夏の妖精
「僕はズッキーニの妖精なんだ」
真面目な顔で、目の前の男が言った。
深夜のバーで酔客が言うにしても馬鹿げている。
彼が私好みの容姿をしていなければ、永遠に無視していたであろう。
最終的に男も女も外見だ。
見てくれさえよければ、多少の馬鹿な発言は許される。
だが、そんなフレーズで落とされるほど、私まだ酔ってはいなかった。
「ズッキーニって、どんな野菜だったかしら?」
決して興味があるわけではないが、彼自身には興味があるので聞いてみる。
「今が旬で、キュウリっぽいけど実はカボチャの仲間なんだ」
「そうなんだ」
悔しいことに、キュウリの仲間だと思っていた。
だからと言って、急にカボチャの仲間に興味がでるわけもない。
もう少し彼の顔を側で見ていたくて、相づちを打つ。
「ラタトゥイユに、よく使われるんだよ」
「ああ……アレね」
頭の中でそれっぽい料理がいくつか並んだが、どれがラタトゥイユか確証はもてなかった。
そのあと彼と話したのは、お互いにフリーだという事。
明日は休みだという事。
この後の予定はなく、帰りはタクシーになりそうだという事。
そして深夜三時ちょうどに、私達はバーを出た。
月明りの下で見る彼の顔は、思った以上に素敵だった。
薄暗いバーでの採点は、だいたいにおいて明かりの下で減点される。
めずらしく彼は、プラス二十点。
お持ち帰りされてもいいかな、と内心で思う。
彼の目にも、私の点数がプラスされることを祈る。
祈りが通じたのか彼が言う。
「もう一軒、もしお暇ならどうですか?」
もう一度ぐらい、身持ちの硬さをアピールしてから折れようかしら。
頭の中で計算していると、彼がコンビニを指さした。
コンビニでお酒とおつまみを買い、すぐそばにある公園のベンチに座る。
夏の夜は、決して二次会向きではない。
「これに付き合ってくれたのは、あなたが初めてです」
街灯に照らされた彼の笑顔はまぶしい。
公園に入って十分の間に、2カ所も蚊に刺されている私は、すでに後悔気味だ。
だが、この笑顔をもう少し眺めていたい。
「私も妖精と飲むのは初めてだわ」
私も笑顔を返す。
今はちゃんと、自分が笑顔になっていると実感できる。
酒と汗の臭いがする自分に辟易したけど、それもすぐに忘れて私たちは笑い合った。
二時間近く経ったことに気付いたのは、夏の朝が早いからだ。
冬ならあと二時間は、時間を気にせず話していたかも。
仕事のことや、家族のこと。
いろいろなことを話したはずなのに、なにを話したかはもう忘れている。
仲の良い友人たちとのおしゃべりのように、時間は楽しく流れていった。
早朝の日差しが、公園のまばらな木々の合間を縫って私達を照らす。
木漏れ日が彼の横顔を照らして、ふと思う。
彼は本当に妖精なのかしら?
しかも、ズッキーニの。
アルコールが頭痛を連れてくる前兆が、こめかみの辺りにうずきだした。
ハンドバックに頭痛薬が無いかモゾモゾと探す。
そして顔を上げた時、自分が一人だと気付いた。
彼がいない。
ただ散らかった、ささやかな宴会の跡。
不安になり周りを見渡すと、急に首筋に冷たさを感じた。
ひゃっと声に出すと、彼が笑いながらペットボトルの水を押し付けていた。
「コンビニで買ってきたよ」
仏頂面の私を見て、彼が笑う。
まぶしい笑顔。
「もし本当は妖精でなければ、連絡先交換したいんだけど」
不機嫌な顔を続けながら、彼の方を見ずに言う。
もし嫌なら、僕は妖精ですと答えればいい。
そうすれば笑って済ませられる。
ほんとに?
私は笑えるかな。
たった数時間の関係で、なにを本気みたいになっているんだろう。
お酒のせいか。
私そんなにさみしかったか。
上目遣いに彼の方をうかがうと、相変わらずの笑顔で正面から見つめてきた。
「馴れ初めは、ズッキーニの妖精でした」
私が言うと式場で笑いが起こった。
隣では彼がいつもの笑顔で、思ったより似合わないタキシードを着ている。