らは平気で人にしてくるんだ。

 まだ遭ったことのない、お化けへの怖さ。それが私の想像をおおいに膨らませ、夜更かしへの抑止力として働いていたのだが。



「ねえねえ、一日が実は一時間長いんだ、といったら信じる?」


 一日24時間というのは、子供も知る常識だが、本当は25時間が一日に存在しているという。

 この話を持ってきたのは、同じ幼稚園の友達だったな。

 一日の日付が変わる0時。そこから1時間の間は、本来の24時間にない1時間なのだという。

 そこで24日間、連続で起き続けていると、25日目には24日間起きていたもののみが味わえる、幻の一日に到達できるのだとか。

 おもむくには、約束がある。それはいったんは寝入った上で0時前に起き、1時を過ぎてからまた眠ること。

 起き続けているようでは、意識が地続きのままで、きっちり分けられている余計な1時間にたどり着けず、ごまかされてしまうのだという。

 そしてその1時間も体験したなら、速やかに眠って離れなくてはいけない。きっちり分けられた時間に自分を置いていってしまうことになり、いずれ自分に戻れなくなるから……と。


 ちょっとコワイ文言ではあった。

 でも、友達の大半がやってみるというものだから、同調圧力のまま私も賛同する。

 お化けに遭うかもしれない……という怖さは、ちょっぴりあった。午後9時に床へ入る私にとっては、もう遅すぎる時間帯。

 でも、みんなも同じことをやっているなら、大丈夫かもしれないとも思った。自分だけ取り残されるほうが怖い、とも。


 私は目覚まし時計を、布団の中で抱きしめるようにして毎晩眠った。

 0時の直前に目を覚まし、かつその音がまわりへあまり響かないよう、考えた結果だ。

 実際、私の身体はその目覚ましのお世話になることはほとんどなく、自然と目覚めることができたよ。期待と緊張のなせる業だったのかもしれない。

 そこから1時まで起き、また眠りに入る。

 家の人も大半が寝静まり、トイレに起き出す音くらいしか聞こえてこない。ほとんど昼間から夜にかけての家しか知らない、当時の私にとっては異空間も同然だった。

 眠りに挟まれるあの時間は、確かに奇妙なものだったが、本命は25日目。

 積み重ねの24日間に、何も起きずとも構わない。25日目の体験を一緒にしてこそ、私たちは一緒でいられるのだから。



 そうして迎えた25日目の朝。

 話が本当ならば、24日間の特殊な1時間を経た者にのみ訪れる、特別な一日のはずだ。

 何が起こるのかと、期待に胸を膨らませながらも、いつも通りに進む朝の様子にはいささかがっかりする。

 今日は幼稚園へ行く日だった。本番は園に行ってからかもしれない。

 そう思い、身支度を整えて送迎バスの乗り場まで行こうとする私だが、母が「急な用事が入ったから、ひとりでバスに乗ってほしい」と話す。

 これまでなくもなかったことだし、と私はひとり乗り場へ向かった。

 いつもならバスより早くやってきて待ち受ける身なのだけど、そのときはもう、バスが先にやってきていて、ドアを開きながら待っていたんだ。


 乗り込んでから、先にいる面々に声をかける私だが、この時点でちょっぴり違和感を覚えたよ。

 普段はバスで見かけない子が、ちらほら席へ腰を下ろしているんだ。

 動き出したバスは、以降もところどころで停まって、園児たちを迎えていく。普段からバスを使う子もいれば、これまでバスでは一度も見たことのない子も混じっていた。

 けれど、メンツが揃っていくにつれて、私は気づく。

 このバスに乗っているみんなが、あのときに、0時から1時まで起きていようと約束した子たちだということに。

 もっとも、私がこうして違和感を覚えたのも、後で振り返ってからだ。そのときは、このような状態も気にせず、他のみんなとおしゃべりしていたよ。

 そうして、やがてバスは幼稚園に通じる土手沿いに差し掛かったんだが……急ハンドルが切られた。

 事故を避けようとしてのことじゃない。むしろ、事故そのものに遭いたがるように、バス全体がガードレールのない土手の斜面へ、横腹から転がる格好で身を投げ出していたんだ――。



 それから、どうしたかって?

 私はバスの中で痛みを感じる、あわやというところで目を覚ました。

 母親が私の腰に、後ろから腕を回し、抱きとめていたんだよ。そして直立していた私は、今まさに家の二階の窓から、飛び降りようとしているところだった。

 バスのことは、夢だった。しかし夢と感じるにはあまりに鮮明で、私自身、自分がこのような状態に陥っているなど、まったく気づかなかったよ。

 その後、幼稚園の連絡網が回ってきて、私は知る。

 あの夢の中でバスに乗っていたみんなが、ことごとく自宅の高所から飛び降りをやらかそうとした、あるいはやらかしてしまったことを。


 さいわい、命を落とした子はいなかったが、打ちどころが悪かった何人かは、二度と園へ戻ってくることはなかったよ。

 のちに私は一日24時間とは別に、人間の体内時計は25時間であるということを学ぶ。

 そのずれが深刻化すると、体調不良をはじめとした変調をきたしかねないと。

 あれは未熟な子供の身体ゆえに起きた、体内時計の変調がもたらした体験だったのだろうかね。

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