①
ある晴れた日のこと。
季節は春。街路には桜の花びらが舞っており、新しい始まりを告げていた。
そんな中、俺は急いでいた。
夕暮れまでには家に戻らねばならない。
王に親友が人質に取られていたから――ではない。
単純にアニメが見たいからだった。
撮りためていたアニメを思いっきり楽しむ。
胸を弾ませながら街中を走っていると。
「にゃー」
なぜか猫の声が上から聞こえてきた。
立ち止まって見上げると視界に広がる白いパンツ色。
避けるか? いや、ダメだ!
「あ」
女子の声が聞こえてきたと同時に。
「んがぁ!」
パンツが顔面に激突してきた。
――体勢が崩れる。
視界が暗転して、体が地面に叩きつけられた。
「~~~~!」
激しい痛みに声が出ない。
「下に人がいるとは。……まさか女の下に敷かれる趣味ですか?」
「んなわけあるか!」
がばっと立ち上がって、文句を言おうと思ったが。
「――っ!」
思わず絶句してしまった。
目の前にはとんでもない美少女がいた。
流れるような黒髪は絹のような美しさで、整った顔立ちは日本人形のような繊細さがあった。
制服のリボンは妹と同じ黄色。つまり俺より一つ年下ということだ。
「では、もしかして、かばってくれた、とか?」
軽く小首を傾げる美少女。普通の女子がやったら非難されそうだが、この子がやると妙に様になってる。
「まぁ、結果的にはそうなったかも」
ほぼ偶然だが、つい見栄を張ってしまった。仕方ない。美少女には弱いのだ。
「そうですか」
そう言うと美少女は黙り込んでしまった。
「というか、なんで上から降ってきたんだ?」
「この子がビルの上にいたので」
ちっちゃい子猫をライオンキングの子供の誕生シーンみたいに美少女が突き出す。
「どうやら上ったら降りられなくなったみたいで」
「だから、助けるために上って……落ちたのか」
そうですが何か? みたいな顔すんなよ。
「私は困った人を見捨てらないタイプなんです」
優しい顔をしながら子猫を撫でる美少女。
ちょっとドキっとするくらい絵になる光景だ。
「……顔赤くないですか? やはり、猫と美少女は最強の組み合わせということでQEDですね?」
「べ、べべべべ別に。……ま、次は気をつけろよ」
照れ隠しでついぶっきらぼうになってしまった。
「はい」
そんな俺の内面に気づいたらしく、美少女はくすりと笑った。こういう無表情っぽい子が笑った仕草にも弱いんだよ。俺!
もうちょっと話したいという気持ちもあったが、どこからともなく流れてきたアニメのOPの幻聴を聞いて目的を思い出す。
「んじゃ、俺はこれで」
立ち去ろうとしたが。
「待ってください」
「え?」
「助けていただいてありがとうございました」
「ああ、うん。気にしないでくれ」
「この恩は忘れません」
「いや、気にしなくていいけどさ」
「あの、お名前を教えていただけますか?」
「ふ、名乗るほどの者じゃないさ」
そう言って、俺はクールに去る。
一度言ってみたかったんだよね。
どうせもう会わないんだ。格好つけてもいいだろ。
「……」
「……」
「いや、なんでついてくるの?」
ぴったりとくっついてくる。
「恩を返そうかと」
「別にいいって」
「家事でもなんでもします」
……マジで? 一瞬、エロことが頭に浮かんだ。って、駄目だ駄目だ!
「気にしなくていいって!」
「――あ」
少女を振り切るように俺は駆け出した。クールに去るとか言っておいて『やっぱり恩を返してくれ』とは言えなかったからだ。
※※※※※※
それから一週間前。
そんなことがあったこともすっかり忘れていた頃。
家でのんびりと過ごしていると、コンコンというノックの音が聞こえてきた。
「はい?」
家にいるのは妹の乃愛だけだ。
でも、乃愛はノックするなんて習慣はないんだけど。
「ご主人様」
部屋に入ってきたのは黒髪の美少女だった。
え? なんでメイド服着てんの? しかも、若干胸元が空いてるというか、ソシャゲのメイド服みたいに無駄に露出してる。
ある日、森の中で熊さんに出会ったような唐突さ。
いやいや、まずは落ち着こう。
ゆっくりと呼吸をして、思考を整える。
「え、だれ? うちでなにやってんの?」
「先日助けていただいた鶴です」
「いや、助けてないし」
「じゃあ、子供の頃、食べられそうになっていたところ、庭に逃がしてもらったピーマンです」
じゃあってなんだよ。
「……確かに。夕食のときピーマン嫌いだったから庭に捨てたけどさぁ」
あれ助けたって言える?
