二章 待ちわびた密室
オーナーとシンゲン氏が横に並び、その後ろを私が付いていく構図になった。
カナロ公国はここから歩いて二十分らしい。
「オーナーの経営している宿は普通じゃなくくてね、''結界宿''というんだ。部屋にロックをすると、文字通り部屋は結界で包まれる。結界の中は魔力が消滅するから、魔法による殺人は起こり得ない。結界の内外は行き来できないから、窓を割って侵入等もできない。ロックしていない間、つまり部屋が開いている間なら誰でも入れる。が、それも有り得ない。あの宿は生体認証でロックするんだ。生体認証の登録主を殺してしまったら、その部屋にロックをする方法が無くなる。オーナーのマスター権限を除いてね」
「三日間も外に出ていないのが不思議で様子を窺う為に開けたんです。そうしたらすぐ足元に無惨な死体が..」
首をこちらに曲げ、オーナーさんが言う。
「生体認証を登録したのは男の方で間違いないんだろうね」
「ええ。そうです」
「そうなると犯人は女しか有り得ないと思うが、オーナーさんはそう思わなかったと。確かに、女が犯人だとしたら、なぜわざわざ閉じ込められてしまうのに男を殺したのかということになりますね」
「自殺でなく、犯人が女でないとすると、究明が難しい事件だな。俺の知らない魔法を使用して殺された可能性がある。結界を破る魔法は聞いた事がない。そんなものがあればもうお手上げだ。犯人はどこかへ逃げてる。」
「うーん、やっぱり彼女が犯人なのかなぁ、いやぁ、うーん」
オーナーさんは自分の考えに自信が持てなく
なっているようだ。
皆が考え込みながら歩いていると、街が見えてきた。
「どうだいショウゴ君。美しい街並だろう。
殺人が起きても、良い街は良い街さ」
「これは..凄いですね」
元の世界にこんな所があったら、世界遺産間違いなしといった感じだ。建物とその回りの環境の全てが噛み合い、言葉を失う程の風景が広がっている。早朝だが人通りは少なくない。こんな街に殺人犯が居るのか。
「すまない、少し待っていてくれ」
突然シンゲン氏は我々から離れ、売店のような店で何かを買った。飲み物のようだ。
「いやいやミルクに目が無くてね、俺は」
随分マイペースだなと思っていると、瓶の蓋を開けて旨そうに飲む。少し羨ましい。
「うちは街に入ってすぐですよ」
オーナー付いて行くと言葉通り、建物を五件通り過ぎた所が目的地だった。
店の看板は質素なもので、黒地に白文字で「結界宿」と書かれている。一階建てだが奥行きがあるので、部屋数は少なくないのか。
オーナーさんが早足で駆け寄り扉を開ける。
一刻も早く見てもらいたいのだろう。私とシンゲン氏は後を追う。
入って直ぐ右に受付がある。用途の分からない道具が並んでいるが、訊いている場合ではない。
ひと足先に部屋の前に着いたオーナーさんは、こちらを見てうずうずしているようだ。
シンゲン氏はミルクを飲みながら近付いていく。相変わらず美味しそうだと思っていると内に、到着した。扉の中央上に彫られた部屋番号は四。なんと縁起の悪い。
扉の横に長方形の端末のような物が取り付けられている。これが生体認証か。
私達二人も扉の前に立つと、オーナーさんがこちらを見た。準備は良いかということだろう。私は小さく頷き、シンゲン氏は何も言わずに扉に目を向けた。了承と受け取ったオーナーさんが長方形の端末に手を近付け、開けた。
シンゲン氏を盾にするように、オーナーさんと私が後ろから覗き見る形になった。扉の幅はあまり広くない。
そこには、残虐というに相応しい死体があった。体が上下に分かれてしまっている。
血が壁まで飛び散っている事を確認した後、
臭いが鼻腔を刺激した。人体からはこれ程酷い臭いがするのか。思わず鼻を裾で塞ぐ。
