第一話
晴れた空からぱらぱらと、銀に似た雨粒が降り注ぐ。
狐の嫁入りじゃ縁起がよいぞと、輿を担ぐ端から声があがった。
何を言ってる、嫁入りするのは人間のほうじゃないか、と、白無垢の花嫁衣装に身を包んだ明は聞こえないよう、角隠しに隠れてひそりと悪態をついた。
かりそめの雨粒は、すぐに止む。
乾いた地を潤すほどには、ならないだろう。
長く続いた日照りで、明の村は不作に陥った。
豊穣祈願の舞もした。皆、死ぬほどに手足を振りたくって踊った。
村中から掻き集めた金で高名な祈祷師を呼び、お祓いもした。
できることはすべてやった。
なのにそれでもどうしても、村の実りが戻ることはなかった。
一昨年前までは、訪れた役人が首を傾げるくらい、毎年作物に困ったことのない肥沃な土地だったのに。
実りがなくなっても年貢は変わらず納めなければならない。
当たり前のように困窮した村で最後に残された手段として持ち上がったのが、
『山神様に花嫁を差し出すこと』
だった。
神様の花嫁なぞと聞こえはいいが、ただの生贄。人柱だ。
村の守り神の山神は、おそろしく獰猛な獣の神だという。
四つ脚どころか脚が六つあるだとか、牙が百本あるだとか。姿を見たものなど当たり前にいないのに、獲って食われるから山の社へ近づいちゃいけないと、村の子供たちは皆言い聞かせられて育った。
明の聞いた話では、五十年だか百年だか前にも、村では水害で困窮極まり、やむなく十五になったばかりの少女を選んだことがあった。
娘は無事に山神様に気に入られたらしく、その嫁入りの翌日に、四肢と腑のない骸が麓に残されていた。
その後、雨はぴたりと止んで水害はおさまったという。
少女の犠牲で、村は救われたのだ。
そして今年も、ひとりの娘が生贄の花嫁に選ばれた。
身寄りのない、親を飢饉で失った齢十五の少女。
本当は怖くて嫌だと叫びたかったけれど、拒否することなど、出来ない。
村では今日もまた、痩せ細った母親から一滴の乳も飲めないまま、生まれたばかりの赤子が死んだ。
もう、村には余裕がない。
生贄を出す以外に、術はないのだ。
輿入れの前夜、誰にも見られぬよう、少女はひとり、声を殺して泣いた。
◇
これから惨たらしく喰い殺されるであろう者への配慮か、輿は揺れを最小限におさめながら、山道を登る。
小さい頃から出来の悪かった自分に対して、大人達がこうも気を遣ってくれたのは生まれてはじめてのことで、少しだけ頬が緩んだ。
ゴト、と、輿が地面に置かれる。
村を出てからの道中は、大人たちが絶えず鈴を鳴らし笛を吹き、気持ちを紛らわせてくれた。
ただの儀礼の一つだったと言えばそれまでだが、明にとっては耳に残るその音が、一人ではないと思わせてくれるようで心強かった。
けれど社に着いてしまえば、もう花嫁一人だ。
逃げ出したくなる膝を立たせ、慣れない輿の中からなんとか這い出ると、そこには随分と寂れた社と朽ちかけの鳥居があった。
もとは磨かれ整然と管理されていたであろう社を哀れに見ながら、一歩二歩と鳥居をくぐる。
白く長い裾は思っていたよりも歩きにくく、みるみる土埃に汚れていった。
先ほどまで楽を奏でていた村の大人達は、振り返るとすでに山を降りる後ろ姿になっていた。
「ここが、神様のお社か……」
声を出すなと言われていた。
手足を噛みちぎられ、腑を啜られるその瞬間まで、声を出してはいけないと。
言いつけを思い出し、はっと手のひらを口元へ当てた瞬間、
リンッ
と、耳元で鈴が鳴った。
誰か戻ってきたのだろうか。後ろを見るが、誰もいない。
乗せられてきた輿までもがなくなっていた。
「……あれ?」
再び声を漏らしてしまったことに気づいた時、明の体はもうそこにはなかった。
◇◇◇
「めでたやめでたや。嫁入りじゃ」
「主さまの嫁御が来なすったぞ」
「百年ぶりじゃ」
「五百年ぶりじゃ」
「千年ぶりじゃ」
耳元に囁かれる子供のような声。
遠くでかしましく放たれる老人の声。
艶めかしい女の声も、猛々しい男の声も聞こえる。
鼻に触れるのは、白檀。
明は香には詳しくないが、幼馴染の少女が教えてくれた中で、唯一覚えられた香りがこれだった。
懐かしくもあるその香りを鼻腔の奥へ入れ、それからゆっくり吐き出すと、閉じていた瞼を開ける。
「お目覚めかな、吾が花嫁」
何畳あるのか、数えきれないほどの枚数の畳を敷き詰めた間に、梁がどこまでも伸びた天井。
左右には角のある子供。尾のある老人。半分獣、半分人のような生き物がずらりと端まで並んでいる。
中央に威丈高に座した人物は、研ぎ抜かれた矢じりのような鋭い目で、明の身を射抜いた。ぞわりと、貫かれたように背が冷える。
「吾が花嫁、名を教えてくれぬか」
その声は、頭の中に響くほど通りがよく、しかし想像していたよりも高い。もしかしたらまだ年若い少年なのかもしれない。
座った位置や風体からして、この者が山神で間違いないだろう。
しかし、声はこれほど通るのに、鋭い目線は感じるのに、顔がよく見えない。
焚き染められた香の煙は、人の世のものとは違うのだろうか。何度目をこすっても前を払っても、霞がかって主とやらの顔が見えないのだ。
「……明、です」
「アケルか。よい名だ。顔を見せよ」
こいこい、と主が手招きする。
向こうが動く気配がないので、こちらが動けと言うお達しか、と脚に力を入れようとしたところで、背に強い風を感じた。
ぶわりと大きく体が浮いて、瞬きの間に、再度に目を開けた時にはそこにおそろしくうつくしい顔があった。
流れる銀の髪に、金の瞳。その鉱物のような玉を縁取る睫毛さえ、長い髪と同じ銀色だ。冬に降りた霜のようにきらきらと光っている。
こんなうつくしい女は、村じゅう、いや、邦じゅう探したって見つからない。
「お、女……?」
「うむ。そう言うお前は男の子だな。これは面白い」
顔を覆っていた角隠しと綿帽子が取られあらわになった、明の少年らしい勝気な目。大人の男と比べれば未熟なものだが、手足には少女とは見間違えようのない筋肉がしっかりとついている。
その男の子の体を、大事な花嫁であると言わんばかりに、細い腕が優しく抱き直した。
頭上に立派な獣の耳が生えていることを除けば、それはそれは背筋が凍るような美貌の、お伽噺の姫君のような少女であった。