「そもそもどうやって入ったんだよ」
我が家は俺と妹――乃愛の二人暮らしだ。そのため、家の鍵は俺たちしか持っていない。
「乃愛ちゃんが開けてくれました」
あいつ! 知らない人を家に入れちゃ駄目だって言い聞かせてたのに!
知らない人……?
……というか、待てよ。この子、どこかで……。
そもそも、どうして乃愛の名前を? しかも、親しそうだ。
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頭の中で検索していると。
「恩を返しに来ました」
深々と一礼する。
屈んだ際、胸の谷間が見えた。
「よろしくお願いします」
即決だった。
しかし、それも仕方ない。
孔子曰く、『男はおっぱいに弱い』。
そういうものだ。
「じゃあ、部屋を掃除しますね」
「い、いや、それはいいよ」
部屋にはアダルトが一杯だ。はっきりいって見られたくない。
「……反応が薄い。おかしいですね」
メイドが小声で呟く。……聞こえてるけどね。
「では、ギターでも弾きましょうか。リクエストありますか?」
モテるかなと思って買って結局埃をかぶってるギターをメイドが手に取る。
「ここ壁が薄くてさ。隣の部屋に妹いるから楽器は遠慮してくれ」
「では、乃愛っちに聞いてみましょう」
「へ、なんで乃愛のこと知ってんだ?」
俺の質問には答えずメイドが部屋から出て行った。
それからすぐに――。
『乃愛っち。入りましたよ』
『うわぁ! 事後承諾で入ってくるなよぉ!』
耳を澄ませると乃愛とメイドの声が聞こえてきた。
『いいじゃないですか。私とあなたの仲じゃないですか』
『え、ボクと帆乃の仲って……ただのクラスメイトだよな』
そうだ。確か乃愛が『帆乃』ってちょっと変わった女子がいるって言ってたことがあるのを思い出した。
田舎の旧家出身で都会に出てきたばかりだから一般常識に疎いらしい。
でも、乃愛の言葉以外でも何か覚えがある。
……再び検索。あの胸は――。
そうだ。一週間前に上から落ちてきた女子だ。
すっかり忘れていた。
そうか。あの時の恩を返しに来てくれたのか。
……それにしてはやりすぎのような気もするけど。
『……いや、待てよ。そんな風に言うってことは親友だと思ってたってこと!? マジで? やばい! トゥンクしちゃうんだけど!』
『いいえ。ただのクラスメイトです』
『帰れよぉ!』
乃愛のクラスメイトか。それなら俺のことだって知っててもおかしくないか。
『ボクさぁ。これからゲームやるんだけど』
『また銃で人を撃つやつですか?』
『言い方ぁ』
乃愛はFPSが好きだからな。
『邪魔はしませんから』
『もうすでに邪魔なんだけど』
かなりきつい言い方だ。学校が休みのときは基本的に家に引きこもるインドア派の乃愛は対人スキルが壊滅的なため、しばしば言い方が直接的だ。
『だから、早く帰って』
しばし沈黙。
このときの乃愛の気持ちを述べよ。
答え・ずばり言い過ぎて後悔してるのだろう。
なにせヘタレだからな。乃愛は自分の言葉に後から気づいて後悔するタイプだ。
『……あ、ででででも、別にゲームやりかったから一緒にやっても――』
『そんなことより相談があるのでゲームやりながら聞いてください』
『……そんなことって。メンタルヘラクレスじゃん。気になってゲームなんかできないし』
『では、邪魔しないように応援します。敵と遭遇するたびに一曲弾きましょうか』
『兄貴の部屋にあるギターで?』
『いえ、ギター弾けないので』
じゃあ、なんのために隣の部屋行ったの!?