シンゲン氏が身を屈めた。死体を見てか、臭いを嗅いでか。狩猟をすると聞いたが、人間の死体を見る機会は少ないだろう。シンゲン氏は間も無く立ち上がり、死体を跨いで部屋の奥へ。死体に気を取られていたが、部屋の向こうの壁に例の女が凭れている。
異様だったのは、彼女に付着した血の場所だ。何故左半身だけが血にまみれているのだろう。部屋にはシャワールームがあるのに。
男を殺したのが彼女であろうとなかろうと、洗い流さない理由があるとは思えない。
気絶しているのか、寝ているのか、死んでいるのかもまだ分からない。
シンゲン氏が彼女の右肩を左手で叩く。左肩は血塗れだ。私とオーナーはまだ扉の前から動いていないので、死体を挟んだ所から様子を窺う。
すると、彼女が目を覚ました。どうやら寝ていただけのようだ。シンゲン氏と私達二人を、交互に何度も見る。何やら二人が話しているようだが、よく聞こえない。彼女は喋りにくそうにしており、喉に手を当てながら話をしている。衰弱しているようにも見えるが、顔にも血が付着しているので顔色はほとんど窺えない。少しすると、シンゲン氏が我々の所へ戻ってきた。
「殺していない、と言っているよ彼女は。詳細はこれから問い質そう」
この男が自殺とはとても思えない。他殺なら、当然怪しむべきは彼女だ。
オーナーさんは眉をハの字に曲げ、鼻を押さえながら隣の部屋を指差した。
「横の三号室が空いてます。そこで話を聞きましょう。ここじゃあとても..」
この状態の死体を今から片付けるのは骨折りの作業になるだろう。
私は頷き、シンゲン氏はちらと彼女の方に目をやった。隣の部屋まで行けるかと心配しているように感じた。
彼女を三号室に連れていくと、ベッドに座らせた。体の血は乾燥しきっているので、そこまで汚れることはなさそうだ。
シンゲン氏は依然開いている四号室に入り、
素手で死体検分を始めてしまった。赤黒い何かを持ち上げては置き、持ち上げては置き。
四号室と三号室の間の廊下に立っている私は三号室の部屋の中に視線を逃がした。オーナーさんは考え事をしながら私の横で右往左往
している。今誰かがここに現れれば、三、四号室の扉をロックして死体と彼女を隠し、この異臭の言い訳を論じなければならない。
死体を弄った後シャワールームで手を洗い、窓やベッドなどを軽く確認したシンゲン氏がこちらに来た。
「彼の臓器を一通り確認したよ。かなり奇妙な結果だった」
私とオーナーさんは次の言葉を待つ。
「なんとね、胃袋だけが損傷していて、それ以外はとても綺麗な状態だったんだ。後、彼が死んでから少なくとも二日は経過している」
男女二人は三日間も外に出ていないとオーナーさんは言っていた。つまり、彼女は二日以上この死体と共にこの部屋に滞在したのか。
生体認証の登録主である男が死んでしまったのだから、彼女には部屋から出る術はない。
何故かシンゲン氏の表情は楽しそうだ。
「胃袋のみ傷つけ、腹の筋肉を破り、背骨一本で繋がる殺し方とはなんだろうね」
「刃物を使えばなんとかなるのでは」
オーナーさんが四号室にロックをしながら言う。それは私も考えた。
「彼の腹筋や皮膚の状態から一目瞭然だけれど、傷痕が刃物のそれじゃないんだよ」
刃物でないとなると、私にはもう一つだけ可能性のある発想があった。
「爆弾のような物を飲み込んだなんてことはありますか」
「爆弾が胃袋で爆発したとなると、胃袋や食道が焼け焦げていないとならない。が、そんな痕は無い。魔法を使って爆発を起こせば焼け痕を残さずに殺すことも可能だが、結界の内側で死んでいる以上それも有り得ない。ショウゴ君の世界ではどうか分からないが、魔法も火薬も使用しない爆発物は今現在存在していないんだ。ついでに、胃袋には消化途中の食べ物が残っていたよ。これも綺麗にね」