『歌ってあげます。「てんてれてれてれ、てってってんて。ぽへ」』
『笑点かよぉ。敵と遭遇するたびに笑点流れてたら気が抜けるじゃんかぁ』
『ところで乃愛っち』
『なに?』
『ここからが本題なのですが。あなたの言う通りメイドの恰好で迫ったのですが、先輩の反応はイマイチでした』
なるほど。ギターの件は口実か。
『照れてんでしょ。あいつドーテーだから』
あのメイド服は乃愛の差し金か。
ぶっちゃけよくやったと褒めたいところだ。
『もっと積極的に迫ってみたら? とりあえず、上目遣いで迫れば一発でしょ』
帆乃の上目遣いか。
ほんの少し照れたように赤くなった頬、緊張で少し震えている赤い唇、外国人の血が混じっているらしく、青みがかった黒い瞳。
普段の無表情とは違うギャップ萌えで胸が貫かれたような感覚だった。
いかんいかん。想像でノックアウトされるところだった。
『先輩だけに特別な話があるんですみたいな感じで』
『なるほど。でも、それだけだとちょっと物足りなくないですか?』
『そだね。なら、『ここだけの話~』とか美味しい話みたいに持っていけば絶対食いつくって』
『さすが乃愛っち』
『へへ、ゲームでこういう展開慣れっこだからね。長年の経験ってやつだね。あとゲームで対人関係も習ったし。はっきりいってゲームがあればなんでも経験値つめるよね』
『ゲームで義務教育終えないでください』
『いいじゃんかよぉ。役に立ってるんだからさぁ』
乃愛は生粋のゲーム少女だからな。
……ぶっちゃけちょっとやりすぎだろって思うくらいに。
部屋から出て行く音が聞こえた。
コンコン。
「先輩、ちょっといいですか?」
「ああ、いいよ」
幾分か自信を取り戻したように帆乃が部屋に入ってきた。
「なんでしょうか?」
「ようやく思い出した。乃愛のクラスメイトの帆乃……だったよな?」
「違います。捨てられた人参です」
「ピーマンだろ」
「似たようなものでは?」
「子供に不人気ってことだけな」
どうやらあくまでも白を切るつもりらしい。
「前に一度会ったことがある」
「……」
素知らぬ顔。ポーカーフェイス選手権で優勝できそうなレベルだ。
「上から落ちてきたのを助けたことがあったよな?」
「バレましたか。そうです。謎のメイドの正体は帆乃でした。ぱぱーん」
さして驚くこともなく淡々と告げる。
「……恩を返すつもりなら別に必要ないって」
「恩じゃありません」
「だったら、なん――」
言い終わる前に唇を帆乃の白い指が塞ぐ。
「決して恩ではありません」
もう一度同じ言葉。
でも、今度はどこか決意が秘められているように感じられた。
「だから」
帆乃がそっと俺の傍に近づいてくる。
女子に近づかれるとドキッとしてしまう。
「先輩」
帆乃は下から覗き込むように――睨んできた。
「……なんでガンつけてくるの?」
「上目遣いです」
想像と違う!
「ドキドキしますか?」
「別の意味でドキドキしてるよ」
怒られてる気分になってくる。
「あの、先輩だけに特別――な」
緊張からごくりと生唾を飲み込む音。
「儲け話があるんです」
「胡散臭い!」
「ドキドキしますか?」
「マルチに誘われたみたいでドキドキする」
「……トキメキは?」
「ない」
断言できる。
「……少し待っていてもらってもよろしいでしょうか?」
「いいよ」
というわけで作戦タイム。
帆乃は出て行き、俺は再び一人になった。
帆乃の白い指に触れられた唇が熱い。
今の俺なら唇でやかんを沸騰させることができそうだ。
それくらいの熱。
でも、帆乃の意図が分からない。
俺に恩を返したいわけではないらしい。
では、なんのためだろうか。
※※※※※※
『乃愛っち。作戦失敗でした』
『入って来るなりいきなりじゃん』
『どうやらセクシーがカンストして先輩の腰が引けてしまったみたいです』
嘘だろ。
『嘘でしょ』
……心の声と乃愛の声がかぶった。これが兄妹のシンクロニシティ。
『お、帆乃がセクシーではないと? セクシーコマンドー一級ですよ? 武力で勝負つけます?』
『セクシーで勝負つけろよぉ。考え方が戦闘民族じゃん』
『では、先輩に近づける他の手段は何かありませんか?』
『えー、だったら同じ趣味とかで攻めればいいんじゃない?』
『先輩の趣味ってなんでしょうか?』
俺の趣味か。今はアニメだけかな。
『ボクもあんまり詳しくないからなー。昔は男の子ーって感じの趣味してたねー。ライダーごっことか友達にやってたよ』
それ幼稚園の頃の話だろ。
『だから、男の子が好きそうなもの詰め合わせで攻めれば?』
『わかりました。とりあえず、ライダーベルトとトゲトゲの肩パッドと刀を持ってアバンストラッシュ決めてきます』
『物理的に攻めんのかよぉ! 死ぬわ! そういうんじゃなくてさぁ。もっと可愛くさぁ。キュンな感じで出来ない?』
『刀は武士の魂なので捨てられません』
『メイドじゃん!』
乃愛のくそでかため息がここからでも聞こえてくる。
『まぁ、お兄ちゃんなら無難にアニメとかのほうがいいんじゃないかなぁ。あ、ボクの部屋、結構そろってるから持って行ってもいいよ』
アニメかぁ。最近見てなかったからな。
『なら、秒速5センチメートルを薦めましょう』
『脳が破壊されるぅ』
『そこで『ご注文はうさぎですか』』
『脳が回復するぅ』
『ここで『スクールデイズ』』
『脳が破壊されるぅ』
『まちカドまぞく』
『破壊と再生を繰り返すな!』
『何が生まれるんです?』
『虚無だよ!』
普通のアニメでいいんだけどなぁ。
『でも、日常系のアニメとかいいかもね。ボクも弱ったときなんか女の子同士がほわほわするやつ見るし。尊いよねぇ』
それはわかる。
『ここで日常をもっと愉快にするためにピエロを登場させましょう』
『デスゲーム始まりそうじゃん!』
ピエロが登場する日常系って何?
『では、目立たないように女の子たちが集合している地面の排水溝にピエロをさりげなく登場させましょう』
『不穏すぎるじゃんかよぉ』
全然さりげなくない。
『じゃあ、中年男性を登場させましょうか』
『戦争だよ!』
乃愛の大きなため息がここまで聞こえてきた。
『もうわかんないよぉ。お兄ちゃんの興味引きたいならいっそ脱げばぁ? 女子の裸って最強じゃん。って、そんなこと――』
『なるほど。それはいいですね』
『え、マジで!? ちょ、ま――』
乃愛が止める間もなく帆乃が部屋から出て行く音が聞こえた。どうやら、この部屋に来るつもりだ。
……え、マジで? 脱ぐの? ……帆乃の裸かぁ。
想像中。
ほっそりとした腰回りと浮き出たあばら、小柄な身長の割にはふくよかな胸、柔らかそうな尻。
うん、最高じゃん。
「戻りました」
ノックの音と同時に帆乃が部屋に入ってくる。
「ああ、うん」
今まで帆乃の裸を想像していたため、つい生返事になってしまった。
駄目だ駄目だ。
恩につけこんで女子の裸を見るなんて駄目だ。
「とりあえず、乃愛っちからアドバイスを頂きました。――脱げ、と」
「いやいや、それは駄目だろ」
「止めないでください。これで喜んでいただけるなら不肖帆乃・脱ぎましょう」
そう言って帆乃は胸のスカーフを外す。
「恥ずかしいのであまり見ないでください」
頬を染めて視線を逸らす帆乃。恥ずかしがっている姿は初めて出会った女の子みたいだ。
やばい、心臓の音がめっちゃビートを刻んでる。
「あ、わ、悪い」
慌てて顔を背ける。
って、そうじゃなくて止めないと!
視線を戻したとき、帆乃は胸のスカーフを外して床に落と――。
ズン!
家が一瞬軋んだ。
馬鹿な。これほどの重りを身に着けて今まで過ごしてきたというのか。
「ふぅ、これで体が軽くなりました」
「セリフがバトル漫画なんだけど」
帆乃は手を首に当てて、コキコキ鳴らす。
「ようやく本気が出せますね」
仕草が『ターバンとマント外したときのピッコロさん』だから全然萌えない。
「……あまり喜んでいませんね」
「そりゃね」
あんまり変わってないし。
「なら、右腕だけで戦いましょうか?」
「そんな謎のハンデで喜ぶかよ!」
世話するんじゃないのかよ。
「というか、なんでそんな重い物つけてんの? 修行?」
「家にいたとき、花嫁修業してましたから」
「花嫁修業で『重り』って……。 スキルツリーの選択間違ってない? そこを伸ばしても行きつく先は『武道家』とか『戦士』だよね」
「どんな職業にもある程度の体力は必要かと」
STR極ぶりするレベルだけどね。
「……どうやら、これも失敗みたいですね。そういえば、この家ってご両親は不在なんですよね?」
「……ああ、二人とも海外で仕事だ。乃愛から聞いてたのか?」
「いいえ。メイド歴一日の私にすればまるっとお見通しです。家政婦は見たということですね」
そんな浅い経歴のやつにも見破られるのかよ。
「で、ご飯は普段何を食べてるんですか?」
「……カップラーメン」
「それはいけません」
といってもなぁ。
「俺と乃愛だけだとどうしてもそういう簡単なものになるんだよなぁ」
「もっと栄養があるものにしてください。そうですね。軽くイノシシでも狩りに行きますか」
連れション感覚で狩りに誘うな。
「もっとあっさりしたものにしてくれ」
「難しいですね。そういえば、夜は何か食べたいものはありますか?」
「……特にないかな」
「一番選択に困るやつですね」
我ながらそう思う。
「ちょっと聞いてくるので待っていてください」
再び部屋を出て行く。
「面白い!」
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