オーナーさんと私は唸る。皮膚を破り、筋肉の向こう側にある胃袋のみを傷つける方法。
ここで私の頭の中に、ある凶悪な魔物が誕生してしまった。こんなこと有り得ないとわかっていながらも、口に出さずにはいられなかった。
「彼女自身の手で引き裂いた...?」
オーナーさんが目を剥いた。彼女が実は怪力の持ち主で、男の臍の上下をつまみ引き裂けば、あの死体にすることは可能ではある。しかし、自分で言いつつ不正解だと判っていた。三号室に座っている彼女の腕はとても華奢で、腕立て伏せを十回も出来なさそうだ。
「なんと現時点ではそれがもっとも有力な可能性になってしまっているね。彼女の細腕では厳しいだろうし、ユニークスキルが握力を強化するものであろうと何であろうと、彼の殺害には使用出来ないのだけれど」
ユニークスキル。誰しもが有する個別魔法だが結界の内側ではその効力も消えてしまう。
「そろそろ彼女の所へ行こうか。あまり長く待たせてしまうのは申し訳無い」
この場でこれ以上考えても、良案は浮かばなかったと思う。オーナーさんを三号室の扉の前に立たせて、私とシンゲン氏は彼女の元へ。オーナーさんも話を聞くべきだが、通りがかる人の対処をする必要があるので、部屋を開けたまま廊下から聞き耳を立てる。結界には防音性能も備わっているので、ロックする訳にはいかない。
シンゲン氏がベッド近くの椅子に腰を下ろし、私はその横に立つ。
「君の名前はなんというのかな」
「ユ..ユリ...です..」
先程よりは声が出ているが、弱々しい声だ。
こう近くで見てみるとかなり整った顔立ちをしている。年齢も若く、二十代前半か。
「あの彼の名前は」
「...クリード...」
我々とは目を合わせない。死体はクリードというのか。
「もう一度訊くが、君は殺していないと」
ユリさんは黙って、コクリと小さく頷く。
「ではクリード君を殺したのは誰だろうね」
彼女は首を少し激しく振る。
「分かりません..。分からないんです..。」
「分からない?」
「突然彼のお腹が...うぅ..」
目に涙を浮かべ、声は震えている。
「ちょっと失礼。許してくれ」
そう言うとシンゲン氏はユリさんの右腕を掴み、袖を捲った。これは女性の中でも比較的細い部類になりそうだ。シンゲン氏はこちらを見る。彼女は犯人でないということか。
「どうして体に付いた血を洗わなかったんだい。シャワーはいつでも浴びられたのに」
そこで彼女は泣き崩れてしまった。腰を丸めて、声を上げる。こんな彼女に質問攻めをするほど鬼ではない。
「では俺達は少し席を外させて貰うよ。その間に体を綺麗にして、そこのオーナーから食事でも頂いていてくれ。」
廊下のオーナーさんは驚いたような顔をして、自分を指差す。シンゲン氏が席を立ち部屋から出ようとしたので、私は後を追う。
オーナーさんの前に行くと、
「ということだ。彼女の世話を少しばかり頼むよ。彼女は殺人犯じゃないから安心してくれ。俺とショウゴ君はこれから調査だ。出来るだけ早く戻ってくるから大丈夫さ。オーナーは店を空ける訳にはいかないだろう」
当惑した様子のオーナーさんを尻目に、シンゲン氏は懐から汚れたウエストポーチを取り出した。
「彼の身に付けていた物さ」
すると中身をあらため始めた。あのクリードという男の回りを探れば真相に近付く可能性はある。するとシンゲン氏は二枚の紙を取り出し、私の目の前に。どちらも名刺だ。フルネームはクリード・トール。個人で何か商売をしていたのか。どちらの名刺にも同じ名前が書かれているが、右下に書かれた住所だけが異なる。
「ここに行ってみるということですか」
「もちろん」